5 疑惑
私は殺人事件の被害者、村山二郎の元妻、梅川晃子が殺されたことを知って愕然とした。しかもなんと、梅川の死体にも五種類の凶器が刺さっていたというのだ。
「梅川が自宅で死亡しているのを、最近顔を見かけないと心配して来た近所の人に発見された。犯人はまだ不明だが、梅川は居間の畳の上にうつ伏せで死亡しており、背中には五つの凶器が刺さっていた。犯人の指紋はついていなかった。司法解剖が行われたが、死因は村山と同じ
「その五種類の凶器とは?村山の事件の時と同じものですか?」
「いや、刺さっていたのは三つ目の
「鉄砲串って持ち手の部分が幅広になっている竹串ですね。
「苗木の
私は立花先生からノートの切れ端をもらうと、村山事件と梅川事件で死体に刺さっていた凶器を並べて書き始めた。
「殴られた痕があったのかい?縛られていたのかな?」と島本刑事に聞く立花先生、
「ああ。左の頬に変色があったし、手ぬぐいで猿ぐつわをされ、両手も縛られていた。左頬を殴って倒したところを縛り上げてから刺したのだろう」
「今回はあお向けでなくうつ伏せだったんだね?」
「そうだ。背中に凶器を刺したままあお向けにするのは難しかったからじゃないかな。凶器が邪魔になるからね。特に
私は一覧表を書きあげ、二人に見せた。
村山二郎
[右胸]切り出しナイフ
[背中の左側]ノミ、千枚通し
[背中の右側]文化包丁、肥後守
梅川晃子
[右胸](無し)
[背中の左側]ハサミ、田主丸
[背中の右側]錐、鉄砲串、果物ナイフ
「ノミと
「
「そうすると四つの枠組みに分けられるな。・・・一色さんが言っていたように、
「
そう言ってから私はあることに気がついた。
「ひとり抜けている!」私の言葉に注目する立花先生と島本刑事。
「
「第五の人物かい?・・・その人物が切り出しナイフと
「吉村刑事に
「吉村刑事とは大阪で島本刑事と一緒に捜査していた若い刑事さんです」と私は立花先生に説明した。
今のところ犯人の目星はついていない。しかし私はあることが気になっていた。
「島本刑事、吉村刑事は十年前は何をしていたのですか?」
「え?あいつか?・・・年齢から考えると大学生ぐらいだと思うが。大卒だと言っていたからな」
「吉村刑事に内緒で、吉村刑事の経歴を調べることはできますか?」
「吉村刑事の?・・・あいつが今回の事件に関与していると言いたいのか?」
「確たる根拠はありません。気にしすぎかもしれません」そう言って私は口をつぐんだ。実際に彼を疑う明確な根拠はなかったからだ。
「わかった。村山事件の捜査本部に大阪府警も参加したから、吉村刑事の上司に内緒で頼んでみよう。名刑事の勘だとか
それから一週間も立たないうちに私はまた島本刑事に呼び出されて法医学研究室に行った。そして同席している立花先生とともに再び衝撃的な報告を受けた。
「さっそくだが、吉村刑事が亡くなった」
「ええっ!?」私と立花先生は驚きの声を上げた。
「他殺?それとも事故死かい?」と聞く立花先生。
「四月十五日水曜日の深夜に起こった転落死のようだが、他殺を視野に入れて捜査を進めている」
「転落死?」
「大阪市内に高低差がある土地があって、その崖の上には住宅が並んでいる。ただし一軒だけ最近取り壊されて空き地になっていた。崖沿いに頑丈な柵はなく、崖下は空き地になっていて石やブロックが散乱し、その上に吉村刑事が倒れているのを朝方近所の人が発見した。頭部に打撲傷があり、それが致命傷のようだ」
「その場所は吉村刑事がよく行く所だったのでしょうか?」
「その点はまだわかっていない」
「何かの理由があってそこへ行ったとしても、それだけでは事故死か他殺か、あるいは自殺か、わからないんじゃないんですか?」
「崖の上に血痕がいくつか落ちていた。今検査しているが、血痕の新しさからおそらく吉村刑事のものだと思われている」
「転落して頭を打ったのではなく、頭を殴られてから転落したということですか?」
「その可能性を考えている」と島本刑事は答えた。
「今度は五種類の凶器はなかったんだね」と聞く立花先生。
「ああ。しかし、吉村刑事のポケットの中に
「切り出しナイフに似ているから、今までの殺人に使った切り出しナイフと田主丸は吉村刑事を指し示しているのかな?けど、指紋がないのはおかしいね。誰かが入れたんじゃないかな?」と立花先生が言ったが、島本刑事は私をじっと見つめた。
「一色さんはこの前吉村刑事の身辺を洗えと言ってきたね?吉村刑事がこの事件に関与していると疑っていたのかい?」
「大阪のホテルで島本刑事と吉村刑事にお会いした時、
「村山の事件の前から
「ま、まさか・・・
「そこまでは決めつけられません。村山の事件が起こった後に金井家の不幸を知って、
「で、実際に吉村刑事は過去に
「大阪府警に調べてもらったら、十年前、吉村刑事は大学生で、金井家の近くに下宿していた。ただし、金井家の人々と交流があったかどうかはわからない。金井家の近所の住人に聞いても、吉村刑事のことは誰も知らなかった」
「近くに住んでいて、たまたま
「実は吉村刑事には年の離れた妹がいたそうだ。その妹は吉村刑事が中学生の頃に三歳の若さで病死した。その妹の名前が
「そうか!吉村刑事は幼い妹の面影を
「しかし仮にも刑事だぞ。村山夫妻を恨んだとしても殺しまでするか?」と言い返す島本刑事。刑事としての矜持から疑問に思ったのだろう。
「一色さんはどう思う?」と私に聞く立花先生。
「吉村刑事のアリバイは?」
「村山の遺体が発見された日とその前日は体調不良で休みを取っている。新大阪駅で発売された新幹線の切符の購入申込書を調べたら、前日の午後に吉村刑事が東京行きのひかりの指定席を購入していた。その新幹線に乗って東京に行けば、一色さんのお兄さんが女性を目撃した時間に村山の部屋に到着可能だ。女性との関係は不明だが」
「あの日、東京に来ていたんですね?」
「そして梅川が殺された日は、単独で聞き込み捜査に出かけている。死亡推定時刻が勤務時間後だから、確たるアリバイはない」
「怪しいと言えば怪しいけど、まだ確実な証拠とは言えないか」と立花先生がこぼした。
「そうですね。・・・刑事になってから秘かに村山と梅川の所在を調べていて、それが判明したので凶行に及んだ、と考えられなくもないですが、今の段階では証明はできないでしょうね。それに・・・」
「それに?」と聞き返す島本刑事と立花先生。
「吉村刑事が殺されたのだとしたら、犯人は誰なんでしょう?まだ我々の知らない関係者がいるのでしょうか?」
「刑事なのに殺人に手を染めたことを悔やんで自殺したんじゃないかな?」と立花先生。
「刑事が殺人犯だとばれたらいろいろな問題が起こるから・・・特に、大阪府警に迷惑をかけるだろうから、他殺を偽装して自殺したのかもしれないよ」
「崖の上で自分で自分の頭を殴り、血痕をばらまいてから、確実に死ぬために飛び降りたということでしょうか?・・・その可能性を否定はできませんが、あんな殺人を犯した犯人がそこまで悔いることがあるのでしょうか?」
「と言うと?」
「犯人は村山や梅川を殴って倒し、猿ぐつわを噛ませ、手を縛ってから五種類の凶器を順に刺していって、時間をかけて死なせています。その場で激情に駆られて犯行に及んだのではなく、計画通りに冷静に、即死させないように殺害しています。そんな犯人が自分の犯行を悔いて自殺するとは考えにくいです」
「・・・それもそうだね。犯行を暴かれて追いつめられたのならともかく、今の時点で自殺する動機はないか」と立花先生。
「吉村刑事が殺人犯でなければ、警察は心置きなく犯人探しができるな」とほっとした様子の島本刑事。
「で、影も形も見えない犯人は一体誰なんだ?」
「・・・村山の事件が起きる前から吉村刑事が
「半年前に
「やっぱり吉村刑事は
「そこで吉村刑事は
「当時の危険運転事件を調べ直し、真相を暴いて墓前に報告したかったのかも」
「ということは・・・?」
「その事件を扱った人に話を聞きに行ったのかもしれませんね」
「交通課の捜査官か!」と島本刑事が叫んだ。「すぐに大阪府警に言って、当時の担当者を調べてもらおう!」
「その人が犯人なのかい?」
「そこまではまだわかりませんが、今のところ考えられるのはその線だけですね」
そう言っている間に島本刑事は立ち上がって、法医学研究室のドアノブに手をかけた。
「捜査が進展するかわからないけど、また今度食事をごちそうするよ。それじゃあ!」と言って島本刑事は颯爽と部屋を出て行った。
「島本刑事は出て行ったけど、せっかくだから僕たちは食事に行こうか?」と誘ってくれる立花先生。
「はい」と私は微笑んで、一緒に大学の医学部棟を出た。
そしてまた数日が経った日、兵頭部長を介して法医学研究室に来てほしいとの連絡が入った。私は急いで医学部棟に向かった。
「大阪府警に調べてもらったところ、
「全員、と言うと、ひとりではなかったんですね?」
「うん。三人だ。ひとりは現場最寄りの交番に勤務していた
「吉村刑事はその三人に話を聞きに行った時に、何かに気がついたのでしょうか?」
「それはまだわからない。ちなみに吉村刑事が死亡した現場は、長沢元係長の自宅から一キロ弱離れた所だった。死亡した日に長沢家に寄ろうとしたのか、寄った帰りかもしれないが、長沢元係長の息子は吉村刑事は来ていないと言っているようだ。それが事実か確認はできていない」
「でも、何らかの関係はありそうですね」
「俺はまた大阪に行って捜査情報を聞いてくるとともに捜査の手伝いをしてくるよ」と島本刑事。
「お疲れ様です」と私たちは島本刑事をねぎらった。
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