第3話 夜笑う石膏像

ある日私が廊下を歩いていると、北校舎にある美術室の入り口から中をのぞき込んでいる一色に気づいた。


「あれ、一色さん?・・・こんなところにいたの?」


呼ばれた一色は私の姿に気づくと微笑んだ。


「藤野さん、今、時間があるかい?」


「え、ええ。・・・何とか」


「ちょうど良かった。一緒に話を聞こうよ」


「話?」


一色は誰もいない美術室の中に入って行った。私はわけがわからなかったが、とりあえず一色の後について美術室の中に入った。


「何をしに来たの?・・・一色さんは美術部員だったかしら?」


「違うよ。例の学校の七不思議を調べているのさ」


「七不思議?」


「美術室の石膏像が夜中に笑っているって話があってね」


それも同級生が言っていたような気がする。


「でもこの前、美術室の中をのぞいたんだけど、石膏像はなかったんで、美術部の部長さんに見せてもらえないか頼んだんだ」


「そうなの。・・・いろいろ調べているのね」


「ちなみに私の母は知らなかった。比較的最近できた話らしいね」


そのとき、美術室の入り口の引き戸が開いて、女子生徒が入って来た。手に大きな袋を抱えている。その女子生徒は生徒会副会長の室田先輩で、私と顔見知りだった。


「あら、あなたは・・・確か藤野さん?」


「はい。お邪魔して申し訳ありません。巻き込まれてしまって・・・」


一色は俺の言葉を遮り、「室田先輩、面倒をかけてすみません」と言って、室田先輩が抱えていた袋を受け取った。一色の様子から、けっこう重そうに見えた。


「室田先輩に話を伺ったら、美術部の倉庫に石膏像が保管してあると聞いて、わざわざ出してもらったんだ」


「一色さんからしつこく頼まれたんで出してあげたけど、藤野さん、あなたも七不思議とかに興味があるの?」


「え?・・・ええ、まあ」最近、一色の行動に興味を持ってきたのは確かだ。


一色はその袋をそっと机の上に置いた。袋の中身は、首から上の女性の石膏像だった。人間の顔とほぼ同じくらいの大きさだ。


「石膏像はいくつかあるけど、持てるのはこれくらいだったわ。ほかのも見たいなら、倉庫に直接行ってもらうしかないわね」


「お世話になります」一色は石膏像を調べながら、うわの空で言った。


「普段は石膏デッサンはあまりしないんですか?」


「石膏像はけっこう汚れやすいのよ。手垢とか、デッサン用の木炭の粉とかが表面につくと、なかなか取れないの」


表面はつるつるしているように見えるが、実際は目に見えない細かい穴がたくさん開いているのかもしれない。


「それで普段は倉庫にしまうようになったと思うんだけど、けっこう重いからね、気軽に出せないの」


「一色さんがお手数をかけさせてすみません」一応謝っておこう。


「一色さん、どうなの?何かわかった?」次は一色に声をかけた。


「夜中に石膏像が笑うという話だったから、光の当たり加減で、口元の影が変化して笑っているように見えるんじゃないかと思ったけど、まだ明るいから影が見えなくて、よくわからないな」


「かと言って、夜中に学校に来るわけにはいかないしね。鍵がかかってるだろうし」と室田先輩が言った。


室田先輩自身、この不思議に興味を持ち始めているようだった。そうでなければ、わざわざ重い石膏像を運んで来ないだろう。


「夜中に学校なんて、・・・怖すぎます」と私が口をはさんだ。夜の学校に忍び込みたいとは思わない。ホラーはもともと苦手だ。


「どこか暗いところがあれば」と一色がつぶやいた。


すると室田先輩が、美術室の隅にあるロッカーを指さした。


「そこの掃除道具入れの中で見てみたら?」室田先輩もノリノリだ。


それは木製のロッカーだった。私が近づいて扉を開けると、中にほうきやモップが突っ込んであった。


「中のものを出してみて」


室田先輩にそう言われたので、中のほうきやモップを取り出してロッカーの横に置いた。人ひとりが入れる空間ができた。


「藤野さん、石膏像を持って中に入ってくれないか?」


一色がとんでもないことを言った。この中にあの重そうな石膏像を持って入れというのか?


「お願い、藤野さん」室田先輩にも言われた。これでは断れない。


私は石膏像をよいしょと抱えると、後ずさりしながらロッカーの中に入った。私がぎりぎり入れるスペースだった。


すると一色がすかさず扉を閉めようとした。


「ちょ、ちょっと!閉じ込めるの?」


「扉は少し開けておくから、そのまま立ってて」


数センチの隙間が残るところまで扉が閉められた。そしてその隙間から、一色と室田先輩がのぞき込んだ。二人が光を遮ったので、ロッカー内はけっこう暗くなった。


「石膏像をこっちに向けて。・・・ちょっと前後に傾けてみて」


一色の注文が続く。


「あまり笑っているようには見えないわね」と室田先輩。


「も、もう、いいですか?」私は両手に限界を感じてきた。


「悪かったね、藤野さん」一色がそう言って扉を開けた。


石膏像を持ってロッカーから出ると、机の上に置いてほっと息を吐いた。


「重かった・・・」


「ごめん、ごめん」と一色。「でも、成果はなかった」


無駄骨でしたか?


そのとき、私は自分の手が白くなっているのに気づいた。白い粉がついている。


「石膏が付いた?」


私は慌てて自分のセーラー服を見下ろした。ロッカーの中に入っているとき、石膏像が服に当たっていた。白い粉が服の繊維に入り込んだら、洗っても取れにくい。


しかし、セーラー服はほとんど白くなっていなかった。


「見て。手が・・・」


私は白くなった手を二人に見せた。


「あら、石膏像を触ったくらいでそんなに白くなるかしら?」


「よく見ると、顔だけが粉を吹いているようだ」


一色はポケットから紙を取り出すと、石膏像の顔をこすり始めた。


「これは、表面に白墨を塗ってるんだ」


白墨?黒板で使うチョークのことか。


「見て!何か書いてある!」一色が叫んだので、私たちは一色の後ろからのぞき込んだ。


石膏像の目の真ん中に黒く塗りつぶした丸が描かれていた。また、口に沿って黒い線が引かれ、口角のところで上に湾曲していた。


「誰かがマジックでいたずら書きをしたんだわ、ひどい!」と室田先輩が言った。


「マジックインキが石膏像の中まで浸み込めば、洗っても落とせない。だから苦肉の策として、白墨で表面を塗ったんだ」


「これが笑う石膏像の正体ってわけ?」私は拍子抜けした。


確かに白い石膏像に目が描かれ、口元がゆがんでいれば、昼間見てもぎょっとするだろう。夜ならなおさらだ。誰かがそれを見て騒いだので、マジックを塗った犯人はチョークでごまかしてから石膏像を倉庫にしまった。そのためいたずら書きがばれず、七不思議の一つになったんだろうか?


「意外と単純な謎だったね」と一色が言った。


「この石膏像は倉庫に封印するしかないわね」


室田先輩がそう言って、石膏像を入れてきた袋を開いた。


私は袋の中にしまうために、その石膏像を持ち上げた。セーラー服にチョークの粉が付かないよう気をつけながら。

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