7話 魂の形(2)
「英雄気取りもそこまでだ。なァ、もっと素直になれ。恐ろしいのだろう? 今すぐ尻尾巻いて逃げ出したいのだろう? 刃向かっても無駄だ。俺様は強い、あの時よりもな!」
ニヤつく
蛇神は信じるに足る。記憶を見せられたこと自体は気持ちのいいものではなかったが、身を委ねられる先をはっきりさせてくれた。黒い靄は面白くなさそうに目を眇めて、今度は吐き捨てるように言う。
「天に放った石はすべからく地に堕ちる。すべてはそもそも、汚く、卑しく、
そこでディヤが急に前のめりになる。
「いいえ、例えが相応しくありません。
初めて気付いたがなかなか勝ち気なタチらしく、口を挟むのをためらってしまうほどだ。ただ、煽られて激したのではなく、話しぶりはあくまで静かだった。相対する神の方はぶつぶつと聞こえぬように悪態をついている。あちらはもう我慢ならない風だ。ディヤの言葉を受けて、黒い面が一つ頷く。
「時に、アンタは生ける者の力となる。追いつかれまいと振り切ることで、より先へ進めるからだ。そうやってラケやディヤは、イェンダの民として産声を上げた。災い巣食う、天険と恐れられたパスチム山でな」
言いながら大きく広げた右手を、ゆっくりと前へ突き出す。
「だから我はすべてを賭して、この子らの道を開く!」
横に打ち振るった腕が空を断つ。それを合図に雲がわんさと湧いて、ラケたち三人を包み込んだ。隔たれた向こうでは、蛇神の
「仕上げは
そのうち――
「うん、きっとだ。さっきは何も喋れなくてごめん。来てくれてありがとうディヤ。あと……チャンカヌ・バダル」
こちらを心配そうに見下ろす彼の、真の名を呼んだ。照れくさいのかそれとも恥ずかしいのか、決まり悪そうに鼻を掻いている。
「礼を言われるようなことは――違うな。アンタが我のようにならなくてよかった。こう見えて昔はかなり気が弱くて、とても一人では耐えられなかったのだ。ラケの歩みは
無言で相槌を打つ。今気持ちを緩めれば、まさしく『酔わば堕つ』になりかねない。あとは手筈どおり、奴を祓うことに真っ直ぐ打ち込む他ないのだが。
「何か、俺に出来ることあるか? 脚のお役目以外にも」
助けてもらってばかりな気がして、ふと口ついて出たのがそれだった。蛇神はしばらく顎をさすっていたが、閃いたとばかりにあっと声を上げる。
「ディヤに頼もうと思っていたんだが、ラケの方が適しているかもしれん」
「ああ……わたしはあんまり慣れていないから」
足並みがうまく揃った様子で頷きあうのを傍目に、ラケは首を捻った。自分で口火を切ったのに、置いてけぼりを食らっている。二人にじっと見つめられて、とんでもないことを口走ってしまったのではと、ほんの少し胸騒ぎがした。あたりの白さが一段と強くなり始める。
「ならば我を――アンタの手で振るってくれ」
言葉の意図が汲み取れないまま、聞き返すことも出来ず、明るさに目を眩ませた。
***
目蓋を開くとそこはウルバール湖だった。湖面は激しく乱れて、白波が踊っている。水の中で
ラケは自分の足でしっかりと大地を踏みしめて、右手にククリを持ったままだ。左の肩にはディヤを座らせ、たしかに意識を失った瞬間からそれほど時が経った感じはしない。ただ、
「おい、いきなり止まってどうした!?」
背に添えられた手の温もりに振り返ると、眉尻を下げた父の顔があった。戻ってきた安心感がどっと押し寄せて、感極まりそうになるのを苦笑いで誤魔化してみせる。
「ううん、もう大丈夫」
今はあれこれ説明する暇はないはず。怪訝そうにしているのを申し訳なく思いながら湖へ向き直ろうとしたとき、急にあたりが暗くなった。
「逃げろ!」
後ろから隊員が放った叫びですべてを察し、反射的に横へ素早く飛び退いた。間を置かず、親子を引き裂くように蛇の尾が地面に叩きつけられる。体は避けていたものの、思わず構えたククリがそれに掠るや否や、派手な音を立てて根本から折れてしまった。手元に残った愛刀の柄を投げ捨てて、そのまま湖畔を駆け抜ける。
隙を見て振り返って父の無事を確かめた。しかしそのさらに向こうから、黒々とした小蛇の群れが押し寄せる。暴れ回る尾も大人しくなるどころか、次々に繰り出されていた。これではいずれ潰される。加えてこんなに激しく動いていては、ディヤが触れられるはずもない。
「どうすんだこれ!?」
混迷を極めた状況に、流石に慌てふためいた。蛇神は一体どこにと思っていると、少女の中から言葉が響く。
「夢の中とはいえ、すでに一撃喰らわせているからな。じきに体を捨てざるを得なくなる。はず……なんだが。まったく、とことん意地汚い! 頼む、もちっと逃げててくれ!」
生き死にが掛かっているというのに、軽い物言いは相変わらず。思わずこめかみに青筋が立った。
「あーもう! とにかく、足が潰れるまで走ってやるよ!」
魂を振るう、とは一体何なのかひとまず考えないものとして、早く打って出なければ体が保たない。仲間たちも小蛇を追いやろうとしているが、とても間に合いそうになかった。場の空気に急かされるように、現人神様の赤い手元が光を放ち始める。その途端、あたりに重々しい雲が立ち込める。
「――――我が身は猛き
蛇神が
「天より
鋭く目を刺すのではなく、角の取れた柔らかな輝き。ディヤが手を横へ滑らせるのに合わせて次第に長く伸び、優美な弧を描いていく。足は動かしたまま、徐々に形作られる何かを固唾を飲んで見守る。やがて臨界に達した光は弾け飛び、どこか親しみを抱くその形が顕になった。
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