六
虎狩の話をするなどと称しながら、どうやら少し先走りしすぎたようだ。さて、ここらで、
ある日学校が終って、いつもの様に趙と二人で電車の停留所まで来ると、彼は私に、いい話があるから次の停留所まで歩こうと言った。そうして、その時、歩きながら、私に虎狩に行きたくないかと言い出した。今度の土曜日に彼の父親が虎狩に行くのだが、その折、彼も連れて行って貰うことになっているという。で、私なら、かねて名前も言ってあるので、彼の父親も許すに違いないから、一緒に行こうじゃないか、というのだ。私は、虎狩などということは今迄まるで考えて見たことがなかっただけに、その時
その翌朝、学校へ行って、趙に、彼の父親が承諾を与えたかと聞くと、彼は怒ったような顔付で「あたりまえさ」と答えた。その日から私達は課業のことなどまるで耳にはいらなかった。趙は私に彼が父親から聞いた色々な話をして聞かせた。虎は夜でなければ餌をあさりに出掛けないこと、豹は木に登れるけれども虎は登れないこと、私達が行こうとしている所は、虎ばかりでなく豹も出るかも知れないということ、その他、銃はレミントンを使うのだとか、ウィンチェスタアにするのだとか、あたかも自分がとっくの昔から知ってでもいたかのような調子で、種々の予備智識を与えるのだった。私もふだんなら「何だ、
金曜日の放課後、私は一人で(これは趙にも内緒で)
いよいよ土曜日になった。四時間目の数学が終るのを待ちかねて、私は急いで家に帰った。そうして昼飯をすますと、いつもより二枚余計にシャツを着込み、
発車は丁度四時。一行は私をいれて四人の他に、もう一人、これはどちらの下僕か知らないが、主人達の防寒具やら食糧やら弾薬やらを
汽車に乗ってからも、並んで席を取った趙と私とは二人きりで話しつづけ、大人達とは殆ど口を交えなかった。趙は私の前であまり朝鮮語を使うのを好まないようであった。時々向い側から与えられる父親の注意らしい言葉にも極く簡単に返事するだけだった。
冬の日は汽車の中ですっかり暮れてしまった。鉄道が山地にはいるに従って、窓の外に雪の積っているらしいのが分った。汽車が目的の駅──それは沙里院の手前の何とかいう駅だと思うのだが、それが、今どうしても思い出せない。一つ一つの情景などは実にはっきり憶えているのだが、妙なことに、
雪明りの狭い田舎道を半里ばかり行くと、道は
時は次第に
そうした見張をしばらく続けている中に、先程の恐怖は大分
が、二時間待っても、三時間待っても、一向虎らしいものの気配も見えぬ。もう二時間もすれば夜が明けてくるだろう。趙の父親の話によると、こうやって虎狩に来ても、いきなり新しい足跡を見付けるなんぞというのは余程運がいい方で、大抵は二三日
趙はその時、持って来た
さて、バナナは
さて、それが、どのようにして起ったか。私は不覚にもそれを知らない。ただ、鋭い恐怖の叫びに耳を貫かれてハッと我にかえった時、私は見た。すぐ眼の下に、私達の松の枝から三十
すぐに大人達は木から下りて行った。私達もそれについて下りた。雪の上では、獣もその前に倒れている人間も共に動かない。私達ははじめ棒の先で、倒れている虎の身体をつついて見た。動く気色もないので、やっと安心して、皆その死骸に近寄った。その近所は一面に雪の上を新しい血が真赤に染めていた。顔を横に向けて倒れている虎の長さは、胴だけで五尺以上はあったろう。もう其の時は、空も次第に明けかけて、周囲の木々の梢の色もうっすらと見分けられる頃だったから、雪の上に投出された黄色に黒の
一方、倒れている人間の方はどうかというと、これはただ恐怖のあまり気を失っただけで、少しの
私を驚かせたのはその時の趙大煥の態度だった。彼は、その気を失って倒れている男の所へ来ると、足で荒々しく其の身体を蹴返して見ながら私に言うのだ。
──チョッ! 怪我もしていない──
それが決して冗談に言っているのではなく、いかにも此の男の無事なのを
やがて、他の勢子達も銃声を聞いて集って来た。彼等は虎の四肢を二本ずつ縛り上げ、それに太い棒を通し、さかさに吊して、もう明るくなった山道を下りて行った。停留場まで下りて来た私達は一休みして後──虎はあとから貨物で運ぶことにして──すぐに其の午前の汽車で京城に帰った。期待に比べて結末があまりに簡単に終ってしまったのが物足りなかったけれども──殊に、うとうとしていて、虎の出て来る所を見損ったのが残念だったが、とにかく私は自分が一かどの冒険をしたのだ、という考えに満足して家にもどった。
一週間ほどして、西大門の親戚の所からして、私の噓がばれた時、父から大眼玉を喰ったことは云うまでもない。
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