第12話
警察の事情聴取も終わり、少しばかり日常が戻って来た頃、オレたちは小さな喫茶オレたち……オレと、タケトと、タケトの姉。
「タケトの姉の響子です」
響子さんが丁寧にオレに名刺を渡してくれた。名前は前から聞いていたけど、それは敢えて言わない。名刺には大手の新聞社の名前が書いてあった。
「新聞……記者……」
オレはぽつりと呟いた。姉が新聞記者だとすれば、タケトが何かを感づいていた理由も何となく分かる。
「もしかして、」
「うん。姉から聞いてた。報道になる少し前に」
タケトが察して言った。
「じゃあ、あのノートって……」
「やっぱり中身見てたな」
オレは一瞬しまったと思った。
「うう……ごめん」
オレは素直に謝った。どう言い訳をしても見てしまった事に変わりはない。
「一時期、態度がおかしかったのは……」
「ゴメンナサイ、疑ってました」
オレは両手を上げて降参のポーズを作った。やっぱり、オレのお粗末な芝居ではタケトには通用しない。
「まぁ、疑われても仕方ないわよね。そのタイミングじゃあ犯人しか知り得ない情報と取られても仕方ないし」
「でも、タケトがそんなことするわけない、って思った。タケトもちょっと態度おかしかったし」
「じゃあ逆に疑ってもいいんじゃないの?」
「タケト(俺)がそんなヘマするわけない(だろ?)」
二人の声が被った。
「なるほど、息ぴったりね」
「あの、タケトのお姉さん」
オレが言うと、
「響子でいいわ」
「店長さんは……その、」
「うん。すべてはこれからだけど、多分、例の殺人事件に関与してると思う」
「俺が……一度、店長の後をつけたことがある。あの男が来た後だよ。すぐ後に、っていうわけでもなかった。むしろ、その時は店長はすぐいつも通りに戻っていたから。様子がおかしかったのは、二日後のことだよ。それも曖昧なものだ。はっきり機嫌が悪いとか、面と向かって怒られるとか、そういうことがあったわけじゃない。本当に僅かな違和感。それがどうしてもオレを不安にさせた」
タケトの言葉に、オレは大きく頷いた。自分もそうだったから、分る。
「俺が遅番を上がった後、オレは思い立って隠れて店長を待った。こっそりつけていったら、河原に向かうんだ。どう考えてもおかしいと思っていたら、のホームレスの小屋に入っていった。そして、一人の男を連れて、車に乗り込んだんだ。さすがにその先はつけられなかった」
「そうしたら、あの事件があったわけか」
「うん。でも、はっきり関与してるとも言い切れなかった。でも、同じ場所の他のホームレスに訊いたら、確かに最近姿が見えない、って言ってた。でも、その人自体、それほど積極的に交流を持たない人だったし、ホームレスがいきなりいなくなるのはそれほど珍しいことでもなかったから、あんまり気にしてなかったんだって」
「殺人事件に関しては、はっきりとした物証が出ていないのよ。だから彼の自供次第といえばそうね」
コンビニの方は一度閉店することになった。タケトはバイト先を失くしてしまったわけだが、タケト自身にとってもそれは悪い事ではなかったようだ。そこに居続ければ、どうしても、いなくなった人のことを思い出してしまう。何事も無かったかのように、他の社員が店長として入って、何事も無かったかのように業務を続けるのは、寂しく、哀しい事だ。
「でも彼、罪を認めたわよ。基本、女性……まぁ、彼の実母だけどね。彼女への殺人未遂ってことで現行犯逮捕だけど、余罪は、三件」
「三……」
オレは正直驚いた。タケトも驚いた様子だった。
「一つは、タケトが目撃したホームレス。そして、その前に報道があった女性。これは娼婦だったわ。そしてもう一つ。これはもう時効になってたけど、女性がもう一人」
つまり、かなり以前の事件という事だ。
「話す必要はなかったけれど、店長は話した、ってことだね」
「そう」
その事実が、オレたちの心を軽くした。彼の心は、今、良心に満ちている。本来の穏やかさを取り戻しているだろう。オレはそんなことを思った。オレは、店長がオレに向けてくれた笑顔を、優しさを思った。
「大学生の頃だそうよ。気鬱になって、自殺を考えたことがあったって。これは、子供時代の影響かも知れないわね。母親は、彼が幼い頃に忽然と姿を消してしまったらしくて、それ以来、父親から暴力を受けていたようだから」
オレたちは黙って話を聞いていた。何も言えなかった。言ってはいけないような気がした。今であれば、DV、モラルハラスメント、など、様々な言葉で取りざたされ、問題視されるようになって、世間も目を向けているが、昔は今よりもっとそういった事実は隠蔽され、傷ついた子供が未だ言えない傷を抱えて生きているのだ。今回の事件はその氷山の一角に過ぎないと思うと、オレは背筋が寒くなった。
「自殺を考えた時に、偶然、もう一人自殺願望のある女性と出会ったの。この人も娼婦だったようよ。悪い男につかまって、薬漬けにされてしまったみたいね。そして、生きる事に絶望した。彼は彼女と死のうと思ったようよ。でも、死にきれなくて、彼に幇助を依頼した。彼はそれを受けたそうよ。結局は、それも彼の優しさ、そして、弱さなのね。彼女は死んで、自分は生き残ってしまった。その時、彼女を殺した感覚は、まだ忘れていないそうよ」
「その快楽に溺れたわけじゃないんだよね」
タケトが言った。
「そう。そういうわけじゃないわ」
響子はきっぱりと言い切った。オレたちはほっとした。でも、心のどこかで分かっていた。快楽で人を殺すような人なら、あの時、踏み留まったりはしない。結局、如何に狂気に飲み込まれていても、寸での所でも、戻ってこられるなら、大丈夫なのだ。
「彼は二人目の被害者に最初の被害者と同じような人を選んでた。二人目の女性も、同じように薬を使った形跡があったようよ。あるいは、彼女も死にたがっていたのかもしれない。そして、彼が殺した」
「……恐らくは、選んだんじゃない。また、偶然なんじゃないかな」
「え?」
タケトの言葉に、声を上げたのは、オレと響子さんが同時だった。
「同じような女性と出会って、それでスイッチが入った。恐らく、彼女も死を望んだんじゃないかな。だから、叶えてあげた」
「やれやれ、この名探偵君には困ったものね。その通りよ。とはいえ、何分、被害者は死んでいるし、遺書も無いから何とも言えない。供述通りなら、としか言えないわね。ただ、行きつけのバーのマスターが、彼女が酔っぱらっては死にたい、と、言っていたのを聞いているわ。でも、酔って、死にたい、なんて、ストレスたまってたら誰でも言うしね」
「一件目の事件は遺書があったんですか?」
オレは響子さんに訊いてみた。響子さんは、お、と言って笑った。
「さすがに十五年以上前の話だからね。しかもこの事件、今まで発覚すらしてなかったし……これから、ってところかしら」
「死体を切り刻んだのは、どうして?」
タケトが新たな疑問点を持ち出した。それは確かに思う。快楽でも、怨恨でもないなら、どうしてだろう。
「死体はね。きれいにしてあったの。一度子宮が取り出された跡があって、でも綺麗に戻してあった。肌に着いた血も、綺麗にふき取ってあったそうよ。まるで、死者を悼むように、丁寧に、一度傷つけたものを治してあった。手も胸の上で組んであってね。丁寧に埋葬したんじゃないかって。そんな形跡があるって」
「男性の方は?」
「これは、ひどかったの。本当に、バラバラになってた。二度と目にしたくないって、戻ってくるなって、そんな怒りとも呪いとも取れるような感じだったって」
「つまり、女性に対しては深い愛情を、男性には怒りをぶつけた、って感じか」
「女性は母親の象徴。父親の象徴、ってところかしらね」
「あの、」
二人の会話を聞いていたオレは、やっとのことで声を絞り出した。
「彼の、母親は?」
「実はね、彼女にも薬を使った形跡があったの。偶然か、彼女は家を飛び出した後、悪い男につかまって、薬を強要されていたみたい。奇しくも、彼が殺してきた女性たちは、母親と同じような境遇だった」
「今は、どうしてます?」
響子さんはしばらく黙った後、ゆっくりと口を開いた。
「基本、病院にいるわ。栄養失調にもなりかけてたみたい。もう少し落ち着いたら薬物の更生施設に行くことになると思う。でも、彼の方がひどく母親を恋しがるの。その事を彼女に伝えたら、泣いてたって。そして、彼女も会いたいって泣くの。それこそ衰弱死しかねない勢いでね。だから、特例として、定期的に会っているわ。二人寄り添って、幸せそうに話をしているそうよ。彼の方は、今はすっかり子供に戻ったみたいな精神状態ね」
「そういえば、彼が殺人に及んだ原因、結局、何?被害者自身とはあまり関係なさそうなんだけど」
オレの言葉を受けて、響子さんは複雑な顔をした。
「ある意味、通り魔的。誰でも良かった。でも、それなりに人は選んでいたみたい。娼婦の人との出会いは偶然のようね。たまたま通りがかって袖を引かれた。その女性が、昔、彼が殺した女性に似ていたために、スイッチが入ってしまった」
「男性は?」
「これは、スイッチになったのはタケトが言ってた例の男性客。その男が取った高圧的で身勝手な態度が父親を思い出させたみたい。その場では何とか堪えたけど、その押し殺した感情のやり場が無くて、」
「自分が殺せそうな相手にぶつけた」
「まぁ、そういうことね」
そしてそこには、恐らく人との関りが薄くて、その人の死によって傷つく人が少ないようにという意図が、あったようにも思えた。意地悪な考え方をすれば、その方が足がつきにくいと考えたともいえる。初対面、付き合いの薄さ、動機の違い。それらが捜査を難しくしていたのだろうと、響子さんは言った。連続殺人は、被害者に共通点がある事が多い。それに対して今回は、発覚していた分の二件には共通点はないと言って良かった。むしろ、被害者に対する想いは真逆と言っていい。
「やりなお……せる?」
オレは、小さな声で言った。時効になったものを含めれば三名、その命を奪ってしまった罪は軽くはないだろう。それでも人は、やりなおせるだろうか。幼い時に傷ついた心は癒せるだろうか。止まってしまった時間は、再び流れ出すことができるだろうか。
「本人次第、でしかないと思うけど、俺は信じたいよ」
オレは、タケトの言葉に頷いた。それが全てな気がした。結局のところは、本人にしか、決められない。それでも、ある意味幸いだったのは、母親が生きていた事だろう。そして、再び彼の前に現れた事。そのこと自体が、神様が、彼にチャンスを与え、そして、彼を救おうとした、その証のような気がした。
やり直せる。
大丈夫。
本人がそう望むなら、少なくとも天と地は、彼が生きる事を許すだろう。
オレはそう思った。
「タケト」
「カズユキ」
オレたちはほぼ同時に名前を呼んだ。そして、顔を見合わせて笑った。
「……あの時、」
タケトが呟くように言う。
「カズユキが、言えって言ってくれてよかった」
「……そ、そうか?」
「正直、迷ってた。巻き込まないようにすることもできたのに」
「オレは、言ってくれて助かった。巻き込んでくれて良かったよ」
あのまま悶々とタケトを疑って過ごすより、ずっといい。オレは思った。
「あ、」
オレが言うと、タケトは不安そうにオレを見つめた。
「今度からもうちょっと早く言う事。じゃないとオレの体重が半分になっちゃうぞ」
そこまで言って、オレはふと気づいた。
「もしかして、ノート忘れたのって、わざと……」
タケトは、何とも言えない笑顔を見せた。
それはどこか、面倒な女を連想させる笑顔だった。
note 零 @reimitsuki
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