伯父はその晩ずっと睡り続けた。次の日の昼頃、ひょいと眼をあけたが、何も認めることが出来ないようであった。くうをみつめた眼玉をぐるりと一廻転させると、すぐに又、まぶたを閉じた。そしてそのまま、かすかな寝息を立てて、眠り続けた。

 その晩八時頃、三造が風呂にはいっていると、すぐ外の廊下を食堂(せんぞくの伯父の家は半ば洋風になっていた)から、伯父の病室の方へバタバタ四五人の急ぎ足のスリッパの音が聞えた。彼は「はっ」と思ったが、どうせ睡眠状態のままなのだから、と、そう考えて、身体を洗ってから、廊下へ出た。病室へはいると、昼間の姿勢のままにねている伯父を真中にして、その日、朝からこの家につめかけていた四人の親戚達やの家の家族達が、大方黙って下を向いていた。彼が障子をあけてはいっても誰も振向かない。彼等の環の中にはいって座を占め、伯父の顔を眺めた。かすかな寝息ももう聞えなかった。彼はしばらく見ていた。が、何の感動も起らなかった。突然、笑い声のような短く高い叫びが、彼の一人おいて隣から起った。それは二三年前女学校を出た此の家の娘であった。彼女はハンケチで顔をおおって深く下を向いたまま、小刻みに肩のあたりをふるわせている。此の従妹いとこが三日程前、水の飲ませ方が悪いと言って、ひどく伯父から𠮟られて泣いていたのを三造は思い出した。

 棺は翌朝来た。それ迄に伯父の身体はすっかり白装束に着換えさせられていた。元来小柄な伯父の、きよう帷子かたびらを着て横たわった姿は、丁度、子供のようであった。其の小さな身体の上部を洗足の伯父が持ち、下を看護婦が支えて、白木の棺に入れた時、三造は、こんな小さなせっぽちな伯父が之から一人ぼっちで棺の中に入らなければならないのかと思って、ひどくいたいたしい気がした。それは、哀れ、とよりほか言いようのない気持であった。小さな枕共に埋まって、ちょこんと小さく寝ている伯父を見ている中に、其の瘦せた白い身体の中が次第に透きとおって来て、筋やぞうがみんな消えて了い、その代りに何ともいえない哀れささびしさが其の中に一杯になってくるように思われた。うやまわれはしたかも知れないがついに誰にも愛されず、孤独な放浪の中に一生を送った伯父の、その生涯の寂しさと心細さとが、今、此のかんおけの中に一杯になって、それが、ひしひしと三造の方迄流れ出して来るかの様に思われるのであった。昔、自分と一緒に猫を埋めた時の伯父の姿や、昨夜、薬をのむ前に「お前にも色々世話になった。」と言った伯父の声が(低い、しわがれた声が其の儘)三造の頭の奥をちらりとかすめて過ぎた。突然、熱いものがグッと押上げて来、あわてて手をやるひまもなく、大粒の涙が一つポタリと垂れた。彼は自分できつきようしながら、又、人に見られるのを恥じて、手の甲でしきりにぬぐった。が、拭っても拭っても、涙は止まらなかった。彼は自分の不覚が腹立たしく、下を向いたまま廊下へ出ると、をひっかけて庭へ下りて行った。六月の中旬のことで、庭の隅には丈の高い紅と白とのスウィートピイが美しくむらがり咲いていた。花の前に立って、三造は、暫く涙のかわくのを待った。

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