番外 伊井田の実家『おおくぼ飯店』

「はいどうぞ! ニラと玉子のスープと八宝菜と焼豚!」

「あ、お茶のおかわりくれ」

「はいー! お待ちください!」


 とある休日。本科一年ろ組所属、寮では室長を任されている伊井田 じゅん(剣道部)は実家の手伝いに駆り出されていた。

 伊井田家は中華料理店を営んでおり、祖父と父が厨房を、祖母が配膳を担当している。店長は祖父だ。母は店に出ないが他の家族が店にかかりっきりになれるよう、家事を一手に担っている。

 以前は毎日、潤と妹のりょうも店と家の手伝いに入っていたが、術師学校に入学して寮生活になるとそれもしなくてよくなっていた。一旦は。

 この店は清(中国)の生まれの祖父が、九州北部の出身の祖母と結婚して2人で始めた。「おおくぼ飯店」という名前は日本に来たとき修行した中華料理店から、暖簾分けでもらったと言っていた。中華料理と、朝鮮半島で学んだというとっても辛い味付けの料理を出すことで知られている。


「〜〜、… …。それと、渡り蟹をひとつください」

「激辛渡り蟹、1人前ですね」


 きた。

 聞こえてきた注文の声に潤は反応する。

「激辛渡り蟹」とは、4、5種類の香辛料に漬け込んだ後、唐辛子や鷹の爪などと一緒に炒めた料理である。香辛料の配合は祖父独自のもの。殻があるから辛さが薄まるんじゃ、と思ったらそんなことはない。殻を貫通して辛味が染み込んでいる。

 なお、季節限定一日100食限定の激辛渡り蟹は12月まで続く予定だった。それまで妹と週末毎に交代で実家に手伝いに帰ってくる。

 たしかに、美味いのは美味い。そこは家族全員認めている。でも限度がある。あんな死にそうなくらい辛い料理のどこがいいんだか。潤は配膳を受け取る度に「死ぬんじゃない?」「死なナイ。死なナイ」というやり取りを、祖父と交わしている。だって湯気まで赤いのだ。

 誰が頼んだんだろう、とチラッと見てみる。


「楽しみだなあ〜」

「あそこの人が召し上がってる品ですよね?? アレは、その、健康的に大丈夫なので?? 汗が滝のように… …」

「ああ、期待できそうだ」


 い組の各務原蒼羽子と本科三年の藤崎真佑だった。

 思わず二度見した。それは綺麗な二度見だった。

 慌てて潤は、状況を把握しようとする。2人はこの店が伊井田の双子の実家だと知っているのか? 2人はどういう関係? 一緒に飯屋に来る仲? そして、あの料理をマジで食べるつもりなのか? 舐めてかかったら酷い目にあうぞ。

 下げた皿を洗うフリをして2人から隠れる。いや、実際に洗い物をするのだが。

 おののいている蒼羽子とわくわくしている藤崎真佑。

 漂う空気に温度差があるが、美男美女の組み合わせだ。両者とも、年齢より大人っぽい雰囲気という点が一致している。あと言っちゃあ悪いが、悪っぽい雰囲気も。

 ところで、藤崎といえば女性関係の噂が絶えないことで有名だ。潤が知っている最新の噂は、若い教師と準備室に鍵を掛けて2人っきりだった、というものである。何をしていたのか、想像が膨らむ噂である。その前は、本科三年生のとあるカップルの彼女を奪って彼氏に殴られた、というものだったはず。クズ男だ。

 藤崎先輩、各務原嬢にまで手を出したのかなぁ。

 このことを里見や若松嬢に伝えるべきか否か。女性関係にだらしない先輩に友人が狙われていると知ったら、あの2人なら行動に出るはずという考えが潤の中にはあった。


「ほい、壁側の席に鶏白湯とりパイタンと激辛渡り蟹」

「げっ、父さん持って行ってくれない?」

「は? 早く運べ」


 顔を合わせるのを回避しようとして、父親に凄まれてスゴスゴ引き下がる。


「あら、伊井田くんじゃない。ごきげんよう。精が出るわねえ」

「あ、ははは。まあねえ。ごゆっくり召し上がってね〜」


 とうとう、向こうに存在を認識された。別に実家の手伝いをしているだけなんだから潤に後暗いことはないはずなのに、なんでなんとなく気まずい思いがしてくるんだろう…。

 藤崎はというと、さっそく渡り蟹の脚をパキッと折っては手掴みでもぐもぐいっている。

 本当に辛いもの好きなんだ、と潤の中に感心するような気持ちがわいてくる。

 ガラガラガラ、と入り口が開く音が聞こえ、「いらっしゃいませー!」と反射的に挨拶をする。

 新しい客は帝都の治安維持を担う警邏隊の男たちだった。制服姿の3人組。五十代の男性が1番地位が高そうで、他に四十代と二十代。四十代の男には見覚えがあった。常連客と言っていいお客さんだ。

 潤は席に案内しようとする。しかし、1番地位の高そうな男と常連客の四十代の男が、入り口近くから潤の案内した席と反対方向、壁側の席を向いたまま動きが鈍い。

 潤が頭にはてなを浮かべていると、2ヶ所から声が上がった。


「お、お父様…」

「蒼羽子…、お前もこういう店くるのか? いや、それよりもその男は誰だ??」


 親子対面発生。

 お、内緒のお出掛けをお父さんに見つかっちゃったのか?? ここからどう展開する? 各務原嬢はどう対応するのか!? と、潤と店内の面々が好奇心盛々で見守る。


「この人は学校の先輩にあたる藤崎真佑先輩です。先輩、こちら私の父ですわ」

「はじめまして。各務原嬢には、お世話になっております」


 蒼羽子の父親ということは、警邏隊の統括の職に就いている人物だ。眼光が鋭く、無駄口を嫌っていそうなグッと結ばれた口許。左の眉尻からこめかみに、一寸(3cm)程の古傷がある。厳格な雰囲気の父親だ。


「以前助けていただいて、少し話すようになりましたの。先輩にこのお店の、とても辛いけどとても美味しい料理の話をしたら、興味を持たれたようで…。ここは同級生のお家でもあるんですのよ。ねえ、伊井田くん?」


 野次馬に徹していたつもりが、水を向けられてドキリとする。「ぁはは、そうなんです。僕と双子の妹が各務原さんと同級生で…」と愛想笑いをつくって答える。

 チラッと蒼羽子の向かいに座る藤崎を横目で見る蒼羽子の父親。


「… …そうか。食べ終わったら言いなさい。送って行こう」


 わかりました、と蒼羽子が返事をし終わる前に背を向けて警邏隊の人と同じ席に着く。

 家父長制の典型的な父親って感じだなあ、という印象を潤は抱いた。妻や子は養い守る対象で、自分より下、向ける言葉は命令形。

 ウチの力関係とは違うな。ばあさんは頑固なじいさんに張り合うくらい隠れ頑固だし、母さんは父さんと持ちつ持たれつって雰囲気だし。凉と自分の力関係も、男で先に産まれたからこっちが上って感じはないし。

 ふと潤は、この男性が蒼羽子の父親ということは、兄の各務原藍蘭の父でもあるのだと気づく。藍蘭より、蒼羽子の方が父親似なのか。

 蒼羽子とは目鼻の均衡というか、目の辺りの雰囲気が似ていると感じるが、藍蘭と似ているところはパッと見て思いつかない。あるいは、藍蘭の持つ誰にでも友好的な空気が、似てないという印象をつくっているのか。


「あ、後輩くん。おかわり、お願い」

「ええっ! あ、失礼しました。激辛渡り蟹のおかわりですね、少々お待ちを!」


 あの激辛料理をおかわり、だと…!?

 同伴している美少女の父親の登場にも我関せず、という態度で藤崎が激辛渡り蟹をおかわりする。あの一皿で致死量の唐辛子や何やらが盛り込まれたものを、美味い美味いと食べきった藤崎に蒼羽子はドン引きしている。

 これはデートじゃなさそうですよお父様、と潤は内心呟いた。

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