4話 酔わば堕つ(1)
身の丈ほどに低い
彼の周りには常に雲がまとわりついて、ひどく煩わしい。どうにかならないかと問えば、一応抑えられるがある程度は致し方ない、こういうタチなんだ、と苦笑いを浮かべていた。正直なところ引っ込んでいてほしかったが、雲が
「ところで、おま……蛇神」
仮にも神に対して、おまえ呼ばわりは流石に良くないと思い直す。しかし名前は長くて呼びにくい。蛇神『様』と言うには、のらりくらりとしすぎて、浮ついたところがなんとも癪だ。もちろん最初に感じたような畏怖の念は、今も変わらず心の隅にあるのだが。それにしても、チャンカヌ・バダル――――黒い蛇には似合わない名だ。
「ん、どうした?」
「
神を討つ、しかも二百四十年以上この地に君臨する、荒ぶる神をだ。こちらにはみんなの命がかかっている。しくじることは万に一つも許されないし、許さない。
「実のところヤツはけして死なん。この世に善ある限り、対となる悪はなくならないってことさ。
形なき歪みの集合体と称していたし、確固たる具象と言うより概念的な存在なのだろう。人は初めから終わりまで、全てにおいて正しくはあれない。天の神様でさえ、時に日照りを起こして人々を悩ませるのだ。
「それだけなら大したことはないが、ひと所に寄り集まったものは止めどなく膨れ上がって、いっそう
その言葉にラケはぴたりと足を止める。
「……どういうことだ。まさか最初から、俺たちを襲わせておくつもりだったのか!? ならそう言えよ! 適当に
自分たちは捨て駒にされたのかと、瞬時に息巻いた。しかもその片棒を、現人神様が担がされていたことになる。薄っぺらい御託をあれこれと並べ立てるよりも、いっそ本心をそのままさらけ出してくれた方が、たとえ負の感情であっても信頼できるというものだ。ラケの激しい剣幕に、蛇神はあたふたと手を横に振って弁明する。
「だ、断じて違う! 集落までやってくるのは想定外だった。本来ならば、川の祭祀場までで勢いは削がれるはずで……おそらく我に勘付かれぬよう、己の意思と関係なくひとりでに山津波が起きるのを、ヤツは待っていた。だから予測もできず…………ほ、本当にすまない」
「……正直に言えよ」
疑り深く蛇神を
「
「ああ、それは織り込み済みだ。むしろこちらを油断させるために、
「裏?」
「ヤツは欲深いところが強みであり、弱みでもある。ある意味乗せられやすい性格でな。一度味を占めれば己では止められんほどに、より強く多くの
つまり、
襟をついと引かれて腕の中を見れば、ディヤが乞い願うようにラケを見つめていた。やがて蛇神に目配せする。
「歴代の現人神たちの望みをやっと叶えられるのだから、この機を逃したくはない。だとよ。アンタはディヤの身を案じているようだが、彼女もまたラケを巻き込んでしまうことをひどく憂いている」
「……俺は別に大丈夫だよ。ディヤとみんなさえ無事なら」
彼女の態度から、蛇神を介した言葉は偽りのないことが、なんとなく読み取れた。彼女が望むなら、それを助けるのがラケの役目だ。身を挺してでも、この小さな神様を傷つけてさせてはならないと、今一度心に刻み込む。しかし自分の中では完全に不安を拭い去れていない。この企てがうまくいくのか。そして、果たして自分に成し得るのかという意味でも。
「現人神らが地に足を付けないのは、地を這うヤツに我のことを悟られないためだ。ヤツはディヤたちが何か秘めているとわかっても、中に我がいることまでは見当がついてないはずだ。昔は己の力をよく理解せず敗れたが、此度は違う。なんせ現人神八代分もの長きに渡り、ずっと力を蓄えてきたのだからな」
白い牙を剥き出して不敵な笑みを見せられても、なんら安心できない。それでも来た道を戻るわけにもいかず、やむを得ず再び歩き始めた。
蛇神の雲のおかげか、幸いなことに小蛇たちはあれからはたと見ない。追い払えるとわかっていても、また囲われれば何より心臓に悪い。だからこの間に、わずかでも歩みを進めておきたかった。体を持つ
「そういえば、どうしてあの時旗が効かなかったんだ?」
「あーあれな、途中で風がないことに気が付いてなァ。このあたりじゃ風が吹いているのが常だろう? だからはためいて初めて力を発揮するってことを、すっかり忘れていた。ま、
「……」
言われてみれば集落が襲われた時、嫌に空気がずっしりと重苦しかった。恐れや不安のせいだと思っていたが、たしかにそれなら合点がいく。今は微かに髪がそよいでいた。
「風を司る神ではないから、あの
「風がなくても、手で振ればそれなりに効くんだろ?」
「まあ、そういうこった」
このことに集落の人たちは気付いただろうか。旗はあり余るほどあったし、小蛇たちを追いやれれば、まだ活路はある。そう思うと、心がわずかに軽くなった。
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