4話 酔わば堕つ(1)

 身の丈ほどに低い矮性わいせいの木々がぽつぽつと根を張る山道を、ひと足ずつ確かめるようにラケは進む。全快には程遠くとも、休んでだいぶ落ち着いた。ディヤもしっかりとラケの肩に掴まって、少しでも楽に運べるようにしてくれている。右を見れば、ふわふわと宙に浮いた蛇神が、歩調に合わせて滑るように道行きをともにしていた。


 彼の周りには常に雲がまとわりついて、ひどく煩わしい。どうにかならないかと問えば、一応抑えられるがある程度は致し方ない、こういうタチなんだ、と苦笑いを浮かべていた。正直なところ引っ込んでいてほしかったが、雲がしき神からラケたちの姿を幾分か眩ませているらしい。それに彼には、いろいろと聞いておきたいこともあった。


「ところで、おま……蛇神」


 仮にも神に対して、おまえ呼ばわりは流石に良くないと思い直す。しかし名前は長くて呼びにくい。蛇神『様』と言うには、のらりくらりとしすぎて、浮ついたところがなんとも癪だ。もちろん最初に感じたような畏怖の念は、今も変わらず心の隅にあるのだが。それにしても、チャンカヌ・バダル――――黒い蛇には似合わない名だ。


「ん、どうした?」


しき神を倒す算段はちゃんとついてるんだろうな。一度敗れてるんだろ?」


 神を討つ、しかも二百四十年以上この地に君臨する、荒ぶる神をだ。こちらにはみんなの命がかかっている。しくじることは万に一つも許されないし、許さない。


「実のところヤツはけして死なん。この世に善ある限り、対となる悪はなくならないってことさ。しき神は、生きとし生ける者、全ての内に必ずいる。我は無論、ラケやディヤの中にもな」


 形なき歪みの集合体と称していたし、確固たる具象と言うより概念的な存在なのだろう。人は初めから終わりまで、全てにおいて正しくはあれない。天の神様でさえ、時に日照りを起こして人々を悩ませるのだ。


「それだけなら大したことはないが、ひと所に寄り集まったものは止めどなく膨れ上がって、いっそうしきを呼ぶ。我の感情を食らって大きくなったものが、先の大戦おおいくさによってさらに培われた。策はあるが、こちらが上手うわてに立てているかどうかは、倒すまでわからない。でも、長い年月をただ悠長に過ごしていたわけじゃない。ヤツが仕掛けてくるのを我たちは待っていた」


 その言葉にラケはぴたりと足を止める。


「……どういうことだ。まさか最初から、俺たちを襲わせておくつもりだったのか!? ならそう言えよ! 適当に外面そとづらを飾られるより、その方がずっとマシだ!」


 自分たちは捨て駒にされたのかと、瞬時に息巻いた。しかもその片棒を、現人神様が担がされていたことになる。薄っぺらい御託をあれこれと並べ立てるよりも、いっそ本心をそのままさらけ出してくれた方が、たとえ負の感情であっても信頼できるというものだ。ラケの激しい剣幕に、蛇神はあたふたと手を横に振って弁明する。


「だ、断じて違う! 集落までやってくるのは想定外だった。本来ならば、川の祭祀場までで勢いは削がれるはずで……おそらく我に勘付かれぬよう、己の意思と関係なくひとりでに山津波が起きるのを、ヤツは待っていた。だから予測もできず…………ほ、本当にすまない」


「……正直に言えよ」


 疑り深く蛇神をめつすがめつする。大きな体をめいっぱい縮こめる蛇を哀れに思ったのか、ディヤがラケを引き止めた。険しい目をする彼女に、わかってるよとため息混じりに答える。


しき神がそういう方法をとったってことは、あっちも行動を読まれてると思い至ってるらしいな」


「ああ、それは織り込み済みだ。むしろこちらを油断させるために、しき神はあえて我たちの予測に違わぬように、日々災いを起こしてきた。その方が外れた時、より強く人の心を打ちのめせると見込んでのことだろう。――――だから我たちはそのさらに裏をかく」


「裏?」


「ヤツは欲深いところが強みであり、弱みでもある。ある意味乗せられやすい性格でな。一度味を占めれば己では止められんほどに、より強く多くのしきを取り込まんとする。欲に目が眩んだヤツを十分引きつけた上で、ディヤの身から我を解き放ってもらう。我の魂には触れた者の邪悪を祓う力がある。病を治すのも同じ理屈だ。直に触れさえすれば、ことごとく寄り集まりは解れ、散り散りになるだろう」


 つまり、しき神を討つには、その間際まで手の内を隠し通さねばならない。触れられるほど近くまで連れて行けと彼は言っているのだ。間違いなく、これまで以上にディヤは危険に晒される。しかもそこまで近付けば、もう次はない。諸刃の剣だ。


 襟をついと引かれて腕の中を見れば、ディヤが乞い願うようにラケを見つめていた。やがて蛇神に目配せする。


「歴代の現人神たちの望みをやっと叶えられるのだから、この機を逃したくはない。だとよ。アンタはディヤの身を案じているようだが、彼女もまたラケを巻き込んでしまうことをひどく憂いている」


「……俺は別に大丈夫だよ。ディヤとみんなさえ無事なら」


 彼女の態度から、蛇神を介した言葉は偽りのないことが、なんとなく読み取れた。彼女が望むなら、それを助けるのがラケの役目だ。身を挺してでも、この小さな神様を傷つけてさせてはならないと、今一度心に刻み込む。しかし自分の中では完全に不安を拭い去れていない。この企てがうまくいくのか。そして、果たして自分に成し得るのかという意味でも。


「現人神らが地に足を付けないのは、地を這うヤツに我のことを悟られないためだ。ヤツはディヤたちが何か秘めているとわかっても、中に我がいることまでは見当がついてないはずだ。昔は己の力をよく理解せず敗れたが、此度は違う。なんせ現人神八代分もの長きに渡り、ずっと力を蓄えてきたのだからな」


 白い牙を剥き出して不敵な笑みを見せられても、なんら安心できない。それでも来た道を戻るわけにもいかず、やむを得ず再び歩き始めた。


 蛇神の雲のおかげか、幸いなことに小蛇たちはあれからはたと見ない。追い払えるとわかっていても、また囲われれば何より心臓に悪い。だからこの間に、わずかでも歩みを進めておきたかった。体を持つしき神の動向はわかっても、眷属の動きはおぼろげにしか掴めないという。念のため災い除けの旗をディヤに預けて、時折ひらひらと振ってもらう。


「そういえば、どうしてあの時旗が効かなかったんだ?」


「あーあれな、途中で風がないことに気が付いてなァ。このあたりじゃ風が吹いているのが常だろう? だからはためいて初めて力を発揮するってことを、すっかり忘れていた。ま、しき神は上手いところを突いたというわけだ」


「……」


 言われてみれば集落が襲われた時、嫌に空気がずっしりと重苦しかった。恐れや不安のせいだと思っていたが、たしかにそれなら合点がいく。今は微かに髪がそよいでいた。


「風を司る神ではないから、あのわざはここぞという時に使うのみだろう。そう長く続けられるものではあるまい」


「風がなくても、手で振ればそれなりに効くんだろ?」


「まあ、そういうこった」


 このことに集落の人たちは気付いただろうか。旗はあり余るほどあったし、小蛇たちを追いやれれば、まだ活路はある。そう思うと、心がわずかに軽くなった。

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