2話 在り方(3)

 広場の東に設けられた桟敷席へ現人神様を案内すると、舞を奉納するためラケはいったんその場を離れる。今日のために、スニルとここ数カ月稽古を重ねてきた。その成果を見せる時だ。


 集まった人々は、ぞろぞろと広場の淵へと退いていく。その間にラケは襟を正しながら、所定の位置へと着いた。ほどなくして、中心はぽっかりと円状に開けられる。西の端には、面を被ったスニルが、静かに立て膝で控えているのが見えた。


 蛇神様は、黒い大蛇おろちであると伝わる。そのお姿を写した面も全体が黒く、鱗模様が所々不気味な緑色に浮かび上がっている。その額には神たる証、第三の目が赤々と描かれていた。


 面に付けられた黒いヤクの毛皮が、ふわふわと風に揺られている。うずくまる様子は、蛇というより獣のようだ。しかし犬のような愛らしさは微塵もなく、ぎょろりと大きく見開かれた金の双眸が、一分の隙もなく広場を見張っていた。じっと見つめてしまえば、渦巻く瞳に吸い込まれそうになる。パダムが怖がるのも無理もない。実際、ラケも幼いとき恐ろしかった。


 広場はしんと凪いでいる。旗や織絵巻タペストリーが風にひるがえる音が、かすかに聞こえるだけだ。その静けさを破るように、雷鳴のような太鼓が力強く大気を震わせた。


 音に合わせて蛇神がゆらりと動き出す。長い毛足を引き摺りながら、広場に集まった群衆へ、ジリジリとにじり寄っていく。力を込めて骨張らせた手で触れようとしたり、幼子を攫おうとしたり。災いを体現するような禍々しさで、見るものを翻弄する。いつもの気さくな少年とはとても思えない、大人でさえ思わず身をよじるほどの覇気を、スニルは全身に纏っていた。面の下からのぞく口元も、彼のものではないような気さえする。あたかも、荒ぶる神がそのまま乗り移ったかのように思えた。


 二つ目の太鼓を合図に、ラケは立ち上がる。西に蛇神、東に神の御脚。真正面から相まみえる。双方一歩ずつ静かに歩み寄り、次第に地面を強く踏みしめながら近付いていく。


 蛇神が頭を揺らすたび、毛皮がぶわりと大きく躍動する。スニルの背格好はラケと大して変わらないはずなのに、その姿はひと回りもふた回りも膨らんで見えた。


 先ほど傍らから見ていた覇気をまっすぐに感じて、ぐっと気圧されそうになる。ラケは一度目を閉じて心を平らかにした。目を開くと同時に、ゆっくりと鞘からククリを抜く。右手で持ったそれを、左手を添えて高く捧げ持ち、相手に負けじと腰を低く落として迎え討った。


 蛇神が高く飛び上がったのを皮切りに、ラケはククリを振り下ろす。地を踏み鳴らし、広場を大きく使って舞い踊る。肩が触れんばかりの距離で猛攻を繰り返す蛇神を受け流しつつ、集まった人々をかばうように、広場をぐるりと一周してゆく。迫りくる牙を払い、こちらに踏み出した足もとをすくう。均衡を崩しかけた蛇神は、瞬時に重心を後ろへ移すと、宙へ返ってラケの追撃をひらりとかわした。


 スニルの緩急をつけた身のこなしは、残像が尾を引いて激しく駆け巡る。きらりと光る刃のを、うねり狂う体がちりりと幾度もかすめていった。


(本物の蛇みたいだ)


 稽古を重ねるうち、体は意識の外で動くようになっていた。自分たちをどこか遠くから見ているような感覚に、ラケはそのまま身を委ねる。忙しなく動く体とは裏腹に、時はゆっくりと流れて大きく波打つようだった。はやり立つ心と安らぎ。その二つが不思議と混ざり合って、ラケをとっぷりと満たしてゆく。


 あたりからは太鼓の音に混じって、舞い手たちを鼓舞する声が湧き上がっていた。指笛を鳴らす者、手を叩く者、寿ぎの穀物を振りまく者。先ほどの緊迫が嘘のように、広場の熱量はみるみる高まっていった。


 ラケは動きの中で深く息を吸う。スニルのしなやかな立ち振る舞いは、何度見ても目を惹きつけられる。とはいえ、見とれてばかりではいられない。これは誇り高いイェンダの舞なのだ。民を象徴する神の御脚たるラケこそが、堂々と舞わなければ、御祖みおやに顔向けできないというもの。


 力強く、けしてたじろがず、そして時に滑らかに。ククリがうなりを上げてくうを絶つ。顔がはっきりと写るほどに鋭く研がれた刃は、振るうたびにあたりへまばゆい日の光を投げかけた。


 突として透明感のある鐘が響きわたると、蛇神の動きが一変する。上へ下へ体を跳ねさせて、ゆるりゆるりと広場の中心へ戻ってゆく。そしてラケも彼の動きに合わせて、ぴたりと横へついてまわる。一足歩むたびに荒々しさはなりを潜め、優雅に体を揺らし始める。外側へ向けていたククリの刃をくるりと内側に返すと、蛇神に背を預けてともに舞う。


 宣誓の舞の本質は、演武にあらず。そう稽古をつけてくれた前任者から、耳にタコができそうなほど聞かされた。蛇神様もまた、大切な集落の守り神なのだ。この地に根を下ろすと決めたとき、巫女様はパスチム山の主こそが、イェンダにさちをもたらすと人々に説いたのだという。悪しき神として倒すのではなく、ともに生きる――それがイェンダの在り方だった。


 真心を向ければ、かの神もまた、恵みをもたらす者になる。善き神として祀れば善き神に。土地を統べる神の性質を形作るのは、祀る者の心構えだという。だから日々の感謝と願いを舞いに乗せて、パスチム山へ奉る。争いごとを好まないイェンダの民らしい、おおらかで伸びやかな舞。それこそが宣誓の舞だった。



***



 舞い終えた二人へ、広場中から喝采が浴びせられた。湧き起こる達成感に、自然と笑みがこぼれる。スニルの方をちらと見れば、玉汗を浮かべた得意げな顔が、面の隙間からのぞいていた。


 広場から退場すると、スニルが面をバッと勢いよく脱いでラケに駆け寄る。


「やったなぁ!」


「ああ!」


 がっしりと肩を組んで、お互いを称え合った。練習の成果を思う存分出し切れたと思ったのは、やはりラケだけではなかったらしい。


「蛇神役におまえを指名して良かった。さすがだよ」


「あったりまえだろ! オレにかかりゃあこんなもんよ。ラケだって今日はめちゃくちゃ冴えてたじゃねぇか。あんなん見せられたら、オレも頑張らなきゃ釣り合いが取れねぇよ」


 興奮冷めやらぬまま、群衆をかき分けて歩いた。途中で、何度も称賛の言葉をかけられる。桟敷の裏に着く頃には、二人は手にいっぱいの貢ぎ物を抱えていた。


「……っと、いつまでも浮かれちゃいらんねぇな。オレは祭りの運営側にまわらなきゃならんし、おまえはこれからが本番みたいなもんだろ? 早く現人神様の所へ行ってこい」


 ラケはもらった品々をどさりと台に置いた。彼の言う通り、祭りはまだ始まったばかりなのだ。


「もちろん。……あっそうだ。今晩、夕飯を一緒に食べないか? 二人で打ち上げだ」


「おういいねぇ」


 そうささやかな約束を交わして、それぞれの持ち場へと別れた。

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