自然居士現れる

増田朋美

自然居士現れる

その日も寒い日で、富士山の姿を見ることはできたが、それでも曇っていて、日が出ない日だった。この時期なので寒いのは当たり前であるが、でも、みんな寒い寒いと文句を言っている。

その日、杉ちゃんとジョチさんは、ある女性を尋ねるため、富士市内のマンションを訪れていた。昨年まで製鉄所を利用していた女性で、彼女の名は、村田真梨子といった。なんでも今月から富士市内の保育園で働き始めたというのだ。と言っても、保育士ではなくて、子供の話を聞くのを専門としているチャイルドカウンセラーとして業務を開始したのである。真梨子さんは、大変子供好きで、子供をほしかったのであるが、結婚しても子供ができず、鬱になってしまった。一度は自殺を考えたこともあったようであるが、それなら他人の子供を助ける仕事をすればいいと考え直して、チャイルドカウンセラーの資格を取ったのである。

杉ちゃんとジョチさんが、彼女のマンションに到着して、玄関ドアを叩こうとすると、どこかの部屋から、子供の泣き声が聞こえてきた。でもどこから聞こえてきたのかはわからなかった。とりあえず村田と書かれている玄関ドアを叩くと、ドアが開いて、村田真梨子さんが顔を出した。

「こんにちは、杉ちゃん、理事長さん。来てくださったんですね。本当にありがとうございます。どうぞお上がりください。」

そう言われて、杉ちゃんたちは、村田真梨子さんの部屋にはいった。

「なかなかいいマンションを借りられましたね。広々として良い感じではないですか。」

ジョチさんが、小綺麗に整理されていたマンションの部屋を見て言った。

「ええ、ありがとうございます。保育園に行かない日は、カウンセリングに従事しようと思いますので、開いている部屋はカウンセリングルームにして、サロンのようなことをしてみたいと思っています。今は、引っ越したばかりで何も無いですけど。」

そういう真梨子さんに、杉ちゃんは卵のパックを渡した。

「これ、お前さんの開業祝いに、岩橋さんが送ってきてくれた。ホロホロチョウがまた卵を産んだそうだ。」

「そうですか。ありがとうございます。岩橋さんにも、宜しく言ってください。」

真梨子さんは嬉しそうにそれを受け取った。鬱の治療として、真理子さんは岩橋一馬さんのホロホロチョウの飼育を手伝ったことがあった。逆を言えば、他人の子供の世話をしたいと思いついたのは、岩橋さんの牧場で世話になったのがきっかけでもある。

「了解ですよ。岩橋さんも喜ぶと思います。真梨子さんが、なにかやれることを見つけてくれたのだから。」

ジョチさんも、こういうときには嬉しそうに言った。やっぱり、利用者がそうやって次のステップに飛んでくれると嬉しくなるのだろう。製鉄所で部屋を借りて勉強している人たちは、心や体に問題がある人が多い。中には、それを乗り切るのに、自分のちからではできない人も居る。そういうことを知っているからこそ、嬉しくなるのだ。

「それで真梨子さん。チャイルドカウンセラーなんてかっこいい横文字が着いたけど、一体どんな仕事を始めたの?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「今は、ふじ保育園で働かせてもらっているんですけどね。トラブルを起こした子供さんのカウンセリングをさせてもらっています。そのうち、訪問カウンセリングも始めようと思っています。」

と、真梨子さんは答えた。

「はあ、そうなんだ。カウンセリングって、つまるところ、心の病気の治療だろ?大人ばかりがするもんだと思っていたけど。」

「とんでもないわ。むしろ、子供さんだからこそ辛い思いをしていることも結構あるのよ。だから、そういう子供さんに対して、大人がちゃんとしてあげなくちゃ。それは将来心が傷ついて人間を憎まなくなるようになるための足がかりにもなるのよ。」

杉ちゃんがそう言うと、真梨子さんはそういった。ということは、悩みが多い子供さんも着実に増えているに違いない。

「どんな悩みを相談されることが多いんですか?」

ジョチさんがそう言うと、

「ええ。一番多いのは、親御さんとの関係かな。子供さんにとって一番大事なものはやっぱり親だからね。それをこじれさせてしまうと、思春期に心を病むことにもつながるし。だからどんな小さな相談であっても、全力で取り組むようにしてる。それは、私の仕事だと思ってる。」

と、真梨子さんは答えた。

「そうなんですか。そうなると、将来製鉄所を利用してくれる人も減ってくれますかねえ。製鉄所の利用者が、増えるということは、世の中がおかしいということですからね。家族関係とか、そういうことが。逆に僕達は、商売繁盛なんですけど、こういう商売が、流行るということは、そういうことですからな。ああ、僕としては悪い冗談でした。」

と、ジョチさんが、照れくさそうにそう言った。杉ちゃんが、思わず、

「子供相手に、いろんな事するって、なんか自然居士みたいだね。」

というと、真梨子さんは、自然居士とはと聞いた。杉ちゃんが、観阿弥の作った能の登場人物で、子供を守るために芸を披露したヒーローだと答えると、

「いつか私も、そういう人に近づけるように頑張りたいと思います。」

と、真梨子さんは言うのだった。その顔は、決意に満ちていて、もう製鉄所のお世話になることは無いだろうなと思われる表情だった。

それと同時に。隣の部屋から、子供の泣き声がまた聞こえてきた。今度ははっきりと、甲高い声で、ママーママーと聞こえてきた。

「僕達が、ここに到着したときも、聞こえてきましたね。なにかお隣の住人について真梨子さんが知っていることはありますか?」

ジョチさんがそうきくと、

「ええ。以前、近くに住んでいる方から聞いたことがあります。確か、母親がソープに勤めてるとかで。確かに、子供さんも一人居るようですが、私はまだその子に会った事はありません。」

と、真梨子さんは答えた。その間に、ママー、ママーという声は、どんどん大きく強くなっている。

「ちょっと、隣の部屋がどうなっているのか、見てきましょうか。なにかあったのかもしれない。」

ジョチさんがそう言うと、真梨子さんもそうですねといった。車椅子の杉ちゃんがそこに残って、ジョチさんと真梨子さんは、隣の部屋に行った。隣の部屋のドアノブを動かすと、ドアは簡単に開いてしまった。

「すみません入りますよ。」

こういうところに怯まないで入れるのがジョチさんであった。すぐに隣の部屋にはいった。間取りは、真梨子さんの部屋と同じはずだから、すぐに居間に入れると思ったが、居間のドアには、ガムテープが貼ってあって、開かないようになっていた。そしてママーママーを叫んでいる声は、その裏側から聞こえてくるようである。ジョチさんは、真梨子さんと一緒に、すぐにそれを剥がしてドアを開けてしまった。すると、

「ママー!」

と叫びながら、一人の小さな男の子が飛び出してきたが、それがジョチさんと、真梨子さんだったことにびっくりして、

「おじさん、おばさん誰?」

とパニックした様に言った。

「はいはい。大丈夫ですよ。僕達は悪い人間ではありませんので安心してください。」

ジョチさんが部屋の中を確認すると、ドアだけではなくて窓にも、ガムテープが貼ってあって、彼が脱走できないようになっているのが明確だった。それに、部屋の中には水も何もなかった。つまり、少年は、間違いなく餓死させられるつもりだったのだろう。

「すぐに警察に知らせなければいけませんので、お話を聞かせてください。あなたは、お母さんと二人暮らしですか?」

ジョチさんがそうきくと、少年は困ってしまったのだろう。涙をこぼしてワーンと泣き出してしまった。

「そうだよね、怖かったよね。おじさんもおばさんも悪いことはしないから、ちゃんと名前を教えてくれないかな?」

真梨子さんが優しくそう言うと、

「僕は、山路幸人。」

と、少年は名前を名乗った。

「そうなんだ。幼稚園とかには通ってないの?」

と、真梨子さんがいうと、

「通ってない。ママがお金が無くて。」

と、幸人くんは答えた。

「そうなんですか。じゃあ、いつ頃から、部屋に閉じ込められたのか、お話していただけませんか?」

とジョチさんが言うと、

「わかりません。僕が寝ている間に、部屋のドアが開かなくなってました。」

というのが、絶対的な証拠だと思われた。間違いなく、ドアにテープを貼ったのは、幸人くんのお母さんで間違いない。そうなると、子供より親のほうが、大変な問題を抱えているのかもしれない。

「幸人くん、お父さんか、他の親戚とかそういう人はいないかな?」

真梨子さんがそう言うと、幸人くんは、

「パパは、もうママのところに来るなって。ママが怒鳴ってた。もうパパになんか頼らなくたっていいって。」

と言った。

「それでは、お祖父様か、お祖母様はいませんかね?」

と、ジョチさんが言うと、

「居るんだけど、ボケちゃってて、話ができないってママが。」

と幸人くんは言った。それは本当なのか疑わしいですねとジョチさんは言った。

「とにかく警察を呼びましょう。こういう事は立派な犯罪行為ですし、母親が殺意があったこともまた事実だと思います。それは、しなければならないことを放棄したわけですから、ちゃんと法律で罰しなければならないでしょう。多分、母親は、交際相手のところにでも行っているんだと思いますよ。」

「そうですね。あたしは、彼と話してみます。もしかして、虐待とか、そういうことがあったかもしれない。とりあえず、幸人くんは、おばさんの部屋に行こうね。」

と言って、真梨子さんは、幸人くんを自分の部屋に連れて行った。部屋に連れていくと、包丁を動かしている音がした。

「おう。連れてきたか。そうなるだろうなと思って、今カレーを作っているんだ。ちょうど冷蔵庫にカレーのルーがあったもんでね。」

料理をしているのは杉ちゃんだった。そのカレーのにおいが部屋中に充満すると、幸人くんはとてもうれしそうな顔をした。やっぱりカレーのにおいというのは、どんな子供でも食べたくなってしまう匂いらしい。

「わーい、カレーだ!」

とてもうれしそうな顔をしている幸人くんに、杉ちゃんはご飯をお皿に盛って、その上にカレーを掛けた。

「さあ食べな。思いっきり食べるといいよ。」

「いただきます!」

幸人くんはカレーにかぶりついた。

「良かった。美味しそうに食べてるじゃないか。」

その健康そうにカレーを食べる幸人くんを見て、杉ちゃんも、真梨子さんも安心した顔をした。真梨子さんはとりあえず幸人くんの体に、痣のようなものはないか、確認したが、そのようなものは無いようであった。

「幸人くんは、お母さんから、叩かれたり、そういう事はされたことあるかな?」

真梨子さんは、一応聞いてみるが、幸人くんは首を横にふる。

「そうなんだ。じゃあ、お母さんにいなくなれとかそういうことを言われたことは?」

「無いけど、、、。」

真梨子さんの言葉に、幸人くんは言葉に詰まった。

「でも、何だ。隠すのは行けないぜ。それははっきりしておこうね。ちゃんと、罪名をつけるのに必要なことだよ。」

と杉ちゃんが言うと、

「でもママが仕事に行かなくちゃならないからと言って、いつも怒ってた。」

幸人くんは答えたが、杉ちゃんも真梨子さんも、お母さんは仕事のためにそうしているのでは無いのではないかと疑ったのだった。もしかしたら、交際相手と遊びに行くために怒っていたのかもしれない。

「そうなんだね。じゃあ、今回、部屋に閉じ込められたとき、お母ちゃんがお前さんになにか言ったりした?」

杉ちゃんに言われて、

「なんにも言わない。寝て起きたら、ママがいなかった。」

と小さな声で言った。

「そうなんだね。それは、法律で言うと、育児放棄ということになっていて、お前さんのお母ちゃんは、お前さんの育児が面倒くさくなったということになるんだな。それはしてはいけないことだから、ちゃんと、罰せられなければだめだよ。お前さんはそうだなあ。おばあちゃんとか、そういう安全なところに行ってだな。もう怖がらなくてもいい、幸せに暮らせ。」

杉ちゃんがそう言うと、幸人くんは、ママと別れたくないと言って泣き出した。それを見て、真梨子さんは、

「子供さんって本当にかわいいわね。でも、やっぱり母親が全てなのね。だからこそ、こういう事は絶対してはいけないのに、なんで、こんなひどいことするのかしらね。」

と苛立っていった。

一方、ジョチさんは、隣の部屋にやってきた警察の人たちを相手に、一生懸命状況を説明したりしていた。警察は、すぐに、部屋のドアと窓にガムテープが貼ってあることを知って、まずはじめに緊急配備をして母親の行方を探す事になった。もしかしたら遠方へにげてしまっている可能性もある。そうなると、犯人逮捕も難しくなる。とりあえずジョチさんは、少年が見つかったときの状況などを刑事たちに詳しく話したが、問題は、母親に明確な殺意があったかどうか、であった。周りの雰囲気は一気に物々しくなって、マンションの他の住人や、近所の人たちなどは、皆嫌そうな顔をして現場近くを通っていった。

ジョチさんが、刑事たちに、母親がいつから育児放棄をしているかは不明だが、少なくともこの事件が起きたからには、彼のことについて、なにかいけない感情を持っているということは間違いないなどと話していると、

「課長!女性が出頭してきたそうです。名前は、山路靖子、36歳。なんでも、静岡県ないのソープランドで働いているようですね。今、事情を聞いているようですが、なんでも、今日は、交際相手のところに行っていたようです。」

と、一人の刑事が言った。

「なんでも、緊急配備をしているのを知って、もう無理だと思って、交際相手と一緒に、出頭して来たそうです。」

「交際相手と一緒ですか。まあ、その人が、良心があったということですね。それならよかった。交際相手も、育児放棄に協力的な人であったら、更に困ってしまうところでした。」

と、ジョチさんは、刑事にいうと、

「はい。いずれにしても、これは明確な殺人未遂罪ですな。じゃあ、子供さんの方は、児童相談所に話して、新しい家族を見つけるとか、そういうことをして、解決することだな。」

刑事はそういうことを言った。全く警察というのはなんでこんなに形式的な事で解決しようとするんだろと、ジョチさんは思った。そういうことだから、子供が大人を信じなくなってしまうのではないかと思ってしまうのであった。ジョチさんは、警察の話を聞きながら、スマートフォンを取り出して、母親が出頭したと、真梨子さんに伝えた。真梨子さんは、彼を、ここで預かるといった。そういうことをするのも、チャイルドカウンセラーの勤めであると言った。

それから数日して、現場検証のため、手錠をはめられた山路靖子が、マンションに戻ってきた。現場検証の予定は、刑事からジョチさんに伝えられていたので、杉ちゃんたちは、真梨子さんの部屋で待っていた。窓の外から、パトカーに乗って、何人かの刑事と、山路靖子が乗ってきたのが見えた。山路靖子が、パトカーから降りて来たのが見えると、幸人くんは、

「ママだ!ママ!」

と声を立てて呼んだ。でも、山路靖子は、それを聞こえないふりをして、通り過ぎようとする。そしてドアが開きっぱなしになっている殺害現場に入ろうとした山路靖子に、

「ママ!待って!」

と。幸人くんが呼んだ。でも、山路靖子はそれを無視して、部屋に入ろうとしてしまうのだった。無視を続ける彼女に、真梨子さんは、ちょっと怒りが出てきて、

「ママと言っているじゃありませんか!なにか声をかけてあげたらどうですか!幸人くんのお母さんは、たった一人しかいないんですよ!」

と、声をあげてしまった。

「あなた、何を言っているんですか。育児が面倒くさくなったなんて、そういう事が平気で言えるなんて、許せませんよ!」

そういう彼女に、山路靖子は、なこうとも喚こうともしないで、ただ呆然としているだけであった。

「お母さんですよね!なぜそうしたのか、ちゃんと、幸人くんに謝ってください。もう一度、彼のことを、なんとかするって、誓いを立ててください!」

真梨子さんがそう言ったのと同時に、山路靖子は、涙をこぼして泣き出した。でも、この女性が、本気で犯したことを、悔いているのかどうかはわからなかった。杉ちゃんたちは、

「あれでは、本当にこいつが母親でいいものか、それもわからんな。」

「もしかして、お母さんのほうがもっと傷ついているかも知れないと思いますね。」

と言い合った。確かに二人の言うとおりだった。世の中には、まだ立ち直る可能性がある人も居るけれど、その職業や立場にならないほうが幸せだったなと思われる人も少なくない。もしかしたら、その女性もそうなのかもしれない。

「でも、幸人くんのことは、おばさんがなんとかしてあげるからね。」

と、真梨子さんは、小さな声で言った。幸人くんが小さな声で、

「おばさんありがとう。」

と確かに言ってくれたのが、真梨子さんにとって大きな喜びだった。

「まあいずれにしても、母親の元へ戻すことは難しいでしょう。あの態度を見ればわかりますよ。それなら、児童相談所やそういうところの手を借りて、彼の幸せを願ってあげなければ。」

ジョチさんが真梨子さんに行った。真梨子さんも、彼の安心して暮らせる場所が見つかるまでは、なんとかしてあげなくては行けないなと、使命感を強くした。

「自然居士は、まだまだ、ヒーローになるまでに時間がかかるな。」

と、杉ちゃんが、カレーを作りながら、そういうことを言った。刑事たちは、山路靖子を交えて、現場検証を続けている。それを眺めているのはジョチさんだけで、自然居士は、幸人くんに、グリム童話を読んで聞かせた。杉ちゃんのほうは、カレーを作っていた。自然居士は、彼が、グリム童話の主人公のような人になればいいなと思った。






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自然居士現れる 増田朋美 @masubuchi4996

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