8 事件当夜の女の正体

「とりあえず一色さんの推理をまとめてみよう」と電話で島本刑事が言った。


「まず吉村刑事が金井家の事件を調べ始め、長沢元係長の息子の太一、太田巡査長、高田巡査に話を聞きに行った。その直後、誰かが吉村刑事、長沢太一と高田巡査に長沢元係長の十年前の収賄の疑惑を話した。この誰かとは当時の部下だった太田巡査長以外にはいないだろう。そしてどういう経緯か、長沢太一と太田巡査長と高田巡査は村山の現住所を知り、吉村刑事には転居前の千葉の住所を誰かが教えた。この誰かが誰なのか現時点では不明だ。吉村刑事は村山に贈賄の事実を聞くために二月二十三日に上京し、同日、長沢太一と高田巡査も上京した可能性がある。長沢太一は村山の口を封じるために四種類の凶器を使って刺した。続いて吉村刑事か高田巡査が、倒れていた村山を切り出しナイフでさらに刺した。三月二十五日には太田巡査長が梅川晃子を口封じのため殺した。そして四月十五日に殺人の追求を恐れた誰かが吉村刑事を殺害した。・・・こんなところか?」


「はい」


「筋は通っているように思うが、物的証拠がないと追求しにくいな。誰かを自供させられれば、芋づる式に全容がわかってきそうだが・・・」


「梅川を殺す時に使った田主丸たぬしまるというぎ木小刀は聞いたことがありませんでした。となると、刃物の専門店でしか売っていないのでは?」


田主丸たぬしまるを売ったと思われる店は既に大阪府警でつかんでいる。・・・太田巡査長の顔写真を店員に見せて、買ったのはこの男かと聞いてみるか。ありがとう、一色さん。捜査の方向が見えてきたよ。一色さんの推理が当たっているかどうか、すぐにわかるだろう」そう言って島本刑事は電話を切った。


「聞いていたよ、一色さん」と同じ部屋にいた立花先生が私に話しかけてきた。


「同一犯による連続殺人ではなく、複数の犯人がそれぞれ別々に犯した事件だったのか」


「そうですね。吉村刑事の聞き込みが発端となった連鎖殺人とでも呼びましょうか。・・・もっとも三人の殺人が互いにまったく無関係の、たまたま起こった別々の事件という可能性もありますが」


「そんなことはないだろう。まだ判明していない事実がいくつもあるけれど、それを調べるのは警察の仕事だな」と立花先生が言ってにっこりと微笑んだ。




その日下宿のアパートに戻ってドアを開けると、玄関に女性の靴が置いてあるのに気がついた。


「お客さまかな?」と思っていると、台所から知らない女性が顔を出した。ポニーテールの若い女性で、なぜかエプロンを着けている。


「おかえりなさい。あなたが千代子さんね?」とその女性が私に話しかけてきた。


「は、はい。そうですけど・・・」驚いて次の言葉を口に出さないでいると、奥の部屋から兄が出て来た。


「おかえり、千代子」


「ただいま、兄ちゃん。・・・お客さま?」


「あ、ああ。・・・同僚の松村さんだ。今夕食を作ってもらっている」


「え?兄ちゃん、彼女がいたの?」と私が聞くと、兄と松村さんの顔が赤くなった。


「ば、馬鹿、まだ交際しているわけじゃない」とあわてて言う兄。


「でも、彼女でもない女性が夕食を作ってくれるなんて、おかしくない?」


「お前の帰りが遅いから、たまたまそういう流れになっただけだ」


「じゃあどうして来られたの?」とさらに追求する私。


「ゆ、夕食の準備ができたから、一緒に食べながら話しましょう」と松村さんがあせりながら言ったので、私は部屋の中に入った。


和室にちゃぶ台が置かれ、その上に煮物や焼き魚などの和食の料理が並んでいる。見た目が綺麗な料理だ。手慣れているな、と私は感心した。


私と兄がちゃぶ台の前に座ると、松村さんも座って私と兄のお茶碗にご飯をよそってくれた。お吸い物もある。


「それではいただきましょう」と松村さんが言った。優しそうな物言いで、私は好感を持った。


「いただきます」と言ってお吸い物のお椀を手に取る私と兄。


「実は職場での休憩中にね、大悟さんからお隣で起こった殺人事件の話を聞いたの」と話し出す松村さん。大悟は兄の名前だけど、名前で呼ばれるような関係かな?


私は平静を装ってお吸い物をそっとすすった。なかなかいい味だ。普段の私なら作らないレベルの手の込んだ味だった。


「そこで大悟さんが帰宅した際に女性とすれ違ったって話を聞いてね、さらにその女性がお隣で起こった殺人事件の容疑者だって言ったから私は驚いたの」


「何で驚いたんだろう?」と疑問に思いながら松村さんの顔を見ると、また赤くなっていた。


「・・・実はその女性は私なの」


松村さんの突然の告白に私は思わず口の中のお吸い物を噴き出しそうになった。


「え?え?・・・どういうこと?」私が兄の方を見ると、兄はわざとらしくそ知らぬ顔をしている。


「私は前から大悟さんが気になっていて、その日はお休みだったから、勇気を出して自宅に会いに行こうと思ったの。恥ずかしいから顔が隠れるようなサングラスをしてね」と顔を赤らめながら話す松村さん。


「でもなかなか勇気が出なくて、自宅で考え込んでいたら家を出るのが遅くなったの。結局ここに着いたのが七時頃になってしまったわ」兄の顔も赤くなっている。


「でも、お宅はお留守だったの。それまで緊張していたのに、一気に気が抜けてしまったわ。私は残念だけどほっとしたような気持ちになって、ここを去ろうとしたら・・・」


「その時ちょうど兄が帰って来たんですね?」


「そうなの。気が緩んでいたところに突然出会ったから、私はあせって何も言えずに逃げるように立ち去ってしまった。・・・そういうわけで、私は殺人犯じゃないのよ」


「よくわかりました」と私はうなずきながら松村さんに言った。


村山を殺した男が女装していた可能性を考えていたけど、女と見間違えるくらい完璧に女装できる男性は滅多にいないだろう。いくら兄でも女装した男には気づきそうなものだ。本物の女性だったのなら納得だ。


「兄ちゃんはその女性が松村さんだって気がつかなかったの?」


「そ、その時の松村さんは髪を降ろしていて、普段の髪型とは違ってたし、サングラスもかけていたし、ハイヒールを履いていたせいか普段よりも身長が少し高かったからまったく気がつかなかった。声をかけてくれればすぐにわかっただろうが」と兄は弁解した。


「ま、まあ、兄ちゃんを好きになった物好きな女性がいて私は嬉しいわ。これからよろしくお願いします」と私は松村さんに頭を下げた。


「ところで、松村さんがここへ来た時、兄以外の誰かを見なかった?」


「そう言えば、この部屋に向かって歩いている時に、反対方向から来た男性とすれ違ったわ。大悟さんでないことはすぐにわかったから私は声をかけなかったけど、向こうも無言で足早に去って行ったわ」


「その人の顔を覚えている!?」と私はあわてて松村さんに聞いた。


「あれから二か月以上経っているけど、まだ何となく覚えているわ」


「松村さん!」と私は大声で言った。びくっとする松村さん。


「そのことを警察で証言してもらえないかしら?犯人の逮捕に繋がるかもしれないから!」


「い、いいけど・・・」私の勢いに押され気味の松村さん。


「だ、大悟さんが一緒に来てくれるなら・・・」


「兄ちゃん、お願いね!」と私は兄に迫った。


「お、おう。・・・わかった」兄も私の迫力に押されてうなずいた。




翌朝、兄は休みを取った。警察署に行く松村さんに連れ添うために。


私はいつも通りに大学に行き、夜七時頃に法医学教室の事務室で島本刑事からの電話を受けた。


「一色さん、お兄さんの同僚の女性の証言のことは聞いたよ。その人が見た男は長沢太一で間違いないらしい。これで捜査がはかどると、大阪府警こっちでもみんなが喜んでいる」


「お役に立って良かったです」


「さっそく長沢太一を任意で呼び出して事情を聞くとともに、凶器の入手経路を調べている」


私は長沢太一が持参して使用したと考えられる四種類の凶器、つまりノミ、千枚通し、文化包丁、肥後守ひごのかみのことを思い出した。


その日はそれ以上のことは聞かせてもらえなかった。まだ捜査が始まったばかりだったからだ。


その後の捜査の進展を教えてもらうよう島本刑事にお願いして、その日はアパートに帰った。


途中で夕飯の材料を買い、ざっと料理を作って兄の帰宅を待っていたが、兄はなかなか帰って来なかった。


兄が帰って来たのは夜十時過ぎだった。


「遅かったね、兄ちゃん。松村さんと警察署に行ったの?」


「ああ。待ち合わせをして、朝十時頃に隣の事件の捜査本部が置かれている警察署に行ったんだが、緊張したよ」


「それでどうだった?」


「最初は受付にいる婦人警官に俺が話しかけたんだ。・・・『村山の事件のことで担当の刑事さんにお話があります』って話しかけたんだけど、最初は話が通じなくて参ったよ。『村山の事件って何ですか?』ってきつい調子で聞き返され、ほかにたくさんの人がいる中で必死に説明したよ」


「それは大変だったね」と私はねぎらった。


警察署には免許の更新やら、紛失物の届出やらで市民がけっこう大勢訪れる。その中で殺人事件の説明をしていたら注目され、ますますあせったことだろう。


「ようやく理解してもらえ、担当の刑事さんに連絡が行くと、俺と松村さんは別室に招かれたんだ。そこで俺がざっと説明すると、犯人らしき男を見たのが松村さんだと知って、刑事さんは松村さんだけ『調書を取るから』と言って連れ出したんだ」


「兄ちゃんはずっとその部屋でひとりでいたの?」


「うん。松村さんが部屋を出る時に不安そうな顔で俺の方を見た。けど、どうすることもできないだろ?俺はお茶をすすりながら二、三時間くらい待たされた。・・・そのお茶は別の婦人警官が淹れてくれたんだ」


「本当に大変だったね」


「松村さんも刑事に尋問されて怖かっただろうが、俺も心配で、することもないし、部屋の中をうろうろしながら時間をつぶしていたよ」


島本刑事がいれば、兄にもう少し気を遣ってくれただろうな、と思いながら兄の話の続きを聞いた。


「ようやく松村さんが戻って来たら、涙ぐんでいてさ、俺は『大丈夫だったか?ひどいことをされたんじゃないだろうね?』と刑事さんの目の前で聞いてしまったよ」


「兄ちゃん、さすがに証言してくれる人にひどい扱いはしないと思うけど」


「うん。松村さんも『大丈夫。緊張したけど、刑事さんたちは親切だった』と言ったんで、俺は刑事さんに頭を下げたよ。俺たちは苦笑している刑事さんにお礼を言われ、出口まで案内されて警察署を出た」


「松村さんはどんなことを聞かれたの?松村さんに話を聞いた?」


「ああ。松村さんは別の部屋に連れて行かれ、あの夜見たことを説明して刑事さんたちが記録したそうだ。その後、誰か知らないけど三人の写真を見せられ、その中にあの夜すれ違った男の写真があったので、指さして教えたんだって」


「すぐにわかったの?ちらりとしか見ていなかったんじゃないの?」


「その三人の顔は互いに似ておらず、あの夜見た男とそっくりの顔はすぐにわかったんだそうだ。刑事さんは『ナガサワだな』と言っていたんだって」


「容疑者のひとりだよ、その人は。松村さんの証言で、捜査が進むと思うよ」


「松村さんはその男とすれ違った時のおおよその時刻や、その男の服装などについて説明したんだそうだ。それを刑事さんは供述調書というのにまとめて、できた調書の文章を松村さんが読まされ、証言内容と違いがないことを確認してから最後に拇印を押したんだとさ」


「松村さんにお疲れ様と声をかけたいね」


「警察署を出た時にはお昼過ぎになっていたから、俺は松村さんと一緒に食事に行ったんだ。で、この時刻になって職場に行くのも気が引けるし、家に帰るには早すぎるしで、松村さんと時間を過ごすことにした」


「デートになったんだね?」と私が言うと、兄は顔を赤らめた。


「昨日、松村さんは俺に気があるって言ってただろ?俺は今まであまり松村さんを意識したことはなかったんだが、そう言われて改めて松村さんを見てみたら・・・」


「けっこう可愛いと思って、交際することにしたんだね、兄ちゃん?」


「ま、まあ、そう言うことだ」私の顔を見ずに答える兄。


「松村さんは料理も上手だし、いい奥さんになるんじゃない?」


「ば、バカ、兄貴をからかうな!」と兄が照れ隠しで言ったので、私は顔がにやにやするのを止められなかった。


中華料理店で働いていた人なら、兄と結婚して実家の中華料理屋で働くのを躊躇しないだろう。私はいい人が兄を好きになってくれて、心から良かったと思った。


翌日、職場の中華料理店に出勤した兄は、松村さんと一緒に休みを取ったことを怪しまれて追求されたそうだ。結局交際を始めたことを白状させられ、みんなから冷やかされたと兄は愚痴っていた。その時、松村さんは恥ずかしがりながらも幸せそうだったらしい。・・・ごちそうさま。

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