ACT.5-3
「見事に秘紋を使いこなしておる。しかも己の身に秘紋を宿すとは〝魔女〟の称号は伊達ではないということか。良い素材になりそうだ」
〝一ッ目〟は楽しそうに言う。
「よそ見とは余裕だな」
パーズが〝一ッ目〟に走り寄る。そして流れるようなひと動作で右手の剣を振るった。
【其は絡まる炎なり】
一節の呪文が〝一ッ目〟の口から放たれた。紐状の炎がパーズの剣に絡みつく。絡みついた炎の一端が地面へと突き刺さる。引き留められるように刃が止まったがそれも一瞬。一節の呪文が作り出す魔術ではすぐにその効果は消え去る。
だが、〝一ッ目〟にとってはその一瞬で充分だった。パーズに向けて手を翳す。
【我命ず。其は貫く炎なり】
呪文と共に〝一ッ目〟の手のひらから炎の槍が放たれた。至近距離からパーズを襲う。
パーズは剣を体の前に引き寄せる。炎の赤と剣身の白がぶつかった。炎がパーズの目の前で爆ぜる。爆炎に押され、パーズは後退した。
「ほう。魔術を直接防ぐか」
爆炎が消え、白い剣を構えたパーズが姿を現す。緩やかに湾曲した剣身。鉄以外の何かを削りだして作ったような、剣先から柄頭までが一体の剣。
「その剣――もしや古代竜の骨より削り出した竜骨剣かね?」〝一ッ目〟は面白いものでも見るような表情で言う。「使い手によっては〝悪魔〟すら斬り伏せるという
異界から来た〝悪魔〟と戦い、彼らを退けたと言われる竜王種。今はほぼ姿を見かけなくなった竜の中でも、竜王種は古代竜と言われている。そしてその古代竜の骨を使った武具がいくつか存在する。
「手に入れるのに苦労した」パーズは間合いを詰めた。「だがその苦労も今日で報われる」
「ほう?」
「俺はお前を殺すためにここまで来た」
パーズが動いた。一歩踏み込んで〝一ッ目〟に向かって突き出す。
【我命ず。其は防ぐ炎なり】
パーズと〝一ッ目〟の間に六芒星が現れた。六芒星は真円の中心に入っており、そのどちらも炎で描かれている。
パーズの剣先は六芒星を中心とした見えない壁に阻まれて、〝一ッ目〟の体に届かない。
「ふむ。竜骨剣をもってしても魔術を破ることは難しいか。いや……これは使い手の問題か」
まるで実験の結果を確かめているような口調で〝一ッ目〟は言う。
「くっ」
パーズは〝一ッ目〟から距離をとった。魔術師は追撃しない。ただパーズを珍しそうに見ている。
「自分に敵が多いのは自覚しているのだが……竜骨剣まで持ち出してくるなど、誰の差し金かな?」
「誰の差し金でもない。俺自身の意志だ」
「はて、君とは以前に会ったことがあるのかね?」
その言葉にパーズの表情が険しくなった。
「なるほど。お前にとって俺など取るに足らない存在だったのだろな。だが、これを忘れたとは言わせない」
絞り出すように、パーズは言う。終わると同時に左手を突き出し、手のひらを〝一ッ目〟に向けた。
【
パーズの口から呪文に似た音律をもつ言葉が紡ぎ出された。刹那、左腕を覆う籠手に変化が訪れる。
黒い籠手が一瞬波打ったかと思うと、下の方から黒い雫が垂れた。初めは数滴だった雫はすぐにその数を増し、まるで水が滴るかのように地面に落ち始めた。
そして籠手がその姿を消していく。
「ほう。面白い仕掛けだな」〝一ッ目〟は楽しそうに言う。
パーズの左腕を包んでいた籠手は、溶けるように地面に落ちるとパーズの影と同化した。そしてそれは、存在しなかったパーズの左腕の影を生み出す。
籠手の中から現れたのは白い腕だった。華奢で大理石のように白く滑らかな肌をした腕だった。その白さはイェルラと違い、不健康そうに見えた。
薄い褐色の肌を持ったパーズとは違う色。それはどうみても女性の細腕だった。それが二の腕の半ばから生えている。
〝一ッ目〟に向けられた手のひらには赤い色で秘紋が書かれている。その周りを真円の帯状に、古代文字が囲う。それは小さな魔法円だ。魔法円が赤い光を放った。
「ぬおっ」
〝一ッ目〟が呻いた。体を折り曲げ、右目を押さえる。
「昔、西の辺境で吸血鬼を一人殺したのを覚えているな?」
冷ややかに〝一ッ目〟を見つめながら、パーズは押し殺した声音で言う。
「…………覚えておるとも。そうか。その左腕、あの時の美しき吸血鬼のものか」
右目を押さえたまま〝一ッ目〟は言った。手の間から血が流れ落ちる。
「そして君はあの時の少年というわけだな。見違えたぞ少年。いや、そう呼ぶのは失礼か」
〝一ッ目〟はゆっくりと右手を離す。目の
「お前の右目にある血晶石、返してもらう」
「ほう。あの時私が奪った心臓を求めておるのか。だが血晶石と化した心臓を取り戻しても、あの美しき吸血鬼は蘇りはしないぞ」
心臓は、吸血鬼にとって力の源だ。その肉体に心臓がある限り、吸血鬼は不死の生物であり、夜の眷属の王たりえる。だがその心臓を奪われれば、吸血鬼と言えども死んでしまう。それは不死と言われる吸血鬼の矛盾した死だ。
そして吸血鬼の心臓は満たすべき血を失うと結晶化する。そうして生まれたのが、血と引き替えに高い魔力生み出す血晶石だ。
「君の死んだ姉と同様にな」
「っ!」
〝一ッ目〟の言葉に、パーズの表情が一瞬歪んだ。
「君は今さら心臓を取り戻して、どうしようというのだね? 死んでしまった存在は甦らない。少なくとも人間である我々には、どうすることもできないのだよ」
まるで世界の真理を知る賢者のように〝一ッ目〟は穏やかに言い放った。
「……お前は死者を甦らせる実験をこの村で行っていたんじゃないのか?」
鋭い視線を〝一ッ目〟に向けてパーズは言う。だが、その表情には僅かながら戸惑いがみえた。
「私を高く評価してくれているようで嬉しいが、死者を甦らせることは私でも無理だ。それができるのは神の奇蹟か、悪魔の魔法だけだよ、少年」
「では、アベルは……」
「アベル? ふはははは」〝一ッ目〟は愉快そうに笑った。「君はあれで生き返ったと思ていたのか? 生前とは違う姿。人ですらないのに」
それはケインを介抱した夜に、イェルラがパーズたちに言ったのと同じ言葉だった。
彼女の言葉の内には悲哀があった。だが〝一ッ目〟の口から放たれた言葉の内にあるのは侮蔑だ。甦りを信じた者たちへの侮蔑。
「貴様っ!」
【我命ず。其は封じる炎なり】
パーズが斬りかかろうとした瞬間、彼の周りで炎が踊った。炎は渦を巻き円筒状になってパーズを囲う。
「君は実に興味深い。失った左腕の代わりに吸血鬼の腕を移植するなど……信じられん! 〝翡翠の魔女〟といい君といい、良い素材になりそうだ。なるべく損傷を抑えて手に入れたいのだが、私に協力してくれる気はないかね?」
「……死者を甦らせるのではなければ、なんの実験をしているというんだ?」
興奮気味に話す〝一ッ目〟の声とは対象的に、酷く冷めたパーズの声が炎の中から聞こえた。
「私がしているのは、〝永遠〟へと至る為の研究だ。君も知っての通り、不死と言われる吸血鬼ですら、心臓を奪われれば死んでしまう。矛盾しているとは思わんかね? 私には必要なのだよ、矛盾しない不死性――〝永遠〟がね」
「そんなものを手に入れてどうする?」
「世界の真理を得るためには必要なのだよ。人の寿命では、あまりにも時間が足りない。そして人は脆い。君にも分かるだろう? 人の命の儚さが」
出来の悪い生徒に、分かりきったことを教える教師のような表情で〝一ッ目〟は言う。
「……ふむ。いつまでも〝君〟や〝少年〟ではいかんな。名を教えてはくれまいか?」
「いいだろう、教えてやる」
突如、パーズを囲っている炎に白い光の筋が
炎が消えた後には、白い剣を左手で構えたパーズが立っていた。剣は僅かながら輝きを放っている。
「俺の名はパーズ。〝左利き〟のパーズだ。この名を刻んで逝け」
パーズが再び間合いを詰めた。
【我命ず。其は防ぐ炎なり】
魔術がその姿を具現化させる。炎で描いた六芒星を中心に、見えない壁がパーズと〝一ッ目〟の間を遮る。
白光一閃――
炎で描かれた六芒星の中央に、垂直の線が走る。六芒星が乱れ、ひと揺れするとその姿を消した。
【我命ず。其は惑わす炎なり】
パーズは止まることなく〝一ッ目〟に近づく。そして引き寄せた剣を突き出した。白い剣身が〝一ッ目〟の体を貫くと同時に、魔術師の体は崩れ炎となって消える。刃の先に〝一ッ目〟の姿はない。
「!」
パーズの背後で景色が歪み、〝一ッ目〟が現れた。手を向けると同時に口を開く。
【我命ず。其は流れる炎なり。全てを飲み込み全てを焼き尽くす。強き流れの炎なり】
四節の呪文が紡がれた。〝一ッ目〟の前に炎の壁が具現化する。それは波打ち、押し寄せる津波のようにうねりながらパーズを襲った。
パーズは振り向きざまに、素早く剣を逆手に持ち替えた。そのまま床に向けて強く突き刺す。
剣を境に、炎の奔流が二つに割れた。炎の奔流に抗うかのよに白い輝きが強まる。炎はパーズの纏うフード付きのマントを焼いたのみで消えた。
「その腕でなら竜骨剣の力を引き出せるというわけか。ますます興味深い。今なら並の魔術では歯が立たぬであろうな」〝一ッ目〟は愉快そうに言う。
「異界の炎とやらは使わないのか?」
挑発的な光を瞳に浮かべ、パーズが問うた。
「異界の炎……? ああ、〝契約〟のことかね。残念ながらこの私では、あの契約は無効なのだよ。だが心配しなくともよいぞ。君と同じように、私も美しき吸血鬼の力の恩恵に預かることができるのだからな。そのための血は存分に与えている」
〝一ッ目〟の右目――血晶石が輝き始める。赤い光は魔力の輝きだ。
パーズの剣も強く輝き始めた。白光はパーズの全身を包み込む。
【我命ず。其は砕く炎なり。全てを飲み込む
赤い魔力の輝きは〝一ッ目〟前で巨大な炎の竜へと変わる。炎の竜は天を仰いで咆哮を上げると、パーズへと迫った。
対するパーズは臆することなく、体を沈め一気に走り出した。白い光に包まれたパーズは、さしずめ光の騎槍だ。
白き槍と赤い竜が激突する。竜は口その
炎の赤が白き光を飲み込んだ。その刹那、竜の背後から光の騎槍が突き抜ける。騎槍は勢いそのままに〝一ッ目〟へと至った。
「なんと!」
驚く〝一ッ目〟の体を、パーズの剣が貫いた。魔術師の体の下に潜り込むようにパーズは密着する。
剣から手を離し、すかざすパーズの左手が〝一ッ目〟の右目へと伸びた。
「ぐおっ」
左手の人差し指と中指が、〝一ッ目〟の右目に差し込まれる。第二関節まで突き込まれた指が曲がり、埋まった血晶石を抉り出した。引き戻した左手には、人の眼球ほどの大きさの球体が血と共に握られてている。
「これは奪った心臓の一部だな? 残りはどこだ?」
「知りたいかね? なら私と共に来るといい」
〝一ッ目〟は空になった右目から血を滴らせて嗤う。
「! 待て!」
パーズが慌てた声を出す。左手がパーズの意志とは関係なく握りこまれる。手の中の血晶石は硬質な音を響かせて砕けた。
それから左腕が伸びた。血に濡れた白い指が〝一ッ目〟の首を捕らえる。五本の指先から細い管がいくつも出てくる。それは血管だ。血管は〝一ッ目〟の首に食い込むと、魔術師の血を吸い始めた。
「まだだ!」
勝手に動いた左手に向かってパーズが叫ぶ。
「まさか……生きて……いや……思念が残留して――? 実に興味……深い。新たな課――」
掠れた声で〝一ッ目〟が言う。その体は干からび始めていた。肌が乾き亀裂が走る。眼窩が落ちくぼみ、骨が異常に浮き出た。言葉を継ぐために開いた口からは声も出なくなっていた。
「まだこいつには訊くことがある!」
右手で左手首を掴み、パーズは引きはがそうとした。だが左手はびくともしない。白かった左腕は、桜色に上気していた。
パーズがようやく左手を引きはがした時、〝一ッ目〟はすでに息絶えていた。カッと目を見開いたままの立ち往生だ。まるで天啓を得た信徒が、そのままミイラになったようだった。
イェルラが駆けつけた時、パーズは左腕を掴んだまま言葉もなく、放心したようにその場に佇んでいた。
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