第5話 魔の十三階段

翌朝、学校で会った一色は、すぐに私に話しかけてきた。


「今日の放課後、一緒に図書室に寄ってくれないかい?」


「いいけど?」何の用だろう?


「七不思議事件の捜査をしたいんだよ」


「何かわかったの?」


「事件の資料を直子に頼んでおいたんだ」


直子というのはいつも図書室にいる図書委員だ。確か名字は空井で、同じ学年だが、別のクラスの生徒だ。一色とは一年生の時に同じクラスだったそうだ。


放課後になると、私たちは図書室に向かい、空井さんに一色が声をかけた。


「やー、直子。例のものは手に入ったかい?」非合法のブツのように聞こえる。


「あ、一色さん、・・・と藤野さんだっけ?」


「こんにちは」とあいさつする。


「見つけておいたわ、これよ」そう言って直子は薄い冊子を出した。


一色が手に取ったのをのぞき込むと、「文芸部活動報告 昭和二十五年」と書いてあった。ガリ版刷りでなく、手書きのようだった。


「これは文芸部が年に一回作っていた報告書なんだ。配布用ではなく、部で保存しておくためのものだけど、文芸部が休部状態だから、図書室の書庫に保管してあったんだ」


文芸部なんてあったんだ、と私は思った。しかし何年も前から部員がいないらしい。


「ここに謎が書いてあるの?」


「ああ、座って読んでみよう」


一色に従って閲覧席に行った。私が椅子に座ると、一色が二人の前にその活動報告を広げた。


目次を見ると、当時の部員が書いた文芸作品がいくつかと、部活の内容が書かれてあるようだった。


「ここを見てごらん」


一色が指さしたところをみると、「随筆エッセイ 夕暮れ時の十三階段」と書いてあった。


該当ページを開き、二人で読んでみると、次のように書いてあった。


「夕暮れ時の十三階段   文芸部部長 三年 田中咲子


 友人Tは、某国大使館の駐在武官の娘として、長らく外国で暮らしていた。大東亜戦争中の外務省の縮小に伴い、大使たちと帰国したTは、戦後になってここ松葉女子高に入学した。外国暮らしが長く、帰国後も日本の学童と接する機会があまりなかったそうで、高校生になっても英単語混じりの片言の日本語を話し、また、日本人が普通に知っている日本の習俗について、知らないことが多かった。


 ある日の放課後、私はTに校舎の階段を指差し、じゃんけん遊びの『グリコ』を知っているか尋ねた。日本の子供なら殆どの人が知っているはずの『グリコ』を、Tは予想通り知らなかった。


 そこで二人で遊んでみることにした。じゃんけんをし、グーで勝てば『グリコ』と言いながら字数だけ階段を昇る。パーで勝てば『パイナツプル』、チョキで勝てば『チヨコレイト』だ。


 さっそく始めてみると、最初の手は私がチョキ、Tがグーだった。Tは「グ、リ、コ」と言って三段昇った。次はチョキとチョキであいこ、その次はTがチョキで勝った。


 『チョッコレーだったかしら?』Tが英語の発音で尋ねた。


 『発音が違うわ。チ、ヨ、コ、レ、イ、トよ』私が教えると、Tは発音しにくいようだったが、ちゃんと『チ、ヨ、コ、レ、イ、ト』と言って六段昇った。


 次はTがグーで勝ち、三段昇って踊り場に着いた。ちょうど校舎の二階の窓から西日が差していて、Tの体はオレンジ色に輝いて見えた。それにしてもTはじゃんけんが強い。あいこを除けば三連勝だ。


 続いてTがグーで勝ち、三段上がる。次は私がパーで勝って六段上がった。その次はTがパーで勝った。また、『パイナプー?』と英語の発音で聞いてきたので、『パ、イ、ナ、ツ、プ、ル』と教えた。


 そして最後にTがグーで勝った。踊り場から二階までは同じ十二段ある。私はTに負けたと思って階段を昇ると、二階の窓から差し込む赤い光を背に受けたTのシルエツトは、二階の床より一段下に立っていた。


 『数え間違えたの?グーは三段、パーとチョキは六段ずつよ』


 『数え間違えてないよ』とTは答えた。


 私は一階に駆け下りて、もう一度何段あるか数えなおした。踊り場まで十二段、二階まで十二段、合計二十四段だった。もう一度Tに確認したが、Tが嘘や冗談を言っているようには見えなかった。


 その時、夕日が西校舎の向こう側に沈み、Tと私は薄闇に包まれた。


 翌日、家の都合とかでTは、私を含めたクラスメイトに別れを告げることもなく転校していった。その後の消息はわからないが、死んだという噂もあった。


 あの時、踊り場から二階へ通じる階段は、未知の超越的な力により十二段から十三段に増えていたのではないだろうか?十三階段とは、死刑台に昇る階段のことだ。Tが死刑に値する所業を為したとは思わないが、不可知の闇に潜み棲むものが忍び寄り、Tを冥界へと引きずり込もうとしたのかも知れない」


「何これ?階段の怪談?ホラー?」私は震えながら言った。ホラーは苦手だ。


「最後の段落はラヴクラフトの影響があるようだ」読書家の一色が言うが、私はラヴクラフトが何か知らなかった。愛の手芸か?


「とにかくこれを読むと、東校舎の階段のようだね。行ってみよう」


意気揚々と図書室を出る一色。私はおびえながら後について行った。


東校舎の真ん中に、学校の東側に出る通用門がある。その横に階段があった。


段数を数えてみる。活動報告に書いてあったように、途中の踊り場まで十二段、踊り場から二階まで十二段、確かにあった。


「手すりは側面が板で覆われているから、踊り場より下にいると、踊り場より上にいる人が何段昇ったか、確認できないね」と私は指摘した。


「だから、Tさんが嘘をついたんじゃないの?」


「なぜそんな嘘をつく必要があるんだい?Tさんはじゃんけんが強くてゴールできたのに、ゴールの一歩手前で立ち止まる意味などないんだから」


「Tさんが数え間違えて、それを指摘されたくなかったからじゃない?パイナップルの英語の発音と日本語の発音が違うから」


「でも、Tさんは頭がいいから、グーで三段、パーとチョキで六段上がれることは、よく理解していたと思うよ」


「どうしてそう言えるの?」と私は食いついた。


「Tさんの出したじゃんけんの手は、順番に書くとグー、チョキ、チョキ、グー、グー、グー、パー、グーだよ。一回あいこで一回負けているけど、圧倒的にグーが多い」


「ほんとだ・・・」私は活動報告の文章を確認した。


「チョキとパーは六段上がれるから、『グリコ』をよく知っている部長ならチョキかパーで勝ちたいと思うだろう。ほかの人もそう思うから、どうしてもチョキとパーを出す確率が高くなる。その場合、チョキを出しつづければ、勝ちかあいこになることが多く、負ける可能性は低くなる」


「なるほど。・・・でも、Tさんは違った」


「そう、彼女は、部長がチョキを出す確率が高いとその場で理解し、それでグーを出す回数をわざと増やしたんだ」


「そ、そうかな?グーを出すくせがあったとか?」


「真実はどっちかわからないけどね、たかがじゃんけん遊びだ。Tさんが外国暮らしが長いからといって、この程度のルールに混乱はしなかったと思うよ」


「そうかもしれないけど。・・・じゃあ何でゴールの一段下に立ってたの?」


「十二段が未知の力で十三段になることはない。探偵小説愛好家として、そんな非科学的な現象は容認できないよ」


「まあ、そうね」


「この活動報告を読んで印象的なのは、当時西日が射していたことだよ」


「Tさんは踊り場でも、二階の一段下でも、まばゆい夕陽を浴びていたって描写があるわね」


「その夕陽の中、Tさんは階段を昇って行った。Tさんの目には、西校舎に沈む直前の真っ赤な夕日が目に飛び込んできただろう」


「まぶしくて立ち止まった?」


「まさか。小さい子どもじゃないんだから、まぶしくても昇りきることはできるだろう?」


「まあね。・・・じゃあなぜなの?」


「この随筆エッセイの最初に書かれているんだけど、Tさんは戦争中に帰国し、日本の学童とあまり接しなかったらしい。昭和十九年から二十年にかけて、都会では学童疎開が行われていた。しかし、当時は敵性語と言われていた英語を話すTさんは、他の学童ととても共同生活なんかできなかったんじゃないかな?」


「それで?」


「外務省の職員だったTさんの家族は、東京の近郊に住んでいただろう。Tさんは学童疎開に参加できず、家族と一緒にいたに違いない」


「ふんふん」


「そうなると、空襲を間近に見たはずだ。焼夷弾で燃える家々を。・・・十代前半だったTさんは、とても恐ろしい経験をしたと思うよ」


「そうかもね」


「そして見てごらん。夕陽が射してきた」


確かに踊り場に西日が差してオレンジ色に輝いていた。


私たちは二階に上がると、正面の窓に赤く染まっている夕焼けの空を見た。


夕焼け空の前には西校舎のシルエットが見える。西校舎が、火災で燃えているようにも見えた。


「この光景を見て、Tさんは空襲の火災を思い出したのかもしれない。そして二階の一段下のところで、足がすくんでそれ以上昇れなくなったと考えれば、説明がつくよ」


「そうか、Tさんは数え間違えてはなかったけど、最後の一歩を踏み出せなかったのね」と私は得心がいった。


「じゃあ、翌日急に転校したのはなぜ?」


「・・・書いてあったように、家の都合じゃないかな」


私はがくっとなった。しかし、一色の説明は続いた。


「戦後、日本は占領下で外交権が停止されていたけど、昭和二十五年頃から外国に在外公館が開設し始め、戦後の外交が本格的になっていったからね。外務省に勤務する親の仕事の都合で、急に転校したんじゃないかな」


「なるほど。説明はつくわね」


「でも、今推理した内容は、証拠というか、確かな根拠はまったくない。ただの想像に過ぎないんだ」


「一色さんは、探偵小説を書く才能もあるのかもね」


「そうかい?・・・まあ確かに、日本じゃ私立探偵になっても浮気調査くらいしか依頼がないだろうね。作家を目指す方がより現実的かな」


「がんばって探偵小説作家になってね」私はにっこりと微笑んだ。

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