第8話 水上明日香

「ところで、藤野さんには姉さん以外に特別に親しい先輩がいるの?」と聞く明日香。


「ど、どうして、そんなことを聞きたいの?」私は驚いて聞き返した。


「私はね、前から女子高の先輩と後輩が慕い合うというお話が好きなの。だから、本当にそう言うことが松葉女子高にあるのか知りたくて・・・」


明日香もエス小説の愛読者でしたか。


「わ、私は知らないけど、杏子先輩は女子生徒にとても人気があるみたいよ。お姉さんに聞いてみたら?」


「今の姉さんはヒヒじじいみたいで、参考にはならないわ!」


ひどい言われようだ、と思っていたら、明日香が私にすり寄って来ていた。


「もし私が松葉女子高に入学したら、藤野さんは・・・美知子先輩は私のお姉様になってくれるのかしら?」


えええええー!?私でいいんですかー!?じゃない、何を言っているの、この子は?


私が混乱している間に明日香が両手を私の首の後に回した。どええええー!


その時、部屋のドアが勢いよく開いて、水上先輩が入ってきた。


「明日香ー、美知子くんはここにいるかい!?」


その瞬間、抱き合っている(ように見える)私と明日香に水上先輩が気づいた。


「ほう?これは、これは・・・」水上先輩がにやりと笑った。


「人んちに来て、人の妹に手を出すとは。・・・美知子くんがこんなに手が早いとは思わなかったよ」


私はあわてて明日香の腕を首からはずした。「ご、誤解です!」


「もう、姉さんったら。いいとこだったのに」文句を言う明日香。


「そんな、誤解されるようなこと、言わないでっ」


「恋愛は自由だと言いたいところだけどね、僕の面目を潰した美知子くんには、罰を受けてもらわなくてはね」


「ば、罰ですか?」


「まあ、罰と言っても、漫才の相方を本気で引き受けてくれるだけでいいけど」


「ええーっ、無理ですよ!」


「美知子お姉様がちょくちょく家に来てくれるなら、歓迎だわ」


喜ぶ明日香。いつの間にか『藤野さん』から『美知子お姉様』になってる!


「それより、姉さん、何か用があって来たの?」


「そうだった。実はね、食べるものがなくなってね、美知子くんに相談しようと思って来たんだ」


「食べるもの?テーブルの上にお菓子やハムサンドがたくさんありましたけど?」


「十人もいるとね、あっという間になくなってしまうんだ」


「お母さんかお手伝いさんは?」と聞く明日香。


「二人とも、買い物に出かけているみたいなんだ。今、さんざんポッキーを食べたから、お菓子じゃなく、お惣菜みたいなものを食べたくなってね」


「食材を使っていいなら、何か作りますけど」


「そう言ってくれると思ってたよ!僕も明日香も料理の方はからっきしでね」


「先輩のお友だちで料理が得意な方はいらっしゃらないんですか?」


「う〜ん、隠し芸で選んだ友だちだからね、家事は不得意な感じ?」


使い物にならない人ばかり集めてるな、とあきれたが、口には出さなかった。


「じゃあ、お台所をお借りしますから、案内してください」


水上先輩につれられて明日香の部屋を出る。一階の奥の方に割と広めの台所があった。


「何でも使っていいからね。そこは僕が保証するよ!」


鍋やフライパンなどの調理器具は揃っている。冷蔵庫を開けると、卵が三十個ほど入っていたが、ほかには見事なほど何もなかった。


「卵しかありませんよ?」


「この一週間でおせち料理とか、食べられるものは大体食べ尽くしてね。それで今日、母とお手伝いさんが大量に買い出しに出かけてるんだ。・・・卵だけで何品か作ってくれないか」


「ええっ?姉さん、それは無茶な注文じゃ」明日香が驚いて叫んだ。


「卵焼きに目玉焼きにゆで卵くらいしか作れないわよ!」


目玉焼きはパーティー料理には向かないだろうな、と私は思った。ゆで卵は殻を剥くのがめんどくさい。ほかにはスクランブルエッグとか、プレーンオムレツとかあるけど、スクランブルエッグもパーティー料理には向かないし、オムレツをきれいに焼く技術は私にはない。


「卵は全部使っていいんですか?」


「ああ、かまわないよ。僕たちを入れて十三人もいるからね、親には僕から謝っておくよ」


「わかりました。じゃあ、先輩は向こうで待っていてください」


「頼むよ」そう言って水上先輩は台所を出て行った。


「何を作るの?」


「味の違う卵焼きを三種類かな」


私は辺りを見回して、大きめのボウルを三個見つけると、それぞれに生卵を十個ずつ割って入れた。それらをはしでよくかき混ぜる。かき混ぜるのは明日香も手伝ってくれた。


味付けは、まず一つ目はしょうゆを入れる。しょうゆ入り卵の焼ける匂いは食欲をそそるからね。


二つ目は砂糖と塩少々を入れて甘くする。しょうゆ入り卵焼きとの味の差がわかりやすいように、砂糖を少し多めに入れた。


そして三つ目はこの調味料だ。


「ええっ、それを入れるの!?」明日香が驚きの声を上げた。


私はかまわず、卵焼き用のフライパンを出すと、火にかけて油を引き、それぞれのボウルに入っている溶き卵を次々と焼いていった。


卵焼きを巻いたら、適度な大きさに切り、皿に切り目を上にして並べていく。味の違う卵焼きは別の皿に盛った。


そして料理を頼まれてから三十分後に、三枚の皿に乗った卵焼きとケチャップを持って新年会会場に戻った。


「やあ、美知子くん、ご苦労様。・・・て、卵焼きだけかい?」


「何やってるのよ」という声が取り巻きたちから聞こえてくるが、私は気にしないで説明した。


「この三つのお皿の卵焼きは、それぞれ味が違いますので、食べ比べてください。お好みでケチャップもどうぞ」


妙な顔をした明日香が取り皿とはしを配っていく。さっきから何度も「大丈夫なの?」と私に聞いてきた。


水上先輩が一つ目の皿に乗った卵焼きを取って口に入れた。


「これはしょうゆを混ぜて焼いたやつだね。定番だけど、おいしく焼けてるよ」


「ども」


「二皿目は、砂糖を入れて甘く焼いた卵焼きか。お菓子みたいでおいしいね」


「ども」


「そして三皿目は」水上先輩はその卵焼きを口に入れて目を開いた。


「なんだい、これは?普通の卵焼きと違って洋風な味で、すごくおいしいよ!」


「え?」明日香も、水上先輩が絶賛した卵焼きを取って食べてみた。


「ほんとだ、おいしい!・・・ウスターソースを入れるのを見たときは、こんなの食べられるかって思ったけど」


「ソースでこの味になるのか。よく知ってたね」取り巻きたちもおいしい、おいしいと言って食べていた。


私は飲みかけだった気の抜けたコーラを飲み干すと、立ち上がった。


「それでは、私はそろそろおいとまします」


「今日はありがとう、美知子くん。漫才の相手をしてもらったばかりでなく、料理も作ってもらって。・・・今後のことはまた相談しよう!」


玄関の方に行くと、明日香が見送りに来てくれた。


「美知子お姉様は、お料理のことをよく知っていらして、尊敬しますわ」


そう言うと明日香は私の首に抱きついて、頬にキスをした。


「来年、必ず松葉女子高に入学するから、その時はよろしくね」


私はふらつきながら寒風吹きすさぶ戸外に出た。


漫才の相方か・・・。まあ、水上先輩と漫才をする機会なんて、新年会ぐらいしかないだろう。松葉祭しょうようさいでは個人の演し物は認められていないし。


明日香。最初はまともな子だと思っていたのに、豹変して大変だった。・・・でも、学校が違うから、滅多に会うことはないだろう。


そういや腹が減ったな。ハムサンドもお菓子も、自分で作った卵焼きもほとんど食べなかった。


空腹を抱えて家に帰ると、石焼き芋が置いてあった。私の分を取っておいたらしい。母親に感謝しながら石焼き芋をありがたくいただく。


「ちぇっ、俺が食おうと思ってたのに」


武が狙っていたらしい。危ないところだった。


「武、明日から学校よ。宿題とか、できてる?」


「もうできた」


「何の宿題があったの?絵日記とかあるの?」


「絵日記もあったよ。もう書いた」


「その日記を見せなさい。チェックするから」


「見なくていいよ!」武はそう言ってテレビを観だした。


しばらくしてから私はそっと立ち上がって自分の部屋に入った。不用心にも、武は自分の机の上に宿題の日記を置きっぱなしにしていたので、私はそれを開いた。


「十二月二十五日 今日、クリスマスケーキをたべた。ねえちゃんがケーキを大きく切ってくった」


事実と違うぞ、と私は思った。武の分を大きく切り分けてやったんだ。私は最後の『くった』を『くれた』に書き直した。


「十二月二十七日 野球をしにいくため走って家を出たら、ねえちゃんもいっしょになって走った。おれのほうが速く、ひきはなした」


私が走った理由が書いてないが、これはこのままで放っておこう。


「十二月二十九日 かあちゃんとねえちゃんが台所でおせちをつくっていた。ねえちゃんがつまみぐいしていた」


あれは味見だ!つまみ食いじゃない!・・・小学校の先生ならわかるだろう。


「十二月三十日 とうちゃんとしめなわを買いにいった。人が多かった。帰りにたいやきを買ってもらった」


たい焼き?確か、あの日、おみやげはなかったぞ。事実か?願望か?


「十二月三十一日 よる、紅白歌がっせんをみた。夜中までおきていて、じょやのかねを聞いた」


今年も無理だったね。来年頑張ろう。


「一月一日 ねえちゃんと初もうでにいった。ねえちゃんの友だちからキャンデーをもらった」


水上先輩のキスのことは、私が注意したせいか書いてなかった。しかし、武と私らしき人物の絵が描いてあり、私の両手がキャンディーを一個ずつ握っていた。


おい、あの消えたキャンディー事件を知っている人が見たら、私が犯人と思われるじゃないか。それとも知っていたのか、私が実際に二個持っていたことを?


「一月四日 よる、ねえちゃんがクリームシチューをつくってくれた。うまかった」


「一月五日 あさ、ねえちゃんがぜんざいをつくってくれた。うまかった。お年玉で戦車のプラモを買った。ねえちゃんがてつだってくれた」


うん、武の中で姉の存在が大きいことがわかる。ういやつじゃ。


「一月六日 ねえちゃんが昼寝してた。いびきがうるさかった」はあ?


「一月七日 ねえちゃんがへをこいた。くさかった」なぬ!?


これらは完全な創作じゃないかっ!事実じゃないっ!


その時武が部屋をのぞき込んだ。「あ、姉ちゃん、何勝手に見てんだよ!」


「あんたこそ、嘘ばっかり書いて!」


「嘘じゃない!!」


その後、親に怒られるまで私は武と取っ組み合ってケンカした。

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