第28話 横浜の妖怪(打越橋の怪)(3)

「あの言葉が見つかったわよ!」と私が叫ぶと、坂田さんと部屋に来ていた三谷さんが私のそばに寄った。


そのときドアが開いて、天野部長が入って来た。


「あら、あなたたち、何をしているの?」


「実は、自殺の名所と噂されている打越橋というところに行ったんです」と坂田さんが説明した。


「その橋の手すりにこういう碑文があって、どういう意味か藤野さんに調べてもらっていたんです」


坂田さんは三谷さんの手帳に書かれた碑文の内容を天野部長に見せた。


「『すべて重荷を負うて苦労している者はわたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう』?・・・どういう意味なの?」と聞く天野部長。


「その碑文に共立聖書学院と書かれていたので、おそらく聖書からの引用だろうと思って調べてみたんです。そしたらありました」そう言って私は聖書の一ページを三人に見せた。


「新約聖書の中の『マタイによる福音書』の十一章二十八節にありました。・・・この前後を読むと、心に重荷を負っている、つまり精神的な苦痛がある人は私のもとへ来てキリスト教の教義を学びなさい。そうすれば気が楽になって平穏に生きられるようになる、という意味のようなんです」


「自殺を促す言葉じゃなかったのね」と坂田さん。


「むしろ、自殺を止めるような言葉だったのね。死にたいと思っている人に、聖書を読んで落ち着きなさいと言ってるようなものね」と三谷さんも言った。


「なるほど。・・・でもその橋って公共の橋で、聖書学院とかの私有地にある橋じゃないんでしょ?なぜ聖書学院がこんなものを公共の橋に取り付けたの?」


「・・・やはり過去に自殺しようとした人がいて、それを見かねた聖書学院の牧師さんか誰かが市に頼み込んでこの碑文をつけたんじゃないかしら?」と想像で言った。


「でも、あの近所のおばさんは、聖書学院という校名になったのが今から十二年くらい前で、十年前から今まで自殺者はいなかったって言ってたわよね?十年前から十二年前までの二年間に自殺騒動があったのかしら?」と坂田さんが聞いた。


「あのおばさんの言葉が真実かわからないけどね」と私は言った。


「どういうこと?」


「自殺事件があったのを知ってるけど、噂がこれ以上広まってほしくないと思ったから、少なくとも十年間は起こっていないって言い張ったのかもしれないわ」


「なるほど」と感心する坂田さん。


「ほんとうに事故か事件があったのなら、警察に記録が残っているのでしょうけど、わざわざ確かめに行くことはできないわね」


地元の新聞の縮刷版を調べれば記事が載っているかもしれない。しかし過去十二年分の新聞記事を調べる暇はない。


「そう言えば、噂では打越橋の下を車で通ると、ハンドルが取られたりすることがあるって聞いたこともあるわ」


「市電の線路が通っているからね。坂道を上がって来たところでタイヤがレールに引っかかって、ハンドルを取られただけなんじゃないの?」と私は言った。


将来市電が廃止されるとしたら、あの道のレールの上はアスファルトで舗装されるだろう。見た目は平らになるかもしれないが、レール跡の凹みがアスファルトの表面にもかすかな凹みをもたらし、ハンドルが取られるような感覚が残るかもしれない。


「話はちょっとおもしろかったけど、妖怪ハンターが活躍したってほどじゃなかったわね」と天野部長。部長まで私を妖怪ハンターと呼ぶんですか?


「また何かあったら話を聞かせてね」・・・だからフラグを立てないでくださいっ!


その後全員で夕食を食べに食堂に下りた。今日も中華料理かなと思っていたら、大皿にエビフライ、白身魚のフライやポテトサラダが山盛りになっていた。大鍋にはたっぷりのハヤシライスのルーが作ってあり、私と坂田さんと三谷さんはお互いの顔を見合わせた。


その夜は早々に眠り、翌朝起きて食堂で三谷さんと会う。


「今日はどこへ行く?」と聞く。あまり遠くまで歩きたくはない。


「今日は港の見える丘公園へ行きましょうか?」と三谷さん。


港の見える丘公園は昭和三十五年の地図には載っていなかったが、地元民の三谷さんに聞くと山下公園の向こう側ということだった。


朝食後、三人でホテルを出る。まっすぐ山下公園に向かい、公園の向こう端まで歩いた。けっこう距離がある。そして右手に曲がって・・・坂を登るはめになった。


やっと公園の入口までたどり着くと有名な展望台があった。ゆるやかな曲線を描いている展望台からは港がよく見えた。・・・が、言っちゃあ悪いがそれだけだった。


「いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』って歌謡曲があるでしょ?その歌詞に描かれたのはここから見た景色だって言われているわ」と三谷さんが教えてくれた。


しかしまだお昼前だ。ブルーライトなどどこにも見えなかった。


この公園にも観光客が大勢いる。その中に背が高くがっしりした体型の外国人男性が三人くらいで歩いているのを見たが、体がでかすぎて話しかけるには躊躇した。


「これからどうする?」と二人に聞く。


「元町商店街に行こうか?」と三谷さん。


港の見える丘公園を出て外国人墓地の前を通過し、細い坂道と石段を下りたところが元町商店街の入口だ。その手前のパン屋さんでフランスパン(バゲット)を一本買い、三つに分けて、二人に一切れずつ渡した。


フランスパンをかじりながら歩き、元町商店街に入る。そこにはアスファルトで舗装したごく普通の道路しかなかった。歩道すらない。


左右には洋食器店やら洋服屋やらおしゃれな店が並んでいる。その時、主婦らしき外国人女性が歩いて来るのに気づいた。上品な服装をしている。しかしその女性は、歩き食いをしている私たちを見ないようにしてさっさと去って行った。


気にせずに自動販売機で瓶コーラを買う。代金を投入口に入れて、自販機前面左側の縦に細長いガラス戸を開けると、上下に八個の穴が並んでいて、その中からコーラの先端が飛び出ていた。一本を引き抜く。自販機の前面に付いている栓抜きで栓を抜いた。坂田さんと三谷さんも買って、道端でコーラをちびちびと飲んだ。


「ねえ、コカコーラやファンタって甘口と辛口があるのを知ってる?」と突然坂田さんが言った。


「なんか聞いたことがある〜」と三谷さん。


私は全く聞いたことがなかったので、「そうなの?」と聞き返した。


「瓶の側面の下の方に小さな凹みがあるでしょ?この凹みの形が四角なら辛口、丸なら甘口なんだって」


調べてみたら三人とも瓶に一辺数ミリの四角い凹みがあった。


「みんな辛口ね。残念ね。飲み比べができたのに」と坂田さん。


しかしほんとうに味を変えていたのなら、ラベルに明記するはずだ。ひょっとしたら、製造工場の違いとかによるもので、味の違いはないんじゃないだろうか?そう思ったが、真相がわからないので何も言わなかった。


その日一日元町商店街のぶらぶら歩きを続け、やがてまた足が痛くなってきたので、元町近くの電停で市電に乗り、桜木町駅前まで戻った。ワンマン運転で、降りる時に運転席後の料金箱に二十円払う。


明日は最終日だ。三人で相談して野毛坂電停の近くにある動物園に行くことにした。入場無料だそうだ。


翌朝、朝食を終えると三人でホテルの西側に進み、緩い坂道を登った。


野毛山動物園は確かに入場無料だった。だから、ウサギやヤギなど、申し訳程度の動物しかいないのかと思ったら、中はけっこう広く、ゾウ、キリン、トラ、ヒョウ、ラクダ、シロクマ、アシカなどが飼われている立派な動物園だった。


「この動物園、すごいわね。なんで無料なの?」と三谷さんに聞く。


「この動物園が市の所有になった時、当時の市長さんが、動物園は子どもたちの教育施設だから無料で開放しようと決められたのよ」


「偉い市長さんだったのね」と坂田さんも感心していた。


園内はやはり親子連れが多く、その中に紛れて私たちは動物を順に見て回った。


アシカを見ているときに私の隣に欧米人風の少年がひとりで立っているのに気づいた。私は思い切ってその少年に話しかけてみた。


「ハーイ。ディッヂューカムトゥーディスズー、アローン?」


少年は私を見上げると早口で何事かをわめきたてて走り去った。茫然とする私。


「どうしたの?」と坂田さんが聞く。


「外国人の少年がいたから話しかけてみたら逃げられちゃった」


「人さらいかなんかだと思われたんじゃないの?」


「違うわよ!綺麗なお姉さんに話しかけられて、緊張して逃げちゃったのよ」と私は言い返し、坂田さんと三谷さんに笑われた。


夕方、ホテルに戻ると夕食の時間まで部屋でごろごろして過ごした。そして六時前に食堂に下りると、天野部長が仁王立ちをして待っていた。


「みんな、夕食の前に合宿の成果を報告してもらうわよ!」


一気にざわつく食堂内。「聞いてないよ〜」という声があちこちから上がる。どうやら例年は合宿の本来の目的はなあなあで済ませており、観光に勤しむだけの部員がほとんどだったようだ。


「天野部長はきちんとした人だから」と同じテーブルに着いていた祥子さんが言った。


「でも、あなたたちなら大丈夫ね」と私に言う祥子さん。冷や汗が出る。


「まず、一年生の安藤、高橋、横田グループ!全員で前に出て、代表者が合宿成果を二、三分で話して」


一年生三人が前に出る。みんなの視線を浴びて緊張しているようで、顔が赤い。


三人のうち誰が発表するかでしばらくもめた後、ひとりがようやく口を開いた。


「わ、私たちは山下公園を中心に港沿いを巡り、・・・見かけた外国人に話しかけてみましたが、相手にされないことも多く、なかなか会話できませんでした」


これが発表の全てのようだ。一分もかからない。


「来年に向けて度胸をつけなさい」と天野部長が一言論評した。これ以上追求しても話せることはないと思ったからだろう。食堂内に拍手がまばらに鳴った。


「次!坂田、藤野、三谷グループ!」


名前を呼ばれて今度は私たちが前に出た。部員全員の顔がこっちを向いていて、やっぱり緊張する。


誰か話すのかな?と思って坂田さんと三谷さんの顔を見たが、二人は私の顔を凝視していた。仕方なく私が話し始める。


「私たちもまず最初に山下公園に向かい、会話できそうな外国人を捜しました。幸い、日本人の奥さんと赤ちゃんを連れた外国人男性と出会えましたので、会話をお願いしました」


「そう、そう」とうなずくだけの坂田さんと三谷さん。


「その外国人男性は日本語もお上手でしたが、いざ英語を話されるととても流暢に話され、聞き取るのが大変でした。それでもなんとか会話を続け、しばらくしてお礼を言って別れました。坂田さんと三谷さんは赤ちゃんに話しかけていました」


食堂内に笑い声が起こり、坂田さんと三谷さんが頭をかいた。


「その後はなかなか会話できそうな相手に巡り会えませんでした。港の見える丘公園では男性三人組に出会いましたが、体が大きくて、ちょっと怖くて話しかけられませんでした」


賛同するつぶやきが食堂内に沸き起こる。良い言い訳になると思ったのかな?


「元町商店街ではマダムのような感じの女性がいましたが、相手にされませんでした。そして昨日は野毛山動物園に行き、外国人少年に話しかけてみましたが、私を怖がったのか、会話する間もなく逃げられました」


また笑い声が起こる。


「あまり成果が出せなくて申し訳ありません。うまく声をかける方法、声をかける相手の見分け方など、教えていただけたら来年に生かしたいと思います。以上です」


パチパチと拍手が鳴る。


「積極的に活動していたようね。横浜に住んでいる外国人が多いから、『私は観光客ですが、良い観光地を教えてください』的な切り口で話しかけてみるのもいいわね」


天野部長の論評が終わったので、私たちはほっとして席に戻った。


「はい、次は・・・」と、全部で約十グループの報告が続いていく。大半は最初のグループと同じ程度しか話す内容がなく、私たちの発表内容ですら長い方だった。


次は祥子さんたち二年生のグループだった。発表は当然祥子さんが担当する。


「私たちは伊勢佐木町の野沢屋デパートや松屋デパート、別の日には横浜駅のダイヤモンド地下街や高島屋を巡って会話相手を捜しました」・・・実際はウインドーショッピングが中心だったろう。祥子さん本人がそう言っていたから。


「高島屋でアメリカ人の女子大生と出会い、ファッションについて有意義な会話を行いました。その子と仲良くなって住所を教え合い、文通の約束をしました」


「おおーっ」と食堂内から声が上がる。さすがは祥子さんだ。合宿期間だけに留まらず、その後も英語での交流を続けるつもりだ。


「上手に結果を残せたわね」と高く評価する天野部長。「その女子学生との仲を深めてほかの外国人学生も紹介してもらえれば、英研全体で交流できるかもね」


最後は天野部長のグループの発表だった。


「私たちは初日と二日目は、伊勢佐木町のテアトル横浜、横浜日劇、横浜名画座などの映画館で洋画を観て、英会話に耳を慣らしたわ」


ものは言い様だな、と思った。ちなみに日劇は洋画、名画座は邦画の上映で有名だ。リスニングの予行練習でなく、単に映画好きなだけなんじゃないだろうか?


「普段英会話していないと英語を聞き取りにくいから、洋画で練習しておくことがポイントよ」と天野部長。外国人と会話したかどうかは触れられなかった。


「じゃあ、これで報告会は終わり。みんなお疲れ様。最後のディナーを楽しみながら、各自で今回の合宿の反省をしておいてね」


部長の締めの言葉を合図に私たちは厨房に料理を取りに行った。最終日も中華料理だった。クラゲの酢の物、マトンの肉野菜炒め、ナマコとアワビの煮込み、エビのケチャップ煮、小さい肉まん、ゴマ団子などで、最終日なせいか少し豪華だった。


さっそく小皿に取り分けて食べ始めると、ビールの入ったコップを持った坂田さんと三谷さんが声をかけてきた。


「藤野さん、発表ありがとう。まあまあ好評で良かったわ」私を褒める二人。


「実質的な成果はなかったけどね」と正直に答える。


「でも先輩方の行動がよくわかって参考になったわ」と三谷さん。


「来年はデパート巡りか映画館巡りがいいわね」と部長の方をチラ見して言った。


楽しく飲み食いし、みんなが酔い過ぎる前に切り上げ、お風呂に入って寝た。


翌朝、いつもの朝食を食べ終わった後、部長の終了のあいさつがあって私たちは解散した。すぐに帰る人、もう少し横浜で遊ぼうとする人などいろいろだったが、私は早々に帰宅することにした。坂田さんと祥子さんも一緒について来た。


荷物を持って桜木町駅まで歩く。そして切符を買って改札を抜けると、駅の売店でシウマイ弁当をおみやげ代わりに買った。祥子さんと坂田さんはハーバーという洋菓子を買っていた。


合宿での出来事などを思い出して話しながら、実家近くの駅までたどり着く。そこで祥子さん、坂田さんと別れ、約一週間ぶりの我が家に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る