元来、彼は奇妙な事に興味を持つ男で、学校でやらせられる事にはほとんど少しも熱心を示さなかった。剣道の時間なども大抵は病気と称して見学し、真面目に面をつけて竹刀しないを振廻している私達の方を、例の細い眼で嘲笑を浮べながら見ているのだったが、ある日の四時間目、剣道の時間が終って、まだ面もらない私のそばへ来て、自分が昨日三越のギャラリイで熱帯の魚を見て来た話をした。大変こうふんした口調でその美しさを説き、是非私にも見に行くように、自分も一緒に、もう一度行くから、というのだ。その日の放課後私達は本町通りの三越に寄った。それは恐らく、日本で最も早い熱帯魚の紹介だったろう。三階の陳列場の囲いの中にはいると、周囲の窓際に、ずっと水槽を並べてあるので、場内は水族館の中のようなほの青い薄明りであった。趙は私をず、窓際の中央にあった一つの水槽の前に連れて行った。外の空を映して青く透った水の中には、五六本の水草の間を、薄い絹張り小団扇うちわのような美しい、非常にうすい平べったい魚が二匹静かに泳いでいた。ちょっとかれいを──縦におこして泳がせたようなかつこうだ。それに、その胴体と殆ど同じ位の大きさの三角帆のようなひれ如何いかにも見事だ。動く度に色を変える玉虫めいた灰白色の胴には、派手なネクタイの柄のように、赤紫色の太いしまが幾本か鮮かに引かれている。

「どうだ!」と、熱心に見詰めている私の傍で、趙が得意気に言った。

 硝子ガラスの厚みのために緑色に見える気泡の上昇する行列。底に敷かれた細かい白い砂。そこから生えているはばの狭いみず。その間に装飾風のひれを大切そうに静かに動かして泳いでいるひしがたの魚。こういうものをと眺めている中に、私は何時いつの間にかのぞ眼鏡めがねで南洋の海底でも覗いているような気になってしまっていた。が、しかし又、其の時、私には趙の感激の仕方が、あまり仰々しすぎると考えられた。彼の「異国的な美」に対する愛好は前からよく知ってはいたけれども、此の場合の彼の感動には多くの誇張が含まれていることを私は見出し、そして、その誇張をくじいてやろうと考えた。で、一通り見終ってから三越を出、二人して本町通を下って行った時、私は彼にわざとこう云ってやった。

 ──そりゃ綺麗でないことはないけれど、だけど、日本の金魚だってあの位は美しいんだぜ。──

 反応は直ぐに現れた。口をつぐんだまま正面から私を見返した彼の顔付は──その面皰にきびだらけな、例によって眼のほそい、よくの張った、くちびるの厚い彼の顔は、私の、繊細な美を解しないことに対するびんしようや、又、それよりも、今の私の意地の悪いシニカルな態度に対する抗議や、そんなものの交りあった複雑な表情でたちまち充たされて了ったのである。その後一週間程、彼は私に口をきかなかったように憶えている。…………

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