第34話 私と立花先生

「よし、じゃあ俺が未来の義弟おとうとのために腕を振るってやるよ」と兄が言って厨房に入った。


「年上なのに義弟おとうとって変だな」と首をかしげながら。


「立花先生、うちの息子の料理をぜひ食べていってください。東京の一流中華料理店で修業をしていますので、この店にしてはいい料理が出せると思います」と父も立花先生に言った。


「ありがとうございます。それは楽しみです」と微笑む立花先生。


「テーブルの準備をしますから、先生は二階の千代子の部屋に行っていてくださいな。狭い部屋ですけど」と母も言った。


「準備ができたらお呼びしますから」


「そ、そうですか?」と答えつつ私の方を見る立花先生。


「ほら、千代子。先生にお部屋に上がってもらいなさい」と母が言った。


「う、うん。・・・じゃあ、先生、こちらへ」と言って立ち上がる。


立花先生も私に続いて立ち上がり、店の奥で靴を脱いで、狭くて急な階段を上ってもらった。


「滑るから、足もと、気をつけてくださいね」と言って先に上がる。


階段を上がると私は自分の部屋のふすまを開けて先生を中に招き入れた。


「ここが私の部屋です。元は兄と一緒だったので、今日みたいに兄が帰ってきた時はここで一緒に寝泊まりしてます」


「推理小説がいっぱいあるね」と立花先生は私の本棚を見て言った。


「お兄さんも推理小説を読むの?」


「いえ。兄は昔から読書よりも体を動かす方が好きでしたから。・・・それより良かったんですか?」


「何が?」


「その・・・私とつき合うって感じになっちゃったじゃないですか?」顔が熱い。


「確かに、あそこまで話が進むとは思わなかったよ」と立花先生は笑いながら言った。


「順序が逆になっちゃったけど、一色さん、僕と交際してくれないかな?」


「え?」驚いて立花先生の顔を見る。立花先生の顔が赤くなっていた。


「だからその・・・今すぐってわけじゃないけど、その・・・将来の結婚を前提として付き合ってほしいんだ」


私はうつむいてしまった。顔がとても熱くて、立花先生の顔をまともに見られない。


私が黙り込んでしまったので、立花先生が心配そうに聞いた。「だめかい?」


「い、いえ。・・・だめじゃありません」


「そうか、良かった」と嬉しそうな声を上げる立花先生。まだ顔をまともに見られない。


「わ、私なんかでよろしいのでしょうか?・・・その、背が低いし、美人でもないし」


「君はかわいいし、賢いし、申し分ないよ」


その言葉を聞いてそっと顔を上げると、立花先生の顔もまだ赤かった。


照れ隠しでしばらく雑談をする。私は主に女子高時代に友人の藤野美知子と出会っていろいろな女子高の謎、七不思議を解き明かしたこと、二人で文芸部を復活させ、活動報告の原稿を作ることになり、自分の好きな探偵小説のことを存分に書けたことなどを話した。


「とても楽しい女子高時代でした」


「一色さんの友だちの、美知子さんにも一度会ってみたいね」と立花先生。


「ええ、是非会ってください」と私は言った。


立花先生は子ども時代のことを話してくれた。小学生の頃から「将来は医者になりなさい」と母親に言われて、嫌々勉強していたことなどを。


私は立花先生の母親の顔を思い出した。あの方がそんなに教育熱心だったとは。


それから子どもの頃の兵頭 崇ひょうどうたかし部長のことも話してくれた。立花先生が小学六年生の時に一年生だった兵頭部長が家に遊びに来て、ハチャメチャなことをして、とても楽しかったそうだ。


「おじさんたちやうちの両親は崇のことをほんとに心配していたな。将来大変なことをしでかすんじゃないかってね」


「そうだったんですか?今は割とまともに見えますけど」


「大学受験を目前にしてまじめに勉強するようになったんだよ。・・・今はおとなしいように見えるかもしれないけど、注意しておくに越したことはないね」


私がミステリ研の部長を思い出して笑っていたら母が声をかけてきた。「先生、千代子、お昼の準備ができたから下りて来て」


「はい」と言って二人で階下に下りる。すると店舗のテーブルが三つ並べられ、その上にたくさんの料理が並んでいた。餃子、エビチリ、回鍋肉などだ。瓶ビールも三本ほど出してある。


言われるままにテーブルに着くと、さっそく母がコップを立花先生に渡し、父がビール瓶を向けた。


「今日は電車で来られたんですね?昼間っから飲んでも大丈夫でしょう」


「あ、ありがとうございます」父が注ぐビールをコップで受ける立花先生。


「千代子には小さい頃から店を手伝ってもらってなあ・・・」と父が昔語りを始めた。


「もっと遊びかったろうに。・・・それなのに学校でいい成績を取って、いい大学に進学して、こんな立派な先生と懇意になって」涙ぐむ父。


「お父さん、湿っぽい話はよしなさい。・・・先生、今はどちらにお住まいですの?」と母が聞いた。


「僕は今大学近くのマンションで一人暮らしをしています」


「まあ、マンションですの?」


「いえ、マンションと言っても一部屋と簡単な台所と小さな風呂とトイレが付いているだけで、大したところではありません」


「千代子、時々お掃除に行ってあげなさいよ。小ぎれいにはされてるでしょうけど」と母が私に向かって言った。


「え?・・・でも、男性の部屋に通うなんて・・・」はしたない、とまでは言わないが、恥ずかしい。


「そのくらいしてあげて当たり前よ」と母。母と娘(私)とで、言うことが逆な気もするけど。


「先生はずっと大学にお勤めされるつもりですか?」と今度は父が聞いた。


「はい。法医学の研究をし、学生の教育をしながら、鑑定業務に携わって行くつもりです。・・・ただ、地方の大学へ行くことがあるかもしれません」


「え?」と両親が驚きの声を上げた。


「僻地の病院へ出向させられるのですか?」・・・臨床の医局では、地方の関連病院に一定期間、半ば強制的に行かせられることがあると聞く。


「そうではありません。法医学教室を含めた基礎医学の研究室では、偉い順に教授、助教授、講師、助手がいます。同じ大学にずっといても上のポストが空かないと昇進できませんから、よその大学の法医学教室にポストがあったら、そこへ行くことがあるかもしれないという話です」


「そうなったら千代子もついて行かないとね」と母に言われ、


「はい」と私は答えた。日本中どこでも探偵小説が読めるだろうから、どこでもいい。


「先生、おひとつ」と、今度は兄が立花先生にビールを注いだ。


「今俺は千代子と住んでいますが、掃除、洗濯、料理をきちんとしてくれる自慢の妹です。・・・あっ!」突然兄が叫んだ。


「どうしたの、大悟?」と母が聞いた。


「千代子が結婚したら、俺の部屋は誰が掃除してくれるんだ!?」


「あんたも早くお嫁さんを見つけなさい!」と母にぴしゃりと言われる兄。


「でも、多少は自分で片づけるようにしないと、お嫁さん候補が兄ちゃんの部屋の様子を見たら逃げ出しちゃうかもよ」と私も言って、みんなで笑った。


午後三時を回った頃に、立花先生が「そろそろおいとまします」と言った。


「そうですか?楽しい時間はあっという間でしたね。ご両親にもよろしくお伝えください。機が熟したらこちらからごあいさつに伺いますし」


「はい、ありがとうございます。今度ともよろしくお願いします」と立花先生が言って頭を下げた。


立花先生と一緒に家を出る。駅まで見送るために。両親と兄は店の前で見送ってくれた。


「歓迎してくれて嬉しかったよ」


「いえ、本来ならうちは先生の家と釣り合いませんから、あいさつに来ていただけて光栄と思ってますよ」


「僕の両親も君のことを気に入っているから、家どうしが釣り合う釣り合わないなんて考えなくていいよ」


「・・・ほんとに私のことをご両親やお兄さんたちは気に入ってくれているでしょうか?」


「そこは心配しなくていいよ。母からもしっかりあいさつして来るようにと言われているから」


「そうですか?・・・それならいいのですが」


そんな話をしているうちに駅に着いた。


「一色さんは夏休みの間はずっと家にいるのかい?」と立花先生が聞いた。


「はい。その予定です」


「じゃあ、また連絡するかもしれないから、その時はよろしく」


「は、はい。・・・先生は夏休みは取られるんですか?」


「うん。僕らは一週間ほど好きな時に夏休みがもらえることになっている。もちろん解剖の当番日は待機してないといけないけど」


「学生は二か月近く休みがあるのに、先生方は大変ですね」


「普通の会社員もそんなもんだと思うよ」そう言って立花先生は切符を買うと、


「そろそろ電車が来そうだから、ホームに入っているよ」と言って、手を振りながら改札口を抜けて行った。


私はしばらく駅の中に立っていたが、先生が乗ったであろう電車が出て行くのを見送ってから駅の外に出た。


「いっし~きさん!」いきなり声をかけられてびっくりする。


私が驚いて声がした方を見ると、齋藤さんと佐藤さんが立っていた。


「ど、どうしたの、こんなところで?」


「さっきの人が一色さんの彼なのね?」と聞く齋藤さん。


「ちょっと大人で、優しそうな人だったじゃない」と佐藤さんも言った。


「いい雰囲気だったわね」


「見てたの?」


「もちろんよ。ずっと待っていたわ」


「待ってた?・・・なぜ今日会うってわかったの?」


「私たちがお店にいた時に、『月曜日の十一時』って大声で言ってたじゃない。だから今日の十一時頃に来てみたのよ」と齋藤さんが言った。


「で、来てみたら、お店は閉まっていて、中から楽しそうな声が聞こえたから、『これは食事をしてから帰るな』と予想して、駅前で時間をつぶして待っていたのよ」と佐藤さんも言った。


「そ、そんなに暇なの、あなたたち?」


「私たちはずっと暇よ!」と断言する佐藤さん。


「そんなに胸を張って言えることじゃ・・・」


「とにかく喫茶店にでも入っていろいろ教えてもらえるかしら?」


「同窓会の相談も兼ねてね。・・・一色さんのことを同窓会で大々的に報告しなくっちゃ。だから詳しく教えてね」


私は二人に両脇を抱えられるようにして引っぱって行かれた。

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