五
彼と私との交際の間には、もっと重要なことが沢山あったに相違ないのだが、それでも私はこうした小さな出来事ばかり馬鹿にはっきりと憶えていて、他の事は大抵忘れて
それは、たしか十一月も末の、風の冷たい日だった。その日、三年以上の生徒は
その夜は漢江の岸の
実をいうと、此の時ばかりでなく、趙は前々から上級生に
上級生との間に今云ったような
幾十かの天幕が河原に張られ、内部に
話にも飽き、昼間の疲れも出てくると、めいめい寒さを防ぐために互いに身体をくっつけあいながら藁の上に横になった。私も横になったまま、毛のシャツを三枚と、その上にジャケツと上衣と外套とを重ねた上からもなおひしひしと迫ってくる寒さに暫く顫えていたが、それでも何時の間にかうとうとと
──そんなに悪いとは思わんです。
──なに? 悪いと思わん?──と今度は別の太い声がのしかかるように響いた。
──生意気だぞ。貴様!
それと共に、明らかにピシャリと平手打の音が、そして次に銃が砂の上に倒れるらしい音と、更にまた激しく身体を突いたような鈍い音が二三度、それに続いて聞えた。私は
──どういうことなんだろうなあ。一体、強いとか、弱いとか、いうことは。──
言葉があまり簡単なため、彼の言おうとしていることがハッキリ解らなかったが、その調子が私を打った。ふだんの彼らしい所は
──俺はね、(と、そこで一度彼は子供のように泣きじゃくって)俺はね、あんな奴等に殴られたって、殴られることなんか負けたとは思いやしないんだよ。ほんとうに。それなのに、やっぱり(ここでもう一度すすり上げて)やっぱり俺はくやしいんだ。それで、くやしいくせに向って行けないんだ。
ここ迄言って言葉を切った時、私は、ここで彼がもう一度大声で泣出すのではないかと思った。それ程声の調子が迫っていた。が、彼は泣出さなかった。私は彼のために適当な慰めの言葉が見付からないのを残念に思いながら、黙って、砂の上に黒々と映った私達の影を見て歩いて行った。全く、小学校の庭で私と取組み合った時以来、彼は弱虫だった。
──強いとか、弱いとかって、どういうことなんだろう……なあ。全く。──と、その時、彼はもう一度その言葉を繰返した。私達はいつの間にか漢江の本流の岸まで来ていた。岸に近い所は、もう一帯に薄い氷が張りつめ、中流の、
此の露営の夜の出来事のほかには、彼について思い出すことといっては別に無い。というのは、それから間もなく(まだ私達が四年にならない前に)彼は突然、全く突然、私にさえ一言の予告も与えないで、学校から姿を消して了ったからだ。いうまでもなく、私はすぐに彼の家へたずねて見た。彼の家族は勿論そこにいた。ただ彼だけがいないのだ。
やがて、彼に関する色々な
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