彼と私との交際の間には、もっと重要なことが沢山あったに相違ないのだが、それでも私はこうした小さな出来事ばかり馬鹿にはっきりと憶えていて、他の事は大抵忘れてしまっている。人間の記憶とは大体そういう風に出来ているものらしい。で、この他に私のよく憶えていることといえば、──そう、あの三年生の時の、冬の演習の夜のことだ。

 それは、たしか十一月も末の、風の冷たい日だった。その日、三年以上の生徒はかんこう南岸のえいとうの近処で発火演習を行った。せつこうに出た時、小高い丘のりんの間から下を眺めると、其処には白い砂原が遠く連なり、その中程あたりを鈍い刃物色をした冬の川がさむざむと流れている。そしてその遥か上の空には、何時いつも見慣れた北漢山のゴツゴツしたさんこつが青紫色に空をくぎっていたりする。そうした冬枯の景色の間を、はいのうの革や銃の油の匂、又はえんしようの匂などを嗅ぎながら、私達は一日中駆けずり廻った。

 その夜は漢江の岸のりようしんの川原に天幕を張ることになった。私達は疲れた足を引きずり、銃の重みを肩のあたりに痛く感じながら、歩きにくい川原の砂の上をザックザックと歩いて行った。露営地へ着いたのは四時頃だったろう。いよいよ天幕を張ろうと用意にかかった時、今まで晴れていた空が急に曇って来たかと思うと、バラバラと大粒なひようが烈しく落ちて来た。ひどく大粒な雹だった。私達は痛さに堪えかねて、まだ張りもしないで砂の上に拡げてあったテントの下へ、我先にともぐり込んだ。その耳許へ、テントの厚い布にあたる雹の音がはげしく鳴った。雹は十分ばかりで止んだ。テントの下から首を出した私達は──その同じテントに七八人、首を突込んでいたのだ。──互いに顔を見合せて一度に笑った。その時、私は趙大煥もやはり同じテントから今、首を抜き出した仲間であることを見出した。が、彼は笑っていなかった。不安げなあおざめた顔色をして下を向いていた。側に五年生のNというのが立っていて、何かけわしい顔をしながら彼をとがめているのだ。一同があわててテントの下へもぐり込んだ時、趙がひじでもって、その上級生を突飛ばして、眼鏡を叩き落としたというのらしかった。元来私達の中学校では上級生が甚だしく威張る習慣があった。みちで会った時の敬礼はもとより、その他何事につけても上級生には絶対服従ということになっていた。で、私は、その時も趙が大人おとなしくあやまるだろうと思っていた。が、意外にも──あるいは私達がそばで見ていたせいもあるかも知れないが──仲々素直にあやまらないのだ。彼はに黙ったまま突立っているばかりだった。Nはしばらく趙を憎さげに見下していたが、私達の方にいちべつをくれると、そのままぐるりと後を向いて立去って了った。

 実をいうと、此の時ばかりでなく、趙は前々から上級生ににらまれていたのだ。第一、趙は彼等に道で逢っても、あまり敬礼をしないという。これは、趙が近眼であるにもかかわらず眼鏡を掛けていないという事実にることが多いもののようだった。が、そうでなくても、元来年の割にませていて、彼等上級生達の思い上った行為に対しても時として憫笑を洩らしかねない彼のことだし、それにその頃から荷風の小説をたんどくする位で、硬派の彼等から見て、いささか軟派に過ぎてもいたので、これは上級生達から睨まれるのも当然であったろう。趙自身の話によると、何でも二度ばかり「生意気だ。改めないと殴るぞ。」と云って、おどかされたそうだ。ことに此の演習の二三日前などは学校裏のすうせい殿でんという、昔の王朝の宮殿あとの前に引張られて、あわや殴られようとしたのを、折よく其処を生徒監が通りかかったために危く免れたのだという。趙は私にその話をしながら口のまわりには例の嘲笑の表情を浮かべていたが、その時、又、急にまじめになってこんな事を云った。自分は決して彼等を恐れてはいないし、又、殴られることをこわいとも思っていないのだが、それにも拘らず、彼等の前に出るとふるえる。何を馬鹿なとは思っても、自然に身体が小刻みに顫え出してくるのだが、一体これはどうした事だろう、と其の時彼は真面目な顔をして私に訊ねるのだった。彼は何時も人を小馬鹿にしたような笑いを浮かべ、人から見すかされまいと常に身構えしているくせに、時として、ひょいとこんな正直な所を白状して見せるのだ。もっとも、そういう正直な所をさらけ出して見せたあとでは、必ず、直ぐに今の行為を後悔したようなおももちで、又もとの冷笑的な表情にかえるのではあったが。

 上級生との間に今云ったような経緯いきさつが前からあったので、それで彼も、その時、素直にあやまれなかったのであろう。其の夕方、天幕が張られてからも、彼はなお不安なおちかない面持をしていた。

 幾十かの天幕が河原に張られ、内部にわらなどを敷いて用意が出来ると、それぞれ、中で火をおこしはじめた。初めの中はまきがいぶって、とても中にはいたたまれなかった。やがて、その煙もしずまると、朝からはいのうの中でコチコチに固まった握飯の食事が始まる。それが終ると、一度外へ出て人員点呼。それがすんでから各自の天幕に帰って、砂の上に敷いた藁の上で休むことになる。テントの外に立つしようは一時間交代で、私の番はあけがたの四時から五時までだったから、それまでゆっくり睡眠がとれるわけだった。その同じ天幕の中には私達三年生が五人と(その中には趙も交っていた。)それに監督の意味で二人の四年生が加わっていた。誰も初めの中は仲々寝そうにもなかった。真中に砂を掘ってこしらえた急製のを囲み、火影に赤々と顔をらせ、それでも外からと、下からとみこんでくる寒さにがいとうえりを立ててくびを縮めながら、私達は他愛もない雑談にふけった。その日、私達のきようれんの教官、万年少尉殿が危く落馬しかけた話や、行軍の途中民家の裏庭に踏入って、其の家の農夫達と喧嘩したことや、せつこうに出た四年生がずらかって、秘かに懐中にして来たポケット・ウイスキイのびんを傾け、帰ってから、いい加減な報告をした、などという詰まらない自慢話や、そんな話をしている中に、結局何時の間にか、少年らしい、今から考えれば実にあどけないわいだんに移って行った。やはり一年の年長である四年生が主にそういう話題の提供者だった。私達は目を輝かせて、経験談かそれとも彼等の想像か分らない上級生の話に聞き入り、ほんの詰まらない事にもドッとたのしげな歓声をあげた。ただ、その中で趙大煥一人は大して面白くもなさそうな顔付をして黙っていた。趙とても、こういう種類の話に興味が持てないわけではない。ただ、彼は、上級生の一寸ちよつとした冗談をさも面白そうに笑ったりする私達の態度の中に「卑屈なついしよう」を見出して、それを苦々しく思っているに違いないのだ。

 話にも飽き、昼間の疲れも出てくると、めいめい寒さを防ぐために互いに身体をくっつけあいながら藁の上に横になった。私も横になったまま、毛のシャツを三枚と、その上にジャケツと上衣と外套とを重ねた上からもなおと迫ってくる寒さに暫く顫えていたが、それでも何時の間にかうとうととねむって了ったものと見える。ひょいと何か高い声を聞いたように思って、眼を覚ましたのは、それから二三時間もたった後だろうか。その途端に私は何かしら悪いことが起ったような感じがして、じっと聞耳を立てると、テントの外から、又、妙にかんだかい声が響いて来た。その声がどうやら趙大煥らしいのだ。私はと思って、宵に自分の隣にていた彼の姿をもとめた。趙はそこにいなかった。恐らくは歩哨の時間が来たので外へ出ているのだろう。が、あの、妙におびやかされた声は? と、その時、今度はハッキリと顫えを帯びた彼の声が布一枚隔てた外から聞えてきた。

 ──そんなに悪いとは思わんです。

 ──なに? 悪いと思わん?──と今度は別の太い声がのしかかるように響いた。

 ──生意気だぞ。貴様!

 それと共に、明らかにピシャリと平手打の音が、そして次に銃が砂の上に倒れるらしい音と、更にまた激しく身体を突いたような鈍い音が二三度、それに続いて聞えた。私はとつすべてをりようかいした。私には悪い予感があったのだ。ふだんから憎まれている趙のことではあり、それに昼間のような出来事があったりしたので、或いは今夜のような機会にやられるのではないかと、宵の中から私はそんな気がしていた。それが今、ほんとうに行われたらしいのだ。私は天幕テントの中で身を起したが、どうする訳にも行かず、ただ胸をとどろかしたまま、暫くと外の様子をうかがっていた。(ほかの友人達は皆よく眠っていた。)やがて外は、二三人の立去る気配がしたあとはとした静けさにもどった。私は身仕舞をして、そっと天幕を出て見た。外は思いがけなく真白な月夜だった。そうしてテントから二けんほど離れた所に、月に照らされた真白な砂原の上に、ポツンと黒く、小さな犬か何かのように一人の少年がしゃがんだまま、と顔をせて動かないでいる。銃は側の砂の上に倒れ、そのけんさきがきらきらと月に光っていた。私は傍に行って彼を見下したまま「Nか?」と訊ねた。Nというのは昼間彼といさかいをした五年生の名前だった。趙は、しかし、下を向いたまま、それに答えなかった。しばらくして、突然、ワッという声を立てて身体を冷たい砂の上に投出すと、背中をふるわせながら、おうおうと声をあげて赤ん坊のように泣き始めた。私はびっくりした。十メートルほどへだてて、隣の天幕の歩哨も見ているのだ。が、趙の、この、平生に似ないしんそつどうこくが私を動かした。私は彼をたすけ起そうとした。彼は仲々起きなかった。やっと抱起すと、他の天幕の歩哨達に見られたくない心遣いから、彼を引張って流れの近くへ連れて行った。十八九日あたりの月がラグビイの球に似た恰好をして寒空にえていた。真白な砂原の上には三角形の天幕がずらりと立並び、その天幕の外には、いずれも七八つずつ銃剣が組合わされて立っている。歩哨達は真白な息を吐きながら、冷たそうに銃のだいじりを支えて立っている。私達はそれらの天幕の群から離れて漢江の本流の方へと歩いて行った。気がついて見ると、私は何時の間にか趙の銃を(砂の上に倒れていたのを拾って)彼の代りにになっていた。趙は手袋をはめた両手をだらりと垂らして下を向いて歩いて行ったが、その時、ポツンと──やはり顔を俯せたままで、こんなことを言出した。彼はまだ泣いていたので、その声もえつのために時々とぎれるのであったが。彼は言った。あたかも私をとがめるような調子で。

 ──どういうことなんだろうなあ。一体、強いとか、弱いとか、いうことは。──

 言葉があまり簡単なため、彼の言おうとしていることがハッキリ解らなかったが、その調子が私を打った。ふだんの彼らしい所はじんも出ていなかった。

 ──俺はね、(と、そこで一度彼は子供のように泣きじゃくって)俺はね、あんな奴等に殴られたって、殴られることなんか負けたとは思いやしないんだよ。ほんとうに。それなのに、やっぱり(ここでもう一度すすり上げて)やっぱり俺はくやしいんだ。それで、くやしいくせに向って行けないんだ。こわくって向って行けないんだ。──

 ここ迄言って言葉を切った時、私は、ここで彼がもう一度大声で泣出すのではないかと思った。それ程声の調子が迫っていた。が、彼は泣出さなかった。私は彼のために適当な慰めの言葉が見付からないのを残念に思いながら、黙って、砂の上に黒々と映った私達の影を見て歩いて行った。全く、小学校の庭で私と取組み合った時以来、彼は弱虫だった。

 ──強いとか、弱いとかって、どういうことなんだろう……なあ。全く。──と、その時、彼はもう一度その言葉を繰返した。私達はいつの間にか漢江の本流の岸まで来ていた。岸に近い所は、もう一帯に薄い氷が張りつめ、中流の、おうようと流れている部分にも、かなりな大きさの氷の塊がいくつか漂っていた。水の現れている所は美しく月に輝いているけれども、氷の張っている部分は、月の光がすり硝子ガラスのように消されて了っている。もう、ここ一週間の中にはすっかり氷結して了うだろう、などと考えながら水面を眺めていた私は、その時、ひょいと彼の先刻さつき言った言葉を思い出し、その隠れた意味を発見したように思って、がくぜんとした。「強いとか弱いとかって、一体どういうことだろうなあ」という趙の言葉は──と、その時私はハッと気が付いたように思った──ただ現在の彼一個の場合についての感慨ばかりではないのではなかろうか、と其の時、私はそう思ったのだ。勿論、今から考えて見ると、これは私の思いすごしであったかも知れない。早熟とはいえ、たかが中学三年生の言葉に、そんな意味まで考えようとしたのは、どうやら彼をかいかぶりすぎていたようにも思える。が、常々自分の生れのことなどを気にしないように見せながら、実は非常に気にしていた趙のことではあり、又、上級生にいじめられる理由の一部をもその点にみずから帰していたらしい彼を、よく知っていた私であったから、私がその時そんな風に考えたのも、あながち無理ではなかったのだ。そう考えて、さて、自分と並んだ趙のしおれた姿を見ると、そうでなくても慰めの言葉に窮していた私は、更に何と言葉をかけていいやら解らなくなり、ただ黙って水面を眺めるばかりだった。が、それでも私は何かしら心の中で嬉しかった。あの皮肉屋の、気取屋の趙が、いつもの外出よそ行きをすっかり脱いで──前にも言ったように、これ迄にも時として、そういう事もないではなかったが、今夜のような正直な激しさで私を驚かせたことはなかった。──裸の、弱虫の、そして内地人ではない、半島人の、彼を見せてくれたことが、私に満足を与えたのだった。私達はそうして暫く寒い河原に立ったまま、月に照らされた、対岸の龍山からとくそんけんせいりようへかけての白々とした夜景を眺めていた。…………

 此の露営の夜の出来事のほかには、彼について思い出すことといっては別に無い。というのは、それから間もなく(まだ私達が四年にならない前に)彼は突然、全く突然、私にさえ一言の予告も与えないで、学校から姿を消して了ったからだ。いうまでもなく、私はすぐに彼の家へたずねて見た。彼の家族は勿論そこにいた。ただ彼だけがいないのだ。の方へ一寸ちよつと行ったから、という彼の父親の不完全な日本語の返事の外には、何の手掛りも得られなかった。私は全く腹を立てた。前に何とか一言ぐらい挨拶があってもいい筈なのだ。私は、彼のしつそうの原因を色々と考えて見ようとしたが、無駄だった。あの露営の晩の出来事が直接の動機となったのだろうか。あのことだけで、学校をめるほどの理由になろうとも思えなかったが、やはり幾分は関係があるような気もした。そう考えると、いよいよ、例の、彼の言った「強い、弱い」うんぬんの言葉が意味のあるものに思われてくるのだった。

 やがて、彼に関する色々なうわさが伝わって来た。彼がある種の運動の一味に加わって活躍しているという噂を一しきり私は聞いた。次には、彼がしやんはいに行って身を持崩しているというような話も──これはやや後になってではあるが──聞いた。そのいずれもがあり得ることに思えたし、又同時に、両方とも根の無いことのように考えられもした。うして、中学を終えると直ぐに東京へ出て了った私は、其の後、ようとして彼の消息を聞かないのだ。

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