6 大阪からの電話連絡

東京と大阪は遠い。新幹線で四時間余りで行けるとしても運賃が大人ひとりで四千百三十円もかかる。電話でも四秒ごとに七円取られるから、十分も話せば千五十円かかる。連絡も容易ではない。


仕事で大阪に再度出張した島本刑事は、帰り際に次の取り決めをしてくれた。


「平日は毎晩七時頃に法医学教室の警察電話にかけるよ。その頃に法医学教室の事務室で待っててくれるかな?」


法医学教室の事務室は教授室の隣にある。昼間は秘書がいるが、五時には帰宅する。有田教授も七時までに大学を出るそうで、その頃なら気兼ねなく電話を受けられると立花先生が説明してくれた。


ちなみに警察電話とは警察内部の専用回線で、全国の警察本部や警察署の各部署に置かれている。司法解剖を担当する法医学教室にも一台設置されている。警察電話を使って遠方にいる警察官と話をしても、電話代を請求されることはない。


私は毎日、夕方になると法医学研究室にいる立花先生に会いに行き、七時前になったら事務室の警察電話の前で待った。


その日も警察電話がかかってきて、立花先生が受話器を取った。


「もしもし?・・・そう、今いるよ」と立花先生が話してから、私に受話器を差し出してくれた。


「島本刑事からだよ」


私は受話器を受け取り、送話口に話しかけた。


「もしもし、一色です」


「やあ、一色さん。捜査の中間報告をするよ」と受話器から島本刑事の声が聞こえてきた。


「まず、交番勤務の高田巡査だが、最初に現場に駆けつけ、救急車の手配をしながら亜綾あーやちゃんの話を聞いた人だ。亜綾あーやちゃんは泣きながらもしっかりと誰がひいたか話してくれて、子どもながら信頼できる証言だと確信したらしい」


「その後の捜査にも参加しておられたのですか?」


「いや、実際の捜査は長沢係長ら、署の交通課の警察官が行い、高田巡査は交番勤務に戻ったそうだ。ただし亜綾あーやちゃんの証言を報告書にまとめて提出している」


「高田巡査は捜査の結論には納得されたのですか?」


「高田巡査は捜査の蚊帳の外で、亜綾あーやちゃんのおばあさんが病死とされ、村山らが責任を追及されなかったことは後で知ったそうだ。村山らが金井家に怒鳴り込んでいたことは、管轄区域が違うので知らなかったらしい。今年の二月に吉村刑事から金井家の不幸を聞いてやり切れない思いだったそうだ」


「なるほど」


「当時の交通捜査係の長沢係長は、先日話したように退職後の脳梗塞で寝たきり状態になり、言葉もうまく話せなかった。吉村刑事が話を聞きに行った時に同席していた息子さんの話では、長沢係長が異様に興奮したので、ろくに会話ができなかったこともあり、吉村刑事には帰ってもらったそうだ。ちなみにその日は吉村刑事が死亡した日の約二か月前だ」


「そうですか・・・」


「最後の太田巡査長は、当時は巡査だったけど、長沢係長の下でずっと捜査に当たっていた。事件のことを聞くと、おばあさんの体に車に衝突されてできた傷がまったくないこと、証言が幼い少女だけだったことから、係長に『これ以上追求することはできない』と言われて捜査が終了したということだった。若干悔いが残ったが、どうしようもなかったと言っていたよ」


「わかりました。これで亜綾ああやちゃんのおばあさんの死に間接的に関与した人は全員でしょうか?」


「はっきり名前が確認できるのはこれで全員かな?ちなみに村山が殺された日とその翌日の三人のアリバイだが、太田巡査長は当日は勤務し、翌日は非番だった。高田巡査は当日は非番だったが、翌日は朝から交番に出勤している。長沢係長、いや元係長自身は旅行できない体だ」


「長沢元係長の息子さんは一日中家で介護しているのですか?」


「昼は仕事があるので通いの家政婦さんを雇っているようだ。夜は父親に着きっきりで、ほかに面倒をみる家族はいない」


「・・・私、先日から考えていたんですけど、村山が殺された日に吉村刑事はどこへ行っていたのでしょうか?村山に会いに行ったのでしょうか?」


「そこはまだはっきりしない」


「もし村山に会いに行き、しかも吉村刑事が殺人犯ではないとしたら、吉村刑事は犯人と出くわしたか、死体を発見したはずです。犯人と出くわしたら問い詰めるか、現行犯で逮捕するはずですし、死体を見つけたのなら警察に通報するはずです」


「吉村刑事自身が犯人でなければね。その場合、犯人はやっぱりお兄さんが目撃した女性になるのかな?」


「村山を一撃で昏倒させていることを考えると、女装した男なのかもしれません」


「なるほど。アパートを離れてすぐに女装を解けば、それらしい女性の目撃証言がなくても矛盾はないか」


「もし吉村刑事が村山の部屋を訪れてないとすれば、彼はどこへ行ったのでしょう?」


「大阪万博での警備の準備に人手が取られ始める時期だったから、仕事を放り出して遊びに行ったとは考えにくい」


亜綾ああやちゃんのおばあさんの事件の関係者で、大阪以外に住んでいるのは村山だけですね」


「そうだ」


「以前、村山は二回転居したと聞いた気がしますが、吉村刑事は村山が私の隣に住んでいることを知っていたのでしょうか?」


「彼の手帳に書かれていた記録を調べてもらったが、村山の名とともにまず書いてあったのは千葉の住所だった。おそらく最初の転居先なのだろう。その横に一色さんの隣の部屋の住所が後から追記されていた。手帳の1ページ後に『千葉までの切符を購入』と記されていたから、現在の住所を知ったのは千葉に行ってからのようだ」警察手帳をめくりながら答える島本刑事。


「転居先を調べるには戸籍謄本か住民票を調べる必要がありますけど、警察官の権限で調べられますか?」


「犯罪捜査のためなら裁判所で令状を出してもらえば調べられるだろう。しかし個人としては他人の転居記録を知ることはできないはずだ」


「なら、誰かに個人的に聞いたんですね。それは誰なんでしょう?」


「親戚か元妻か友人か近所の人か。だが近しい関係の親戚はいなかったはずだ。友人の存在は不明だ」


「元妻とは仲が悪くなって離婚したようですが、連絡先を知っていたのでしょうか?」


「吉村刑事の手帳に元妻、梅川の住所も書いてあったが、手帳の記載順から考えると村山が死んだ後に書いたようだ。元妻に住所を聞いたとは考えにくいな」


「近所の人は、亜綾ああやちゃんの事件後折り合いが悪くなったそうですから、村山が転居先を知らせたとは考えにくいですね。となると、吉村刑事は誰から最初の転居先を聞いたのでしょうか?」


「う〜ん、さっぱり見当がつかないね」と電話から島本刑事の唸るような声が聞こえた。


「村山が殺される前に吉村刑事が会っていたのは交通課の警察官二人と交番勤務の警察官でしたね?もう一度吉村刑事と会った時の状況を聞いてもらえますか?それと、吉村刑事が死亡した夜のアリバイも調べてください」


「わかった。だが、長沢元係長からはやっぱり話が聞けないだろうね」


「なら、通いの家政婦さんに訪問者がいなかったかどうかを聞いてください」


「わかった」


「それから村山夫妻が亜綾ああやちゃんの家に怒鳴り込んできた時にたびたび警察が呼ばれたそうですけど、その時来た警察官は誰かわかりますか?」


「近くの交番に勤務していたのは誰か、すぐに調べられると思う。そっちにも当時の状況を聞いておくよ」


「よろしくお願いします」そう頼んで私は受話器を置いた。


「捜査は進展しているのかい?」と私に聞く立花先生。


「まだまだのようですけど、いくつか調べてもらうようにお願いしておきました。島本刑事に指示するなんておこがましいのですけど、私が自分で捜査に行けないので」


「捜査するのが警察の仕事だから、一色さんが気にする必要はないよ。むしろ捜査の方向性を示唆してくれることに感謝してるんじゃないかな」


「そう言ってもらえると安心します」


「ところで一色さんは現時点でどのように推理しているんだい?最後まで内緒かな?」


「探偵小説を読んでいると最後に犯人を名指しするまで探偵はあまり途中の考察内容を話しませんよね。それがもどかしいと思ったことは何度かありますが、実際に事件の推理をしていると、どこまで正しいのか確証が持てない段階では人に話しにくいですね」


「確かにね。犯人を名指しする時には証拠も揃ってないと、犯人は知らぬ存ぜぬという態度を貫きかねないだろう」


「でも、雑談の感じで先生に考えていることを話すことはできます。後で修正するかもしれませんが」


「聞かせてもらおうかな」


「吉村刑事が大学生の頃に亜綾ああやちゃんを知り、自分の妹の面影を重ね合わせていて、刑事になって捜査に慣れてきた頃に亜綾ああやちゃんの不幸を知ったら、事実を調べようと考えて行動することはあるでしょう」


「そうだね」


「そして当時の村山の行動を知り、怒りを覚えたとしても、わざわざ会いに行く必要があるのでしょうか?少なくとも車はおばあさんに接触しなかったから、問いつめる材料はないはずです。当時の話を聞きたいと頼んでも、追い返されてしまうのが関の山です」


「そうなると、吉村刑事は何か新事実をつかんだのかな?」


「そうかもしれません。それがどんな事実で、どうやって知ったのかはわかりませんが」


「で、村山に会いに行ったとしても知っていたのが旧住所だけだったら、千葉に行っても村山に会うことはできなかっただろう。いつ現住所を知ったのかな?」


「島本刑事は千葉に行ってから知ったんだろうと言ってました。賃貸だったら不動産屋に転居先を告げていたはずですから、そこへ調べに行ったのでは。・・・それはともかく、吉村刑事が村山に怒りを覚えたとしても、殺してしまおうと思うほどの怒りだったのでしょうか?」


「普通の人なら殺すどころか暴力を振るうことも考えないだろう。特に吉村刑事は殺人や暴力を取り締まる警察の人間だしね」


「私もそう思います。しかし真犯人には殺さなくてはならない理由がありました・・・」


「その理由は?・・・そして真犯人は誰なんだい?」と私を見つめる立花先生。


「残念ながら真犯人が誰で、なぜ殺人をしてしまったのか、答を出すにはもう少し情報が必要です」


「・・・まあ、そうだろうね」そう言って立花先生は肩を落とした。


「島本刑事たちが新たな手がかりを見つけてくれることを期待しよう」




島本刑事からの報告は早くも翌日にあった。昨日と同じように夜七時過ぎに警察電話が鳴り、立花先生が受話器を取って少し話してから、私に受話器を渡してくれた。


「島本刑事からだよ」


「もしもし、一色です」受話器を受け取って話しかけると、


「やあ、一色さん。今日も一日調べてきたよ」と島本刑事の元気な声が響いた。


「今日はまず長浜元係長の世話をしている家政婦に話を聞いてきた。村山が殺される一週間前に吉村刑事が訪問したことは知らなかった。夕方、長沢家を出た後に吉村刑事が来たのだろう。その翌日、同じように帰ろうとしていると、男が訪ねてきた。容貌を確認したところ、太田巡査長のようだった。長沢元係長の息子の長沢太一ながさわたいちはもう帰宅していて、太田巡査長を招き入れたが、家政婦さんは帰ってしまったので会話の内容は聞いていない」


「吉村刑事に何か言われて、話をしに来たのでしょうか?」


「そこは後で報告するよ。そしてその翌日の昼間に別の男が長沢家を訪ねて来た。息子が帰宅する前だったので家政婦が対応したところ、自分は警察官で、長沢元係長にお世話になったので見舞いに来たと言ったそうだ。こっちは高田巡査のようだ」


「高田巡査も吉村刑事と話をして、当時のことを聞きに来たのでしょうね」


「家政婦は高田巡査を招き入れて長沢元係長の布団の横に案内したそうだ。お茶を淹れている間、高田巡査はいろいろと話しかけていたようだが、長沢元係長はほとんど返答できなかった。しばらく沈黙が続いた後、高田巡査は『お邪魔しました』と、台所にいた家政婦にあいさつして帰って行ったそうだ。息子が帰って来て、家政婦が昨日来た太田巡査長とは別の人が見舞いに来たと告げたら、息子は何やら考え込んでいたそうだ。家政婦から聞いた話はこんなところかな?」


「村山が殺された日と翌日のことは聞かれましたか?」と私は島本刑事に聞いた。


「そのことを言うのを忘れていた。村山が殺された日は息子の帰宅が遅く、家政婦は待たずに先に帰った。翌朝来たら息子は在宅していて、入れ違いで仕事に行ったそうだ」


「村山の息子さんは何の仕事をしているのですか?」


「外回りの営業をしている。会社の上司に尋ねたら、村山が殺された日は一日中得意先を回っていて、帰りが遅くなったために会社に寄らずに直帰したそうだ。翌日は普通に出社し、午後からまた営業に出ている」


「息子さんは太田巡査長と何を話したんですか?」


「吉村刑事が調べていた金井家の事件の概要を太田巡査長が説明した。そして最後に長沢元係長の判断、つまり村山を無罪放免にしたことは適切な判断だったと強調したそうだ」


私は考え込んだ。


「一色さん?」島本刑事が電話口の向こうから、黙りこくった私の名前を呼んだ。


「島本刑事。私は何となく今回の一連の殺人事件の全貌が見えてきたような気がします」


「ほんとかい!?」島本刑事の叫び声が聞こえた。

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