花屋のお姉さん

しらす丼

花屋のお姉さん

 坂の途中にある、少し古びた花屋さん。

 目の前を通ると、いつも決まって同じお姉さんが店先にいる。


「おはようございます」


 私がそう声をかけると、お姉さんも「おはようございます」と笑顔で返してくれる。


 綺麗な人だなあと思いながら会釈して、私はいつもそそくさとその場を去るのだ。


 やまとなでしこというのはあのお姉さんのような人なんだろう――今は見えなくなったお姉さんを背中で感じながら、そう思った。


 天使の輪っかができた肩まである黒い髪。薄化粧なのに目鼻が際立っていて、いつも笑みを絶やさない顔。そのうえ、温厚そうな性格。


 でも服装はいつも紺のジーンズに白いポロシャツと緑色のエプロン……。


 まあ服装は仕事だから仕方ないとして、性格や容姿を見ていつも思う。すごく、モテそうだって。


「でも、花屋さんって地味な仕事だよね。好んでやっている人がいるってなんか不思議かも」


 花がいくら綺麗でも、お腹は満たされない。

 私は花より団子派だ。


 小学生の時の宿題で、将来の夢は「花屋さん」と書いたことはあったけれど、今思えば……である。


「何が楽しくて花屋さんなんかで働くんだろうね。いつか結婚するからいいやって感じなんだろうけど」




 それから数日後。私の所属するソフトテニス部副顧問の朝岡先生(市立中学の国語教師。三十代前半、未婚の女性)が、緊急入院することになった。


 詳しいことは分からなかったが、二週間ほどの入院が必要らしい。


 無事手術を終え、お見舞いの許可が出た頃、私は同じソフトテニス部員の優香と共に朝岡先生を見舞うことにした。


 朝岡先生は丘の上にある市民病院に入院している。私も優香もその日はお母さんに車の送迎を頼めなかったため、自力でそこへ向かうことになった。


 季節は冬。冷たい風が露出した肌を撫でるが、日差しは暖かく歩くにはちょうど良い気温だった。


 交通手段は徒歩のほかに自転車もあったのだけれど、今回は見送ることにした。


 病院は家からそう遠くない場所にあるというのと、急な坂を上る際に自転車を引くのは面倒だという理由があったからである。


「お見舞いって何を持っていけばいいかな?」


 隣を歩く優香に訊かれたものの、私もお見舞いなんてものは初めてだった。


 だからそんなことを訊かれても、何がいるかなんて私にも分からない。


「うーん。フルーツとか、ゼリー?」


 連ドラでみるシュチュエーションを思い返しながら、私はそう答えた。


「食べ物は持ってこないでって朝岡先生から言われてる」


 だったら先に言ってよ、と内心で愚痴ってからまた考えを巡らせる。


 お見舞い……食べ物以外だと、千羽鶴? それは今さらだしなあ。じゃあ本とか? 国語教師にそんなものは持っていきづらい。


 逡巡していると、視界の先にあの花屋さんを見つけた。やまとなでしこのいる、あの花屋さんだ。


「優香、お花なんてどう? 早く良くなりますようにー、みたいな感じで」


「おおう、いいじゃん! そうしよう!!」


「ちょうどあそこに花屋さんがあります」


 少し坂を上り始めたところにある花屋さんを私は指さした。


「いいねぇ、いこっ!」


 優香は少し駆け足でその店に向かった。私も慌ててその後を追う。


「とうちゃーっく!」


 優香が足を止めたところで私も止め、顔を上げた。


 古びた建物の入り口には「はな師匠」と書いてある。


 ちょっとダサい。というか、そんな名前の店だったのか。


 そんなことを思いつつ、建物をまじまじと見つめた。


 キャンプなどで使われるコテージのような佇まい、その外壁は無数の蔓に覆われている。店先にはバケツに入った花々が置かれていた。


 なんだかぷちジャングルみたい。

 用事がなければ、極力踏み入れたくない場所だなあと瞬間的に思う。


「どうしたの? いくよ」


「うん」


 優香に言われ、私はその扉を開けた。


 店内は思っていたより薄暗い。入ってすぐの感想がそれだった。


 至るところにバケツに入ったカラフルな花々と、壁に沿って設置してあるショーケースにはドライフラワーのギフトセット、その近くの棚には元気な草花が生えている小さな鉢が置いてあった。


 外側からじゃ分からない世界がここにあったんだ、と目を丸くする。


「いらっしゃいませ」と明るい声がして、その声の方に顔を向けると、やまとなでしこ――あのお姉さんの姿が視界に入った。


「あら、可愛い女の子たちが来たものね」


 お姉さんはいつもの笑顔でそう言った。

 その反応を見る限り、私が毎朝この店の前を通っていることには気づいていないらしい。


 まあ、私以外にも制服姿でここを通る中学生はたくさんいるだろうから仕方がないけれど。


「あの。お見舞い用のお花を買いに来て……オススメはありますか?」


 優香がそう尋ねると、お姉さんは少し考える顔をしてから、バケツにあったお花をひょいひょいと数本抜き取る。


「これでどうかな?」


 そう言わせて見せてもらった花の束は、オレンジや黄色などが多く使われているものだった。


「どうしてこれにしたんです?」


 私が尋ねると、


「これはガーベラって言うんだけど、このビタミンカラーに元気を貰えるっていうのとこれには前向きな花言葉が多くてね。ちょっとアレンジを加えるだけで可愛らしい感じにもなるからかな」


 お姉さんはいつもの笑顔で答える。


「用途に合わせて選んでいるんですね。ちょっとビックリしました。もっと適当な感じかとてっきり」


 どんな花も見た目はそんなに大きく変わらないし、素人に花言葉の意味なんてものがわかるはずもないだろうから。


「人によるかなあ。選ぶ時に気にしない人もいるし、お客様のご要望だけでつくる人もいるからね」


「へえ」


「私はこれを持っていく人も、貰った人も笑顔でいてくれたらいいなって思って作っているんだ」


「笑顔……」


「そう。お花にはそういう力があるって私は思ってるから」


「なんかそれ、素敵ですね!」優香は興奮気味に言う。


「えへへ、ありがとう」


 お姉さんは照れたように笑うと、「これで作っていい?」と私たちに尋ね、私がうなずくと奥のカウンターで作業を始めた。


「お花屋さん、なんかいいね」


 優香は奥で作業するお姉さんをうっとりと見つめながら言った。


「うん。そうだね」


 私は相変わらずの花より団子派だけれど、少しくらいは花のことも見てあげてもいいのかな、なんてことを思う。


 それからお姉さんの作ってくれた花束を受け取り、お金を払ってからお店を出た。


 病室についてから花束を渡すと、朝岡先生は目をキラキラさせて、それを受け取ってくれた。


 そんな朝岡先生を見て、私も嬉しくなった。



 ***



 それから予定通りに朝岡先生は退院。部活動に戻ってきた。


 復帰した朝岡先生は、なんだか以前よりも元気さが増しているように見えた。

 本当に病み上がりなのだろうか、とついそんな疑問を抱いてしまうくらいに。


 もしかして、そんなに職場が恋しかったのだろうか?

 しかし、その気持ちは中学生の私にはまだ分からない感覚だった。




 ある日の部活の休憩時間。私と優香は朝岡先生に職員室へ来るように言われ、そこで花が同封された栞を差し出された。


 どうやらこれは、あのガーベラで作ってもらった栞らしい。


「このお花にたくさん元気を貰ったからね。捨てちゃうのがもったいなくて、カタチに残したの。あなた達にもお裾分け。素敵なお花をありがとう」


 朝岡先生は笑顔でそう言った。


 その笑顔は、なんだかあの花屋のお姉さんに似ていたような気がする。


 私と優香はその栞を受け取って、鞄に大事にしまった。本はよく読むほうなので、この栞は今後おおいに大活躍することになるだろう。


「あのお姉さんが言ってたみたいに、朝岡先生えがおだったね」


 テニスコート脇にある休憩用のベンチに座りながら、優香は言った。


「うん。お花の力って凄いんだね」


 あの日、持っていったガーベラの花束のことを思い返し、私も微笑んでそう答える。


「もし私が何かで入院したら、食べ物じゃなくお花を贈ってよ?」


「うん、私にもね」


 ふだんの私は花より団子。

 でも、たまには団子より花もありかなと思えたのだった。




 その日の帰り、私はあの花屋さんの前の道を通っていた。


 すると、ちょうどあのお姉さんが店じまいの作業をしているところに居合わせる。


「あの!」


 私が声をかけると、お姉さんはゆっくりと振り返り、ハッとした顔をした。


「この前の子だね。こんにちは」


「こんにちは」


「あぁ、来てもらったのにごめんね。今日はもう終わっちゃったの」


 お姉さんは眉毛を下げて、申し訳なさそうに笑う。


「違うんです! この間、作ってくれた花束……もらった人がすごく喜んでくれて、お姉さんみたいに笑顔で」


 私はガサゴソと鞄をあさり、朝岡先生がくれた栞をお姉さんに見せた。


「元気のお裾分けをもらったんです。だからお姉さんにお礼を言いたくて。ありがとうございました」


「こちらこそ、そう言ってもらえて嬉しいよ。また買いにきてね。いつでも待っているから」


「はい! ありがとうございます!」


 それから私はお姉さんのいつもの笑顔に見送られ、店先を後にする。歩きながらその背中で、お姉さんの存在を感じていた。


 花屋さんは笑顔を作るお手伝いをするお店。

 お姉さんの仕事はその花を受け取った人たちを笑顔にする仕事なんだ。


「すごいや」




 私はこの先、どんな仕事に就くだろう。

 花屋さんかもしれないし、関係ない別のものかもしれない。


 けれど、どんな仕事に就いても誰かの笑顔のために働けたらいいなって思う。


 あの、花屋のお姉さんのように。

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花屋のお姉さん しらす丼 @sirasuDON20201220

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