アナザー
僕の世界には色がない。目に見えるものがみんなグレーに見えていた。
「おい!なんで言うこと聞けないんだ!」
父親は嫌いだ。機嫌が悪いとすぐに僕に当たり散らす。何度殴っても父の機嫌は治らないやがてそれは母へ飛び火して母は。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
botみたいだ。父には弱気な母も僕には強気で出てくる。手は出してこないけど父の機嫌の悪さも僕のせいにして僕を責め立てる。家族は嫌いだ。血が繋がっているからって全部が全部いいわけじゃないんだ。僕は小学生の頃から知っている。父が毎日のようにギャンブルして酒と煙草をするのも母が毎日のように別の男のところに行って朝に帰ってくるのも全部僕のせいだってことも。
幼稚園の頃は良かった。思えばあの頃が僕の全盛期だったかもしれない。友達はたくさんいたし、家だって大きかった。毎日友達を呼んで毎日美味しいお菓子とジュースでみんなとゲームをして遊んで。パパが帰ってくれば毎日ママの美味しいご飯が食べられる。最高の生活だった。僕は人生の勝ち組で将来もパパの仕事を継いでママみたいに綺麗で美味しいご飯を作ってくれる奥さんと一緒に幸せで最高の人生を送れるってそう信じていたんだ。
小学校に上がって別の幼稚園や保育園から来た子と一緒になって、今までの友達が別の子と仲良くし始めた。その子の家は僕の家より大きくて毎日新しいゲームと高そうなケーキが子供達を出迎えてくれていた。僕の家は前よりも小さく見えた。パパの仕事が急に減ってきてママは前のように優しくしてくれなかった。パパは大丈夫だからとママもきっと機嫌を直すと言ってくれた。そんな時に僕は初めていじめを受けた。きっかけは些細なことだった。移動教室で教室に忘れ物をしてしまった時間違えて別の子の物を持ってきてしまったのだ。相手が違えばこんなことにはならなかったかもしれない。相手はそのお金持ちの子だった。その子は勘違いをして僕が盗んだんだと言い張った。僕はその日から仲間外れにされたり上履きを隠されたりした。僕はその子に謝ることにした。こういうのは嫌だからちゃんと謝って許してもらおうと純粋にそう思っていた。
「ごめんなさい」
誠意を持ってちゃんと頭を下げた。パパは『先に謝れる人はすごい人なんだぞ』って言ってた僕はパパみたいにすごい人になりたかった。
「土下座しろよ」
ママが良く『パパはああやって地面に頭擦り付けて仕事もらってるのよ』ドラマで土下座をする人を見てそう言っていた。パパが頑張っているのにどうしてそんなこと言うんだろう。僕はちゃんと謝っているのになんでこの子はこんなこと言うだろう。少しずつ音を立てて僕の積み上げてきたものは崩れ始めていた。
「お前のパパ。仕事全然ないみたいじゃん。うちのパパが言ってたよ。へこへこ頭下げて馬鹿みたいだって」
パパの言葉を思い出していた。僕はすごいよねすごかったよね。ちゃんと謝れたよ。だから、我慢しなくていいよね。
「うちの息子が大変ご迷惑をお掛けしました。本当に申し訳ございませんでした」
「言葉だけじゃあねえ。うちの子怪我までして、お宅の子供はなんともないんでしょ」
「元はと言えば、」
「何か言いましたか」
「いえ」
向こうの父親の後ろに引っ付いてニヤニヤ笑っている子供がひどく滑稽に見えた。
「土下座、してください。こちらとしても取引先を失うのは手痛いですから穏便に済ませましょうよ、ね」
「土下座ですか、」
「出来ないんですか?では今度の話も白紙にしましょうか、ね」
「すみません。それだけは、」
膝をついて両手を地べたへ着けて、頭を下ろし切るところをこの目で見届けた。父親の背中は前に見た時よりも小さかった。
「ふっ、ふふっ」
笑いを堪えきれないという様子で二人して下卑た顔を貼り付けている親子はとても醜かった。それに成す術もなく遜る父親はもっと耐えられなかった。
「なんでやり返さないの」
「大人には色々あるんだよ」
「色々って何」
「なんでもだよ。パパの仕事が無くなっても良いのか。ママがもっと機嫌悪くなるぞ良いのか」
情けない言い分に、僕は子供ながらに落胆した。
案の定、父の土下座は意味を為さなかった。契約はその日に打ち切られ、悪い噂を流されて一切仕事が来なくなったことを経て家族は引っ越しを余儀なくされた。次の家は狭かった。六畳半のリビングに六畳あるかどうかの一部屋がついてユニットバスで全部屋和室。シャワーの水圧は前の半分以下。築六十年は経っている、そのせいで至る所に木材の痛みが出ている。歩くたびに軋む畳に噛み合いの悪い窓からはいつも風が流れてくる。夏は熱気が冬は冷気がエアコンが付いていてもこれではまるで意味が無い。引っ越してからというもの二人の喧嘩は加速度的に増していった。昼夜を問わず交わされる罵詈雑言は近所で有名だった。
僕は高校生になった。親父は完全に職を失いギャンブルに嵌った。消費者金融で多額の借金を背負いそれでもなおギャンブルに没頭し続けた。そのまま金を使い倒して死ぬんだろうか。お袋は帰ってこない。中学三年の冬頃、キャリーにボストンバッグを抱えて出ていった。旅行に行くと分かりきった嘘を残して僕と親父の二人を残して浮気相手の男の元へ出ていった。親父は何も言わなかった。この環境のせいで僕は高校でもいじめの対象になった。ハブられたり、パシリに使われたり。まあ軽いもんだったけど。あの二人よりはましに思えた。高校生も終わりに近づいて進学を決める頃。成績はそこそこだった為担任の知恵を借りて給付型の奨学金を貰えることになった。僕は早く家を出るためにひたすらバイトに明け暮れた。月に20を超えることもあった。扶養に引っかかることも考えて次の月は抑えたり掛け持ちをしたり。抜け道を手当たり次第に探って。とうとう独り立ちを果たした。
大学一年目。ここでは僕はほとんど空気だった。居てもいなくても一緒だった。
「君誰だっけ?同期?ねえこいつ知ってる?」
顔も名前も覚えられることなく僕の大学生活は幕を開けた。そんな時だった。
「鷺沼くん。これ、落とし物だよ」
安堂かなめ、彼女出会ってから。僕の人生に色がつき始めたんだ。
溺死 kanaria @kanaria_390
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