第29話 山村の妖怪(日本三大妖怪)(1)

昭和四十四年十月になってまもない頃の朝、クラブハウスサンド(風のサンドイッチ)を作りながらお湯をわかしていたら、同居している祥子さんと杏子さんが起きてきた。この二人は従姉妹で一緒に大学近くのマンションを借りている。私は家事(料理と水回りの掃除)を担当する代わりに家賃なしで同居させてもらっている。


「おはよう、美知子さん。今日は大学祭で英研がする英語劇の配役を決めるから、放課後に英研の部室に来てね」と祥子さんに言われた。


ちなみに英語劇の題名は『オルレアンの少女』。つまりジャンヌ・ダルクの物語だ。演劇の台本はもともとドイツの劇作家フォン・シラーが書いたもので、ジャンヌ・ダルクはフランス人だが、それを英語劇でしようというから国際的だ。


台本はあらかたできている。大学祭の演劇なんて衣装や背景(書き割り)はけっこう適当だし、時間制限もあるのでかなり簡略化して日本語で書いた台本を、部員たちで英語になおしてきた。みんなで英語表現についてああだこうだと言い合いながら苦労しつつも楽しんで書き上げたものだ。


朝食を配膳しながら、「ジャンヌ・ダルク役は祥子さんかな?私はあまり出たくないな」と考えていた。


下宿を出て短大の教室に入ると、私と同じ英語学科の同級生の丹下佳奈たんげかなさんと嶋田芽以しまだめいさんが私の方へ駆け寄ってきた。


「おはよう、藤野さん」


「おはよう、佳奈さん、芽以さん」


「藤野さんは妖怪ハンターなんだってね。先日坂田さんから聞いたわ。それでふと思い出したんだけど、日本の三大妖怪って知ってる?」と突然芽以さんが私に聞いてきた。坂田さんは家政学科なので授業は一緒でないが、学食などで出会うのでお互い顔見知りだ。


「三大妖怪?」・・・日本を代表する妖怪なら、ゲゲゲの鬼太郎と子泣きじじいと砂かけばばあかな?いや、猫娘とねずみ男と目玉親父も捨て難いな。そう考えていると、


「日本の三大妖怪って、一般には鬼と河童と天狗って言われているようよ」と芽以さんが言った。


「へー、そうなんだ」・・・ゲゲゲの鬼太郎のことを言わなくてよかった。鬼太郎の原作マンガ(『墓場の鬼太郎』を含む)は四年前から少年マンガ雑誌に連載され、去年からテレビマンガも放映されている。現在十九歳ぐらいの短大一年生の女子学生なら知らない人が多いだろう。


「で、そのうちの鬼と河童を私のおばあちゃんが見たことがあるって言ったのを思い出したの」と芽以さんが続けた。


「へえ〜。いつ聞いたの?」


「私が小さい時。十五年くらい前かな?・・・それがほんとうのことか、藤野さんに判断してもらおうって思いついたの」


「昔おばあさんから聞いた話だけで真贋を答えろってこと?難しいと思うけど。・・・だいたい妖怪って、見間違いや、人の恐怖心が産み出した幻覚であることが多いんじゃないかしら?」


「それはそうかもしれないけど、一度話を聞いてよ」と懇願する芽以さん。


「別にいいけど・・・」と答えながら、私は三つめの妖怪、天狗について考えていた。


天狗とは、鼻が長く、赤ら顔で、山伏の衣装と高下駄を身につけ、羽団扇はうちわを使って空を飛べるという妖怪だ。山の神様に近い存在かもしれない。


もし、江戸時代以前に日本に漂着した西洋人がいたとすると、背が日本人よりも高く、鼻が高く、皮膚が白いから興奮すると顔が赤くなりやすい。天狗の身体特徴とそっくりだ。


鬼も体が大きく、髪の毛は縮れ、赤鬼は皮膚が赤い。これも西洋人の見た目に近い。


河童はカワウソの見間違いだという説を聞いたことがある。


このように答えればいいかな?と思いながら、「とりあえず、おばあさんに聞いた話を聞かせて」と私は芽以さんに頼んだ。


「じゃあ、話すわよ。・・・おばあちゃんが娘だった頃に関東大震災が起きたの。おばあちゃんは当時山あいの村に住んでいたんだけど、山肌が崩れて川がせき止められ、ダム湖みたいに水が溜まってから氾濫したの。つまり、山津波が起こったのね」


「関東大震災の時にそんな災害もあったのね」


「村の荒れようはとてもひどいものだったらしいわ」


「でしょうね。想像するに難くないわ」


「で、ある日おばあちゃんは薪を拾いに行こうとして、水害でまだ水が溜まっているところの近くを通ったらしいの。そこで下半身を水に浸して横たわっている青鬼を見つけたらしいの」


「あ、青鬼?」私は思わず聞き返した。赤鬼なら西洋人をそのように見立てたと説明できなくもないが、皮膚が青い人間など存在しない。・・・人が衝撃を受けた時に「青ざめる」と表現するが、血の気が引くだけで、ほんとうに青くなるわけではない。


「そ、その青鬼は、どんな様子だったの?・・・そして、生きていたの?」


「おばあちゃんが見たのは相撲取りみたいに太った鬼で、顔も大きく、全身の皮膚が青色、と言うよりは青緑色をしていたの。目は大きく見開いていて、眼球が飛び出さんばかりだったそうよ。そして体は動かさなかったけど、その目がぎろりとおばあちゃんをにらんだの」


「ひ、ひぇぇぇ〜」私は思わず悲鳴を上げてしまった。どう考えても普通の人間を見間違えそうな状況ではない。


「小さい頃の芽以が、よくそんな話を聞けたわね?」と、そばで話を聞いていた佳奈さんが口をはさんだ。


「私も怖かったけど、体が震えて話を遮ることも逃げることもできなかったの。おばあちゃんはそんな私の様子に気づかず、話し続けていたから、聞かざるを得なかったわ。そしてその話の内容が私の脳裏に刻み込まれたのよ」


「その後、変な後遺症みたいなのは起こらなかったの?」


「おばあちゃんの話を聞き終わった後、私は失神したらしいの。そして目を覚ましたら、その話の内容をすっかり忘れてしまっていたの」


「忘れた?でも、今ペラペラと話しているじゃない?」と追求する佳奈さん。


「それが、藤野さんが妖怪ハンターだって聞いた頃から少しずつ思い出してきたのよ。そう言えば私も妖怪の話を聞いたことがあるなあと」


「思い出したのに怖くならなかったの?」


「藤野さんがそばにいれば大丈夫って気になったのかな?今は全然平気なのよ」


「ふうん。・・・私は話半分に聞いているから平気だけど、芽以の代わりに藤野さんが青くなってるじゃないの。・・・青鬼みたいな色じゃないけどね」


「妖怪ハンターが私の恐怖心を吸い取ってくれたのかな?」と言って私に微笑みかける芽以さん。そんなの願い下げなんだけど。


「そ、それで芽以さんのおばあさんはどうしたの?」


「もちろん怖くなって村に逃げ帰って、薪を取って来なかったことを親に怒られたんだって」


「おばあさんは青鬼を見たって説明したんでしょ?」


「ええ。でも既に薄暗くなっていたので、親も確かめには行かなかったらしいわ」


「それでどうなったの?」


「おばあちゃんはそれからその場所には近寄らなかったけど、何日か後に別の村人がその近くを通ったの。そして今度はその村人が『河童を見た!』って言って逃げ帰ってきたんだって」


「今度は河童なの?」と驚く佳奈さん。私は口が動かなかった。


「それを聞いてほかの村の人たちも見に行ったそうだけど、地面の上に全身が緑色の河童の死体がほんとうに横たわっていたんだって」


「こ、今度は、し、死体なのね?」と私はやっとの思いで声を出した。


「そうらしいわ。おばあちゃんが青鬼を見た場所の近くらしいけど、おばあちゃんは怖がって見に行かなかったって」


「で、その河童ってどんなのだったの?」と聞く佳奈さん。怖いもの知らずなのか!?


「そんなに体は大きくなく、野犬か野鼠に喰われたのかお腹の両脇が裂けていたらしいわ。ただ、頭のてっぺんに皿があって、口にはくちばしがあって、手と足の指には水かきがあったそうなの。仰向けで死んでいたから背中ははっきり見えなかったけど、両脇の背中側に甲羅の端っこが見えたそうよ」


「怖がっていたおばあさんがよくそこまで覚えていたのね?」と私は疑問に思った。


「見に行った村の人たちがその後何度も話していたから、嫌でも覚えたらしいわ。・・・で、河童の死体はその後しばらくして骨だけになっていたので、村の人たちが鍬で砕いて地面に埋めたそうなの」


「骨だけでも取っておけば、後で調べられるのにね」と残念そうな佳奈さん。


「それどころか、村の名物になったのかもしれないのに」


「青鬼は結局見つからなかったの?」と私は芽以さんに聞いた。


「そうみたい。村の人たちは青鬼のことは何にも言わなかったって」


「で、その青鬼と河童は本物なの?」と佳奈さんが私に詰め寄ってきた。


「話を聞いただけじゃ私にはよくわからないわ。だから専門家に聞こうと思うの」


「専門家?藤野さんよりすごい妖怪の専門家がいるの?」と芽以さんと佳奈さんが驚きの声を上げた。


「妖怪じゃないと思うの。でも、私には正確なことがわからないから、明応大学に行って聞いて来る」と私は二人に言った。


放課後になると私は短大の学舎を出て、電車に乗って明応大学の最寄り駅まで行った。そこから徒歩で明応大学まで進む。一色が所属しているミステリ研がある建物がどこか、通りがかった学生に聞きまくる。


何とかたどり着いた部室棟に入り、「ミステリ研究会」の部室を探した。ようやく見つけてドアを軽くノックすると、誰かの返事が聞こえたのでドアをそっと開けた。


中をのぞくと見知らぬ男性の姿が見えた。一色はいないようだった。


「どちら様?」とその男性に声をかけられた。


「わ、私は一色さんの女子高時代の友人の藤野と申します」あわてて自己紹介をする。


「ああ、君が藤野さん?お噂はかねがね・・・」


え?この男性とは初対面のはずなのに、なぜ私のことを知ってるんだ?


「あ、これは失礼。僕はミステリ研の部長をしている兵頭という者です。君が昔書いた『松葉女子高の七不思議を解き明かす』(第2章参照)はおもしろく読ませていただいたよ」


「そ、そうですか?あれは一色さんの活躍を記録したものですが・・・」


「そうだね。松葉女子高のホームズとワトソンのコンビには感銘を受けたよ」


「それはどうも・・・」


「ところで一色さんに会いに来たのかい?」


「はい。相談したいことがありまして」


「一色さんはさっきまでいたけど、法医学研究室の一樹兄さんのところへ行ったよ」


「一樹兄さん?」


「うん、僕の従兄で法医学教室に勤めている立花一樹先生さ」


立花先生は以前一色に紹介してもらった(第5章第18話参照)。下の名前までは覚えてなかったけど。


「一色さんたちに法医学に関することを教えてもらおうと思って来ましたが、お二人は今お忙しいのでしょうか?」


「最近まで全国で起こっていた事件を調べていたようだけど、一段落ついたようだよ」(第3章参照)


「法医学研究室に案内しようか?」


「お手数でなければ、案内していただけると助かります」


「じゃあ、これから行こう」と兵頭さんは言ってくれて、二人で部室を出た。


部室棟を出たところで私たちは近づいて来る男女に気がついた。


「あ、兵頭部長、お出かけですか?」と女性の方が私をちらちらと見ながら聞いてきた。


「そうだよ、仲野さん。・・・あ、この人は一色さんの友だちの藤野さん。彼女はミステリ研部員の仲野蝶子さん」と紹介する兵頭さん。


「藤野さん?・・・ああ、あの」とうなずく仲野さん。私はミステリ研ではそんなに有名なのか?


「その男性は?」と仲野さんの連れの男性を見る兵頭さん。


「僕は蝶子の友人の五十嵐宏樹いがらしひろきと言います。神田君と漫画の話をしたいと思って来たのですが、部室にいますか?」とその男性が聞いてきた。(第1章第31話、32話参照)


「神田君は来ていなかったよ」と答える兵頭さん。


「それは残念。君は漫画を読むのかな?」となぜか私に話しかけてくる五十嵐さん。


「ちょっと、ヒロちゃん、失礼よ、いきなり」と五十嵐さんに注意する仲野さん。


「わ、私は・・・」漫画家で有名な人は誰だっけ?と考えを巡らせた。


「て、手塚治虫ぐらいしか知りませんが」


「手塚治虫は最近落ち目だね。今は創刊されたばかりの少年チャンピオンに『ザ・クレーター』というのを連載しているけど、勢いのあるのは少年マガジンだよ。『巨人の星』、『あしたのジョー』、『無用ノ介』などを連載していて、大学生でも読み応えがある作品が多いよ」とぺらぺらと話し出す五十嵐さん。


「手塚治虫なら知っているけど、もう人気がないのか・・・」とつぶやく兵頭部長。


「いえ、手塚治虫はこれから盛り返しますよ」と私は思わず言ってしまい、みんなの注目を集めてしまった。

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