7 事件の整理

「三件の殺人事件とそれに関与していた人たちに関して、事実が錯綜してますので、整理してみましょう」と私は電話で大阪にいる島本刑事に言った。


「まず十年前の七月、亜綾ああやちゃんのおばあさんが村山の運転する車にひかれそうになり、そのショックで病死しました。亜綾ああやちゃんは村山の危険運転を指摘しましたが、当時の交通捜査係の長沢係長や太田巡査長の捜査の結果、村山の責任は問われませんでした」


「うん。メモを取りながら聞いているよ」


「村山は無罪放免になると逆に金井家に何度も怒鳴り込みます。そのせいで金井夫妻、つまり亜綾ああやちゃんの両親は亡くなり、亜綾ああやちゃんは施設に入ることになりました。村山夫妻はそのことで近所の人から嫌われ、結局離婚して妻、梅川は実家へ、村山は千葉へ引っ越しました。


 その二年後に亜綾ああやちゃんも病死してしまいましたが、今年になるまで村山たちを責める者はおらず、何も事件が起きませんでした。ところが、亜綾ああやちゃんに自分の亡き妹の面影を重ねていた吉村刑事が当時の事件を調べ始めました。そして長沢元係長、太田巡査長、高田巡査に接触し、話を聞きました。


 村山の行為と亜綾ああやちゃんの死を知った吉村刑事は嘆き悲しみ、村山夫妻を恨んだことでしょう。でも、それだけで二人を殺すでしょうか?」


「殺人の動機としては少し弱いな。吉村刑事は正義を守る警察官であって、快楽殺人犯じゃあない」


「そうですね。でも村山は殺されました。なぜでしょう?翌月には元妻の梅川も殺されました。この二つの事件に関連がないとは思われません。村山元夫妻を殺す動機。それは恨みでしょうか、それとも・・・」


「それとも?」と聞き返す島本刑事。


「誰かが恨んでいたとすればこの十年間、いくらでも恨みを晴らす機会があったはずです。しかし今年になるまで何も起こらなかった。吉村刑事が昔の事件を調べ始めたのがきっかけでしょうが、それでその誰かの恨みが再燃したのでしょうか?・・・あるいは、何か暴かれたくない事実があって、それを隠蔽するために、つまり口封じをするために、殺人を犯したのかもしれません」


「隠蔽?何を隠蔽したと言うんだい?」


「いろいろな可能性が考えられます。いずれにせよ吉村刑事の行動が引き金になったとすれば、金井家の悲劇と関連した何かでしょう」


「・・・亜綾あーやちゃんの父親は交通事故死、祖母と母親と本人は病死。わかる範囲で調べてみたが、彼らの死因に不自然な点はない。村山の危険運転の疑いも、亜綾あーやちゃんの証言以外に証拠はなく、長沢係長らの当時の判断が誤っていたとは考えられない。・・・どこに隠さなければならない事実があるんだ?」


「まず考えられるのは、長沢係長らの当時の判断を覆すような証拠が見つかっていたけど、それを故意にもみ消したという疑惑です。でも、その証拠を隠滅したとすれば、今から捜査し直しても再発見することは困難でしょう。口封じのために村山元夫妻を殺すなどという危険を冒す必要はありません」


「そうだな。・・・となると?」


「ここからは想像の域を出ませんが、例えば村山が警察官に金品を贈って捜査に手心を加えるよう依頼したとしたらどうでしょうか?公正に捜査しても村山の責任を追及することはできなかったでしょうが、捜査中の村山にはそれがわからず、不安だったに違いありません」


「警察官が収賄して捜査を十分しなかったとすれば加重収賄罪に問われる。時効は十年だ。ぎりぎりだな。・・・でも、収賄の事実も手抜き捜査も、今から証明することは難しいぞ」


「そうかもしれません。でも、村山が自供すれば別でしょう?」


「それで村山を口封じするために殺したと言いたいのか?さらに元妻も知っていた可能性を考えて、梅川まで殺したのか?」


「ひとつの可能性ですね。問題は誰が罪を犯したかです。収賄をした可能性が最も高そうなのは捜査を主導した長沢係長でしょう。でも、今は寝たきりで、会話もろくにできません。長沢元係長が隠蔽するために村山を殺すことはできません」


「じゃあ、当時の部下の太田巡査長が賄賂を受け取ったのか?しかし太田巡査長に村山を殺せるのか?」


「ここで村山が殺された日と翌日の関係者のアリバイを確認しておきましょう。まず吉村刑事ですが、当日と翌日に休みを取っていましたから人殺しをする時間はあります」


「ただ、動機は弱い。・・・そういえば彼はなぜ千葉や東京に行ったんだ?」


「誰かから収賄の疑いを聞いたとすれば、村山に確認しに行ったのかもしれません。でも、吉村刑事はその誰かから古い住所しか教えられていませんでした」


「それは誰だ?」


「そのことはおいおい考えていきましょう。・・・長沢元係長の息子の太一さんは、当日は外回りの営業をした後で直帰し、会社には寄っていません。仕事をしていたと偽って上京することは可能でしょう」


「だが、翌朝は家にいたと家政婦が言っていたぞ」


「仮に犯行時刻が、兄が女性を見た七時頃だとすると、最終の新幹線か夜行寝台列車で大阪に戻ることができたのではないでしょうか?」


「・・・ちょっと待ってくれ、今時刻表を調べる。・・・下りの新幹線ひかり号は最終が夜八時で、午前0時頃に新大阪駅に着く。東海道本線下りの夜行寝台列車の最終は十時四十分発の銀河二号で、朝七時五十分に大阪駅に着く。どちらを使っても朝自宅に戻っていることは可能だろう。しかし長沢太一が犯人だとして、その動機は?」


「長沢元係長の収賄の疑惑を隠蔽するためでしょう。もう引退していますが、疑惑が報道されれば息子さんの仕事や生活にも差し障ってきます。父親の名誉を守るという意味もあります」


「交番に勤務していた高田巡査は、村山の捜査には参加していなかったから、収賄とは無関係だな」


「でも、亜綾ああやちゃんに最初に事情を聞き、同情していたのなら、・・・そして村山が誰かに金品を贈ったという疑惑を聞いたのなら、殺人の動機としては弱いでしょうが、吉村刑事と同じ様に村山に話を聞きに行くことはありそうです。高田巡査も当日は非番で、翌朝出勤していますが、長沢太一と同様に最終の新幹線か夜行寝台列車で早朝までに大阪に戻ることは可能です」


「そう言えば、村山が金井家に怒鳴り込んで来た時によく呼ばれていた交番の警察官に話を聞いたら、たびたび他の交番に応援要請をしていたそうだ。高田巡査も呼ばれていたのかもしれない。そうなると村山に対する怒りは増したことだろう。犯人の候補として心に留めておこう」


「長沢元係長の部下だった太田巡査長については、十年前の収賄に関与していた可能性はありますが、当日は普通に勤務していたので、警察署を出てから夜六時以降に新大阪駅を発車する新幹線に乗って東京へ向かったとすれば、夜十時以降に東京駅に着き、私のアパートに来るのは十一時過ぎになるでしょう。でも、村山の死亡推定時刻が夜九時から十一時までで、即死でなかったとすれば時間的余裕がありません。村山殺害はまず不可能ですね」


「飛行機で東京に行くという手もあるが、飛行機だと空港に行くのに時間がかかるし、待ち時間もあって新幹線とそんなに時間は変わらないだろう。搭乗記録も残るから、メリットはないか」


「新幹線の切符を取るには、吉村刑事のように購入申込書に記入する方法もありますが、窓口で口頭で買うこともできます。その場合は記録に残りませんから、犯行を考えていたとしたら飛行機よりも新幹線を選ぶでしょう。・・・ただ、ひとつ気になることがあるんです」と私は島本刑事に言った。


「何だい?」


「村山の死体は、村山の部屋のドアが開いていたので新聞配達の少年が発見しました。でも、前夜八時頃に私が帰宅した時、隣家のドアが見えたはずですが、開いていたという記憶はありません。誰がいつ開けたんでしょう?」


「実際の犯行は八時以降かもしれないぞ。そうなるとお兄さんが見た女性は事件には関係ないことになるが」


「そうですね。でも、私も兄も隣家で人が倒れたような音は聞きませんでした。隣と隔てている壁は厚くないので、人が倒れたらその音が聞こえそうなものですが・・・」


「それもそうだな。犯行時刻が七時頃かそれ以前だとすると、八時以降に犯人がこっそりと戻ってきたのかもしれない。・・・村山が死んでるか確認するためかな?」


「そうかもしれません。・・・あの日村山を殺すことができたのは長沢太一か高田巡査の二人です。吉村刑事の可能性も保留しておきましょうか?でも、太田巡査長にはまず無理でしょう」


「ところで五種類の凶器の謎は解けたのかい?」


「はい。前に話したように、金井家の恨みを示唆する凶器だったと思います。大工の父親がノミ、食事を作る母親が文化包丁、小学生の亜綾ああやちゃんは、使っていたかどうか知りませんが、文房具の肥後守ひごのかみです」


「千枚通しと切り出しナイフは?」


「私が大阪に行った時に奥さんとみちるちゃんと一緒に法善寺横丁でたこ焼きを食べました。たこ焼きを焼く時にひっくり返す道具、あれって千枚通しに似ていませんか?」


「大阪人の国民食と言われるのはたこ焼きやお好み焼きなどの粉もんだ。祖母が孫にたこ焼きを作る風景を想像して、千枚通しをおばあさんに見立てたのかな?」


「ただ、金井家の恨みを晴らすという意味を込めていたのなら、五番目の凶器は必要ないはずです」


「犯人自身を指す凶器じゃなかったのかい?」


「そうかもしれないし、そうでなかったのかもしれないです。背中に四か所刺した後に、わざわざ村山をあお向けにして右胸に刺した意図も不明です。ひょっとして、背中に四種類の凶器を刺した犯人と、胸に切り出しナイフを刺した犯人は別人なのかもしれません」


「な、なんだって!?」と電話の向こうで島本刑事が叫んだ。


「最初の犯人Aは、村山を縛り上げて背中を四種類の凶器を使って刺しました。これを金井一家の恨みに見立てたのなら、金井一家に同情した者の犯行になります」


「吉村刑事か高田巡査だな?」


「でも、普通の殺人犯は警察に捕まりたくないと思うでしょう。村山を殺して、さっさと現場から逃げようとし、見立てなどをする余裕はないでしょう」


「普通はそうだな」


「だとしたら、わざわざ四種類の凶器を使ったのは、自分を容疑からそらす偽装工作のつもりだったのかもしれません」


「偽装工作?・・・ということは?」


「犯人Aは、金井家の恨みを晴らすために村山を殺したのではないということです」


「つまり犯人Aは、金井家の事情を最近まで知らなかった長沢太一なのか!?」


「犯人Aは、金井家に同情的な吉村刑事を念頭に置いて四種類の凶器を使った可能性があります。そして村山が死ぬ前に部屋を出てドアを閉めた。それが七時前のことだったのでしょう」


「・・・」


「そしてその後、少し時間を置いてから二人目の犯人Bが現れます。犯人Bは人気がなさそうな村山の部屋のドアノブを握ってみます。寒い日なので手袋をしていたのでしょう。すると鍵がかかっていないことに気づきます。そっと中に入り込むと、背中に四種類の凶器が刺さった村山が倒れていました。死んでいるか確かめようと抱き起こしたらまだ息がある。そこであお向けに寝かせ、村山に恨みを持っていた犯人Bは持参していた切り出しナイフを胸に突き刺しました。そしてすぐに部屋から逃げ出しますが、その時ドアをきちんと閉めなかったのではないでしょうか?」


「そう考えると五種類の凶器とドアが開いていた謎がすべて説明できる。・・・一色さん、まさか君は物陰からその状況をずっと見ていたんじゃないだろうな?」


「見ていませんよ。私は兄と一緒に自分たちの部屋でのんびり過ごしていました」と島本刑事の冗談に私は言い返した。


「犯人Bは吉村刑事か高田巡査かもしれないな」


「しかし村山の元妻、梅川は背中を五種類の凶器で刺されて死亡していました。梅川を刺したのが犯人Aなら四種類の凶器しか使わないでしょう。犯人Bなら凶器の数にはこだわらなかったのかもしれません。梅川を刺した犯人Cは、村山事件を模倣して五種類の凶器を使ったのではないでしょうか」


「第三の犯人Cがいるのかい!?」


「犯人Cが村山事件を模倣して五種類の凶器を使ったのが、村山と梅川の殺人が同一人物による連続殺人だと思わせるためだったとしたら?・・・そうであれば、犯人Cは村山の殺人に関しては鉄壁のアリバイを持った人物ということになります」


「・・・太田巡査長か?」


「・・・犯人Cが四種類の凶器の意味にうすうす感づいていたとすれば、大工の父親をきり、食事を作る母親を果物ナイフ、小学生の亜綾ああやちゃんを文房具のハサミ、おばあさんをたこ焼きを食べる時に使う爪楊枝に見立ててこれらの凶器を梅川に刺したのです」


「さすがに爪楊枝を人体に深く刺すのは難しいだろう。それで刺しやすい鉄砲串で代用したのかな?」


「そうでしょうね。切り出しナイフが誰を指すのかわからなかったと思いますが、似たような刃物、田主丸たぬしまるを買っておいて凶器として使ったのでしょう。・・・梅川の死亡推定時刻に太田巡査長のアリバイはありましたか?」


「死亡推定時刻が勤務時間後の夜六時から九時の間だから、太田巡査長にも他の三人にもアリバイはない」


「次は吉村刑事の殺人についてです。吉村刑事が村山を殺したのではないと仮定して、村山の殺人を聞いた時には、まだ亜綾ああやちゃん一家の不幸と関係があるとは思わなかったのかもしれません」


「遠く東京で起こった強盗か喧嘩による殺人と考える方が自然だからね」


「でも、梅川まで殺されたことによって金井家の不幸と二人の殺人に関係があると確信したはずです。自分が当時の話を聞きに行ったことによって引き起こされた事件ではないかとも考えたでしょう」


「そうだな」


「だとしたら殺人犯は吉村刑事が話を聞きに行った長沢太一、太田巡査長、高田巡査の誰かと思うはずです」


「そして再度その三人に話を聞きに行った。・・・そして誰かに殺されたのか?誰なんだ?」


「三人とも村山または梅川の殺人に関与していたのなら、その事実を隠蔽するという殺人の動機があります。吉村刑事と会って、崖上に誘い込んだ。・・・吉村刑事のポケットに入っていたり小刀を事前に用意していたのなら、犯人は遅かれ早かれ吉村刑事を殺そうと考えていたに違いありません」


「吉村刑事が転落した崖は、長沢元係長の自宅から歩いて十分ほどの所だった。近いと言えば近いが、誘い出して一キロ近く歩かせると考えるとやや遠い距離だ」


「自宅ではなく、別の場所で会う約束をしたのかもしれませんね」

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