第15話 黒田家にて

中間試験が近づいているが、試験に関係なく家庭科の実習がある。今回の実習内容は型紙を作るところから始めるブラウス作りで、先月は家庭科室で下着姿になって、お互いの体の採寸をし合った。


きゃあきゃあとにぎやかに採寸が行われたが、私は自分の体にくびれがないことを数値で明確に突きつけられて少し落ち込んだ。


ブラウス作りは一学期の終わりまでに完成させ、そのブラウスに合うスカートの製作が夏休みの宿題として出るそうだ。今から先が思いやられる。


その日の昼休みに一色に「今日から放課後に図書室で試験勉強をするけど、一色さんも来る?」と聞いてみた。


「私は店の手伝いをしなければならないから、一時間くらいつき合ったら帰るよ」


「わかったわ」という会話をしていると、数人のクラスメイトが寄って来た。


「委員長、私たちも試験勉強に混ざっていい?」と聞いてくる。その中に三年生になってから特に仲良くなる柴崎由美さんと坂田美奈子さんもいた。


松葉女子高が進学校でないとはいえ、一定数の生徒が進学するので、勉強には手を抜けないのだ。


放課後になると図書室での試験勉強を始める。既に図書室にいた喜子が、数人のクラスメイトを連れて来た私を見て驚いていたが、私やクラスメイトたちが答がわからないでいると、分け隔てなく教えてくれた。頭が下がる。


翌日の放課後も図書室に行こうとすると、教室の前の廊下を黒田先輩と室田先輩にはさまれた水上先輩が通りかかった。引き立てられているようだ。


私は気になって教室の入口から廊下をのぞいた。どうやら生徒会室の方へ向かっているようだった。


気づかれないように後をつける。そして三人が生徒会室に入るのを確認すると、生徒会室の入口に近寄って、引き戸を少しだけ開けて中を見た。


「さあ、中間試験の勉強を始めましょう、杏子」黒田先輩の声がする。


「受験勉強の第一歩よ!」


「何も生徒会室で勉強しなくても・・・」と水上先輩。


「家に帰ったらどこかへ行ってしまうし、学校のほかの場所だと迷惑でしょ。ここしかないのよ。私たちと一緒に勉強しましょう」


ほう、私たちのように集まって勉強をするのか。水上先輩は強制参加のようだけど。


観念してカバンから教科書やノートを出す水上先輩。それを黒田先輩が開く。


「何よ、これ?教科書もノートも落書きだらけじゃない」


「落書きじゃないよ!授業中に思いついた漫才のネタのメモだよ」


「日本史の教科書に書いてある『おのおのがた〜妹子じゃ』って何よ?」


小野妹子おののいもこで思いついたネタだよ」


くだらない、と私は思った。


「くだらないこと言ってないで、新しいノートに習ったことを整理しましょ!」と黒田先輩も言った。


「やる気出ないな〜」


「きちんと勉強しないと、何年も浪人して、いつの間にか藤野さんが先輩になっているわよ」


「それは避けたいな〜」


私は生徒会室の戸を閉めて目尻の涙を拭った。前途多難にしか思えなかった。


私の放課後の勉強は順調だ。喜子も一色も気安く教えてくれるので助かることこの上ない。そして翌週の月曜日から中間試験が始まり、土曜日に終わった。


今回も自分では頑張ったつもりだが、成績が上がったという実感はなかった。


「試験はどうだった?喜子さんに勝てそう?」帰り支度をしながら一色に尋ねた。


「自分としては書けたつもりだけど、山際さんもそうだろうね。勝敗はわからないよ」


「結果が楽しみね」


その時、教室の入口に黒田先輩が来ていて私を呼んだ。


「藤野さん、試験はどうだった?」


「自分なりに頑張りましたけど」


「杏子にもむち打って勉強させたわ。藤野さんのおかげよ」


「水上先輩の指導は大変だったでしょうね」


「まあね。華絵はなえにも手伝ってもらったけどね、机に向かわせるのに苦労したわ」


「黒田先輩も室田先輩もお疲れさまです」


「それはそうと、私の家に来る約束を覚えてる?」


「は、はい・・・」記憶から消そうと試みていたが、試験勉強で覚えた内容と違って、忘れられなかった。


「明日の日曜日はお暇かしら?」


「・・・特に予定はありません」嘘はつけない。


「じゃあ、朝からいらしてね。お昼をごちそうするから」


そう言って黒田先輩は私に自宅の住所と周辺地図を書いたメモを手渡した。


「手ぶらで来てね」


黒田先輩の家で何を言われ、何をされるのか、ちょっと怖い。そこで家に帰ると、さっそく明日香に電話した。


「はい、水上でございます」いつものお手伝いさんだ。


「松葉女子高の藤野ですが、明日香さんはいらっしゃいますか?」


「杏子さんでなく、明日香さんですか?」


「そうです。明日香さんです」このやり取りにデジャヴを感じる。


明日香を呼ぶお手伝いさんの声が聞こえ、しばらくして明日香が電話に出た。


「お姉様、お電話ありがとう」とてもはずんだ声だった。「何のお誘いかしら?」


「いえ、そうじゃなく、明日香ちゃんに聞きたいことがあるの」


「何かしら?」


「明日の朝、黒田祥子さんのお家に呼ばれているんだけど、祥子さんってどういう人か聞いておきたくて・・・」


「え?何で祥子姉さんがお姉様を誘ったの!?」明日香の驚く声が受話器から響いてきた。


「その、黒田先輩は松葉女子高の生徒会長で、私はクラスの委員長だから生徒会のお手伝いをして、明日香ちゃんや杏子先輩と知り合いだからっていろいろ聞かれて・・・」


私もなぜ呼ばれたのかよくわからない。


「ちょっと心配だわ。明日の朝ね。私も祥子姉さんの家に行くから!」


その時、受話器から別の声が聞こえた。


「美知子くんと祥子が何だって?」水上先輩の声だ。


「姉さんには関係ないから!・・・お姉様、じゃあ明日ね!」


そう叫んで明日香は電話を切った。不安の種が一つか二つ増えた気分だ。


翌朝、家族に断って家を出る。黒田先輩にもらった地図を頼りに歩いて行くと、目的の家の前で明日香が待っていた。


「明日香ちゃん!」「お姉様!」声をかけ合う。


「来てくれたの、明日香ちゃん」


「ええ。・・・大丈夫とは思うけど、祥子姉さんも女の子どうしが好きになるという小説が好きだったから」


「やっぱり・・・」そうではないかと思っていた。


「明日香ちゃん、何かされそうになったら助けてね」


「もちろんよ。お姉様を守るわ」


黒田家は町の郊外近くにあり、敷地も広く、母屋は水上家よりも大きい立派な洋風の建物だった。水上家は半分以上が工務店の事務室や作業場だったが、黒田家は住居だけでこの大きさを有しているようだった。


「こんにちは〜」玄関ドアを開けて勝手に入っていく明日香。


私は明日香の後について玄関に入った。


「いや〜、明日香、遅かったね」そう言って出迎えたのは水上先輩だった。


「姉さん、なんでここに!?」


「昨日の電話を漏れ聞いてぴんときてね。明日香について行くと怒られるから、先回りしたのさ」


「あなたたちは、二人そろって」と、後から黒田先輩が現れて文句を言った。


「私は藤野さんとお話ししたかっただけなのに」


「何言ってるんだい、美知子くんは祥子のものじゃないよ」と水上先輩。


あなたのものでもありませんが。


「しょうがないわね。藤野さん、こちらへどうぞ」と黒田先輩が私を招いた。


黒田先輩について入った部屋は広めのリビングだった。高そうな輸入家具が置かれ、壁には大きい油絵がかかっている。天井にはシャンデリア風の照明があった。


「黒田先輩の家はお金持ちなんですね」


「父が貿易会社を経営してるから、輸入品が安く手に入るだけよ」


やっぱり社長令嬢でしたか、黒田先輩は。


「とにかく座って。お茶を出すから」


黒田先輩が奥に声をかけると、若い女性がお盆にティーセットを載せて持ってきた。家族ではなくお手伝いさんのようだが、水上家のお手伝いさんより若くて美人だった。


黒田先輩は社長秘書を勧めてくれたが、こういうお金持ちの家のお手伝いさんもいいかもしれない。


メイド服を着て、優雅にお茶の用意をする。


「祥子お嬢様、お茶を召し上がれ」


「ありがとう、美知子。・・・美知子の指は今日もきれいね」


黒田先輩が私の手をとる。「あら」とわざとらしく驚く私。


「隣に座って一緒にお茶を飲みましょう」


黒田先輩に手を引かれて、一緒にロココ調の長椅子に腰を下ろす。


見つめ合う二人は、ルノワールの絵から抜け出したように美しかった・・・。


はっ、白昼夢を見てしまった。普段の暮らしとまったく違う環境に置かれ、妄想に取り付かれた。


「・・・今日はお招きありがとうございます」と黒田先輩に礼を言う。


「ようこそ、藤野さん。いえ、私も美知子さんと呼ばせていただこうかしら」微笑む黒田先輩。


「それより美知子くん、僕は今度の試験、頑張ったよ」と水上先輩が口をはさんだ。


「それはよかったですね。大学に入るまで、その調子で頑張ってくださいね」


「自信はないけど、美知子くんとコンビを組むために頑張るよ」


「何言ってるのよ、姉さん!」明日香が水上先輩の言葉に文句を言った。


「まあまあ、美知子さんも杏子の行く大学を目指すらしいから」と黒田先輩が明日香を制した。


「ほんとなの、お姉様?」


「ま、まあ、目指すだけだから」黒田先輩に頼まれた設定を思い出してごまかす。


「とにかく、美知子さんのおかげで杏子も進学する気になったんだから、私たちも美知子さんをいろいろサポートしましょうね」


「そういうことなの」状況を理解したらしい明日香。


出してもらったお茶を飲んでほっとする。それにしても、こういう豪華な部屋に三人の美少女がいると、さっきの妄想ではないが、本当に絵になる。


三人の美少女とは、もちろん黒田先輩、水上先輩、明日香の三人だ。水上先輩は奇行が目立つが、黙っていれば明日香と同じく美少女だ。私だけこの場にふさわしくない気がするのは、ひがみ根性からだろうか?


「どうしたの、お姉様?」明日香が私の顔を見て聞いてきた。


「ンホッ!・・・な、なんでもないわ」お茶にむせながら必死でごまかした。

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