時を紡ぐ
帆尊歩
第1話 時を紡ぐ
おばあちゃんが死んだ。
それは決して突然とかではなく、ここ最近は臥せることが多くなっていた。
誰もおばあちゃんが亡くなったことを悲しまない。
「イヤー大往生、よくぞここまで」
「お義母さんもここまで生きれば思い残すこともないだろう」
誰もがおばあちゃんがここまで生きたことを、称えていた。
まあそれが悲しみの裏返しと言うことは分かる。
お通夜の日、誰もが帰ったあと、パパとおばあちゃんが二人きりになると、随分長くおばあちゃんに話かけていたし、ママは誰もいなところで泣いていた。
おばあちゃんはママの実のママで、ずっとうちにいた。
ママはあたしの悲しみなんか、自分の悲しみに比べれば大したことないと思っているようだけれど、あたしにとっては、パパもママもおばあちゃんも同じ位置付けで、あたしだってママと同じくらい悲しかった。
だから口には出さないけれど、ママが自分とあたしの悲しみの深さを計っていることがちょっと嫌だった。
おじいちゃんは随分前に亡くなっていたので印象はあまり強くない。
おばあちゃんはあたしが知っているかぎり、いつもニコニコしていて、日がな一日、縁側で庭を眺めていた。
いつだってあたしのことや、ママ、パパの事を気に掛けていて、決して出しゃばらず、いつもフワフワと暮らしていた。
だから勝手におばあちゃんは深窓の令嬢で、何の不自由と言うより全然波風のない人生だったんだろうなと思っていた。
おばあちゃんは、幸せな人生だったと言うことは疑いがないと思っていた。
だから逆におばあちゃんの人生は、ドキドキすることや、楽しいこと、悲しいことという起伏がなく、幸せだけれどつまらない人生だったんじゃないかなと思った。
もし人に聞けば、女の幸せは子供の成長と、家族の円満と言うかもしれない。
ならおばあちゃんはたしかに幸せだったかもしれない。
でもそれでいいのかなとあたしは思う。
そんな起伏のない人生は、つまらない。
でもおばあちゃんはその人生を甘んじて受け入れていた。
ホワホワとした晩年のおばあちゃんの姿を身近で見ていると。
でもその幸せはどこか得がたい物なのかなとも思う、もっと不幸になってしまう人だってたくさんいる。
「ねえ、ママ」とあたしはママに尋ねる。
ママとあたしはおばあちゃんの遺品整理をしていた。
「なに」
「おばあちゃんの人生って幸せだったのかな」
「ええ、なにそれ」とママ。
「わかるのよ。幸せな結婚をして子供に恵まれ、お金の心配もせず、子供が大きくなって、孫も出来て。後はのんびり過ごす。そういう幸せだって得られない人がたくさんいる。そういう中で、おばあちゃんが幸せだったのは分かる。でもそれで良かったのかなって」
「いやそれが一番でしょう。そんな幸せのためにおばあちゃんがどんな思いをしてきたか。おかげでここ十年くらいは、そういう幸せを感じらて生活が出来たんだから」
「ここ十年って何」
「あんたは知らないかもしれないけれど、おばあちゃんほどアグレッシブな人生を紡いだ女も珍しいのよ」
「なに紡いだなんて。それにアグレッシブって」
「まあおばあちゃんは最後の十年穏やかな人生を送れたと言うことでは、幸せな人生だったのかもしれない、下手をすれば、そもまま破滅していてもおかしくないんだから」
「破滅って何よ」
「その辺におばあちゃんの日記類があるから、読んで見たら」そしてママはおばあちゃんの物とおぼしき日記を指した。
「読んで良いのかな」
「良いんじゃない。誰かに知って貰いたいだろうし」
「ママは」
「あたしは、触れたくもない」
「なにそれ」
「そこに、おばあちゃんの写真があるよ」そこでママ見せてきたのは、おばあちゃんがまだあたしよりも十年近く若い十代のころの写真だった。
あたしの知っているおばあちゃんとは、全然別人のようなキリッとした顔と、気の強そうな目つきの、美しいと言うよりかっこいい印象だった。
まさにハンサムガールだ。
「おばあちゃんは恋多き女だったの」
「そうなの」
「おじいちゃんとだって、略奪婚だからね」
「なにそれ」とあたしはママに聞き返す。
「まあ座って」とママは言う。
「おばあちゃんの実家は、厳しい家で、おばあちゃんも厳しく育った。
おばあちゃんは、「その反動かしらね」なんて笑いながら言っていたけれど、辛かったんじゃないかな。でもそいう言うところではおばあちゃんは絶対に弱音は言わない。だから子供の時のママはおばあちゃんが辛かったり、無理をしているなんて微塵も思わなかった。だからママにとっての、おじいちゃんにもおばあちゃんにも会ったことはなかった。
誰も、おじいちゃんとおばあちゃんの結婚を祝福してくれなかった。
でもおばあちゃんはそれでもよかった。
愛する人がいさえすれば世界が全て敵でもかまわない。
おばあちゃんはあまりにも強くて、絶対にぶれない。
攻撃してくる物には全力で立ち向かい。ママを守ったの。
いつだって何かと戦っていたおばあちゃんを恐いと思った事は、一度や二度ではなかった。
でもだからこそ、おばあちゃんとおじいちゃんは戦友だった。
ママはそんな戦友の間で守られて育ったの」
そういえば、うちに親戚と呼べる人が極端に少なかった。
唯一いたのは、パパの実家筋だけ。
「そういえば。親戚少ないよね」
「あんたはまだパパの方がいるから。ママはほんとに誰もいなかったよ。だからお年玉が貯まらない。でも困ることはそれだけだった。それだけおばあちゃんは戦ってくれていた」
「何と戦っていたの」
「みんなよ」
「みんな?」
「そう。おじいちゃんは奥さんがいたの。子供もね、良くは分からないけれど。ママより年上で、それはそうよね。だっておじいちゃんは家族を捨てて、おばあちゃんと結婚したんだから。いや結婚と言うより駆け落ちに近いのかな。だからおじいちゃんの方は、親が決めた縁談を子供までいたのに捨てたおじいちゃんを許さない。おばあちゃんの方はおばあちゃんの方で、親が決めた許嫁がいたのにそれをおばあちゃんが蹴った。勘当同然よね。だからママには、ママにとってのおじいちゃん、おばあちゃんはいなかったようなもの、おそらくママを孫とも思っていなかったと思う」
「ママは、一度もママのおじいちゃんとかおばあちゃんに会ったことないの?」
「一度だけあるよ。ママのおじいちゃんが亡くなったとき。まだ小さかったママの手を引いて、おばあちゃんがママのおじいちゃんのお葬式に行ったの」
「よく行ったね」
「おばあちゃんは最後のチャンスで、ママを見せたかったんじゃないかな。おばあちゃんは娘として認めてもらえなくても、もしかしたらママだけは孫として認めてもらえるかもしれないって」
「どうだったの?」
「だめだったみたいよ。おばあちゃんは無理矢理会場に入って行って、お焼香の砂をお位牌に投げつけた。お前は信長かよって感じだよね」とママは笑う。いやいや、全然笑えないから。
「おばあちゃんて、そんな感じだったの。全然想像付かないんだけど」
「昔だからね、それにいろいろな物と戦っていたから」
「全然覚えていないんだけれど。おじいちゃんのお葬式の時も、親戚系は来なかったの?」
「うん。あっ、でもおじいちゃんの前妻の娘が一人だけ来た。ママにそっくりだったのよ要は姉だからね」
「なんか話したの?」
「話さなかった。でも泣いていた。おじいちゃんのことが父親として大好きだったんだろうね。その時だけおばあちゃんはその人をじっと見つめていた。この娘の父親を自分は略奪したんだってね。でもおじいちゃんとおばあちゃんは随分長く、そのおじいちゃんの家族に送金していた。そのためにおばあちゃんも随分働いていたし、でもこれほど感謝されない、送金もないけれどね。でもそんな苦労をしてでも、おばあちゃんは。おじいちゃんといたかったんだよね」
「ママのそのお姉さんにはその後は?」
「会っていない」
「ママが違うとはいっても、同じおじいちゃんの娘なのに、一度しか会っていないなんて」
「良かったんじゃないかな、本来だったら一度も会わないところだったのに」
時を紡ぐと、こんな人生ですらなにも起こらないつまらない人生だったと思われるくらい、平坦な布のようになってしまうんだなと変な関心をしてしまう。
あたしはおばあちゃんの遺影に、ご苦労様と言ってしまう。
そして良かったねと言ってしまった。
時を紡ぐ 帆尊歩 @hosonayumu
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