第11話 水上家にて

明日香の部屋に招き入れられると、「待ってて」と言って明日香が部屋を出て行った。まもなく、明日香がお茶のセットを持って戻ってきた。


明日香は、机の上にお茶のセットを置くと、ドアのところに戻った。鍵をかけるカチャッという音がする。


「なぜ、鍵を駆けるの?」


「姉さんが万が一帰ってきて、勝手に部屋に入って来ないようによ」とさりげなく言う明日香。


「それよりお姉様、お茶とお菓子をどうぞ」


「ありがとう。・・・あ、それからこれ」


私はハンカチが入った紙袋を差し出した。


「明日香ちゃん、お誕生日おめでとう」


「ありがとう、お姉様!」


さっそく袋からハンカチを取り出す明日香。安物だが、それでも嬉しそうな顔をしてくれた。


「改めてありがとう、お姉様。さあ、お茶を飲みましょう」


「ええ。・・・中学では試験は終わったの?」


「ええ、私の学校も今週が試験期間だったわ。・・・まあ、いつも成績は上位だから、今度も大丈夫だと思うけど」


美少女なだけでなく頭もよろしゅうございますか。うらやましい。


「お姉様は?」


「私は必死で頑張ったよ。明日香ちゃんみたいに頭良くないから。・・・結果がどうなるかわからないけど」


「お姉様は頭がいいし、いろいろなことを知ってるから、きっと大丈夫よ」と根拠なくほめてくれる明日香。


「ところで、この間このレコードを買ったの」


レコードを立てている本棚から、明日香が一枚のドーナツ盤のジャケットを取り出した。森山良子の『この広い野原いっぱい』だった。


明日香がレコードプレイヤーにかけ、歌を聴きながら歌詞を口ずさむ。なかなかいい曲だ。


「森山良子のほかのレコードはないの?」と聞くと、


「この曲でデビューしたばかりよ」と言い返された。そうなんだ。


「明日香ちゃんは、また歌えるように覚えているの?」


「そうよ。まだ練習中だけど聞いて」


そう言うと、アカペラで明日香が歌い出した。やっぱり歌がうまい。


爽やかな歌を口ずさむ明日香を見つめる。美人で頭が良くて、歌もうまいなんて・・・と我が身を振り返って感慨にふけっていると、突然明日香が私の体に抱きついてきた。


「お姉様、私に見とれていたの?」


「ち、違うわよ、聞き惚れていただけよ」


明日香の体が私の体に密着しているので、両肩をそっとつかんで離そうとしたら、明日香は至近距離から私の顔を見上げた。私はその顔を見下ろす。目と唇に潤いがあって、光を乱反射させている。


突然ドアが外から激しくたたかれた。ドアノブをガチャガチャと回す音もする。


「明日香!美知子くんがそこにいるんだろ!?」水上先輩の声だった。


「姉さん!何でそう思うの!?誰もいないわよ!」


「じゃあ何で鍵をかけてるんだ?それに玄関にサイズの大きい学生靴があった。あの足のデカさは、美知子くんに違いない!」


え?私って、平均的な女の子より足がデカかったのか?・・・私は愕然として、明日香の体を離すと椅子の上に座り込んだ。


「そんなの姉さんの勘違いだから、向こうに行って!」


明日香がそう叫ぶと、ドアの向こうの水上先輩が走り去って行った。


「もうっ!いつもいつも姉さんはいいところで邪魔するんだから!」


頬を膨らませる明日香。その顔はとてもかわいいが、接近し過ぎな状況だったので、とりあえず水上先輩には感謝しておこう。


その時、ドアの外から鍵穴に鍵が差し込まれ、ガチャガチャと音をさせてから、ドアが思いっきり開いた。


「なんで、ドアが開けられるのよ!?」叫ぶ明日香。


「予備の合鍵があるに決まっているだろ。さあ、美知子くん、僕が書いた漫才の台本を読み合わせしよう!」


水上先輩への感謝の念は跡形なく消え去る。そして水上先輩に押し付けられた台本の原稿を読んで頭を抱えてしまった。


「どうだい、美知子くん?」


「これはだめですね」


「え、だめ?どこが?」


「この漫才のボケは、ほとんどダジャレばっかりじゃないですか。『布団がふっとんだ』とか『トイレに行っといれ』なんて小学生レベルですよ。仲間内とおっさんや小学校低学年には受けるかもしれませんが、世間的には評価されませんよ」


「・・・きびしいことを言うね」うなだれる水上先輩。


気の毒な気もするが、漫才師になりたいなんて言うからには、びしっと言っておくべきだろう。私自身、漫才に詳しいわけではないが。


「それに自分たちだけの特色というか、ネタの一貫性を作るべきでしょう」


「それはどういうこと?」


「例えば、世の中のいろいろなものにおかしな難癖をつけるぼやき漫才とか、人前ではなかなか言いにくい毒舌漫才とか、逆に相方をほめ合うほっこり漫才とか、当たり前のことをわざわざ言って笑いを取る当たり前漫才とか、その漫才師の代名詞となるような独特の漫才を考えるべきでしょうね」


「み、美知子くん」水上先輩が涙を浮かべて私の両肩をつかんだ。


「君のような人と出会えて、僕は本当に好運だよ!」


「え?」


「実は僕も、台本を書くのは自分に向いていないと思ってたんだ。本当はボケよりもツッコミをやりたいんだ!」


「ええっ!?」


「美知子くん、君の理想とするような漫才の台本を書いてくれ!君ならできる。そしてボケを担当してくれ〜」


「えええ〜っ!!無理ですよ。私は漫才にあまり詳しくありません。台本なんか書けません!」


「そこを何とか〜」


私にすがりつく水上先輩を、私と明日香とで無理矢理引き離そうとするが、水上先輩はなかなか手を離そうとしなかった。


大騒ぎしていると、一人の女性が明日香の部屋に入ってきた。


「何なの、この大騒ぎは?」それは三十代くらいの、女優と見まごうばかりの美人だった。


「お母さん、姉さんが私の友だちに無体を働こうとしてるの!」叫ぶ明日香。


「違うよ、美知子くんは僕の大事な相方だ!」


「おやめなさい」やんわりと水上先輩と明日香をなだめる母親。その取りなしで水上先輩も騒ぐのをやめ、私の体から手を離した。


「あなたは?」二人の母親が私に問いかけた。


「あの、初めまして。松葉女子校一年生の藤野と申します」


「ああ、松葉女子高の方」


「杏子先輩とも明日香さんとも仲良くしておりますが、今日は明日香さんの誕生日のお祝いに参りました」


「そうよ、藤野さんは私とお話ししていたのに、急に姉さんが入ってきて、漫才の相手をしろって邪魔をしてきたの!」


「漫才の相手?あなたが?」私を見つめる母親。まさか私が水上先輩を悪の道に引きずり込んだ張本人と思ったんじゃないだろうな。


「いえ、違うんです。私は漫才には興味ないんですが、なぜか杏子先輩に目をつけられて・・・」


「君は漫才の才能があるよ、美知子くん!」


「杏子、あなたという人は」母親が水上先輩を諭すように言った。


「漫才師になるなんて馬鹿なことを言うだけじゃ飽き足らず、よそさまの娘さんを引き込もうとするなんて」


母親に言われてさすがにしゅんとなる水上先輩。


「私があなたくらいの頃は、そんな変なことは言わなかったのに、誰に似たのかしら?」


「でも、お母さんは、僕くらいの時、お父さんに夢中だったんでしょ?」


水上先輩の言葉に母親は、化粧をしていてもはっきりわかるくらい顔を赤らめた。


「だ、誰からそれを?」


「じいちゃんとばあちゃんから聞いたんだもんね。お母さんは、高校生の時お父さんと駆け落ちしたって!すぐに僕が生まれたからしかたなく結婚を許してもらえたんでしょ?」


「そうなの、お母さん?」驚く明日香。私はこの場にいてはまずかろうと思った。


「あ、あの、私はこれで失礼します。・・・じゃあね、明日香ちゃん。もう帰るわ」


私はそう言って明日香の母親に一礼すると、そそくさと明日香の部屋を出た。そして、玄関にある自分の大きめ(涙)の靴を履いて外に出た。


明日香と水上先輩も追いかけてきた。


「お姉様、またね!」明日香が手を振る。


「台本を書いておいてくれ〜」水上先輩の悲痛な声が響くが、とりあえずは無視だ。


水上家の妙な話を知ってしまった。あの様子だと娘たちには内緒にしていたらしい。・・・後であの母親は、明日香から質問攻めにあうだろうな。


そう思って歩き出すと、道ばたに立っている一色に出くわした。


「あれ、一色さん?ここで何をしているの?」


「や、やあ、藤野さんか。・・・君は今、水上工務店から出てきたようだけど」


「そうよ。水上先輩の妹さんと知り合いで、お家にお邪魔してたんだけど、水上先輩が乱入してきたんで帰るところなの」


「みな・・・かみ・・・せん・・・ぱい・・・」一色の声が震えていた。


あの初もうでのときのトラウマのせいだろうな、と私は思った。


「実は、この前君と一緒に学校の七不思議の一つを調べただろう?」


「どの不思議?」


「トイレで消えた女子生徒の話さ」(第2章第2話参照)


「ああ、確か男子生徒と駆け落ちしようとした女子生徒のことね?」と私は言ってはっとした。今、『駆け落ち』という言葉を聞いたばかりだったからだ。


「まさか・・・」


「その駆け落ちした吉田という女子生徒が今は水上という姓に変わっていることを母から聞いて、本人に消えた謎を確認しようと思ってここまで来たんだけど、なぜか足がすくんでしまって・・・」


「さっきみなか・・・この家の人と会っていたけど、確かに母親が昔駆け落ちしたと言っていたわ。もし真相を確認したいなら、後でこの家の人に聞いてもらうよう頼んでおくけど?」


「そうしてもらえると助かるよ」


「今日はとりあえず帰りましょう」私はそう言って一色と帰路についた。


しばらく一緒に歩いていて、一色のことをいろいろと聞かせてもらった。自宅は小さなラーメン屋・・・中華料理屋で、両親二人で切り盛りしていて、一色はいつも放課後や休日にお手伝いをしていること(それなのに学校の成績がいいなんてさすがだと思った。探偵小説もちょくちょく読んでいるようだし、時間の使い方が上手いのだろう)、三歳年上の兄がいて、今は都内の中華料理屋で修行をしていることなどを聞いた。


「あれ?」その時私は不思議に思った。高校在学中に駆け落ちした水上先輩の母親が一年先輩の水上先輩を一年後に産んだとする。一色の母親はその一年後に一色を産んでいるが、その三年前に一色のお兄さんを産んだのなら、一色の母親は何歳の時に結婚したんだ?計算が合わなくないか?


一色は私の顔を見て、私が何を思っているかすぐに悟ったらしい。


「兄は父の前妻の子なんだ。前の奥さんは兄を産んですぐに亡くなって、父は赤ん坊だった兄を背負いながら店で調理していたんだって。店の常連客だった当時女子高生の母が見るに見かねて兄の世話を手伝っているうちに店に居着いちゃって、女子高を卒業してすぐに結婚し、翌年私が生まれたってことなんだ。兄が物心ついた頃には既に母がいたから、二人は本当の母子のように仲がいいよ」


「へ〜、そうなんだ」人の家にはいろんな事情があるんだな、と私は感心した。

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