第23話 田舎の妖怪(火吹き女・蛇女)
私は両親と武と照子ちゃんと一緒に祖父母宅を出た。
「昨日のお魚は食べたの?」と聞くと、照子ちゃんは首を横に振った。
「ひとばんおいて、ばあちゃんがこんやにるんだって」・・・煮魚か。小骨が多いんじゃないだろうか、と余計な心配をする。
毎年のことだが、神社に向かう道をけっこう多くの人が歩いている。私たちは普通に歩いていたが、照子ちゃんは私たちの前で踊るようにはしゃいでいた。
まもなく神社の参道に入る。既に多くの出店が開店しており、照子ちゃんが目の色を変えて見回していた。
「照子ちゃんの面倒はあなたが見てね」と武に言う母。
「え〜?」と不満そうだったが、少し多めにおこづかいを渡されると喜んで、照子ちゃんをつれて出店を物色し始めた。
両親と境内の中を回っていると、出店のひとつに見世物小屋があった。入り口の横には「親の因果で生まれた一つ目の赤ん坊」とか「殺したヘビのたたりの怪奇ヘビ女」とかおどろおどろしい宣伝文句が書かれている。いろいろと問題がありそうな内容だ。
私がじっと見ていると、父が、「あれは実は、中に入ると絵が描かれた板が飾ってあるだけだぞ」と耳打ちした。
「そうなの?」と私が聞き返した時、
「いい加減なことを言わないでおくれよ」と、見世物小屋の前に立っていた、白装束に身を包み、ちょっとケバい化粧をした中年女性が文句を言ってきた。
「ほんとうに火をぶわ~って吹くんだから、一見の価値があるよ。それに大蛇を身にまとう蛇女もいるからね」
「ご、ごめんなさい」とあわてて謝る。父は知らんぷりをしていた。
「謝らなくていいから入っておくれよ。もうすぐ始まるよ!一生の思い出になるからね、見ていきなよ」
「あの、おばさん・・・」私が声をかけると、その女性がきっとにらんだ。
「お、お姉さんが、出演されるんですか?」その迫力に負けて言い直す。
「そうだよ。私が火を吹くからね、そりゃあ見物だよ。一生の思い出になるから、見ていきなよ」
「は、はい・・・」さすがに断って逃げる勇気はなかった。
「私は入ってみるけど、お父さんたちはどうする?」と両親に聞く。
「私たちはそろそろ帰るから、美知子ひとりで観なさい」と母に突き放された。
観念して百円の入場料を払って中に入る。高いのか安いのかわからない。
中は縦横十メートルぐらいの掘っ建て小屋で、片方の壁際に地面を棒の柵で区切っただけのステージが設けられており、客席側には木製のベンチが並べてあった。
他の三方の壁際には、おどろおどろしい絵が描かれている大きな板が立てかけられていた。墓地の中に佇む口が裂けた少女、ベッドの上で母に抱かれているひとつ目の赤ちゃん、大蛇を身にまとう半裸の女性など。・・・これが父が言っていた、絵だけの見せ物なのだろう。怖くはないが異様な雰囲気のある絵で、順に絵を見て回った。
その時、ステージに中年男性が現れた。
「これより火吹き女が出て来ます!皆様、お席にお着きください!」
私は急いで最前列のベンチに座った。客はほかには男性が数人しかいない。・・・まだ午前中だからね、夜になってからの方がおどろおどろしく感じられて、もっと観客が増えるのだろう。
ステージの中には粗末な木の机と椅子が置いてある。ステージの横には布がかけられていて、楽屋になっているようだった。中年男性と入れ替わりにその布をかき分けてさっきの白装束のおばさんが入って来た。手に湯のみとろうそく立てを持っている。ろうそくには火が灯っていた。
おばさんは椅子に座ると、机の上にろうそく立てと湯のみを置いた。とたんに楽屋の方から軽快な音楽が聞こえてくる。かすれた音が混ざっているので、レコードをかけたのだろう。
「これより炎を吹き申す。しばし静観してお待ちくだされ!」突然話し出すおばさん。
雑談が止まり、観客の視線がおばさんに集中する。するとおばさんは机上の湯のみを手に取り、口元に傾けた。何かの液体が入っているようだ。
私たちがじっと見守っていると、おばさんは湯のみを机の上に置き、かわりにろうそく立てを取ってあごの近くに寄せた。おばさんの口の前でろうそくの炎が揺らぐ。
次の瞬間、おばさんが口の中から霧状のものを吹き出した。その霧にろうそくの炎が燃え移り、おばさんの顔の前にぼわっと炎が広がった。その明るさに一瞬目が眩む。
おばさんはろうそく立てを持ったまま片手で湯のみを取り、また口元に傾けた。そして湯のみを置くと、再び私たちに向かって炎を吹き出した。
炎は丸太の柵を越えるほど伸びなかったが、それでも私の度肝を抜くには十分だった。
おばさんがろうそく立てを机の上に置いたので拍手をする。おばさんは拍手に応えることなく、体を横に傾けると、机の下に隠してあった壷に口の中に残っているものを吐き出していた。
・・・おそらく灯油のような可燃油を口に含み、吹き出していたのだろう。飲み込めるようなものではないようで、おばさんは机の下に置いてあった大きなとっくりを口に傾け、水らしきものを口に含んでから、壷の中に吐き出していた。
その動作を何度も繰り返している。・・・火吹きはすごかったが、口をすすぐところは見たくなかった。
口の中を洗い終えたのか、おばさんは一礼すると湯のみとろうそく立てを持ってステージ袖の楽屋に戻って行った。そして代わりにさっきの中年男性が現れる。
「お次は大蛇を身にまとう蛇女の登場です」中年男性が口上を述べると、観客の男性たちが盛大な拍手を送った。板の絵に描かれた蛇女がちょっとエッチな格好をしていたからだろう。ステージの机と椅子が楽屋に仕舞われて(男性客の)期待が高まる。
しかし、レコードの音楽が流れ始めて出て来たのはさっきの白装束のおばさんで、板の絵ほどセクシーではなかった。首には長さ一メートルあまりのぐったりしたアオダイショウを巻いている。・・・確かに大きい蛇だが、大蛇と言うほどではない。
おばさんはレコードの伴奏に合わせて蛇を両手で持って踊るような仕草をしてみせたり、蛇に噛みついてみたりした(ほんとうに噛んでいるわけではなさそうだ)。そして伴奏が終わると、一礼して蛇と一緒に楽屋に戻って行った。まばらに拍手をしていると、入れ替わりにさっきの中年男性が現れた。
「興行はこれにて終了です。お知り合いをお誘いの上、またのお越しをお待ち申し上げます」
私はベンチから立ち上がると、何とも言えない表情で小屋の外に出た。両親はもういなかったので、武たちを探そうと思って出店の方に歩いて行った。その途中、綿菓子屋を見つけたので綿菓子を注文する。
たらいのような容器の中央に金属製の筒状のものがあり、高速で回転している。綿菓子屋のおじさんがザラメを筒の中に入れると、まもなく白い糸状に変化したザラメが筒の周囲に吹き出してきて、おじさんが割り箸で上手に絡め取っていった。
要するに綿菓子は砂糖だけでできている。砂糖を直接食べるのと同じことだ。ただ、ザラメを直接口に入れたらじゃりじゃりして食感が良くないが、私が受け取った綿菓子を口に含むとすぐに溶けてなくなった。不思議な食感だ。
「雲を食べているみたい。よくこんな食べ方を考えついたものだわ」と私は感心した。
そんなことを考えていると、向こうから武と照子ちゃんが歩いて来るのに気がついた。照子ちゃんは口に長い糸をくわえ、もごもごしている。
「何をしていたの?」と近寄って武に聞く。
「くじを引いてたんだ」と答える武。一等の景品はプラモデルだが、はずれの飴しか当たらなかったようだ。
「照子ちゃんは何を食べているの?」
「糸を引っ張って取る飴だよ」・・・ただの糸を食べてなくて良かった。
「あ!わたあめだ!」と私の手に持っているのを見て叫ぶ照子ちゃん。
「照子ちゃんも綿菓子を食べる?」と聞くと、
「うん!」と元気よく答えた。
「じゃあ、その飴を食べ終わってからね」と私が言うと、照子ちゃんはあわてて糸を引っ張って抜き取り、口の中の飴を無理矢理飲み込んで、目を白黒させていた。
「たべた〜」と言って口を開けてみせる照子ちゃん。
「あわてなくてもいいのに」と私は言ったが、しかたなく綿菓子をもう一個注文する。
割り箸に絡めとられる綿菓子が少しずつ大きくなっていく様子をおもしろそうに見つめる照子ちゃん。
「何もないように見えるのに、どんどんわたあめが大きくなるのが不思議だね」と照子ちゃんに話しかけた。
照子ちゃんが綿菓子を受け取る頃には、私の持っていた綿菓子は縮んで硬くなっていた。食感が悪くなった綿菓子を私は黙ってかじり続けた。
そろそろお昼どきだ。「昼食はどうする?」と私は二人に聞いた。
祖父母の家に帰って昼食を食べてもいいが、また神社に戻って来なければならないのでちと面倒だ。
私と同じ考えだったのか、武がすぐに「俺はここで焼きそばとたこ焼きでも食うよ」と言ってきた。
「照子ちゃんは?」と聞くと、飴と綿菓子を食べたばかりだったせいか、あまりお腹がすいていないようだったが、遠慮がちに一軒の出店を指さした。
「今川焼き?・・・いいわよ。私も食べるわ」と私は言った。
「じゃあ、俺はひとりで食べて来るから代金をくれよ」と武が私に言う。
「もらったおこづかいをもう使い果たしちゃったの?何回くじを引いたのよ?」と私はあきれたが、財布から五百円札を出して武に渡してやった。
喜んで焼きそばを買いに行く武。それを見送って、照子ちゃんは私の手を握った。・・・魚とりでは武にくっついていたが、ここでは私の方が(主に金銭面で)頼りになると悟ったのかな?
二人で今川焼きを売っている屋台に行く。今川焼きとは厚い円盤状に焼いた和菓子で、中にあんこが詰まっている。大判焼きとか、回転焼きとも呼ばれるやつだ。
今川焼きを二個買って照子ちゃんに一個渡す。こうして今川焼きをまじまじと見ると、和風ハンバーガーみたいだ。これ一個でけっこうお腹が膨れるだろう。
境内の端で今川焼きを食べ終わった頃に、焼きそばを食べ終わったらしい武が戻って来た。その後もまだしばらく三人で境内の中を見て回っていたが、そこそこ時間が経ったので私は武に言った。
「そろそろ帰ろうか。私は明日帰る準備をしなければならないから」
「どこにかえるの?」と武に聞く照子ちゃん。
「自分の家だよ。町の方にある」と武が答えると、
「かえらないで〜!なつやすみがおわるまでいっしょにあそぼうよ〜」と照子ちゃんが武に食い下がった。
「武はもう少し泊まっていったら?私は近々合宿があるから帰らないといけないけど、武は早く帰る必要はないでしょ?」
「そうだけど・・・」
「とりあえず帰ってから決めましょう。照子ちゃんを送って行かないといけないし」
「う、うん」と答える武。
私は武と照子ちゃんをつれて、まだ人が多い神社の境内を後にした。照子ちゃんはもっとお祭りを見たいようだったが、そろそろ帰らないと家に着く頃には暗くなりそうだった。
「おまつりはあしたもあるの〜?」と武に聞く照子ちゃん。
「今日で終わりだよ」と武が答えると、照子ちゃんは残念そうな顔をした。
祖父母の家に着くと、武は私と別れて照子ちゃんを家に送って行った。小さい子をひとりで帰すわけにはいかないからだけど、武もよく面倒をみるなと感心する。
私は祖父母と両親に「ただいま」と言ってから、「私は明日帰るけど、武はもうしばらく泊まるかも」と伝えた。
「おお、そうかい」と言いながら、喜んでいる風の祖父と祖母。
あたりが暗くなった頃に武が帰って来た。手には昨日小魚を入れて行った鍋を持っていた。「お疲れさま」とねぎらう。
「中田さんには会ったのかい?」と聞く祖母。
「うん。おばあさんが出て来たら照子ちゃんが大声で『おまつりたのしかった〜。おやつたべた〜』とか言ってさ、俺に向かって『いつも遊んでくれてありがとう』って言って鍋を返してくれたよ。それだけだけどね」と武が答えた。
「武はいつまでいるんじゃ?」と聞く祖父。
「う〜ん・・・」と天を見上げて唸る武。早く帰りたいという気持ちと、照子ちゃんを置いては帰りにくいという思いがせめぎ合っているのだろう。
「一週間ぐらいいなさいよ」と私は口をはさんだ。
「そうだな〜」と武はまだ考え込んでいた。
翌朝も照子ちゃんは朝早くから来て、一緒に朝食を摂った。私が帰る仕度をしていて心配したようだが、武が残ると聞いて喜んでいた。
「きょうはなにしてあそぶ〜?」としきりに聞いている。
「英研の合宿はいつだったかしら?」と私に聞く母。
「二十三日の土曜日に同窓会があって、合宿は二十五日の月曜日から二十九日の金曜日までの予定」と私は答えた。
その間に武と照子ちゃんは遊びに行き、私と父は祖父の軽トラの荷台に、母は助手席に乗った。
「おばあさん、お世話になりました」と祖母にあいさつすると、軽トラがゆっくりと発車した。
荷台の上で心地良い風を受けながらあたりを見回す。次にここに来るのは来年の夏休みかな?それとも来年は就職活動をしているのかな?いい就職先が見つかればいいけど・・・。
そんなことを考えていると、少し離れたところの田んぼのあぜ道に、たもを持った武と照子ちゃんがいるのに気づいた。二人とも祖父の軽トラには気づかず、じっと田んぼの脇の用水路を覗いているようだった。
そんな二人の姿もどんどん遠くなり、私たちは間もなく駅前に着いた。
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