第7章 藤野美知子の女子高時代

第1話 女子高のアイドル?

昭和四十四年度、私、藤野美知子は秋花しゅうか女子短大英語学科の一年生で、短大近くの女性用マンションに、秋花しゅうか女子大生で一年先輩の黒田祥子くろだしょうこさんと水上杏子みなかみきょうこさんと一緒に下宿している。


祥子さんと杏子さんは従姉妹どうしだ。二人の母親が美人姉妹で、そのため祥子さんと杏子さんも超美人だ。祥子さんは美人なだけでなく頭も良く、リーダーシップもある。言うべきところでしっかりと発言する人だ。一方の杏子さんは、性格的にはおっとりしていて、自分から前へ出ることはあまりない。


そんな二人に女子高時代から懇意にされ、私は同じ下宿で生活させてもらうことになった。


下宿代はただだ。なぜかというと二人は料理がからきしで、そのため私が料理と水回りの掃除を担当することになっているからだ。二人の両親からも頼りにされているようだ。


それでは、長い話になるが、私がどのようにこの二人と知り合い、信頼されるようになったかを話そう。




私は昭和四十一年四月に松葉まつば女子高校に入学した。一年二組に編入され、普通に友だちを作り、必要以上に勉強することもなく、のんびりと高校生活を送っていた。どちらかと言うと自堕落な性格だった。


一年二組の委員長は山際喜子やまぎわよしこという名で、成績優秀な生徒だった。高校時代の三年間、ほとんどの定期試験で学年一位の成績だった(後で知ったが、喜子といつも一位の座を争っていたのが、当時は一年四組にいた一色千代子だ)。ちなみに私の一学期の中間試験の成績は、一学年百六十人中百三十位だった。


松葉女子高校は進学校ではなく、良妻賢母となる女子を育てることを建学の精神としていた。しかしいくらなんでもこの成績じゃまずかろうと私は一念発起して勉強し、三年後に秋花しゅうか女子短大に進学したが、それは別の話である。


喜子はこの時代には珍しい、平成時代で言うところの「腐女子」で、座右の書が三島由紀夫の『仮面の告白』だった。私はBL(当時はもちろんこういう呼び方はなかった)には興味がなかったが、喜子の話につき合っていたせいか、三島由紀夫の他の作品や、川端康成の『少年』というBL小説などの存在も知ってしまった。


さて、松葉女子高校では十一月に文化祭である松葉祭しょうようさいがある。そこでは各クラスで二種類の発表をしなければならないことになっていた。


ひとつはクラス展示だ。教室にいろいろな作品を展示するというもので、手芸作品や習字が定番だった。一年二組では白いハンカチに思い思いの刺繍をして、それを貼り出そうということになった。


私は無難にハンカチの真ん中に一輪の花の刺繍をしようと考えた。何の花にしよう?最初に考えたのが薔薇だ。しかし薔薇は花びらが多く複雑なので、その考えをすぐに捨てた。


次に考えたのが百合だ。百合の花びらは六枚だ(正確には、花びら三枚+ガク三枚)。薔薇よりは簡単そうだ。最初は白百合の刺繍をしようと思ったが、白いハンカチ上だと白い百合は見えづらい。そこで赤い鬼百合にしようと考えを変えた。


ついでに花びらを六枚も刺繍するのは面倒なので五枚にした。花びらの中の赤い点々も再現する。・・・自分ではなかなかいい出来だと思ったが、友だちに見せたら「ヒトデ?」と聞き返された。


もうひとつのクラス発表は、体育館のステージで合唱、合奏、演劇などを披露するものだ。一番手間がかからないのが合唱だが、松葉女子高校では歌謡曲の合唱は禁止されていたので、文部省唱歌か英語の民謡を歌うのが定番となっていた。


「何を合唱しましょうか?」と学活で委員長である喜子がみんなに意見を求めた。あまり積極的な意見が出なかったので、私は何となく、「賛美歌とかどうでしょうか?」と提案してみた。


「賛美歌?」と聞き返すクラスメイトたち。


「はい。『もろびとこぞりて』や『アメイジング・グレイス』を英語で歌うんですよ。聖歌隊をイメージして、夏服の白いセーラー服を着て歌うのはどうでしょうか?」


「それでいいんじゃない?」と喜子が言い、クラスメイトたちが拍手をして賛同した。


「それではピアノ伴奏はピアノを習っている白沢麗子しらさわれいこさんにお願いするとして、誰かに指揮をしていただきたいんだけど」と喜子。


私は委員長である喜子が指揮すればいいんじゃないかと思ったが、


「賛美歌を提案してくれた藤野さんがいいと思います」とひとりのクラスメイトが言って、みんなが拍手して決められてしまった。


私は覚悟を決めて指揮者を引き受け、放課後の練習を繰り返して、とうとう松葉祭しょうようさいの当日になった。


クラス展示は前日に準備が終わっている。午前十時から体育館で各クラスの演し物が始まるので、私たちは体育館に移動した。観客席に椅子はないので、私たちは床に直座りする。


「プログラム一番、二年三組、演劇『ロミオとジュリエット』」進行係の声がスピーカーから流れる。


舞台の幕が開くと、右手に、二台の跳び箱に挟まれた踏切台があった。橋に見立てているようだ。その上に二人の生徒が現れた。一人はネグリジェを来た女子生徒で、その後からタイのないセーラー服を来た女子生徒が声をかけた。


「ジュリエットお嬢様、このあたりは仇敵モンタギュー家に近うございます。そろそろ家に帰りましょう」


あのネグリジェがジュリエットか。あまり美人ではないな。


ジュリエットが一言二言話すと、舞台の左手からズボンをはいた長身の女子生徒が現れた。とたんに観客席から大歓声が上がる。


「え?芸能人でも出たのか?」と思うほどの熱狂ぶりだった。


歓声に圧倒されながらその女子生徒を観察する。身長は百六十五センチくらいで、すらっとしていて、最近デビューした演歌歌手の水前寺清子のようなショートヘアだった。手には模造剣を持っている。ジュリエットに気づいた演技をし、つかつかとジュリエットの方に近づく。


ジュリエットのお付きの女子生徒は、ジュリエットをかばうように前に立ちはだかるが、ジュリエットが後から突き倒したので、観客席から笑いが漏れた。


「あなたの名前は?」長身の生徒がジュリエットに聞く。


「ジュリエットです。・・・あなたは?」


「私はロミオです」長身の生徒が答え、ジュリエットの手を取った。


とたんに観客席から「ロミオさまー」という声が上がる。


そのとき舞台の左手からズボンをはき剣を持った生徒が十人くらい現れて、ロミオを取り囲んだ。


ロミオも剣を抜くと、いきなり殺陣たてが始まった。


切りかかる生徒たちをばっさばっさと切ってはジュリエットの前に躍り出てその手を取るロミオ。再び囲まれて、ばっさばっさと切ってジュリエットの手を取る。・・・これを繰り返す。まるで吉本新喜劇のような舞台だった。


最後の場面では舞台の真ん中に跳び箱の一番上の段が二個縦に並べられ、その上に死んだふりをする薬を飲んだジュリエットが横たわっていた。跳び箱大活躍だ。


神父がお祈りを捧げた後退場すると、反対側からロミオが現れた。再び歓声の渦に巻き込まれる観客席。


ロミオはジュリエットを抱き起こそうとしたが、ジュリエットは目をさまさなかった。そこで目をさまさないジュリエットの顔に自分の顔を近づけ、キスをした・・・ように見えた。


「きゃー」黄色い声が体育館中に響き渡る。あまりの高音に私たちは耳を塞いだ。


ジュリエットが目をさます。とたんに舞台の袖から浴衣を着た生徒が七人現れて、ロミオとジュリエットの周りを踊り回った。・・・白雪姫と七人の小人か?。


立ち上がるロミオとジュリエット。


「さあ、幸せになろう、僕の白雪姫」白雪姫と言っちゃったよ、この人。


「ジュリエットよ!」ジュリエットがロミオの体を軽くたたく。漫才かよ。


そして二人は肩を組み、空いている方の腕を広げて、


「ありがとうございましたー」


その声とともに、幕が閉まった。観客は一瞬唖然としたが、すぐに拍手喝采となり、黄色い声があちらこちらから轟いた。


「・・・何なんだ、あれは?」ざわつく観客席で私が茫然としていると、


「あのロミオの役をしたのが、二年生の水上杏子みなかみきょうこさんよ」と喜子が教えてくれた。


「生徒にすごい人気があるの」


「そうなんだ・・・」でも、アイドルというよりは、芸人っぽい仕草だなと思った。後年の杏子さんとは別人だった。


「静粛にしてください!次はプログラム二番、一年一組の合唱です!」


進行係の声がスピーカーから響くが、観客席のざわめきはなかなか静まらなかった。


この後はやりにくいだろうな、かわいそうに・・・。


一年一組の合唱の曲目は「花」、「海」、「紅葉」、「冬景色」と、四季を代表する唱歌で、なかなかいい感じだった。私は一年一組に同情して、精一杯の拍手をした。


その後、二年二組のリコーダーによる合奏(ピアノ伴奏付きで曲目は「旅愁」、「ふるさと」など)、三年一組による創作舞踊(曲は「東京五輪音頭」)などが披露され、みんないろいろ考えているなと感心させられた。


ここで昼休みになったので、いったん教室に戻ってお弁当を食べることにした。


「あの、水上さんって方、前から人気があったの?」私は今まで知らなかった。


「一年生の時から人気があったみたい」と喜子が教えてくれた。「気になるの?」


「そうじゃないけどね。・・・ただ、さっきのお芝居で、ところどころにお笑いの要素が入っていたのが妙に思えて」


午後になると、私たちの出番の前に水上杏子が体育館に入ってきた。周りに十人余りの女子生徒を引き連れて。


私たちは次が出番なので、そっと席を立って舞台脇の準備室に集まった。


着ていたカーディガンを脱ぎ、白いセーラー服姿になる。


みんなは歌詞が書かれた紙を持ち、私は指揮棒を受け取った。


「いよいよだね、緊張する」誰かが言った。


言わないでくれ。かえって緊張してしまう。


前の演し物が終わり、幕が閉まって舞台上の片付けが終わると、いよいよ私たちの出番だ。


私は指揮棒を強く握ると、前に歩き出した。


体育館の舞台に向かって歩き出す私たち。


私は指揮者なので一人だが、私の横にクラスメイトが三列に並び、一緒に歩き出す。


舞台上には低い段が並べられており、二列目、三列目の生徒は段の上に上がった。


私は舞台の最前列中央で止まり、観客席の方を向いた。緊張して胸がばくばく音をたてている。


「プログラム九番、一年二組の合唱です」


進行係のアナウンスとともに幕が開く。


目の前に観客席が広がり、私の緊張は最高潮に達した。


観客をなるべく見ないようにしようと思ったが、観客席の端の方で、女子生徒に囲まれた水上杏子が膝を立ててこっちを見ているのに気づいた。両手は左右の女子生徒の肩に回している。


態度が悪いやつだな。そう考えると、少し落ち着いてきた。


麗子がピアノの前に座り、あいさつの和音を鳴らした。それに合わせてお辞儀をする。


観客席からまばらに拍手が起こった。水上杏子は膝を立てたまま、にやにやしている。


私は麗子の方を向くと、指揮棒を振り上げた。


私の指揮とともに麗子が「もろびとこぞりてジョイトゥザワールド」の前奏を弾き始める。そして歌が始まるタイミングで、並んでいるクラスメイトたちの方を向いた。


みんな顔が赤い。頼むから声を出してくれよ。・・・みんなの心配をしているうちに観客のことは気にならなくなってきた。


指揮者は後を向くから、かえって良かったのかもしれない。


「ジョイトゥザワー・・・」歌い出すクラスメイトたち。だが、いつもより声が小さい。


これではまずいと思った私は、次の「レアースレシーハーキング」の歌詞のところで、声を張って一緒に歌い出した。私の歌声につられたのか、みんなもいつもの声量に戻ってきた。


一曲目の「もろびとこぞりて」を歌い終わると、私はまた麗子の方を向いた。麗子は落ち着いているようだ。頼りになる。


私が指揮を始めると、「いつくしみ深きホワットアフレンドウィハヴインジーザス」の前奏が始まった。歌い出しもいつも通りで、今度も何とか乗り切った。


そして最後の曲の「アメイジング・グレイス」だ。この曲は最初アカペラで歌うことにしている。伴奏がないので、歌いにくいだろう。特に歌を三パートに分けていて、最初は十数人の少ない人数で歌い始めるから、なおさらだ。


もちろん、これまでピアノの音に合わせて指揮棒を振っていた私にとっても正念場だ。


よし、これも最初は歌おう。自分の歌声に指揮を合わせるんだ!


そう決心して、私はクラスメイトの中央に向かって指揮棒を振り上げると、


「アァメイージングレース、ハゥスイーザサウン・・・」と、指揮と同時に歌い出した。この後の歌詞は覚えていない。


クラスメイトは私の歌声につられるように声を出した。

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