5 疑惑

私は殺人事件の被害者、村山二郎の元妻、梅川晃子が殺されたことを知って愕然とした。しかもなんと、梅川の死体にも五種類の凶器が刺さっていたというのだ。


「梅川が自宅で死亡しているのを、最近顔を見かけないと心配して来た近所の人に発見された。犯人はまだ不明だが、梅川は居間の畳の上にうつ伏せで死亡しており、背中には五つの凶器が刺さっていた。犯人の指紋はついていなかった。司法解剖が行われたが、死因は村山と同じ血気胸けつききょうで、死亡推定時刻は三月二十五日水曜日の午後六時から九時の間と鑑定されている」と島本刑事が説明した。


「その五種類の凶器とは?村山の事件の時と同じものですか?」


「いや、刺さっていたのは三つ目のきり、竹製の鉄砲串てっぽうぐし、果物ナイフ。これらは背中の右側で、左側には小型の先が尖ったハサミと田主丸たぬしまるが刺さっていた」


「鉄砲串って持ち手の部分が幅広になっている竹串ですね。田主丸たぬしまるとは?」


「苗木の接木つぎきに使う接木小刀つぎきこがたなの一種で、九州の田主丸地方で作られているものだそうだ。刃が鎌のようにカーブしているという特徴がある。切り出しナイフに似ている」


私は立花先生からノートの切れ端をもらうと、村山事件と梅川事件で死体に刺さっていた凶器を並べて書き始めた。


「殴られた痕があったのかい?縛られていたのかな?」と島本刑事に聞く立花先生、


「ああ。左の頬に変色があったし、手ぬぐいで猿ぐつわをされ、両手も縛られていた。左頬を殴って倒したところを縛り上げてから刺したのだろう」


「今回はあお向けでなくうつ伏せだったんだね?」


「そうだ。背中に凶器を刺したままあお向けにするのは難しかったからじゃないかな。凶器が邪魔になるからね。特にきりやハサミはあまり深く刺さらないから、体の向きを変えれば抜けかねない」


私は一覧表を書きあげ、二人に見せた。


村山二郎

[右胸]切り出しナイフ

[背中の左側]ノミ、千枚通し

[背中の右側]文化包丁、肥後守


梅川晃子

[右胸](無し)

[背中の左側]ハサミ、田主丸

[背中の右側]錐、鉄砲串、果物ナイフ


「ノミときりは大工道具で共通点があります。文化包丁と果物ナイフも台所で使う刃物ですね。切り出しナイフと田主丸たぬしまるは形状が似ていそうです。千枚通し、肥後守ひごのかみ、ハサミは文房具でしょうか?こうまとめると鉄砲串てっぽうぐしが余りますね」


鉄砲串てっぽうぐしを料理に使うものと考えるなら、文化包丁のグループかな?」と立花先生。


「そうすると四つの枠組みに分けられるな。・・・一色さんが言っていたように、金井亜綾かないあーやの家族を暗喩しているのか?」と聞く島本刑事。


亜綾あーやちゃんが小学生だったから文房具、父親が大工道具、母親が料理器具・・・と分けると、おばあさんが切り出しナイフ担当になってしまいます。おばあさんの情報がないから何とも言えませんが、ちょっとそぐわないですね・・・」


そう言ってから私はあることに気がついた。


「ひとり抜けている!」私の言葉に注目する立花先生と島本刑事。


亜綾あーやという子どもが既に死んでいるのなら、その子の家族は誰も残っていないから、殺人犯は別にいるはずです」


「第五の人物かい?・・・その人物が切り出しナイフと田主丸たぬしまるで示されているのかな?ひょっとしたら植木関係の人かも」と立花先生。


「吉村刑事に亜綾あーやの家族か近縁者に植木職人がいなかったか聞いてみよう」と島本刑事が言った。


「吉村刑事とは大阪で島本刑事と一緒に捜査していた若い刑事さんです」と私は立花先生に説明した。


今のところ犯人の目星はついていない。しかし私はあることが気になっていた。


「島本刑事、吉村刑事は十年前は何をしていたのですか?」


「え?あいつか?・・・年齢から考えると大学生ぐらいだと思うが。大卒だと言っていたからな」


「吉村刑事に内緒で、吉村刑事の経歴を調べることはできますか?」


「吉村刑事の?・・・あいつが今回の事件に関与していると言いたいのか?」


「確たる根拠はありません。気にしすぎかもしれません」そう言って私は口をつぐんだ。実際に彼を疑う明確な根拠はなかったからだ。


「わかった。村山事件の捜査本部に大阪府警も参加したから、吉村刑事の上司に内緒で頼んでみよう。名刑事の勘だとかうそぶいてな」と島本刑事は言って笑った。




それから一週間も立たないうちに私はまた島本刑事に呼び出されて法医学研究室に行った。そして同席している立花先生とともに再び衝撃的な報告を受けた。


「さっそくだが、吉村刑事が亡くなった」


「ええっ!?」私と立花先生は驚きの声を上げた。


「他殺?それとも事故死かい?」と聞く立花先生。


「四月十五日水曜日の深夜に起こった転落死のようだが、他殺を視野に入れて捜査を進めている」


「転落死?」


「大阪市内に高低差がある土地があって、その崖の上には住宅が並んでいる。ただし一軒だけ最近取り壊されて空き地になっていた。崖沿いに頑丈な柵はなく、崖下は空き地になっていて石やブロックが散乱し、その上に吉村刑事が倒れているのを朝方近所の人が発見した。頭部に打撲傷があり、それが致命傷のようだ」


「その場所は吉村刑事がよく行く所だったのでしょうか?」


「その点はまだわかっていない」


「何かの理由があってそこへ行ったとしても、それだけでは事故死か他殺か、あるいは自殺か、わからないんじゃないんですか?」


「崖の上に血痕がいくつか落ちていた。今検査しているが、血痕の新しさからおそらく吉村刑事のものだと思われている」


「転落して頭を打ったのではなく、頭を殴られてから転落したということですか?」


「その可能性を考えている」と島本刑事は答えた。


「今度は五種類の凶器はなかったんだね」と聞く立花先生。


「ああ。しかし、吉村刑事のポケットの中にり小刀が入っていた。刃先が細長い柄付きのナイフのことだ。ただし指紋は検出されなかった」


「切り出しナイフに似ているから、今までの殺人に使った切り出しナイフと田主丸は吉村刑事を指し示しているのかな?けど、指紋がないのはおかしいね。誰かが入れたんじゃないかな?」と立花先生が言ったが、島本刑事は私をじっと見つめた。


「一色さんはこの前吉村刑事の身辺を洗えと言ってきたね?吉村刑事がこの事件に関与していると疑っていたのかい?」


「大阪のホテルで島本刑事と吉村刑事にお会いした時、亜綾ああやちゃんの名前を島本刑事は最初は『あ・あや』と漢字の通りに発音していました。しかし吉村刑事は最初から『あーや』と呼んでいたので違和感を覚えました。『ああや』よりは『あーや』の方が言いやすいので、亜綾ああやちゃんの家族や友だちや近所の人は実際に『あーや』と呼んでいたのかもしれません。だから、吉村刑事は『あーや』と呼び慣れている、あるいは名前の漢字を知る前に『あーや』という呼び方を聞いていたのではないかと思ったんです」


「村山の事件の前から亜綾あーやちゃんを知っていた可能性を考えたのか」


「ま、まさか・・・亜綾あーやちゃん一家の復讐をするために吉村刑事が村山と梅川を殺したと言いたいのかい?」と立花先生が私に聞いた。


「そこまでは決めつけられません。村山の事件が起こった後に金井家の不幸を知って、亜綾ああやちゃんがいた施設に吉村刑事が聞き込みに行ったのなら、その時に施設で『あーや』という呼び方を聞いていただけかもしれません」


「で、実際に吉村刑事は過去に亜綾あーやちゃんとの接点はあったのかい?」と立花先生が島本刑事に聞いた。


「大阪府警に調べてもらったら、十年前、吉村刑事は大学生で、金井家の近くに下宿していた。ただし、金井家の人々と交流があったかどうかはわからない。金井家の近所の住人に聞いても、吉村刑事のことは誰も知らなかった」


「近くに住んでいて、たまたま亜綾あーやちゃんと仲良くなったのかな?でも、その程度の関係で復讐をするとは考えにくいな」と立花先生。


「実は吉村刑事には年の離れた妹がいたそうだ。その妹は吉村刑事が中学生の頃に三歳の若さで病死した。その妹の名前が絢子あやこだった」


「そうか!吉村刑事は幼い妹の面影を亜綾あーやちゃんに重ねていた。名前も絢子あやこ亜綾あーやで似ているしね。そして亜綾あーやちゃんの不幸を知って、元凶となった村山夫妻を憎んで復讐したんだよ!」と立花先生が叫んだ。


「しかし仮にも刑事だぞ。村山夫妻を恨んだとしても殺しまでするか?」と言い返す島本刑事。刑事としての矜持から疑問に思ったのだろう。


「一色さんはどう思う?」と私に聞く立花先生。


「吉村刑事のアリバイは?」


「村山の遺体が発見された日とその前日は体調不良で休みを取っている。新大阪駅で発売された新幹線の切符の購入申込書を調べたら、前日の午後に吉村刑事が東京行きのひかりの指定席を購入していた。その新幹線に乗って東京に行けば、一色さんのお兄さんが女性を目撃した時間に村山の部屋に到着可能だ。女性との関係は不明だが」


「あの日、東京に来ていたんですね?」


「そして梅川が殺された日は、単独で聞き込み捜査に出かけている。死亡推定時刻が勤務時間後だから、確たるアリバイはない」


「怪しいと言えば怪しいけど、まだ確実な証拠とは言えないか」と立花先生がこぼした。


「そうですね。・・・刑事になってから秘かに村山と梅川の所在を調べていて、それが判明したので凶行に及んだ、と考えられなくもないですが、今の段階では証明はできないでしょうね。それに・・・」


「それに?」と聞き返す島本刑事と立花先生。


「吉村刑事が殺されたのだとしたら、犯人は誰なんでしょう?まだ我々の知らない関係者がいるのでしょうか?」


「刑事なのに殺人に手を染めたことを悔やんで自殺したんじゃないかな?」と立花先生。


「刑事が殺人犯だとばれたらいろいろな問題が起こるから・・・特に、大阪府警に迷惑をかけるだろうから、他殺を偽装して自殺したのかもしれないよ」


「崖の上で自分で自分の頭を殴り、血痕をばらまいてから、確実に死ぬために飛び降りたということでしょうか?・・・その可能性を否定はできませんが、あんな殺人を犯した犯人がそこまで悔いることがあるのでしょうか?」


「と言うと?」


「犯人は村山や梅川を殴って倒し、猿ぐつわを噛ませ、手を縛ってから五種類の凶器を順に刺していって、時間をかけて死なせています。その場で激情に駆られて犯行に及んだのではなく、計画通りに冷静に、即死させないように殺害しています。そんな犯人が自分の犯行を悔いて自殺するとは考えにくいです」


「・・・それもそうだね。犯行を暴かれて追いつめられたのならともかく、今の時点で自殺する動機はないか」と立花先生。


「吉村刑事が殺人犯でなければ、警察は心置きなく犯人探しができるな」とほっとした様子の島本刑事。


「で、影も形も見えない犯人は一体誰なんだ?」


「・・・村山の事件が起きる前から吉村刑事が亜綾ああやちゃんのことを調べていた事実はありましたか?」


「半年前に亜綾あーやちゃんが入っていた児童施設を訪問していたらしい」


「やっぱり吉村刑事は亜綾ああやちゃんのことを気にかけていたんですね。妹とも思っていた少女が元気にしているか、確認しに行ったのでしょうか」


「そこで吉村刑事は亜綾あーやちゃんの死を知った。そして復讐の念に駆られて・・・でなければ、どうしたんだろう?」と立花先生は頭をひねった。


「当時の危険運転事件を調べ直し、真相を暴いて墓前に報告したかったのかも」


「ということは・・・?」


「その事件を扱った人に話を聞きに行ったのかもしれませんね」


「交通課の捜査官か!」と島本刑事が叫んだ。「すぐに大阪府警に言って、当時の担当者を調べてもらおう!」


「その人が犯人なのかい?」


「そこまではまだわかりませんが、今のところ考えられるのはその線だけですね」


そう言っている間に島本刑事は立ち上がって、法医学研究室のドアノブに手をかけた。


「捜査が進展するかわからないけど、また今度食事をごちそうするよ。それじゃあ!」と言って島本刑事は颯爽と部屋を出て行った。


「島本刑事は出て行ったけど、せっかくだから僕たちは食事に行こうか?」と誘ってくれる立花先生。


「はい」と私は微笑んで、一緒に大学の医学部棟を出た。




そしてまた数日が経った日、兵頭部長を介して法医学研究室に来てほしいとの連絡が入った。私は急いで医学部棟に向かった。


「大阪府警に調べてもらったところ、亜綾あーやちゃんのおばあさんがひかれかけた事件に関与していた警察官がわかった。全員、村山が殺される一週間前の二月十六日に吉村刑事が話を聞きに行っていたようだ」と研究室に来ていた島本刑事が説明した。


「全員、と言うと、ひとりではなかったんですね?」


「うん。三人だ。ひとりは現場最寄りの交番に勤務していた高田仁たかだひとし巡査。現在も交番勤務を続けている。二人目は捜査を主導した交通課交通捜査係の長沢達雄ながさわたつお係長。もう定年退職している。退職後脳梗塞を発症して、現在は寝たきり状態らしい。息子が世話をしているようだ。三人目は同じく交通捜査係の太田貫一おおたかんいち巡査。今は巡査長になって別の署の生活安全課にいる」


「吉村刑事はその三人に話を聞きに行った時に、何かに気がついたのでしょうか?」


「それはまだわからない。ちなみに吉村刑事が死亡した現場は、長沢元係長の自宅から一キロ弱離れた所だった。死亡した日に長沢家に寄ろうとしたのか、寄った帰りかもしれないが、長沢元係長の息子は吉村刑事は来ていないと言っているようだ。それが事実か確認はできていない」


「でも、何らかの関係はありそうですね」


「俺はまた大阪に行って捜査情報を聞いてくるとともに捜査の手伝いをしてくるよ」と島本刑事。


「お疲れ様です」と私たちは島本刑事をねぎらった。

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