第4話 ピアノを演奏する霊

私が二年生に進級してまもなくの、土曜日の放課後のことだった。


私が音楽室の近くの廊下を歩いていた時ピアノの音が聞こえてきた。それも上手な弾き方ではなく、たどたどしい、一音一音確かめるかのような弾き方だった。


「ピアノが鳴ってる」とつぶやく。


そのとき、『夜中に誰もいない音楽室からピアノの音が聞こえる』という七不思議の一つを思い出した。


でも、まだお昼過ぎだ。夜中じゃない。・・・多分、合奏部か合唱部がピアノを使っているのだろう。


そう思って音楽室の前を通ると、入口の引き戸が少し開いていた。


そして中にピアノが見えた。ピアノの音はまだ聞こえていたが、誰も弾いてなかった。


「え?」私は驚いて、カバンを持ったままの手で引き戸を開いた。


音楽室の中を見渡す。そこには誰もいなかった。ピアノの音はいつの間にか鳴りやんでいた。


まだ昼間だというのに、私の体に悪寒が走った。


後日、私は一色に、音楽室の近くでピアノの音が聞こえたが、音楽室には誰もいなかったという怪奇現象を話した。


「なるほど、七不思議の一つだね」にやりと不敵に笑う一色。


「私が聞いた話は『夜中にピアノが鳴る』だったけど、考えるまでもなく夜中に生徒は学校の中に入れない。放課後にそういう不思議な体験をした話が、生徒の間でうわさされる間に、誰かがより怖くするために『夜中に』という言葉を足したんじゃないかな」


「確かにね。ピアノが独りでに鳴っていただけじゃあインパクトが弱くて、『それが何なの?』と聞き手が怖がらなければ、つい『それも夜中によ』とか言って話をオーバーにすることはありえるわね」


私はほっとした。夜中にピアノが鳴るという話だったら、一色が確かめに行こうと言い出しかねないと思っていたからだ。これで夜の学校に忍び込まなくてすむ。


「ただ、毎日放課後にピアノが鳴っているわけじゃないだろう?だから推理をしても、それが正しいか確認するのは時間がかかりそうだ」


「そだねー」


「でも、ここで話しててもらちがあかないから、月曜日にでも調べてみようよ」


「了解しました!」


翌週、一色が「先週聞いた、誰もいない音楽室からピアノの音が聞こえてきたという謎なんだけど、昼休みに合奏部の部長に会いに行くつもりなんだ」と私に言った。


「合奏部の部長さんって?」


「三年三組の田中先輩だよ。ちなみに合唱部の部長は四組の山根先輩さ」


その二人の名前は知っていた。二人ともクラスの委員長だ。直接会話したことはないが。


昼休みになると、一色と一緒に三年三組の教室を訪れた。


「すみません、委員長の田中先輩はいますか?」


「何か用かしら?」近づいて来た田中先輩が私たちに聞いた。


「先日、音楽室の前でピアノが鳴る音がしたのですが、音楽室には誰もいなかったので、真相を調べたいと思いまして」


「それって夜中にピアノの音がするという七不思議のこと?悪いけど、私が入学してから本当にそういうことが起こったことはないわよ」


「夜中じゃなくて、土曜日の午後だったのですが、本当にピアノの音が聞こえたんです。誰もいない音楽室から」と私が説明した。


「何でそのことを調べたいの?あなたたち、音楽の授業以外で音楽室を使わないでしょ?」


「私たちは探偵なんです」と一色がぶちまけた。「論理的に解けない謎はないと信じてるんです」


田中先輩は口を大きく開けて硬直した。その気持ちはよくわかる。


「・・・それで、私に何をしてほしいの?」探偵うんぬんのことは思考放棄したようだ。


「音楽室の横に楽器をしまう倉庫のようなところはありませんか?あれば、鍵を貸してほしいんです」と一色。


「音楽室の隣に音楽準備室があるけど、鍵は吉野先生が管理しているわ」


吉野先生とは音楽の先生だ。前に応接室のガラス戸が割れる事件が起こった際に、中村先生と一緒に見に来てくれた先生だ。


「吉野先生が許可してくれたら、準備室に入ってもかまいませんか?」


「あの部屋にピアノがあったかしら?・・・入ってもいいけど、部活で使う楽器には触らないでね。トランペットなどの管楽器よ」


「わかりました。ありがとうございます」礼を言って私たちは教室に戻った。


「ところでピアノが勝手に鳴ることについて、何か推理してるの?」と一色に聞いた。


「何も調べていない今の段階で考えられることは四つあるよ。


 まず一つ目、音楽室の近くの部屋、つまりさっき話に出た準備室にもピアノがあって、それを誰かが弾いていた。


 二つ目、遠くにあるピアノ、例えば体育館の用具入れにあるピアノを誰かが弾いていて、その音が配管を伝わって聞こえてきた。・・・でも、同じ建物ならともかく、体育館から音が伝わってきたというのは可能性が低いかな。


 三つ目、ピアノの曲のレコードを誰かがプレーヤーにかけた。・・・ミチが聞いたピアノがあまり上手じゃなかったのなら、この可能性も低いね。


 四つ目、鍵盤のふたが開いていて、その上を猫などの小動物が歩いた。・・・この場合は曲にならないだろうから、聞こえたピアノの音が何らかのメロディーを奏でていたなら、否定されるね」


「私が聞いたときは、一本指でたどたどしく弾くような感じだったけど、聞いたことのあるメロディーを奏でていたわ。たしか・・・」


メロディーを口ずさんでみる。


「それは『聖者の行進』だね。確か歌詞は、『オーホウェンザセインツ、ゴーマーチーニン』で始まったかな」


聖者セインツが街にゴー?」


「街に、じゃないよ。マーチングインマーチーニンは行進のことさ」


『聖者が街にやってくる』という曲名だったと思ったが、『サンタが街にやってくる』と混同したか?


放課後になると一色とともに職員室を訪れた。中村先生の隣の席に座っていた吉野先生を見つけて一色が話しかけた。


「吉野先生、音楽室の横の準備室の鍵を借りたいのですが」


「あら、合奏部でないあなたたちが何の用?」


そこで私がピアノの音が聞こえたことを話した。


「何よ馬鹿らしい。よくある学校の怪談じゃないの」と隣に座っていた中村先生が口を出した。


「私たちが生徒だった頃にもそういう話があったけど、本当にピアノの音を聞いた生徒は一人もいなかったわ。ね、吉野先生?」


「でも、私は先週の土曜日に確かにピアノの音を聞いたんです。なのに音楽室には誰もいなくて・・・」


「聞き違いじゃないの」とまた口を出す中村先生。


「まあまあ、中村先生。この年頃の子はそういうことが気になるものよ。・・・いいでしょう、私が一緒に行くわ」


吉野先生が立ち上がり、壁にかかっている鍵の中から鍵束を一つ手に取った。


吉野先生の厚意に感謝しつつ、一緒に職員室を出る。中村先生はあきれて席を立とうとしなかった。


「そう言えば、あなたたちは二階の応接室でも会ったわね」


「私たちは探偵なんです」と一色が言った。いや、私は単なる傍観者です。


「ああ、そうだったわね」と言って吉野先生がくすっと笑った。


「じゃあ、ピアノの音の謎も解いてくれるわね」


「まかせてください」


音楽室に入ると中に田中先輩が立っていた。


「本当に吉野先生に鍵を借りてきたのね」とあきれ顔で言った。「合奏部の楽器に触らないよう、私も一緒にいるわ」


音楽準備室は音楽室の中から入るようになっている。吉野先生が鍵を開けて入ると、私たちは後に続いた。


そのとき、一色が入口の上を黙って指さした。そこには格子のはまった換気口があった。


準備室の中は左右の壁際に大きな棚が設けられており、そこにトランペットやトロンボーンなどの管楽器や、カスタネット、小太鼓、トライアングルなどの楽器が並んでいた。手狭で、奥がよく見えない。


吉野先生が奥の方へずんずんと入って行く。すると準備室の一番奥に古いアップライトピアノが置いてあった。グランドピアノでない、縦型のピアノだ。


「見て、ピアノがあるわ」と私が指さした。


「こんなところにピアノがあったなんて・・・」と田中先輩も驚いていた。


「この奥の壁には換気口がない。このピアノを弾くと、音は音楽室に通じる換気口から漏れ出るから、音楽室からピアノの音が聞こえてきたと錯覚するだろうね」


「その通りね」と吉野先生。「でも、見て」


吉野先生がそのピアノの鍵盤蓋を開き、鍵盤を押してみた。どの鍵盤もほとんど音が鳴らなかった。


「このピアノは戦前からある古いもので、とうに壊れていて弾いても音が出ないのよ。一色さんの推理は見事だけど、的外れだったようね」


その言葉を聞いて一色も実際に鍵盤を押してみた。強く鍵盤を押しても、音がほとんど鳴らなかった。


「ピアノって中に弦があるんでしょ?別のところから来た音に共鳴してピアノが鳴り出すってことはないの?」と私が物理の試験勉強の成果を生かして指摘した。


「音叉の共鳴で学んだことだね。振動数が同じか整数倍の音波が届いたとき、音叉は共鳴する。弦でも同じことが起こるけど、はっきりとピアノの音として認識できる音を鳴らすには、相当強い音波、つまり音が必要だよ。・・・共鳴した音の直前に大きい音が聞こえていなければ、その可能性はないね」


私の思いつきはあっさり否定されてしまった。考えが足りなくて恥ずかしい。


「じゃあ、このピアノの音じゃないのね」と私があきらめかけると、


「いや、このピアノだよ」と一色が断言した。


「でも、そのピアノは弾けないじゃない」と田中先輩。


「見てごらん。この鍵盤の上の、本体の前面を覆う上前板にほこりがついてない!」


私たちはピアノの前に近寄って、ほこりが拭き取られていることを確認した。


「どういうこと?」


「誰かが最近このピアノに触っていたと言うことさ。この上前板はピアノの調律や整備のために簡単に取り外せるようになっているんだ」


一色がピアノの前の椅子に乗って立ち上がった。倒れそうに見えたので、私が腰に手を回して支えた。


「藤野さん、しっかり押さえていてね」と一色が私に囁いた。


一色はピアノ本体の上面にある天板を開けると、中に手を突っ込んだ。しばらくして、本体前面の上前板が外れて前に倒れてきた。


「これを取って、どこか床の上に置いてください」一色がそう言ったので、手があいている吉野先生と田中先輩が上前板を持って取り外した。


上前板をはずすとピアノの弦と、弦をたたくハンマーなどの構造があらわになった。


「ハンマーは壊れているけど、弦の振動を抑えるダンパーは生きているのかな?」


一色は椅子から降りると、ドレミファソの五つの音の鍵盤を左手の指で押さえた。もちろん音はしない。


「ピアノの弦をむき出しにすれば、弦を直接指ではじいて音を出すことができる。こんな風にね」


一色が右手の指の爪でピアノの弦をはじくとポーンという音が鳴り響いた。


「指ではじいても、ピアノの響板が振動するからそれなりに音が出るんだ。ジャズピアノでこういう奏法があるらしいよ」


そして一色が一本ずつ弦をはじいていくと、『聖者の行進』のメロディーがたどたどしく響いた。


「そこまでわかるの。さすがね」と吉野先生が言った。


「先生?」


「私は音大でクラシックピアノを習っていたけど、ジャズピアノにも興味があってね、一度その弦を直接はじく内部奏法を試してみたかったの。でも、クラシックの世界じゃ御法度ごはっとで、そんなこととてもできなかった。この学校に赴任して来て、この壊れたピアノがあることに気づいたので、前からしたかった内部奏法をときどき試していたの。・・・でも、廊下にまで聞こえているとは思わなかったわ」


「そうだったんですか」


「七不思議は私が生徒だった頃からあったのよ。昔、誰かが同じようなことをしていたのかしら?」


「『聖者の行進』はドレミファソの五音で弾くことができます」と一色が言った。


「壊れた当初はまだ鍵盤のいくつかが生きていて、少ない音で弾ける曲を、誰かがこっそり弾いていたのかもしれませんね」

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