7話 魂の形(3)

 しき神の動きが錆びついたかと思えば、やがて細かに身震いし、脱皮するように体からぬらりと靄が湧き立った。ラケはといえば足を、ついでに息さえ止めて、少女が抜き放った光に目を奪われていた。


 掲げた諸手に浮かぶは、奇しく耀う大業物ククリ。冴え冴えと磨き上げられた内反りの刃が、あたりの景色をくっきりと映し出している。折れてしまったククリよりも一回り大きいくらいだろうか。漂う雲さえも日差しを浴びて、淡い虹色に煌めいていた。これこそが、八人の乙女たちに受け継がれし――――蛇神の魂。


 微笑みに促され、吸い寄せられるようにその柄を取る。指が触れた途端、ひんやりとした心地よさが不思議と馴染み、自ずと強く握りしめた。腕に伝わる気迫は血潮に乗って全身を駆け巡り、熱を伴ってラケを揺り動かす。重心を確かめるべく軽く翻すと、程よい弾みがついて思いのほか扱いやすい。


 託されたものを掲げる拳に、しばしディヤが手を重ねた。ラケとチャンカヌ・バダルへ向けた言葉なき言祝ことほぎ。賜ったいつくしみを胸に、ただ深く頷いた。


 蛇の肉を脱ぎ去ったしき神は、小蛇として散らしていた邪気をさらに呼んで、大きく膨れ上がっていた。その間もずっとまじろぐことなく、燃える双眸でこちらへ睨みを利かせている。呪わしさを全霊で醜くさらけ出す姿は、驕り高ぶる今までとは明らかに違っていた。


「いいか、我はこのナリで長く留まれん。すでにヤツは、なりふり構わず突っ込むことしか頭にないほど自我が揺らいでいる。その時にただアンタはククリを振り下ろせば良い。頼んだぞ、友よ」


 刃から声が聞こえた。思い起こせば、彼とともに行くと決めたとき、勢い余って何でもすると口にした気がする。こんなご立派な役回りを任されるなんて、露ほども考えなかった。それはそうと、話しぶりからあのすかした顔が目に浮かぶようだ。


「勝手に友にするな」


「えー? もう充分打ち解けたろうが。我、悲しい」


 とても呑気にしていられないはずだが、これはこれで蛇神なりの気遣いなのだと今ならわかる。実際お陰様で、祭りの前よりもよっぽど落ち着いた自分がいる。素直に受け取れない子供っぽさをありのままぶつけているのも、彼に心を許しているからだった。気付いてしまって、なんだか急にげんなりする。


『随分と楽しそうだなァ!』


 湖の上に生じた靄の玉は、もはや西の空を覆い隠すほどにかさんでいた。肩で息をするように大きく伸び縮みを繰り返しながら、焦りの色をにじませる。小蛇が消えてようやく追いついた父ともう一人の隊員は、駆け寄ってしき神との間に滑り込んだ。手にしたものをちらと見て察したのか脇に逸れたものの、いつでも身を挺すと言わんばかりに腰を低く据えている。案じてくれるのはありがたいが、人質にされたらひとたまりもない。


「二人とも、もう少し下ってくれんか。なにせ我は昔っから力加減ってもんが下手でな」


「蛇神様どうか……」


「なに、この子らは強い。ヤツなんかよりもずっとだ」


 渋々後ろへ引いていくのを確かめてから、正面に浮かぶ赤眼を見据えた。ぶくぶくと膨らみすぎて、今にも崩れそうに揺らめいている。


まがれ……禍レ、まガれ!!」


 もとから幾層にも重なり合う声であったのに、いよいよ聞き取るのが難しいほどにブレている。ラケは刃を構えると、肺にありったけの空気を吸い込んで勇み立つ。


「イェンダに災いあれと望むなら、まずは俺たちを呪ってみろ!」


 まんまと焚き付けられたしき神は、こちら目掛けて湖面を滑ってくる。彼に対する哀れみや恐ろしさはなかった。ただ確実に打ち破れるのか、ほんの少し自分が心許ないだけ。身軽に舞い踊るスニルに比べれば朝飯前だと言い伏せて、迫るそれにククリを振り上げた。


「……!」


 ディヤが息を呑む音にふと顧みると、いつのまにか正面の靄とは別に、小さな塊が背後からも押し寄せていた。最後に抜かったのは奴ではなく。


(何が突っ込むことしか頭にない――だ!)


 ほぼ同時に挟み撃ちにされるであろうことから、どちらかを先に仕留めてからでは遅いと勘が囁いている。万が一他に後ろを任せるとしても、ただのククリでしき神が斬れるとも思えない。そもそも一方を片付けてから次を相手取るまで、蛇神が保つかも怪しかった。


 目まぐるしく思考を巡らせて打開策を練るが、行動に移すことまで考えればできることは少ない。しき神が放つ、地鳴りと耳鳴りを混ぜたような勝鬨かちどきが脳を掻き回す。


「とりあえず前後に渡るよう、横に大きく薙げ! 我が勢いをつけるから、肩を持っていかれぬようにな!」


「……ったく!」


 右足を前に腰を低く構える。どんなに行き当たりばったりであろうと、この期に及んでうだうだ悩んでいられない。ディヤを振り落とさぬようきつく抱きしめると、彼女もまた来たる衝撃に備えてしがみつく。


 その時、背後の靄がゆくりなくも晴れた。東の雲を朝日が差し貫いている。あっという間に開かれた青空に浮かび上がるのは、全てを見渡す堂々たる真白き峰。天の神様のくら――――シャル山。天翔る輝矢かがやは靄の片割れを消し去るだけにとどまらず、しき神の両目をも射抜いた。あつらえたようにすぐそばに伏したのは、いかにも神の思し召し。今まさに、天はイェンダに味方した。


「ディヤ!!」


 幼くも畏き神へ、志を奉る。ラケはククリの柄を固く握り直すと、高々と振りかぶった。イェンダの誇りを示すように。そして、長年の願いが実を結ぶように。相手もただでは終わらないと血濡れた眼をギラつかせて、諸共呑み込まんと大口を開けた。そこへすかさず一閃を見舞う。光纏う刃は滑らかに走り、しき神を寸分違わず縦に叩き切った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る