第5話 初もうで
藤野家のお雑煮は、焼いた角餅、かまぼこ、みつばが入ったしょうゆのすまし汁だ。餅以外の具は添え物程度の量だ。
手伝うと言ったが、もう既にできていたので、母親がお椀によそったのをお茶の間に持っていく。
お雑煮を食べながら、「今日はこれから初もうでに行こうと思うの」と両親に言った。
「武、あなたはどうするの?」と母親が武に聞く。
「俺は誰とも約束していないけど、神社の方へぶらぶらと行ってみようかな」と武。
「じゃあ、お姉ちゃんにつれて行ってもらいなさい」
「えーっ?」私と武が異口同音に叫ぶ。
「一人で大丈夫だよ」と武が言うが、聞き入れてもらえなかった。
「今日は人出が多いから、変なことに巻き込まれないよう、一緒に行きなさい」
三十分後、私と武はふてくされながら家を出た。
ちなみに私も武も普段着の上にコートという格好だ。私は寒がりなので、綿の短いマフラーと毛糸の手袋と、宿題の毛糸のゲートルをつけている。ゲートルは足首のあたりが少し見えるが、白いから靴下と思われるだろう。
武は手袋と毛糸のマフラーをつけている。マフラーが暖かいのか、武の顔が少し上気している。子どもは風の子だからな。
神社に近づくに連れ、少しずつ人が多くなってきた。
「セーラー服を着ていった方が良かったかな?」と私は思った。校則では、人が集まるところへの外出は制服を着て行かなくてはならなかった。もっとも初もうでやお祭りではあまり守られていない。
神社の境内に入ると、参拝客が本殿の前に長い列を作っていた。
私たちは手袋を脱ぐと、まず手水舎で手を洗った。私がハンカチを取り出して手を拭こうとすると、武が横取りして、べちょべちょにして返してきた。
参拝者の長い列に並ぶ。十五分くらいで順番が近づいてきたので、お賽銭を用意する。五円玉だ。ご縁がある縁起のいい硬貨だ。と言っても男がほしいと望んでいるわけじゃない。人の縁に限らず、何かいい星の巡り合わせがないかと思ってだ。
武が私に向かって手のひらを出す。意味がわからず武の手をたたく。
「何すんだよ!俺にもお賽銭をくれよ!」
「何であなたのまで出さなきゃならないのよ。あなたお年玉もらったじゃない!?」
「百円札を投げられるか!」
もらったばかりのお年玉以外、一円も持っていないらしい。
「じゃあ、五円貸してあげるわ。早めに返してね」
「けちっ!」私から五円玉を取りながら武が言った。
頭をたたこうとしたら、さっと避けやがった。
順番が来ると、お賽銭を投げ入れて二礼し、合掌すると、心の中で願い事を唱えた。
「次はおみくじを引くわ」と口に出す。
おみくじは一回十円だ。また、武が手を出すが、今度は無視する。どうせ興味ないだろうに。
おみくじは凶だった。がっかりして木の枝におみくじを結ぼうとするが、手袋をはめた手では結びにくく、誤っておみくじを地面に落としてしまった。私がかがむと、すかさず武が拾って開いた。
「あ、吉じゃない!」凶の字が読めないのか。
私は武の手から奪い返そうとしたが、武がおみくじをぎゅっと握っていたので、半分に裂けてしまった。私は千切れたおみくじを武から奪い取ると、コートの左ポケットに入れた。その時、横から声が聞こえた。
「藤野さ〜ん」
振り返るとそれは喜子だった。息をはあはあ言いながら私のそばに駆け寄ってきた。
「あけ・・・まして・・・おめ・・・でとう」ぜいぜいと荒い息を吐く喜子。
「大丈夫、喜子さん?・・・あ、あけましておめでとう」
その時喜子が私の横にいる武に気づいた。
「あら、弟さん?」
「うん、弟の武だよ。・・・武、あいさつしてっ」
「おめでとー」照れているのか、顔を赤くして小声であいさつする武。
「おめでとう、武くん」
その時、委員長の後ろから小柄な少女が現れた。
「やあ、藤野さん、山際さん、おめでとう」それは自称探偵の一色千代子だった。
「あ、一色さん?あけましておめでとう。お一人?」
「まあね。ところで、何か事件は起こってないかい?」
「ないわよ」また、探偵がしたいのか。相変わらずだな、と私は思った。
「そうかい?君の周りには犯罪の匂いがするんだけどね」
しねえよ。真犯人みたいに言うな。
「あー、藤野さん!」
また別の声が聞こえた。振り返ると、麗子たちクラスメイトが何人かいた。麗子は晴着を着、その上から着物用のコートを羽織っていた。お嬢様だな、と思う。
「あけましておめでとう」私と武が頭を下げる。
「あけましておめでとうございます、美知子さん」と麗子。
「今日は会えて良かったわ。・・・あら、委員長もご一緒?」と喜子を見て聞いた。
「あ、藤野くんだ」別の声が聞こえた。
そちらを振り向くと、女子小学生が数人歩いて来た。
「武の知り合い?」
「同じクラスの女子だよ」
「おめでとう、藤野くん」
武は顔を赤くして、「よっ」とだけ言って顔をそむけた。
私たちの周りに人が集まって、いよいよ大所帯になってきた。その時、
「やあ、美知子くん、奇遇だねえ〜」と水上先輩の声が聞こえた。
例によって、後に十人の取り巻きを引き連れている。
私は顔を引きつらせつつも、一応先輩であるので、水上先輩の方を向いて頭を下げた。
「あけましておめでとうございます」
「ハッピーニューイヤー!」そう言いながら、水上先輩はつかつかと私の前に近寄り、私の肩に手を置いた。
「新年会はよろしくね。君が来るのを待っているからさ」
それを聞いた取り巻きたちの目が吊り上がる。喜子や麗子たちも妙な顔をしていた。
武と女子小学生たちはわけがわからず私たちを見上げている。
水上先輩は、私の足元を見ると、「おや、妙なものをはいてるね」と言った。
そして私のコートのすそを右手でつまんであげ、露わになった私のスカートの前側を左手でつまむと、そのまま引き上げようとした。
「ぎゃーっ!」私は思わず悲鳴を上げて制止した。乙女だから。
「何をするんですか、先輩!?人のスカートをめくろうとして・・・」
「いや、別にパンツを見ようとしたんじゃないよ」
「当たり前です!」
「君、足に変わったものをはいてるね。見せてくれないか」
足?・・・見せたくはないが、拒否すると無理矢理スカートをめくられそうなので、私は観念して自分でコートとスカートのすそをつまんでそっと持ち上げた。
私の膝下が露わになる。
すねにつけた白い毛糸のゲートルが、少しずれ落ちてたるんでいた。
女子小学生と武を含めた、この場にいるみんなが私の足を見つめる。・・・恥ずかしい。
「何だい、それ?ルーズソックスかい?」と水上先輩。
「これはソックスじゃありません。毛糸のゲートルです」
「私は足首のところを持ち上げ、ゲートルが靴の中まで伸びていないことを見せた。
「ああ、レッグウォーマーか・・・」
そういう呼び名もあるのか。
「君は時代を先取りするね」
「そうですか?」私にはファッションの知識もセンスもないんだが。
「それにしても多人数だね。・・・ひのふの、僕を入れてこの場に三十人もいる」
水上先輩は女子小学生たちを含めて数えた。そんなにいるのか。
「ちょうど良かった。三十個入りのキャンディーを持ってきたんだ。みんなに一個ずつあげるよ」
そう言って水上先輩はコートの大きめのポケットから、キャンディーの袋を取り出した。
もう一方のポケットからハサミを取り出すと、袋の口をハサミで切り始めた。用意周到だな。
その時、顔を赤くした武がマフラーを首から取りはずすと、
「暑いっ!姉ちゃん、これ持ってて!」
と言って、私のコートの左ポケットにマフラーを丸めて押し込もうとした。もちろんポケットはマフラーがまるまる入るほど大きくない。私のポケットはパンパンに膨らみ、しかもマフラーの端がはみ出ていた。
キャンディーの袋をハサミで切り、切れ端とハサミをポケットにしまいながら、水上先輩はその様子を見つめていた。
そして袋の中からセロハン紙で個別包装されたキャンディーを一個取り出すと、武に差し出した。
「君は美知子くんの弟さんかい?キャンディーをどうぞ」
「あ、ありがとう、お姉さん」快く受け取る武。
水上先輩はさらに私とクラスメイト、一色、女子小学生たちに一個ずつキャンディーを渡し、自分の取り巻き十人にも配っていった。
みな、それほどキャンディーが欲しかったわけじゃなかったが、水上先輩が自ら配ったので、「ありがとう」とお礼を言った。
「あら?杏子さんのキャンディーがありませんわ!?」
突然水上先輩の取り巻きの一人が叫んだ。
そう言われてみると、水上先輩の手に残ったキャンディーの袋が空だった。水上先輩自身はキャンディーを取っていない。
「おや、人数を数え間違えたのかな?・・・別に僕はいいよ。みんなで食べて」
殊勝なことを言う水上先輩だったが、取り巻きたちはそれを許さなかった。
「いえ、杏子さん、今数えなおしましたが、確かに杏子さんを入れて三十人ちょうどいますわ。誰かが杏子さんの分まで取ったんだわ!」
私たちは慌てて手の中のキャンディーを見た。誰も、一個しかキャンディーを持っていないように見えた。
「私は一個しかもらっていない」「私も」「私も」そう囁く声が周りから聞こえる。
「先輩が手に持っている袋の中から自分でキャンディーを取り出して、一個ずつ配ったのよ。先輩の目を盗んで二個目を取るなんて無理よ」
私はそう反論したが、取り巻きは納得しなかった。
「大勢いるから、誰かがキャンディーを一個受け取ってから、もらっていないふりをしてもう一度もらったのよ!」
「いくらなんでも、そこまでしないでしょう、キャンディーくらいで」
「いいえ、杏子さんの手からもらうキャンディーだから、そのくらいする価値があるわよ!」
そういう理屈なら、あなたたち取り巻きが一番怪しいんじゃないかと思ったが、口には出さなかった。
「これは事件だね」そう言って一色が前に出てきた。
「君は誰?中学生?」水上先輩が尋ねた。
「私は一年四組の一色千代子。探偵さ」
その場にいるみんなが凍りついたように見えた。
「三十個あるはずのキャンディーを二十九人に一個ずつ配ったら一個も残らなかった。この謎を私が解いてみせる!」
「ほう?」水上先輩がおもしろがり始めた。「謹んで拝聴するよ」
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