第4話 年末年始

十二月二十六日になった。学校は冬休みだ。しかし、学校から宿題として何か編み物を作って年明けに提出するよう言われているし、年末には大掃除やおせち料理の準備を手伝わなければならない。けっこう忙しい。


そしてお正月になれば、数日はだらだらと過ごすだろう。


それを考えると、早めに宿題の編み物にとりかからなければならない。何を作ろう?


まず思いつくのがマフラーだ。細長い布を毛糸で編めばいい。一見簡単そうに思えるが、その分作る生徒も多いだろう。そして編み物が得意な生徒は、途中で編み方を変えたり、模様を織り込んだりして、すごいのを作ってくるに違いない。


そうなると、毛糸の手ぬぐいのようなものしか作れない私は、見劣りがしてかえって不利になる。


他人と比較されないオンリーワンな作品が望ましい。


ちなみに私は冷え性だ。特におしりと足が冷えると、痛くなってくるほどだ。最初は毛糸のパンツを作ろうかと思ったが、あれはあれでけっこう難しそうだ。それにみんなに笑われて、妙な注目を集めるのも避けたい。


せめて足に防寒具をつけたい。学校指定の黒タイツだけじゃ寒すぎる。


そこで私は思いついた。ひざ下から足首までを覆う筒状の編み物があったはずだ。名前を何と言ったかな?


そして筒状の編み物なら、リリアン編みでも作ることが可能だ。リリアン編みとは駄菓子屋で売っている小学生女児向けのおもちゃで、先端に何本もの突起が付いた細い筒で、突起に毛糸を順にひっかけていくと筒状の編み紐が作れるというものだ。もちろんおもちゃのリリアン編み機だと小さすぎるが、あれの太いのを作れば、足に履けるような筒状の編み物ができるはずだ。


納屋の片隅に直径十五センチくらいの竹筒があったので、それを母親からもらう。節のない、つまり底のないほんとうにただの竹の筒だ。


この竹筒の皮の部分が厚さ一センチくらいあったので、定規を使って十六等分する位置に鉛筆で印をつけた。そこにきりで浅い穴を開け、細い釘を半分くらいが埋まるまで金づちで打っていった。これで大型リリアン編み機の完成である。


使う毛糸は何色にしようと思案し、靴下っぽく見せるために白い太めの毛糸を使うことにした。


買ってきた白い毛糸を竹筒の中に垂らし、一本目の釘に毛糸を二回巻いて、最初に巻いた毛糸をかぎ針を使って釘の内側に送った。この操作を残り十五本の釘で繰り返して一周すると、二周目からは毛糸を釘に一巻きし、先に巻いてあった毛糸を釘の内側に返した。


以上の操作を続けていくと、竹筒の中にできた白い毛糸の筒が少しずつ伸びていった。


半日かけて長さ四十センチくらいになったので、ここで編むのをやめ、毛糸を切って編み終わりの処理をした。試しに片足に履いてみる。・・・想像してたのより毛糸の伸縮性が乏しく、若干ずり落ちてたるんだが、ここまで作ったらもう引き返せない。


ゴムバンドでも通した方がいいかな?


その時母親から買い物について来てと言われたので、もう一本は明日編むことにした。


翌日は子ども部屋の掃除をする。ちなみに我が家には居間兼両親の寝室、私と弟の部屋(子ども部屋)に台所とトイレしかない。まず、子ども部屋を片付ける。


弟の武に机の上を片付けろと言ったら、「えー」と不満そうな声を上げたが、しぶしぶ片付け始めたので、私は押し入れの中の整理をした。


ふと、武の姿が見えないことに気づいた。部屋の外へ出ると、武がバットを持って玄関から出ようとしているのを見つけた。


「こらっ、武っ!どこへ行くの!?」


私が怒鳴ると、武はあわてて家の外へ飛び出していった。


私は玄関でサンダルをひっかけると、外へ出て武の後を追いかけた。


「待ちなさい、武!」


「今日は野球の約束があるんだー」そう叫びながら走り続ける武。


近所の人が何人も私たちを見ていたので、私は恥ずかしくなって追うのをやめた。これじゃあまるでサザエさんだ。


家に帰ると三角巾を頭にかぶり、ハンカチでマスク代わりに鼻と口を覆うと、部屋にはたきをかけ始めた。次いで湿ったお茶の出し殻を少々畳の上にまき、ほうきでごみやほこりと一緒に掃き出す。机の上を雑巾がけしたら、この部屋の大掃除は終わりだ。


昼食後には、もう片方の足の防寒具のリリアン編みを始めた。途中、母親が部屋に入ってきて、


「何を編んでるの?」と聞いたので、昨日編んだ片足分を履いて見せた。


「まあ、ゲートルなの?」


そうか、こういうのはゲートルと呼ぶのか。私の頭の中になぜか陸軍兵のイメージが浮かんだが、気にせず、今編んでいるのを毛糸のゲートルと呼ぶことにした。


翌日はお茶の間と台所の大掃除だ。特に台所は隅々の掃除が大変だ。流しやガスレンジ周りを金だわしや雑巾で念入りにこする。床も洗剤のついた雑巾で拭く。細かいものが多いので時間がかかって大変だ。


夕方から毛糸のゲートル編みを再開し、何とかその日のうちに終えることができた。


翌二十九日からはおせち料理作りの手伝いだ。黒豆、田作り、たたきゴボウ、きんとん、昆布巻き、なます、酢レンコン、シイタケの煮しめなどは家で作る。品数が多いので準備が大変だ。


黒豆は水につけて戻してから、砂糖を加えてことことと炊く。田作りは、ごまめをフライパンで炒った後、しょうゆや砂糖を煮詰めて作った煮汁を絡める。・・・と、それぞれがそれなりに手間と時間がかかるのだ。


買ってきたかまぼこや伊達巻は、切って並べるだけだが、それでも紅白のかまぼこは切って互い違いになるように並べるなど、ひと手間加える必要がある。


おせち料理を作る理由の一つに、お正月の間、女性を家事から解放するというのがあるそうだが、普段の料理より準備に手間がかかりすぎてないか?正月にはどうせお雑煮を作ったりしなきゃならないんだし。


年末には、おせちの調理の合間に三度の食事も用意しなければいけないから面倒だ。


今日から一月三日まで父親は仕事が休みなので、お茶の間でこたつにあたってテレビを見ていた。武も一緒にみかんを食べていた。男がうらやましい。


三十日もおせち料理づくりが続く。


この日、父親と武はしめ縄などの正月飾りを買いに出かけた。そっちの方がおもしろそうだったのに残念だ。


そんな時、藤野家に来訪者があった。


「こんにちはー、藤野美知子さんいますか?」聞いたことのある声が聞こえた。


「あなたを呼んでるわよ。お友だち?ちょっと出てきなさい」と母親が言った。


私は誰の声かわかっていたので、しぶしぶ玄関に行った。そこに立っていたのは、予想通り水上先輩だった。


「やあ、美知子くん。年末の忙しい時にお邪魔して悪いね」


まったくですよ。


「いえ。・・・何かご用でしょうか?それになぜ私の家がわかりましたでしょうか?」


「家の場所は、君のクラスメイトから、クラスの連絡網に書いてあった住所と電話番号を教えてもらったのさ」個人情報だだ漏れの時代だった。


「そして用事は、これを渡すことさ」水上先輩は一枚の紙を差し出した。


「招待状だよ」


「招待状?」私はその紙を受け取った。


招待状と言っても印刷されたものでなく、手書きで「一月八日(日)午前十時 水上杏子新年会」という文字と、どこかの住所と電話番号が書かれてあった。


「前にも言ったろ?僕の家で一月八日の日曜日に新年会を開くって」


そういえばそんなことを言ってたな。漫才原稿を渡された時に。


「でも、漫才のお相手はお断りしたはずですが」


「そうかい?君は漫才の原稿を書いてくれたじゃないか」


「私には漫才なんてとても無理です」


「それでもいいから来てくれないか。君とは仲良くしておきたいからね」


「・・・ほかにはどなたが出席されるのですか?」


「いつも一緒にいる友人たち十人くらいかな。あ、妹も参加するよ」


針のむしろじゃないだろうか?


「どうだい、来てくれないか?」


「おこ・・・」


「今日決められないというのなら、毎日お誘いに来るから」


お断りしますと言おうと思ったのに、食い気味で遮られてしまった。


「わ、わかりました。出ますから、二度と家に来ないでください」


「そうかい、うれしいよ。ありがとう」私の手を握る水上先輩。


「・・・それから手みやげは一切いらないからね。これは社交辞令でなく、ほんとのことだから」


そう言って水上先輩はさわやかに帰って行った。私の方は、どんよりした空気に包まれていたが。


「どなた、お友だち?」台所に戻ると母親が聞いてきた。


「二年生の先輩。一月八日に先輩の家にお呼ばれしたの」


「そうなの?どんな方?」


「まだよくわからない人だけど、最近お話しするようになって・・・」


漫才の相方として勧誘されたことは口が裂けても言えない。


「でも、先輩のクラスメイトも大勢来られるようだから、心配することはないと思うわ」


口ではそう言ったが、心配することだらけだ。


そして大みそかになった。


おせち料理作りはまだ続いているが、昼過ぎには終わりそうだ。その時大量のお餅が餅屋から配達されてきた。こんなに食えるのかと思うほどだが、正月は朝、昼とお雑煮か焼いた餅を食べるので、だいたい消費される。


父親は昨日買ってきたしめ縄を玄関に飾り、かがみもちなどの準備をした。こういうのを見ると、正月が来るなって実感する。季節感が味わえるのでいいもんだと思った。


夕方にはおせち料理がほとんど準備できていて、お重にきれいに盛りつけられていた。その次は夕飯の準備だ。大みそかなので、いつもより少しはぜいたくになる。焼いた塩鮭、コロッケ、煮物、けんちん汁などを作った。


準備に時間がかかったので、銭湯に行ってから、いつもより遅めに夕飯が始まる。


午後九時を過ぎると紅白歌合戦を見るためにテレビをつける。この年(昭和四十一年)の紅白歌合戦は九時五分から始まった。


この時代にはほとんどの人が紅白歌合戦を見ている。そう思うと不思議な気分がした。


武は年が変わるまで起きていると息巻いていたが、毎日九時頃に寝ているので、十時を過ぎるとうとうとしてきた。そこで私が布団を敷いて、限界に近い武を部屋に連れていった。


食卓の上を片付けて、もうしばらくテレビを見ていたが、私もだんだん眠くなってきたので、十一時頃に両親にお休みなさいと言って床に着いた。


昭和四十二年の元日の朝、私はいつもと同じ時間に同じように目覚めた。洗面所に行って顔を洗い、着替えると武を起こした。


「武、起きなさい。お正月よ」


武は私の言葉を聞いてはっと目を覚ますと、「また、夜中まで起きれなかったー」と嘆きつつ洗面所に向かった。その間に布団をしまう。


武が戻ってくると服を着替えさせ、一緒にお茶の間に移動した。


既に父親はこたつに座っていた。


私はその向かいに正座する。武も私を見て、すぐ横に正座した。


それを見て父親は、「おい、母さん」と、台所にいる母親を呼んだ。


母親はすぐにやって来ると、父親の横に正座した。


「あけましておめでとうございます。お父さん、お母さん」まず私が新年のあいさつをする。


「あけましておめでとー」と武が言うと、両親も「おめでとう」と答えた。


「今年も勉強をしっかり頑張るんだぞ」と父親が言い、母親に目くばせした。


すると母親がふところからポチ袋を二つ出して、私と武にくれた。「お年玉よ」


「やったー、ありがとー」「ありがとう、お父さん、お母さん」


武は早速中を確かめた。百円札が五枚入っていた。百円札は小ぶりのお札で、茶色っぽいインクで板垣退助の肖像画が印刷されている。


「プラモデル買おーっと」と武。


「今日はお店開いてないわよ」この時代、三が日はどこも休みだ。


そう言いつつ、私も自分のお年玉の額を確かめた。武と同じ五百円だった。小学生と同じかよ、と思ったが、口には出さなかった。


母親が立ち上がる。


「お母さん、お雑煮の準備を手伝うわ」と言って私も立ち上がった。


反射的に家事を手伝うと言えるなんて、私は(昭和時代の)娘のかがみだね。

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