9 真相

数日後、私は法医学教室で島本刑事からの電話を受け、その後の捜査の進展を聞いた。


「村山殺害に用いられた文化包丁は、長沢の家にあったものと似ていると家政婦が証言した。その包丁は村山が殺された日の翌日になくなっており、その翌日には新品の包丁が買ってあった。また、長沢の家に置いてあった大工道具箱からノミがなくなっていた。この大工道具箱は長沢太一が中学生の時に技術の授業で使うために中の道具類とともに一括で購入させられたもので、柄の刻印から村山の体に刺さっていたノミがこの大工道具箱とセットになっていることが確認できるだろう。さすがに千枚通しと肥後守ひごのかみは太一のものか証明することは難しそうだ」


「それで立証できますか?」と私は島本刑事に聞いた。


探偵小説なら推理して犯人を名指しすることで話は終わる。しかし実際の事件だと、逮捕された犯人は検察官に調べられ、起訴されれば裁判になる。裁判で有罪と判断されるに足る証拠が必要だ。


「長沢太一は連日取調べられて、少しずつ自供し始めている。裁判長を納得させるには十分だろう」


「次は切り出しナイフで村山を刺したのが誰なのかが問題ですね」


「その点は吉村刑事の千葉での行動を調べてもらっている」


「村山が私のアパートに来る前の住所ですね」


「当然村山はその住所にいないから、吉村刑事は近所の人に村山の行方について聞いて回ったそうだ」


「転居先を知っている人がいたのですね?」


「ああ。村山が借りていた借家の大家に転居先を伝えていた。転居後に問題が見つかったら連絡するためだろうね。ただ、吉村刑事が大家を捜し出して話を聞いたのは夜七時過ぎだったらしい」


「暗くなっていますから、住所を聞いただけで私のアパートを探し出すのは大変でしょうね」


「吉村刑事が泊まっていた千葉県内のホテルも見つかった。こっちは警視庁の捜査で突き止めたことなんだが、そのホテルに吉村刑事がチェックインしたのが夜九時前だったから、東京にある一色さんのアパートに吉村刑事が行く暇はなかったことになる」


「チェックイン後すぐにホテルを出ようとしたらフロントの人に鍵を預けるよう言われるでしょうね。長いプラスチックの角棒がついた鍵を」(註、昭和四十五年には宿泊客がホテルの外に持ち出せるカードキー型の部屋の鍵はなかった)


「そしてホテルに夜中や早朝に帰って来たら、奥に引っ込んでいるホテルの従業員を呼び出さないと鍵をもらえない。そんな事実はなかったようだから、吉村刑事はその日は一色さんのアパートには行かなかったことになる」


「つまり、村山の右胸を切り出しナイフで刺したのは吉村刑事ではなかったと言えるんですね?」


「そういうことだ」


「じゃあ、高田巡査が容疑者ということになりますね?」


「そう。高田巡査は勤務中にも切り出しナイフを使って作業することがよくあったそうだ。巡回中に住人に頼まれて植木の枝を切ったり、子どもの木工細工を直したりとね」


「その切り出しナイフが高田巡査の元からなくなっているのですね?」


「そうなんだ。柄の特徴などが合致することを確認して追求していけば、いずれ落とせるだろう」


「落とせる」とは自供を引き出せるという意味だ。


「太田巡査長が田主丸たぬしまるを買ったこともあらかた証明できている。一色さんの推理した内容通りに事件が決着しそうだ。俺もこれでようやく東京に帰れるよ」


「ほんとうにお疲れ様です。お家に帰ったら、ゆっくり休んでくださいね」と私は島本刑事をねぎらった。




それからさらに半月後、事件の全容がわかったと久しぶりに東京に戻って来た島本刑事が説明してくれた。場所はいつもの小料理屋だ。


「長沢太一、太田巡査長、高田巡査の三人が全員逮捕された。大阪府警で取り調べを受けた後、警視庁でも取調べを行う予定だ」


「真相がわかったんですね?」


「うん。まず、収賄の事実だが、実際に村山から手心を加えてくれと依頼されたのは太田巡査長だったらしい。もちろん捜査に手心を加えるわけにはいかなかったが、村山の責任を追求できないと長沢係長が判断しかけていたことに便乗して、太田巡査長自身が村山から金をもらい、その後村山に、長沢係長に頼んでうやむやにしてもらったと嘘をついたようだ」


「太田巡査長は収賄はしていたけど、手抜き捜査をしたわけではなかったんですね?」


「その場合は加重収賄罪じゃなく、ただの収賄罪だから、時効は五年でもう過ぎている」


「長沢元係長は収賄には関与していなかったのですか?」


「そのようだが、吉村刑事が最初に話を聞きに来た時に不安を覚えた太田巡査長は長沢太一を呼び出して、十年前に元係長が収賄したと嘘をついたそうだ」


「収賄がばれたとしても、長沢元係長がしゃべれないのを幸いに、責任を押しつけるつもりだったのでしょうね」


「話を聞いた長沢太一はあわてて古い年賀状を引っ張り出してきた。村山は長沢元係長宛に毎年律儀に年賀状を送っていた。罪をもみ消してくれたと思っていたので感謝のつもりで書いていたのだろう。太一はその年賀状が父の収賄を裏付けるものだと思い込んでしまったんだ」


「なるほど。・・・あ、そうか!毎年の年賀状に村山の住所が書いてあったんですね?現住所も、転居前の千葉の住所も」


「そうなんだ。翌日長沢元係長の見舞いに来た高田巡査は、枕元に村山からの年賀状が置いてあるのに気づいた。太一がしまい忘れたのだろう。それを見た高田巡査は、長沢元係長と村山の癒着を疑うと同時に村山の現住所を知った。当時元係長と一緒に捜査していたのが太田巡査長だと思い出した高田巡査は、太田巡査長に話を聞きに行った。太田巡査長は高田巡査にも、長沢元係長が村山から金を受け取ったようだと嘘をついたので、高田巡査は信じ込んでしまった・・・」


「太田巡査長はその嘘を吉村刑事にも言ってしまった。しかし東京にいる村山に確認しに行かれると自分が関与していたことがばれてしまうので、吉村刑事にはわざと千葉の住所を教えたんでしょうね?」


「そういうことだろう。そして吉村刑事から上京する予定を聞き、それを長沢太一と高田巡査に伝えた。長沢太一は太田巡査長の思惑通りに、吉村刑事に父の収賄が気づかれることを恐れて、また、あわよくば吉村刑事に濡れ衣を着せるために、同じ日に上京し、あたかも金井家の恨みを晴らすためであるかのように四種類の凶器を使って村山を殺害したんだ。即死でなかったのは、背中から刺したために心臓に凶器が届かなかったせいで、意図したものではなかったようだ」


「その直後に高田巡査も来たのですか?彼も殺意を持っていたのでしょうか?」


「高田巡査は亜綾あーやちゃんのおばあさんが死亡した時はもちろん、村山が金井家に怒鳴り込んで来た時も、応援で現場に駆けつけていた。当時から亜綾あーやちゃんたちに同情し、正義感から村山を憎んでいたようだ。高田巡査の自宅の家宅捜索をしたら、村山の千葉の住所に宛てた封書が発見された。宛先不明で返送されていたんだ。その文面を読むと、匿名で村山の罪を糾弾していた」


「匿名だったのに、返送されていたんですか?」と私は疑問に思ったことを聞いた。


「昔世話をした知人の事務所が契約していた私書箱を郵送元にしていた。おそらく村山の反応が知りたかったんだろうな。返事が来たかどうか、調べた範囲ではわからなかったが」


「いずれにしろ村山が千葉に転居した直後から、その住所を調べた高田巡査が脅迫状のようなものを何度も送りつけていたのですね?そのせいで村山は千葉から引っ越し、私の隣の部屋を偽名で借りたのでしょう。偽名を使っていた理由もわかりました」


「そうなんだ。今年になって高田巡査は太田巡査長から長沢元係長の収賄疑惑とともに村山の現住所を知った。吉村刑事の上京予定も聞いたので、同じ日に新幹線に乗り、夜九時前に村山の部屋を訪れた。ナイフはいつもの癖で持参していただけで、村山に危害を加えるためではなかったと言っていたが・・・」


「長年憎んでいたのなら、多少の殺意があったのかもしれませんね」


「そうだな。高田巡査が村山の部屋を訪問したら、村山は既に長沢太一に刺されて倒れていた。現場に痕跡を残さないよう注意しながら、生きているか確認するために抱き起こしたらまだ息があった。その時、必死で訴える亜綾あーやちゃんの泣き顔を思い出して急に怒りがわき、村山の右胸を刺したと高田巡査は供述しているが、放置すればじきに死ぬのにわざわざ刺したのは、元から殺意があったと考える方が自然だな。吉村刑事と同じ日に上京したのも、長沢太一と同じように、あわよくば吉村刑事に濡れ衣を着せられると思っていたのだろう」


「凶器の切り出しナイフを抜かずにそのままにしておいたのは、背中の傷と同じようにして、あたかも同一犯が五か所すべてを刺したと思わせるためでしょうね」


「ああ。東京の殺害現場で見つかった切り出しナイフが自分に結びつけられるとは考えなかったのだろうな、警察官のくせに」


「ところで高田巡査が刺した傷も即死するようなものではなかったと前に聞きました。この場合、村山を殺したのは長沢太一と高田巡査のどちらになるのでしょうか?」


「二人が刺した傷を合わせて致命傷とみることができるけど、高田巡査が刺さなくても村山は死んでいただろうから、長沢太一の方が主犯になるのかな?法律上の解釈はよくわからないけどね」と立花先生が言った。


「ところで長沢たちに村山殺害を焚き付けた太田巡査長だが、首尾を確認するために寝台列車に乗って、朝方東京に着いたそうだ。そして一色さんのアパートに行ったら、既に警察が来ていた」


「思い通りになったと思ったのでしょうね」


「ところが近くに吉村刑事も来ていた。千葉のホテルをチェックアウトして、調べた村山の転居先に来てみたら既に村山が殺害されていたというわけだ。その時太田巡査長は吉村刑事の顔を見たんだが、同時に自分の顔を見られたと思い込んだ・・・」


「村山を殺した犯人だと思われかねない状況ですね」


「村山を口封じしたと思われれば、吉村刑事は次に梅川晃子を調べに行くだろう。そこで太田巡査長は村山事件を参考にして五種類の凶器を揃え、梅川を殺しに行った」


「長沢太一が四種類の凶器を使い、高田巡査がもう一種類の凶器を使った、という事実を知らなかったために、太田巡査長はひとりで五種類の凶器を揃えたんですね」


「さすがに村山殺害を焚き付けた太田巡査長本人でも、五つめの凶器の意味はわからなかったのだろう」


「収賄よりも殺人の方が罪が重いのに、馬鹿なことをしたものですね」


「まったくだ。しかし梅川を殺したことで逆に吉村刑事の疑惑が大きくなった。そして『また話を聞きたい』と吉村刑事が長沢太一に言い、長沢太一はそのことを太田巡査長に相談したらしい。太田巡査長は『父に聞かれたくないので外で会いたい』と言うように長沢太一に指示し、具体的な場所として例の崖上の空き地をすすめた。長沢家を以前に訪問した際に、その空き地の前を通ったそうだ」


「長沢太一に吉村刑事を殺すよう暗に示唆したわけですね?」


「そうだろう。しかし太一は落ちていたブロックで吉村刑事の頭を殴って気絶させたが、殺すことまではできなかった。現場に先回りし、物陰から様子を見ていた太田巡査長は太一が逃げ帰った後、吉村刑事を介抱するふりをしてポケットにり小刀を忍ばせ、崖から突き落としたという話だ。ちなみにり小刀も田主丸たぬしまると同じ刃物店で買っていた」


「もう人殺しに歯止めがかからなくなったようですね。・・・探偵小説の中ならともかく、現実に起こるととっても恐ろしいです」と私は言った。


「それにしても、村山が殺された日とその翌日に、今回の事件の関係者が全員私の住むアパートのそばに来ていたんですね。おそろしいような、おもしろいような」


「なにがおもしろいんだい?」と立花先生がツッコんだ。


「ヴァン・ダインの『カナリア殺人事件』という探偵小説を思い出したんです。密室で女性が殺されて、誰もその部屋には出入りできなかったはずなのに、実は何人も・・・。いえ、ネタバレになるのでこの話はやめましょう」


「とにかく一色さんには今度もお世話になった。おかげで俺も大阪府警から感謝されたよ。もっとも警察内部から犯人が二人も出て来たから、微妙な顔をしていたけどな」と島本刑事。


「ますます名刑事の噂が広がりますね。・・・話は変わりますが、実は心配事が」


「何だい?何でも言ってごらん」と言ってくれる立花先生。


「実は兄に彼女ができたんです」


「そりゃおめでたい話じゃないか」と島本刑事。「例の女性なのかい?」


「はい。村山殺害が起こった夜に兄を訪問していた松村さんです」


「最初は犯人じゃないかと疑ったけど、事件解決の功労者のひとりだね。どんな女性なんだい?」と立花先生が私に聞いた。


「優しそうで、料理上手で、何より兄を想ってくれているいい人です。中華料理店で働いている点を含めて、理想の兄嫁ですね。私の両親ともうまくやっていけると思っています」


「いいお相手が見つかって、お兄さんも良かったじゃないか」と島本刑事も言った。


「でも、もし早々に結婚する運びになったら、私は兄と同居しているアパートから出て行かなくてはならないかなと考えてまして・・・」


「なら、一色さんも対抗して、立花先生と結婚すればいいじゃないか。しばらくは大学生と新妻を掛け持ちするんだな」と島本刑事に言われて私は顔が熱くなった。


「まあ、なんだな・・・」と立花先生。


「それはそれで仕方ないんじゃないかな」


「もう!からかわないでくださいよ!」と私は文句を言ったが、島本刑事も立花先生もにやにやするばかりだった。




今回起こった連鎖殺人事件はこのように無事に決着を迎えた。実は真の黒幕がいるというようなサプライズ・エンディングがあるわけではない。現実の事件の真相はわりとあっさりしたものだ。


・・・と、探偵小説好きの私もそう思っていた。ある日、島本刑事がまた新たな事件の相談を持ちかけて来るまでは。


その日、私と立花先生はいつものように島本刑事に呼び出された。その時の島本刑事の顔は、いつもよりもさらに深刻そうだった。


「どうしたんですか?顔色が良くないですよ」と私は島本刑事を気遣った。


「一色さん、とんでもない事件が起こった・・・ようなんだ」


島本刑事の言葉に私と立花先生は息を飲んだ。


・・・しかし、それはまた別のお話である。この続きは後日お話しすることになるだろう。


その前に、私の女子高時代の友人である藤野美知子が遭遇した事件を紹介しよう。

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