3話 蛇神と災い(5)

「巫女ってまさか……マヤ様……? ッじゃあ、集落ができた時からじゃないか! 言い伝えは……天の神様から与えられたお力は……!?」


 たまらず問いを浴びせる。聞きたいことが泉のように次々と湧き出るも、喉につっかえてなかなか言葉にならない。


「ああ。マヤこそが巫女にして始まりの現人神。しき神に敗れた我は、彼女に拾い上げられた。こんなになっても、体と魂はそうたやすく切れるものではない。その繋がりを用いて、我はしき神の動向をずっと探っていた。災いを予知するのではなく、ヤツが今どこにいて何をしているのか、それをもとに予測していたまでだ。結構骨は折れたがな。現人神を通して、ずっとアンタたちを見ていた」


「そんな、どうして……。俺たちは一体何を……」


 めまいがする。真っ暗な絶望の中で心のよすがを求め、力なく視線をさまよわせた。うろたえる頬へ、そっと小さな手が添えられる。されるがままに顔の向きを変えられると、静かな瞳をしたディヤとぱちりと目が合った。縋るような思いで、ラケは彼女の衣を握りしめる。


「嘘だよな……? ディヤお願いだ、嘘だと言ってくれ……」


 ディヤは揺れるラケの目をしっかりと見据えた。瞳は確固たる意志を持って、曇りなく金色に輝く。中心で光を飲み込む黒い瞳孔が、ラケから落ちる薄い影によって緩く開いている。その孔のさらに奥へ、逆らう余地なく意識が誘い込まれていく。見透かされているような強い引力に、どうしても目を逸らすことができなかった。


 ――――信じて。


 ディヤの声など知らないはずなのに。そう聞こえてきそうなほどまっすぐで、一片の偽りも感じさせない色だった。それが何よりも、ラケをどん底に突き落とした。


 自分を形作る骨子にも等しい物語が、まったくの虚構だとはにわかには信じがたい。でも、目の前の幼気な少女が嘘をつくとも考えにくかった。脅されている可能性も頭をよぎったが、見た感じディヤは男を少しも恐れていない。先ほど男と交わしたまなざしが、誰にでもするものではないことくらい、よくわかっている。抜けた肩の力、穏やかな息遣い、それら全てが蛇神に対する親しみを物語っていた。


「それ以上言ってやるな。民を謀った罪は我が負うものだ」


 現人神として尽くしてきた、健気な少女を責める気は毛頭ない。苦しいのは、自分の中でやすやすと割り切れないからだ。本当は信じてやりたいが、それはすなわち、蛇神を信じることと同じだった。しかし、男を拒んだ先に何があるというのだろう。ただの人間であるラケに、果たして集落が救えるのか。そしてディヤを守り通せるのか。意地と無力感の間で心が揺らぐ。


 家族の顔が脳裏に浮かぶ。幼心に守ってやると言った約束は、肝心な時に果たせなかった。もちろん現人神様をお守りすることがラケのお役目で、そこに不満などありはしない。でも傍にいてやりたかった。叶うならもう一度、生きてみんなに会いたい。


「…………わかったよ。ディヤを、信じる」


 ディヤの目がふっと和らぐ。男の話が本当だったとしても、現人神様が民を守っていたことに変わりはない。それに、何があっても信じると誓ったのだ。


「そうこなくっちゃなァ!」


 ぱっと顔を輝かせる男を、ぎろりとラケは睨みつける。


「勘違いするな。おまえを一から十まで信じるわけじゃない。大体、おまえ本当に蛇神様なのか? 蛇神様は大蛇おろちのはずだ。どうして下半分だけが蛇なんていう、奇っ怪な姿なんだ」


「あー実のところ、こっちのほうが本来の姿でなァ。見てくれが気持ち悪いだろうが、すまん慣れてくれ。大蛇おろちの形は神としての格を落とした姿というか、しき神に乗っ取られて体裁を保てなくなったのだ」


「ふうん……まあ、おまえが何者であろうと、もうこの際だ。ディヤに免じて言うことは聞いてやる。そのかわり、きっちり誓いを立ててもらおう。俺たちはもちろん、集落のみんなに手出しはしないと。天の神様に誓うんだ」


 たとえ蛇神でも、世を統べ秩序を司る存在には、きっと逆らえない。もし、天の神様がイェンダを見守ってくださるならば、誓いを破った暁には必ずや裁いてくださる。と、思いたい。問題は、天の神様が本当に見守ってくださるのか、彼がこの提案に乗ってくれるかだ。イェンダに危機が訪れているのに、かの神から救いの手は未だ差し伸べられていない。どれだけの効力があるかは定かではなくとも、とにかく言質は取っておきたかった。


「そんなことで良いのか? ハナっからそのつもりだが。……まぁ、アンタの気が少しでも休まると言うなら、いくらでも誓おうじゃないか」


 不思議そうに見つめ返すと、男は身をかがめてラケとディヤに目線を合わせた。おほん、と一つ咳払いをする。


「天の神様に誓って、アンタら含めイェンダの民に手出しはしない。民のために我は魂を捧げ、この力を振るおう」


 これで良いかと蛇神は首を傾げてみせる。ラケは自分を落ち着かせるように、大きくため息をついた。


「あともう一つ、なぜおまえはイェンダの民を助けようとするんだ。恩返しのつもりか? 体を取り戻すため? そのくらいは聞かせてもらわないと」


 蛇神の行動原理がよくわからない。一体どんな風の吹き回しでイェンダの助けとなりたいのかは、純粋に気になる。答えによって、今後の身の振り方も変わるだろう。蛇神はラケの問いに、口の端をニヤリと持ち上げた。


「もちろん、それらの理由もある」


 彼は節くれだった大きな手を胸に当てて、だが一番はやはり、と言葉を繋いだ。


「我がアンタたちイェンダの民を、心の底から深く、それはふかーく愛しているからさ!!」


 嬉々として胸を張る姿に、ラケは冷めたまなざしを送った。気の抜けた軽い調子なのも相まって、胡散臭さに拍車がかかる。上辺うわべだけの薄っぺらい言葉にしか聞こえず、ずきずきと頭が痛んだ。


(……大丈夫なのかこいつ……)


 心の中でそっと呟く。しかし、もう後戻りはできない。蛇神の言葉が嘘か誠かはさておき、良い道は他に思い浮かばなかった。


「……まあいい。ともかく、みんなを助けるなら早く戻らないと」


「いや、それは後だ」


「え?」


「集落にはまだいくらか時がある。災いの病で死に至るまでにはまだ数日かかろう。早く帰るに越したことはないが、その前にやらなきゃならんことがある。でなければ第二波が、遠からず集落を襲うことになるだろう」


「そんな……」


「安心しろ。病を癒す力も我のものだ。全てが終わったあとに、ちゃーんと全員治してやるさ」


 そう言って蛇神はへらっと笑った。みんなのことを思うと、胸が悪くなる。蛇神は病の苦しみを、きっと知らない。だからこんなことを言うのかと思うと、はらわたが煮えくりかえるようだ。


 しかもこれではまるで、集落の人々を人質に取られたようなものだ。やられたと、ラケは歯噛みする。だが再び災いが集落に降りかかれば、もう耐えられないだろうことも、容易に想像できた。ラケは拳を強く握りしめて、怒りを押し込める。


「じゃあ一体、俺に何をしろって言うんだ。ディヤはともかく、俺は彼女の脚でしかない。でも、集落に残った人たちを助けられるなら、なんでもする覚悟はある」


 鋭い目つきのまま、男を見上げる。蛇神はそれに動じることなく、一つ頷いた。


「我たちでパスチム山のしき神を討つ。まずはスッダ川の祭祀場へ、さらに体のあるウルバール湖まで。ラケには、そこに向かう我とディヤの脚となってほしい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る