第6話 夜走る二宮金次郎像

一色がまた七不思議を見つけたと言うので、一色の後について行った。行き先は図書室だった。


図書委員の空井さんがいて、一色がさっそく声をかけた。


「直子。例のものは手に入ったかい?」相変わらず非合法のブツのように聞こえる。


「あ、一色さんと藤野さん」


「こんにちは」とあいさつする。


「見つけておいたわ、これよ」そう言って直子は薄い冊子を出した。


一色が手に取った冊子は、手書きの「文芸部活動報告 昭和二十七年」だった。前に十三階段の話が書いてあった報告書の年度違いのやつだ


「また、ここに謎が書いてあったの」


「ああ、座って読んでみよう」


一色に従って閲覧席に行った。私が椅子に座ると、一色が二人の前にその活動報告を広げた。


一色はさっそく目次の中の一つの項目を指さした。


「ここを見てごらん」


そこには「随筆エッセイ 夜中に走る二宮金次郎」と書いてあった。


該当ページを開き、二人で読んでみると、次のように書いてあった。


「夜中に走る二宮金次郎   文芸部部長 三年 山中佐和子」


「二年後だから部長が変わっているね」と私は当たり前のことを言った。


「一昨年卒業した田中前々部長に倣い、私が実際に見た怪奇現象について記しておこう。


 ある日、私は学校に家庭科の宿題を忘れたことに気づいた。明日までに提出で、その日の夜に仕上げるつもりだったのだ。


 既に日は暮れていた。私は父に泣きついて、車を出してもらった。


 月も出ていない暗い夜道を父の車のヘッドライトが照らす。車はT社の戦後初の国産乗用車で、父の自慢だった。


 校門から昇降口の前まで車で入って行ったら、昇降口を通り過ぎて花壇に近づきすぎたので、父が急ハンドルを切って急停車した。停車する直前に、前方に左から右へ横切って走る人影が見えた。


 一瞬だったが、私ははっきりと目撃した。


 背中に荷物を背負い、手に本のようなものを持っていた。小学校にあった二宮金次郎像の姿そのものだった。


 『お父様、今、何か人影が走るのが見えなかった?』私は父に尋ねた。


 『車が花壇に入らぬよう急停止させたので、人影には気づかなかった。・・・泥棒かも知れぬ。注意しなさい』


 私は父の言葉に震え上がった。盗賊が学校内に侵入していたらどうしよう?そして私達を襲ってきたら・・・。


 しかし父は、『賊が襲ってきたらわしが撃退してやる。安心しなさい』と言った。父は剣道の有段者で、車の中には護身用の木刀を持っていた。


 まず父が、懐中電灯と木刀を持って車の外に出た。そして懐中電灯で辺りを照らしてみたが、誰もいないようだった。


 『佐和子、安心して出て来なさい』父にそう言われて、私はやっと車から降りた。


 その後、用務員さんを呼んで学校の中に入れてもらったが、父が木刀を持っているのを見て、最初は怖がってなかなか開けてくれなかった。しかしその顛末はここに記す必要はない。


 翌朝、昇降口のそばから、影が走ったと私が思った学校の東側の塀の辺りを見て回ったが、何も見つからなかった。


 ひょっとしたら、学校にある二宮金次郎の像が車のヘッドライトに照らし出され、その影が塀に映ったのを見て錯覚したのかもしれない。しかし、影が映っただけなら、その影は静止したままで、人影が走ったようには見えないはずである。


 しかも、松葉女子高には二宮金次郎像はなかった。この学校にあるのは豊穣の女神ポーモーナの像だけである。


 私の見間違いだったのかも知れない。しかしあの時は、本当に走る二宮金次郎の影を見たと確信していた。夜中の松葉女子高には魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこし、走る妖怪の影を私は目撃したのだろうか。


 あるいは、オペラの怪人のように松葉女子高には人知れず怪人ファントムが住み着き、昼間は授業を受ける私たちの姿を天井の節穴から観察し、夜中にこっそり抜け出して徘徊しているのかも知れなかった」


「またホラーなの?やだなあ」と私は一色に言った。


「最後の段落は乱歩趣味かな?」と、探偵小説好きの一色が言った。


「学校にある二宮金次郎の像が夜中に走るというのは、学校の七不思議の定番だね。だけど、今も昔も松葉女子高には二宮金次郎像はない。どういうことだろう?」


「ところで二宮金次郎って誰?」


「藤野さんは二宮金次郎を知らないの?」一色があきれて聞き返した。


「ごめんなさい。知りません」


「二宮金次郎とは江戸時代の農政家の二宮尊徳にのみやそんとくのことで、貧乏な農民から苦学して地主となり、家老の家の財政を再建し、村々の復興に尽力した偉人だよ。子どもの頃は、薪を売りに行くときに歩きながら本を読み、寝る間も惜しまず勉強したと伝えられていて、昭和の初期からその銅像が各地の学校に建てられたんだ」


「松葉女子高には金次郎の像はないの?」


「見たことはないね。この随筆エッセイを書いた部長さんが影を見たという昇降口に行ってみよう」


私は一色の後について、昇降口に移動した。


靴をはきかえ昇降口を出る。昇降口前から校門までは何もないむき出しの地面が続き、車が乗り入れられるようになっていた。無断進入禁止だけど。


「車が校門から入って、昇降口前まで行ったとすると、部長さんが降りやすいように車の向きを右に変えたのかな?」


一色が昇降口の東側に向かった。そこには花壇が校舎から伸びていた。校舎の壁沿いには木も植わっている。


「こういう木に車のライトが当たると、その影が東側の塀に映ることはありえないことではない」一色がぶつぶつとつぶやき続けた。


「でも、木の影を一瞬とはいえ二宮金次郎の姿に見間違えるかな?」


「あ、ここに銅像があるよ」


昇降口の東側のやや手前に一辺二十センチくらいの台座があり、その上に小さな銅像が設置してあった。全体の高さは一メートルもない、小さな像だ。


その像は左腕を体につけて肘を前に曲げていた。右腕は前に少し突き出して、上に向けた手のひらにリンゴを握っている。


「右手にリンゴを持っている。りんご娘の像だね」と私が言うと、即座に一色が否定した。


「これはポーモーナというローマ神話に出て来る果樹の女神の像だよ。正確には精霊ニンフかな?りんごはポーモーナのシンボルなんだ」


青森あたりのりんご娘じゃなかったのか。


「そんな像が何でうちの女子高に?」


「ポーモーナは男に興味がなく、多くの神々の誘いを断っていたけど、ウェルトゥムヌスという季節の神に愛情の大切さを教えられて、ウェルトゥムヌスと結婚したという話があるんだ。独身時代には身持ちが堅いけど、最後には良妻になるから、女子高生の望むべく姿として像が設置されたのかもしれないね」


「二宮金次郎には似ても似つかないね」


「そうだね。・・・だけど、人影を作るものが、ほかにあるのかな?」


私たちは東側の塀のそばまで歩いて行った。塀の脇には木がとびとびに植えてあったが、間隔が広かったので何かの影が塀に映ることは可能なようだった。


「車は動いていたから、何かの影が映ったとしても一瞬だったろう」


「じゃあ、見間違い?・・・大体車を運転していたお父さんは気づかなかったんでしょ?」


「運転している人はライトが当たっている手前に意識を集中させているんだ。車を何かにぶつけないようにね。気づかなくて無理はないよ。


 でも、同乗していた部長さんが視野全体をぼーっと眺めていたとすれば、奥にある塀に映った影に気がついても不思議じゃない」


私たちは校門の方に進んだ。


「私たちが車に乗っていると思って、車の進路を想定してみよう」


校門に着くと、後ろを振り返ってからまっすぐに昇降口の方に進んだ。


「その日の夜は街灯もないし、月も出ていないし、校舎に灯りはともっていない。車のヘッドライトがあったとしても、つい昇降口を通り過ぎてしまい、花壇に接近して急ハンドルを切ったんだろうね」と、報告書の該当部分から一色が当夜の状況を推理した。


「車が急回転したとき、ヘッドライトがあのポーモーナの像を照らし続けたとしたらどうなると思う?」


「ヘッドライトが像を照らすのは一瞬じゃないの?」


「たまたま急カーブをしたために、連続的に像を照らし続けたとしたら・・・」そう言って一色が石を使って地面に模式図を描いた。


「最初は斜めに光が当たって、遠くの塀にぼやけた影が映る。車体が左側にずれながら右側に向きを変えて像にヘッドライトが当たり続けると、塀に映った影は右側に移動しつつ、形がより鮮明になる。そして像のほぼ真横からヘッドライトが当たったときの影は・・・」


そう言って一色はポーモーナの像を横から見た。


「リンゴを持つ右手が本を持っているように見え、左手が胴体と重なって背負った荷物のように見える・・・」


「あ、まるで薪を背負って本を読んでいる・・・」


「そう、一瞬だけど二宮金次郎の像みたいな影になるのさ!」


「見えなくもないわね」と私は同意した。


「ぼやけた影が左奥から右へ走って来て、二宮金次郎の形になる。・・・二宮金次郎が走ってきたように思ってしまうわ!」


「さらに車が曲がってヘッドライトが像から外れたために影が消えてしまう。・・・それが車から降りたときの状況なんだろうね」


「なるほど。・・・聞いた限りでは理屈に合ってるわね」と私は感心した。


「実証するためには夜中に学校に来て、懐中電灯よりも強力なライトを当ててみる必要があるけど、今の私たちにはちょっと無理だね」


「夜中に学校になんて来ないわよ!」と私は主張した。




そして私は七不思議の七番目として、次の文章を書いてこの随筆エッセイを終えた。


第7話 欠けた七番目の七不思議


七番目の七不思議は、六つの七不思議を目撃した者だけが遭遇できると言われている。遭遇すると災いを受けるとも伝えられているが、我らMMR(松葉女子高ミステリー調査班)は災いを恐れず、七番目の七不思議を捜索中である。

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