4 大阪万博と第二の殺人

翌朝は七時頃に起き、ホテルの食堂で朝食を食べた。洋朝食と和朝食があり、私は和朝食、みちるさんと奥さんは洋朝食を食べた。


九時半からの開場に間に合うように九時前にホテルを出て、地下鉄新大阪駅に行く。万博会場前の北大阪急行万国博中央口駅に直行する電車が来るからだ。


新大阪駅から万国博中央口駅までの運賃は百円だった。切符を買って改札を抜け、ホームに上がるとまもなく万博会場行の電車が入って来た。


新大阪駅の北の江坂駅までは地下鉄線だが、その先は万博へ行くために臨時で作られた鉄道だ。通勤のために乗る人はいないはずなのに、通勤電車並みの混雑で驚いた。何とか乗り込んで万博会場まで行ったが、入場口付近にはさらに大勢の人が開場を待っていた。


当日入場券は、奥さん(二十三歳以上の大人)が八百円、私(十五歳~二十二歳の中人)が六百円、中学生のみちるさん(四歳~十四歳の小人)が四百円だった。


入場者の列に並びつつ入場ゲートの上にそびえ立つ太陽の塔を見上げる。


「大きいわねえ~」と感心するみちるさん。「でも、変な顔」と太陽の塔の胴体の顔を見て言っていた。


十時頃にようやく会場内に入れた。中にも大勢の人がいる。東京でもめったに見ないほどの人の多さだ。


「まず、どこへ行く?」と、太陽の塔の前で記念写真を撮った後にみちるさんが聞いた。


「太陽の塔の中に進化の樹って言う展示があるみたいよ。まずそこを観てから、人気のアメリカ館、ソ連館、日本館、三菱館などを観て回りましょうよ」と私は言った。


しかしその計画は机上の空論だった。どこにも大勢の人が並び、入館するまでに一時間以上待たなければならなかった。結局、午前中に三菱未来館、日本館と回り、ついでに建物の形で目を引いたリコー館に入った。


三菱未来館では火山や溶岩の映像が壁や床に投影される中を進み、台風を飛行機から投下した爆弾で消滅させる映像などに衝撃を受けた。


日本館は上空から見下ろすと桜の花びらに見える五つの円形の建物で構成されていて、日本の伝統文化から未来技術まで紹介していた。巨大なスクリーンで「日本と日本人」という映画も上映していた。


リコー館は円筒形の建物で、上部から上空に目の模様が付いた巨大なバルーンを浮かべていた。敷地の外周に沿って円周状になっている動く歩道に乗ると、円筒形の建物の表面にアニメーションや写真が浮かび上がるという不思議な風景だった。


リコー館を出ると飲食店で軽食を買い、ベンチに座ってあわただしく遅い昼食を摂る。次がお目当てのひとつ、アメリカ館だったからだ。


しかしアメリカ館への入場を待つ行列もとても長く、二時間以上待ってようやく中に入れた。展示されている月の石やアポロ宇宙船の着陸船などを興味深く見学する。


アメリカ館を出るとさすがに私たちもくたくたになっていて、ソ連館まで観に行く時間も気力もなくなっていた。


「とってもおもしろかったけど、やっぱり一日じゃああまり見て回れないね」とみちるさん。


「もっとたくさんの展示を見て回るのなら、一週間くらいは通わないと無理そうね。もっとも気力と体力がもてばの話だけど」と私も言った。


「ゴールデンウィークや夏休み期間だともっと人が多くなるでしょうね。早めに行って良かったわ」と奥さんも疲れ顔で言った。


名残惜しいがさすがに限界を感じ、私たちは万博会場を後にした。


帰りの電車もそこそこ混んでいて、ホテルにたどり着いた時はグロッキー状態だった。フロントで部屋の鍵を受け取っている時に、


「母さん、みちる!」という声がホテルの入口から聞こえてきた。私たちが振り返ると、島本刑事が若い男性と一緒にホテルに入って来るところだった。


「父さん!」と言って駆け寄るみちるさん。


「万博に行ってきたか?楽しかったか?」とみちるさんに聞く島本刑事。


「面白かったよ!」


「一色さんにも面倒かけたね。ちょっとそこで話さないか?」と島本刑事が言ってロビーにあるソファーセットを指さした。


「彼は大阪府警の吉村刑事。世話になっているんだ」と椅子に座りながら島本刑事が若い男性を紹介した。


「吉村智文です。島本刑事にはお世話になってます」と頭を下げる吉村刑事。まだ三十前後の年齢に見える、すらっとしてなかなかハンサムな青年だった。大阪弁の訛りが少し入っているが、標準語で話している。


「妻と娘と、明応大学法医学教室の一色さんだ」と私たちを紹介する島本刑事。私は法医学教室に所属しているわけではないが、訂正はしなかった。ただの一般人には捜査情報を話せないからね。


「お噂はかねがね」と主に私を見て言う吉村刑事。


「お前たちは部屋で休んでなさい」と奥さんとみちるさんに島本刑事が言った。


「また一色さんに頼る気?疲れているから程々にね」と釘を刺してみちるさんは奥さんと一緒に部屋に上がって行った。


「俺たちは三日前から被害者ガイシャの村山の過去を洗い直すために聞き込みを続けていたんだ」とさっそく本題に入る島本刑事。


「そこで村山に関係しそうな事件があったことがわかったんだ」


「事件ですか?」今回の殺人事件の原因かもしれないな、と私は考えた。


「十年前の七月のことだ。村山は大阪府内に住んでいる会社員だった。当時は妻がいて、子どもはいなかった。ある日、近所に住む高齢女性が路上で亡くなった」と島本刑事は説明を続けた。


「路上で?交通事故ですか?」


「一緒にいた高齢女性の孫娘、当時九歳の金井亜綾かないああやちゃんはおばあさんが車にはねられて転倒したと言った。車はそのまま現場を去り、亜綾ああやちゃんは近所に住んでいる村山が運転していたと証言した」


「轢き逃げですね?」


亜綾ああやちゃんの証言に基づいて警察が村山を取調べた。しかし村山の車には人が衝突した痕跡はまったくなく、高齢女性の体にも車が衝突してできた傷はなかった」


「え?・・・じゃあ、おばあさんは何で亡くなったのですか?」


剥離性大動脈瘤はくりせいだいどうみゃくりゅう破裂という病気だったんです」と吉村刑事が説明し始めた。(註一参照)


「病気?・・・病死ですか?」


「胸にある大動脈の内側の膜が裂けて動脈壁内に血液が侵入し、瘤状に膨れ上がる病気だそうです。そしてその瘤が破裂すると大出血を起こして死亡します」


「それは交通事故に関係なく起こるのですか?」


「前触れもなく突然裂けることもあれば、体に衝撃が加わって起こることもあるそうです。そこで当時の警察は危険な運転をしていた車に驚いて転倒し、その衝撃で大動脈瘤が破裂して亡くなったんじゃないかと疑って村山を取り調べたのですが、村山は否認しました。車には衝突した痕跡がなかったのでそれ以上追求できず、結局亜綾あーやちゃんの証言は見間違いということになりました」


「危険運転を証明できなかったんですね」


「で、話はこれで終わらなかったそうだ」と島本刑事が続けた。


「村山は亜綾あーやちゃんの嘘の証言で多大な迷惑を被ったと激昂し、妻と一緒におばあさんを亡くしたばかりの金井家に何度も怒鳴り込み、亜綾あーやちゃんと両親を激しく非難したんだそうだ。近所の人の話では、夜中に怒号が響いて寝られないほどだったらしい。何度も一一〇番通報があったが、警察が注意しても、またすぐに怒鳴り込んで来たそうだ」


「そこまで非難しなくても・・・」


「睡眠不足のせいか亜綾あーやちゃんの父親は車で仕事現場に向かう途中で運転を誤って電柱に衝突して亡くなり、母親もその二か月後に心労で倒れて亡くなったそうだ。祖母と両親を立て続けに失ってひとりぼっちになった亜綾あーやちゃんは児童施設に引き取られて行った・・・」


「かわいそうな亜綾あーやちゃん。・・・村山はお咎めなしですか?」


「この事態にさすがに近所の住人も怒り、村山夫婦を責め立てるようになったそうだ。そのせいか夫婦喧嘩を繰り返すようになり、村山夫婦は結局離婚して二人ともどこかへ引っ越して行ったそうだ」


「そうですか・・・。ちなみに亜綾あーやちゃんのお父さんの職業は大工さんですか?」


「その通りです。よくわかりましたね?」と吉村刑事。


「もしその出来事が村山の殺人の原因だったとしたら、成長した亜綾あーやちゃんが復讐した可能性も考えられます。父親の復讐として大工道具のノミを使い、母親の復讐には料理に使う文化包丁。おばあさんは・・・?」


「四人しかいない家族ですから、東京での殺人に使われた五つの凶器とは数が合いませんね。凶器の数や種類には意味がないのでは?」と指摘する吉村刑事。


「・・・そうかもしれません」と私は認めざるを得なかった。


「それに、今日児童施設に問い合わせたら、亜綾あーやちゃんは施設に入った二年後に肺炎で亡くなっていました。かわいそうに」


「え?亜綾あーやちゃんは亡くなっていたのですか?」


「そうなんです。今回の殺人事件の犯人にはなれませんよ」


「それは・・・亜綾あーやちゃんには失礼なことを言ってしまいました」と私は頭を下げた。


「気にされなくてけっこうですよ。関係者を疑うのは捜査の基本ですからね」


「金井家の悲劇と今回の殺人事件は関係ないか」と島本刑事が肩を落とした。


「何か手がかりが得られればと期待したんだが」


「それにしても短期間でよくここまで調べられましたね」


「吉村刑事に事前に村山の住民票などの資料を送っておいたから、俺が行くより前から捜査を進めていてくれたんだ。村山は東京に来るまでに二度転居していることもすぐに突き止めて調べてくれたから、轢き逃げ騒動にもたどり着けたんだ。さすがだよ、吉村刑事は」と島本刑事が言い、私もうなずいた。


「そんなことありませんよ」と謙遜する吉村刑事。


「ところで、島本刑事はまだ大阪におられるのですか?」


「うん。もう三日ほど滞在して村山の周囲を調べてみる予定だ。一色さんには家内と娘のことをお願いするよ」


「もちろんです。明日の朝、お先に帰ってます」


「よろしく頼む」と言って、島本刑事と吉村刑事はホテルを出て行った。


私はホテルの部屋に戻り、奥さんとみちるさんを連れ出して近くの食堂で夕食を摂った。


翌朝、ホテルで朝食を摂り、チェックアウトしてから新大阪駅でおみやげを物色した。さらに駅弁(幕の内弁当)を買い、新幹線に乗り込んで帰京した。


私は奥さんとみちるさんを無事に送り届けてから実家に戻った。春休み期間は実家の中華料理屋を手伝いながら過ごし、その間、事件に関する情報は何も聞かなかった。


四月になり、新学期が始まる前に兄の住む下宿に戻った。村山が住んでいた隣の部屋の前にはもう警察官はおらず、ただの空き部屋になっている。しかし殺人事件が起こった部屋に住みたがる人はなかなかいないだろう。


そして大学の講義が始まり、以前と同じように放課後はミステリ研に寄る日々が戻ってきた。


私はその日もいつものようにミステリ研で読書していた。今読んでいるのはチェスタトンの『ブラウン神父の童心』だ。この中に「三つの凶器」という短編が載っている。


ある陽気な男性が死亡する。その男性の部屋にはロープと銃とナイフという三種類の凶器になり得るものが残されていたが、男性の死因とは関係なかった。そこでブラウン神父が死亡時の状況を推理するというお話だった。


今回、村山の殺人に使われた五つの凶器。これには深い意味はなく、たくさん傷つける目的で適当に持ってきた凶器を全部使っただけだったのだろうか?


そんなことを考えながら読んでいると、ミステリ研の兵頭部長が部室に入って来た。


「一色さん、また立花先生が呼んでるよ。刑事さんも来ているそうだ」


「わかりました。すぐに行ってみます」と私は答えて立ち上がった。何か事件の進展があったのかな?


部室を出て医学部棟の法医学研究室を訪れると、中に島本刑事が来ていた。


「お久しぶりですね」と私は島本刑事に言った。


「やあ、一色さん、妻と娘が世話になったね」


「あの三日後に東京にお戻りになったのですか?」


「いや、出張が二週間ほど伸びてね、つい先日帰って来たところなんだ」


「出張が伸びた?・・・何か新しい事実が判明したのですか?」


「実は一色さんが東京に帰った日に大阪府内で梅川晃子うめかわあきこという中年女性が殺害された。その女性は村山の妻だった女で、そのため大阪での捜査が伸びたんだ」


「え!?」確か、轢き逃げ騒動の後で村山と離婚したと聞いた人だ。


「梅川は離婚後大阪府内の実家に戻り、親も亡くなって一人暮らしをしていた。話を聞きに行ったんだが、村山の死については『自分は何も知らない』と言い返すだけだった。村山が死んだ日の夕方にスーパーマーケットに買い物に来たのを店員に目撃されていて、アリバイは証明されている。・・・それなのに梅川も殺された」


「死因は?」


「刺殺だ。五種類の異なる凶器が体に刺さったままだった・・・」


島本刑事の言葉に私は息を飲んだ。


- - - - -

註一.剥離性大動脈瘤はくりせいだいどうみゃくりゅう:現在は急性大動脈解離または解離性大動脈瘤と呼ばれている。

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