第22話 田舎の妖怪(天狐)(2)

今年(昭和四十四年の八月)、短大生になっていた私は、東北旅行から帰って来た日の三日後に再び弟の武たちと一緒に祖父母の家に泊まりに来た。


翌朝武は早く起き、朝食(納豆ご飯)を口にかき込んでいた。


「今日は魚をすくいに行くから、じいちゃん、またを貸してね」と祖父に頼む武。


「今年も魚をすくうの?よく飽きないわね」と私があきれて言うと、


「遊びじゃないよ。宿題の自由研究だよ。水路にどんな魚がいるか、スケッチして説明を書くんだ」と武が言い返してきた。


「へ〜、私も一緒に行っていい?」と興味を覚えて武に頼んだ。


「行ってもいいけど、大声でしゃべったり、大きな音をたてたりするなよ。魚が逃げるから」


「わかった、気をつけるわ」


私より先に朝食を食べ終えた武は、祖父からとバケツを借りていた。私は朝食を食べ終えると、食器を片づけてから土間に下りた。


家を出て武について行く。やがて幅一メートルぐらいの用水路に近づくと、武がそっと水面をのぞき込んだ。私も水面に影を落とさないよう注意してのぞき込む。


透明な水中に小さな魚が何匹も泳いでいるのが見えた。・・・泳いでいると言うか、水の流れに逆らってほとんど同じ位置に漂っている。


武はそっと川下の方からを近づけると、勢い良く水中にさし入れた。


小魚は瞬時に身を翻して、川下の方に逃げて行った。の中は・・・空っぽだった。


「けっこう素早いのね」


「小さいのは難しいんだよ」と負け惜しみを言う武。


「泳いでいるのを捕まえるより、岸辺の水草が生えているあたりをでがさがさする方がいいんじゃない?きっと小魚が隠れているわよ」と私は言った。コンクリートで護岸されていない、自然に近い形の用水路だった。


「そうかなあ?」と半信半疑ながら、武は靴と靴下を脱いで川の中に入った。あまり深くはない。近くを泳いでいた魚はすぐに逃げて行った。


武は網を水中に入れると、水草が生えているあたりの水底をこそぎとるように何度もたもを差し入れ、それからすくい上げた。


「あ、獲れた!」と叫ぶ武。の中を見せてもらうと、ゴミに混じって長さ数センチくらいの小魚が一匹入っていた。


「小さいね、メダカかな?」


「メダカよりは大きいよ」と武が答えると、水を入れたバケツにその小魚を移した。


「じゃあ何の魚なの?」と聞く。


「わからない。・・・だからスケッチをして、後で図書館で図鑑を借りて調べてみる」


再びがさがさと用水路の中をあさる武。を水上に引き上げると、中から草や枝などを取り出して捨て、網の中から魚らしきものをバケツに移した。


「これはドジョウね。虫やタウナギなんかは獲らないでね。あと、カエルやザリガニも」と私は言ったが、武はろくに聞かずにまた用水路の中にを突っ込んだ。


「あ、おにいちゃん!あたしにもさせて!」と、突然背後から声がした。


私たちが振り返ると、そこにはピンク色の毛玉だらけのTシャツを着た女の子が立っていた。小学校低学年くらいの子だ。


「あ、あなたは点子ちゃん?」私は思わず聞いた。


一年ぶりに改めて点子ちゃんを見る。・・・どう見ても普通の小学生女児だった。


「てんこじゃないよ、てるこだよ」と私に向かって言う点子ちゃん、じゃない、てるこちゃん。漢字では照子と書くのかな?・・・去年は少し舌足らずだったので、てるこをてんこと聞き間違えたようだ。


「ごめんね、て、照子ちゃん。苗字は何て言うの?」


「なかだだよ。なかだてるこ」中田照子と書くのかな?


「じゃあ、靴を脱いで来な」と武が言うと、すぐに照子ちゃんは履いていたズック靴を脱いだ。靴下は履いていなかった。


武はを川岸に置き、照子ちゃんの体を支えて用水路の中に立たせた。


そして武と一緒にの柄を握って、川岸の草の根元にを突っ込んだ。


「おうちはこのあたりにあるの?」とさらに聞いてみたが、既に照子ちゃんは武との魚すくいに夢中になっていた。


をすくって、また何かの小魚をバケツに移す二人。


「これ、たべるの?」と聞く照子ちゃん。


「食べられるかなあ?」と首をひねる武。はらわたを取って素揚げにすれば骨ごと食べられそうだなと私は思った。


「後でこの魚の絵を描くんだ」


「あたしもする!」


「いいけど、まずは魚をたくさん集めないとな」と武は照子ちゃんに優しく言って、二人で用水路の中を歩いて行った。


私はバケツと二人の靴を持ち、用水路沿いの道を歩いて二人について行く。


その時、用水路の中からばしゃばしゃと激しい水音がした。私がのぞき込むと、ちょっと大きめの魚がの中に入ったようだった。


「フナだよ!」二人でを持ち上げる武。


「ふなだ!ふなだ!」と照子ちゃんもはしゃいでいた。


バケツにフナを移す二人。


「いったん家に帰って、今までつかまえたやつの絵を描いてみるかな」と武。


「あたしも!あたしも!」とはしゃぐ照子ちゃん。


二人を用水路から引き上げ、靴を履かせていったん祖父母の家に向かった。


「大きいのが獲れて良かったね」と照子ちゃんに話しかける。


「そう言えば去年、武がすくったフナを照子ちゃん、持って帰ったんでしょ?あれをどうしたの?」


「え・・・と?」と首をひねる照子ちゃん。一年前のことなど覚えてないかな?と思ったら、


「あ、おもいだした!」と照子ちゃんが言った。


「ごはんのおかずにしようとおもったけど、かえりみちに子いぬがいて、さかなをみせたらくわえてにげちゃった」


「そうだったんだ・・・」その子犬こそ、子狐だったのかもしれない。


「そのふな、あとでもらっていい?」と武に聞く照子ちゃん。


「絵を描いた後でいいならあげるよ」と武が答えた。


家に帰ると既に昼食の用意ができていた。私たちが小さな女の子をつれて来たので祖父母と両親は驚いたが、すぐに去年会った子だと気がついたようだ。


「一緒にご飯を食べるかい?」と祖母が照子ちゃんに聞く。


「うん」と満面の笑顔で答える照子ちゃん。


バケツとは土間に置き、手を洗って食卓に着く。照子ちゃんの食器を用意している祖母に、


「あの子、名前は中田照子なんだって」と伝えた。


「駅の向こうで雑貨屋を営んでいる中田さんの孫かしら?」とつぶやく祖母。


駅の向こう側か。何キロかあるから、けっこう遠くから来たんだな、と私は思った。帰る時は武に送らせなくては。フナも手づかみじゃなく、バケツに入れて持って行かせないと。


私たちが昼食を終えると、照子ちゃんはすぐに武に、


「おにいちゃん、またさかなをとりにいこうよ」と言った。


「その前に写生するから待って」と答える武。


さっそく縁側のそばにバケツを持って来ると、魚を一匹手ですくって縁側に横たえた。ノートと色鉛筆を持って来てその魚の絵を描き始める武。魚が死ぬ前に書き終えてほしい。


武を見て照子ちゃんも絵を描きたがったので、私がたまたま持って来ていた小さいスケッチブックと鉛筆を照子ちゃんに渡した。ここでは似顔絵を描くことはないだろう。


二人で縁側に寝そべりながら絵を描いている。武はまじめに魚の絵を描いているようだが、照子ちゃんはなぜかお姫様の絵を描いていた。やっぱり女の子だね。


絵を描き終わると武と照子ちゃんはまたバケツとを持って出かけて行った。さすがに今度は私はつき合わなかった。


しばらくしてから戻って来る二人。


「二人ともお上がりなさい。今、スイカを切るからね」と祖母が言い、照子ちゃんはにこにこしながら客間に上がった。


「手は洗ったの?」と武に聞く。


「家の前の水道で洗ったよ、俺も照子ちゃんも」と答える武。


「あなたはバケツとを持ってるじゃない。土間に置いてもう一度手を洗ってきなさいよ」と武に言うと、しぶしぶ手を洗いに行った。


「あ、はずれだわ!」と突然祖母が言った。見ると、包丁でスイカを半分に切ったところで、スイカの黄色い身が露わになっていた。


「ほんとだ。黄色いスイカだわ」この時代では黄色いスイカはブランド化されておらず、はずれ扱いされている。


祖母が切り分けるスイカをみんなで次々と受け取る。全員が手にしたのを見てさっそくかぶりついたが、甘くさっぱりした味で、はずれだとは思わなかった。


「おいしいわよ」と私が言うと、照子ちゃんも「おいしい」と言ってくれた。祖母は嬉しそうだった。


「照子ちゃんは夏休みの間だけこっちにいるの?」と聞くと、照子ちゃんは首を縦に振った。


「小学校はどこに通ってるの?」


「ふたばしょうがっこう」と答える照子ちゃん。


「知ってる?」と祖父母に聞くと、二人とも「知らんな」と答えた。


「この辺の小学校じゃなさそうね。・・・町の方なの?」


うなずく照子ちゃん。


「いつからこっちに来ているの?」


「なつやすみになってから。・・・かあちゃんにばあちゃんちへつれてきてもらった」


「中田さんは一人暮らしだから、にぎやかになって嬉しいでしょうね」と祖母。


「でも、かあちゃんはしごとでかえった」と照子ちゃん。今は祖母と二人きりなのか・・・。


「ラジオ体操には行ってるの?」と聞くと、照子ちゃんはかぶりを振った。


「どこでしてるかしらない」


武に照子ちゃんをラジオ体操につれて行くよう言おうと思ったが、駅の向こうに住んでいる照子ちゃんを迎えに行くには五時過ぎに起きなければ間に合わないだろう。さすがにそれは負担が大きすぎる。・・・私まで早朝に起こされる危険がある。


「武、駅向こうのラジオ体操の場所を調べて、照子ちゃんに教えて上げなさいよ」と言うのが精いっぱいだった。


その日の夕方になると武は照子ちゃんを家に送って行った。照子ちゃんは小魚を持って帰ると言い、古い鍋に小魚を移して、武が持った。


武は家を出てから一時間半後に帰って来た。「遅かったわね」と声をかけると、


「けっこう遠かったよ。帰りは走って帰って来たけど」と武。行きは照子ちゃんがいるし、鍋を持っていたから急げなかったのだろう。


「照子ちゃんはよくひとりでここまで来たわね」と感心する。


「中田さんには会ったのかい?」と聞く祖母。


「おばあさんが家から出て来たのを見たけど、頭を下げただけ。そのまま鍋を持った照子ちゃんと雑貨屋の店内に入って行ったよ」と武が答えた。


「お疲れさま」と私はねぎらった。「照子ちゃんは明日また来るんでしょ?」


「そうだと思う」


「明日は神社で祭があるから、つれて行くといい」と祖父が武に言っていた。


翌朝、朝食の準備を手伝っていると、


「きたよ〜!」と言って照子ちゃんが家に入って来た。


「もう来たの?早いわね」・・・一体何時に家を出たんだろう?


「朝ご飯は食べた?」


「まだ」と照子ちゃんが答えたので、照子ちゃんの朝ご飯も用意した。と言ってもたいしたご馳走があるわけではなく、漬け物や納豆だけだったが、照子ちゃんはおいしそうに頬張っていた。


「今日はお祭りがあるから、一緒に行こうね」と言うと、


「おにいちゃんといっしょならいく〜」と武に向かって言っていた。

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