【Chapter.2 根本】
「ほえー……初めて見たー……すっげえ」
ギラギラしたアーチを文字通り口を開けたまま見上げながら、素直な感想をこぼした。時刻は二十一時を少し回ったところ。現在地、某町一番街、入口。日本人ならほとんどが、歓楽街と聞いて真っ先にこの場所を思い浮かべるのではないか。かく言う私もその一人、今まで何かしらの画面越しでしか見たことのなかったギラつきに、目をかっ開く。ついでに鼻腔もかっ開く。ふんふんと、匂いの情報を脳に送る。
「立ち止まらないで。歩いて」
「あっ、ごめんつい」
まずい、田舎者丸出しだった。
数歩距離が開いてしまった、気持ち猫背気味の背中を慌てて追いかける。昼間に比べたら幾分かマシになったとはいえ、じっとしていても汗が滲んでくる暑さ。これぞ熱帯夜というような真夏の夜の歓楽街を、私と和田さんwith花子は歩いていた。
遡ること、およそ二時間。日の入りとともに寝室から出てきた和田さんは、職場に行くからシャワー浴びる、とだけ言うと、スーッとお風呂場へ消えた。半日近くだから……五・六時間は寝れたのかな、だいぶ顔色もマシになっていた。それでもまだまだ病み上がり、そんな状態で出勤するのかと、一応声はかけてみた。休む連絡してなかったのか、という心配もあったし。返事は、なかったけれど。ちなみにこの時の私の状態はというと、仰向けに寝っ転がりスマホで日記を書いていた。最近お気に入りのアプリで、私には絵心がないので文字しか使ってないけれど、機能的には絵日記も作れる。和田さんが寝付いてから、一緒に遊んだりぼーっとテレビを眺めたりをともにしていた花子は、疲れたのか私の腹の上で丸くなっていた。ぱっと見、大福。
そうしてだらけること、更に三十分。お風呂場から戻ったこの部屋の主は、なぜかかっちり髪の毛をセットしていた。服も、黒一色ではあるけれどデザインがオシャレな、なんというか、他所行きの私服?みたいな、これからデートですかみたいな、だいぶイケてるやつ。職場に顔出すって、さすがにかっちりスーツまで着る必要はないだろうけど、病欠した報告にしては……ステータス見た目全振り過ぎないか。首を傾げる私の横まで来て、ストンと正座して向き合った和田さんは、開口一番小さく頭を下げた。
「迷惑かけてすみませんでした。助かったけど、神坂さんにこれ以上魔除けになってもらうわけにはいかない」
真剣な謝罪の言葉。魔除けとかいう単語がなんかちょっとウケるけど。寝っ転がったままだった私は慌てて飛び起きた。
「いえいえそんなそんな。私の方こそ助けてもらったし、困ったときはお互い様って言うし」
「いや、俺の場合自業自得というか……とにかく、今のうちに解決したくて。だから、これから
「ほ、ほう……こんぽんね、こんぽん。ふむふむ」
ぶっちゃけ、八割方意味わからん。
何かやばいのをやっつける的な、そういう意味ね、たぶん。
「ただ、一緒に来てくれるだけでいい。今日中に絶対に決着つける。もう少しだけ、付き合ってもらえませんか」
なんか、なんというかこう、告白されてるみたい。されたことないからわからないが。わはは、わは……はあ。
御歳三十歳独身フリーター女子の、覇気のない声が宙に浮いた。
「……オフコース」
そうして電車を乗り継ぎ、やって来た場所は完全に予想外。職場に行くから、と言われ二つ返事で着いてきたけれど、物珍しさから妙にそわそわしてしまう。都内へ進学や就職をした友達もいたし、所謂観光スポットへ遊びにくる機会もあったけれど、こういった歓楽街は悉く選択肢から外れていた。そもそも夜中に出歩くこと自体、私にとっては珍しいのだが。ましてや今、暑いし。
首筋を伝った汗を拭い、少し前を歩く和田さんを一瞥。グレーの小振りなショルダーバッグの中には、財布とスマホと——タオルに包んだ保冷剤と、花子が入っている。
ひとつ、気になったことを確認しようと口を開きかけたとき、徐に背後から声がかかった。
「トキ!お前しばらく病欠やなかったん?」
「……最悪」
心底だるそうに振り返った和田さんに釣られて、私も顔の向きを変えた。その先でバチリと目が合った派手な頭髪の男(金髪にピンクメッシュ前髪、つやつやスーツ着用)は、反応したのが一人ではなかったことに驚いた素振りを見せていた。
「おま、は?え、は?うっそ、まじ?」
「今日はシフト入ってませんプライベートなのでついて来ないでください」
「え、そうなのか」
「ぷら、ぷらいべーとお⁈」
なんだか分からないけど表情筋フル活用の
続いた派手男の言葉が、核心に触れた。
「お前、辞めるとか言わんよな⁈キャスト嫌だったなら内勤戻ればええやん!オーナーには俺からも言ったるし!そら、あんなことあってしんどいのもわかるけど、いきなりそんな……彼女連れて来たりしてお前——」
「違う彼女じゃない」
「イエスただの隣人」
びっくりするぐらい、返しのテンポが合った。そうだよねそこはやっぱり、はっきり否定しておかないと。
「はえ?」
ひとり勝手に焦って捲し立てていた派手男が、口を開けたまま固まる。間抜けな声をあげたかと思うと、私と和田さんの顔を交互に凝視する。きっちり二往復した後、私の方を向いて小さく「勘違いすんませんした」と、ホストの男は頭を下げた。
「二回目やけど、さっきはごめんな?こんな無愛想ヤロー願い下げやろ?姉さんも」
「ああ、いえいえ無愛想はお互いなんで全然気にしてないです、はい」
「……」
派手男に促され、簡素なパイプ椅子に腰を下ろす。促した本人も、デスクの前、既にパソコンと向きあっている和田さんの隣へ、どかっと腰掛けた。所謂事務所なんだろう、ロッカーとパソコンデスクと長いソファと、ごちゃっと物が乗ったメタルラックでみちみちの、こぢんまりとした部屋。派手男もとい、和田さんの先輩だというこのお兄さん、お名前は「ミヤビ」さんだそうだ。二人と一匹の珍道中にミヤビさんも同行し、私達はとある夜の店のバックヤードを訪れていた。細長い四階建て雑居ビルの二階、エレベーターもついていない、古い建物。和田さんとミヤビさんの職場であるらしいこのお店、外階段を上がる時にちらっと見えた入口の横には、「Roar」と書かれた表札?が掲げられていた。なんて読むのかはわからない。二人とも、教えてくれなかったから。
私には一生縁がないと思っていたギラギラスポット、「ホストクラブ」の事務所は、思っていたよりずっと無機質だった。
「それで、見せたいものって何ですか?」
聞かなくてもなんとなく見当はついていたけど、じーっとこっちを見つめているミヤビさんに聞いてみる。和田さんはこの部屋に入ってから、一言も発さずに黙々とパソコンをいじっていた。今画面には、月毎にまとめられたフォルダがずらっと並んでいる。デスクトップの端に置いてあった「防犯カメラ映像」のフォルダからアクセスしたのを、座るときに横目で確認した。
「ああ、それな。たぶんアレやろ、トキ。アレ見せるっちゅうことは、姉さんお前の同業者かなんか?」
「違います。それよりなんでまだいるんですか。さっさと下降りてください」
「別にええやろお、まだ三十分あるわ出勤まで」
「ならせめて黙っててください余計なこと言わないでもらえますか」
圧、強。一応は先輩であるはずのミヤビさんに対して、和田さんめちゃくちゃ当たり強い。ミヤビさん本人は、気にしてなさそうだけど。ここへ来る道中、ミヤビさんの関西弁が
いや、それより同業者ってなんだ。夜職じゃないぞ私は。ミヤビさん風に言うと、バリカラオケ屋店員。ひとり百面相していると、マウスを滑らせていた和田さんの手が止まった。
「この映像、見てもらってもいいですか」
「ん?」
和田さんがスペースを空けてくれたデスク前へ、股の間から椅子を引きずって移動する。やった後でお行儀悪かったかと少し後悔するも、画面に映し出された光景を見てそれどころではなくなった。
この部屋、つまりいま私達がいる事務所の天井付近から室内を写した、防犯カメラの物と思われる映像。再生ボタンが押されていないため写っているのは静止画で、左下に表示されている日付は二週間ほど前。画面中程には、このパソコンデスク。奥の方、ロッカーの前に置かれた背もたれのないソファに座る、和田さんらしき後ろ姿。
そんな、よくある事務所の風景の、ど真ん中。明らかな「異質」が、画面中央に鎮座していた。
「……ほーん、なるほどねーなるほどなるほど」
他になんて言えばいいのか見当もつかず、それどころか目を逸らすことも出来ず。ただただ、怯えるべきではないと、怖くなどないぞ虚勢でもいいから張っておけと、頭の中の自分が言っていた。その声に従いなるほどを連呼した私を、二人は同時に見つめて顔を見合わせた。
口元を片手で覆って眉間に皺を寄せたミヤビさん。その視線を受け取った和田さんが、無言でマウスを滑らせ、再生ボタンをクリックした。カチリと、たったそれだけの音が嫌に大きく響く。
画面に、変化が現れる。
白い日付表示の横、時刻を表す数字が、淡々と進んでいく。画質粗目、鮮明とは言い難い映像の中。座って手もとの何か(恐らくスマホ)を見つめていた和田さんが、不意に顔を上げた。食い入るように見ているのは、黒い事務所のドア。視線を外さないまま、ゆっくりとソファから立ち上がる和田さん。その動きに既視感を覚え、張り詰めた空気を誤魔化すように呟く。
「なーんかこの動き、アレに似てますね。アレ、山で熊に遭遇した時の正しい対処法」
「黙って見てて」
あ、怒られた。いつにも増して容赦ない。
でも……そういうことじゃないの?
慌てず、騒がず、背中を向けず、目を逸らさない。なんなら熊に限らず、予期せず出会ってしまった危険な存在に対する、ベターな挙動。
そうしないといけない何かが、ドアの向こうに、いる。
一秒が永遠にも感じられる緊張感の中、三人分の呼吸だけが、無色無音で空気を揺らす。
ゆっくりと、ドアノブが回る。
焦ったいぐらい、もっとゆっくり、ドアが開いていく。
画面の中の和田さんが後ずさったのと同時に、嗄れた赤ちゃんの鳴き声みたいな、酷い声が私の耳を刺した。
画面の中の和田さんは、「それ」に気付いていないのか、ドアから目を逸らさない。
画面真ん中にいた「それ」が、口を開け、私の方を向く。黒い穴のような眼が、はっきりと、私の目を、射抜いている。
嗄れた声が、もう一度同じ言葉を吐いた。
『ナニミテンダ』
逢魔時夢想譚 楸むく @urajirotanuki
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