epilogue

終幕

 太陽は高く登り、まもなく昼を迎える時刻。パーズたちが〝一ッ目〟と渡り合ってから三日後、パーズとイェルラは村を出ようとしていた。


「ケインを助けていただいて、ありがとうございました」


 アイラが頭を下げた。その横にはケインがいる。アイラは弟の頭を抑えた。


「こちらこそ、泊めてもらって助かったわ」


 イェルラが姉弟を見て言う。二人は扉の前に立ち、村を去るパーズとイェルラを見送っていた。


「いえ、こちらこそ本当に……あの、アートゥラさんは……」


 この場にアートゥラの姿はない。コエンから話を聞いたパーズとイェルラは、アイラに今回の仕事で命を落としたとだけ伝えた。


「あなたは気にしなくていいわ。この村に連れて来たのはわたしだし、雇ったのは魔導院よ。それにこの仕事が危険なのは、彼女も理解していたわ。だから本当に、気にしないで」


 イェルラは優しく言う。


「……はい。あ、ほら。ケインもお礼を言って」


 アイラに小突かれて、ケインは少し前に出る。少年はパーズを見て、それからイェルラに視線を移した。魔術師を見つめる瞳には真剣な光を浮かべている。


「あ……」何度も口を開きまた閉じて、ようやくケインは声を出した。「アベルは本当にお父さんに会えた?」


 ケインの脳裏には、自分が最後に見たアベルの姿を思い浮かべているのだろう。光の中に現れた人影と、それに飛びついたアベル。


「多分……いいえ。間違いなく、アベルはお父さんに会えたわ」


 イェルラも真っ直ぐにケインを見つめて答えた。


「そっか。ありがとう」


 ケインが笑顔を浮かべた。それは年相応の純粋な笑顔だった。

 パーズがそんなケインを見て、一瞬だけ眩しそうな顔をする。そしてすぐに姉弟に背を向けて歩き出した。

 イェルラはアイラに一つ頷いてみせてから、パーズの後に続いた。


「あ、ケイン!」


 小さな足音がパーズの背中を追いかけてくる。パーズは立ち止まってから、ゆっくりと振り向いた。

 追いかけていたケインも足を止める。


「どうした?」

「俺、アベルを守れなかった」ケインはパーズの顔をじっと見ている。「でも姉ちゃんは守る。今度こそ、絶対に、俺が守る」

「……そうか」


 パーズは少し微笑んで、ケインの頭を右手で撫でた。少しうっとおしそうにしながらも、ケインは黙って撫でられている。


「なら、強くなれ」

「うん」


 間を置かずに返事をすると、ケインはアイラの元へ戻って行った。走り寄って来た弟に、アイラは何か言っている。


「いい姉弟ね」

「ああ」


 二人は再びケインたちに背を向けて歩き出した。


「ところで、アートゥラのこと知ってたの?」


 イェルラは歩きながらパーズに問う。


「ああ。あいつとは昔なじみだ」


 パーズの言う「あいつ」というのがイェルラの知っているアートゥラではないことは、彼女にも分かった。


「あの傭兵の言っていたことが本当ならその左腕といい、随分面白い知り合いがいるのね。伝説級の知り合いが」

「それはお前もだろう。秘紋をその身に宿した本物の〝魔女〟なんて、そうそうお目にかかれるものじゃない」


 通常、秘紋は文字としての形を正確に真似、魔力を通すことにより擬似的な秘紋を作り出す。その擬似的な秘紋を通じて力を借りるのだ。だが希に、本物の秘紋をその身に宿し、直接行使できる人間が生まれる。それは必ず女性だった。

 彼女らは古来より〝魔女〟と呼ばれ、恐れられてきた。魔術を生業とするのであれば、それは誇るべき称号の一つだ。


「あら。わたしの裸、どこかで見たの?」からかうようにイェルラは言う。

「アベルを解放する時に使っただろ。それよりも対魔術戦の専門部隊というのは嘘だったのか? 本物の〝魔女〟なら一人でも充分過ぎる」

「あら、わたしが宿している秘紋は一つだけよ」

「はぐらかすな」


 パーズの言葉に、イェルラは諦めたようにため息をついた。


「専門部隊による村の殲滅は本当よ。但し、部隊が出てくるのは、わたしの手に負えなかった場合。つまりわたしが死んだ時ね」

「なるほど。〝翡翠の魔女〟でも無理な場合は、戦略級魔術で村ごと〝一ッ目〟を殲滅するしかないと考えたのか」

「でも助かったわ。ギルドが〝左利き〟のパーズを貸してくれたおかげで、無駄な犠牲を出さずにすんだんですもの」

「俺が〝一ッ目〟を追いかけていることを、魔導院は知って依頼を出したのか?」


 パーズがイェルラを見た。イェルラは首を横に振った。


「いいえ。あなたが来たのは本当に偶然よ。あのタイミングで、あなたがクランにいたことを神様に感謝したいくらいね」

「……魔術の神様なんていたか?」

「いないけど、この際どの神様でもいいわ」


 そう言ってイェルラは微笑んでみせる。その笑顔は最初に会った時のような冷たさは微塵もない。

 二人は村の出口へとやって来た。そこに人影を認め足を止める。


「パーズ」


 立っていたのはコエンだった。いつもの装備は外し、剣を背負っただけの軽装だ。


「傷はもういいのか?」パーズがコエンに訊く。

「ああ。戦うにはキツイが、歩けないわけではない。ただテンの傷が少し深くてな。もう数日は村にいる。

 それより、本当にいいのか?」


 そう言ってコエンはパーズだけでなくイェルラにも視線を送る。傭兵の言葉の意味を、二人はすぐに理解した。


「いいわ。わたしたちは化け物退治でこの村に来たわけじゃないもの」


 村の依頼であった化け物退治は、コエンたち傭兵が完遂したことになっていた。そうするように、パーズたちと口裏を合わせたのだ。証拠は、化け物になったゼルの遺体を利用した。


「それに、こっちの身内が迷惑かけたみたいだし」

「……感謝する」


 これでコエンたちは、成功報酬を含む依頼金の全額を村から受け取れる。


「そうだ、これを」


 パーズはコエンに虚笛を差し出した。


「あまり意味はなかったな」受け取ってコエンは苦笑する。「互いのギルドの関係上、また会おうとは言えないが……死ぬなよ、〝左利き〟のパーズ」

「あんたもな。〝赤い風〟」


 賞金稼ぎと傭兵は、視線を交錯させた。彼らの表情は真剣ながらも穏やかだ。


「わたしには何もなし?」

「〝翡翠の魔女〟もな」

「まるっきりおまけね。まぁいいわ」


 そう言ってイェルラは歩き出す。


「パーズ、あの女は……」


 イェルラの後を追おうとしたパーズを、コエンが呼び止めた。傭兵は神妙な表情を浮かべてパーズを見ている。


「忘れるといい。あんたがあいつと出会うことは多分ないだろし、例え会ったとしてもあんたには分からない。どうせ姿は変わっている」


 コエンたちから話を聞いた後、パーズが向かった場所にアートゥラの死体はなかった。人型の黒い跡と、彼女が着ていた服が残っているのみだ。


「ああ。そうするよ」


 コエンの返事を背に、パーズはその場を離れる。道の先ではイェルラが待っていた。


「あなた、これからどうするの?」

「ギルドに帰って報告だ」

「今度はあなたがはぐらかす番?」


 パーズはイェルラをしばらく見ていたが、諦めたようにため息をついた。


「わからない。今まで〝一ッ目〟を殺すことだけを考えていたからな。ただ――」パーズは籠手に包まれた自分の左腕を見る。「奴の持っていた血晶石は、奪った心臓の一部だった。残りがどこかにあるはずだ」

「それを探す?」

「……ああ」


 左腕を見つめるパーズの姿は、迷子になった少年のようにイェルラには見えた。必死になってしるべを見つけようとする迷い子のように。

 パーズを見つめるイェルラの瞳が優しいものに変わる。


「なら、一度ティスタリアにいらっしゃい」

「王都に?」

「そう。王都の魔導院に。あなたのその左腕、興味が出てきたわ」


 からかうような表情でイェルラは言う。


「〝一ッ目〟みたいなことを。魔導院で調べようというのか? お断りだな」

「あら残念。でもねパーズ。魔導院には世界の秘儀に関する知識……いえ世界の真理が集まってくるわ。賞金稼ぎギルドが扱うのとはまた違う〝情報〟がね。覚えておいて」

「魔導院なら、残りの血晶石の在処を知っていると?」

「そうは言ってないわ。けど、今回みたいに繋がってる……なんてことがあるかもしれない」

「……意外とおせっかいなんだな」

「あら、北の女は情け深いのよ」


 イェルラは背を向けて歩き出す。パーズもそれに続く。

 土季どき特有の、強いが柔らかい日差しが二人を照らす。パーズは左腕を上げて光を遮った。陽光が作り出す影の中に、黒い籠手に覆われた左腕はない。

 よく晴れた空がどこまでも続いていた。

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〝左利き〟のパーズ ~黒腕の追跡者~ 宮杜 有天 @kutou10

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