第33話 両親へのあいさつ

八月の最初の日曜日、立花一樹は両親のいる家へ帰った。毎週帰っているわけではなく、月一回くらいの割合だ。


自分の部屋に荷物を置いて食堂に下りると、母親がお茶を淹れてくれた。


「兄さんの結婚式の準備は進んでいるの?」


「ええ、そうよ、大変だったわ。節子さんのご両親とも連絡を取って招待客のリストをまとめ、招待状を発送したところだし、披露宴の席順や式次第や、節子さんのお色直しの内容を決めるために今日も正樹と節子さんが結婚式場に行っているわ」


「結婚式って、いろいろ大変なんだなあ」と一樹は他人事のように言った。


「何言ってるのよ。あなたもそろそろ結婚相手を決めなきゃならない年なのよ」と母親が言い、隠してあった見合い写真を一樹の前に出した。


「お見合いしないかってお話が入っているけど受けてみる?」


「え?あ?え?・・・これから兄さんが結婚するから、僕にはまだ早いよ」あせる一樹。


「何も正樹と一緒に結婚式を挙げろって言っているわけじゃないの。結婚するのは来年でもさ来年でもいいけど、そろそろ相手を見つけなさいってことよ」


お見合い相手の写真を開いてちらっと見せる母親。しかしすぐに閉じた。


「一色さんと結婚したいのならこの写真は返しておくけど、それならそれで一色さんの気持ちを早めに確認しておきなさいよ」


「い、一色さんはまだ大学一年生になったばかりだ。卒業まで三年半もあるよ」


「今からつば付けておきなさいな。卒業間近にふられたらどうする気よ?」


「いや、しかし・・・」


「これまで一色さんには二回も我が家に泊まりに来てもらったでしょ?きっと一色さんのご両親はどんなやつにたぶらかされているのかと心配しているわ。とりあえずあいさつしておいた方がいいんじゃない?」


「そ、そうかな・・・?」


「私たちがついて行ってもいいけど、両家顔合わせみたいになったらそれこそ結婚間近って思われるわね」


「そ、そこまでする必要ないよ」とあせる一樹。


「でも、一色さんのご両親を安心させることは必要かも・・・」




齋藤美樹と佐藤孝子は一色千代子の実家のラーメン屋ののれんをくぐった。二人は千代子の女子高時代の同級生で、今は家事手伝いとして実家で気ままな生活をしている。


「いらっしゃい!・・・え?齋藤さんと佐藤さん?」と店を手伝っていた千代子が二人にすぐ気づいた。


「久しぶりね、一色さん」


千代子はすぐにコップに入れた水を二つ持って来た。「何にします?」


「その前にちょっと相談があるんだけど」と美樹が千代子に言った。


「何?」


「実は私たち、同窓会の準備を進めているの。今月の下旬頃に開こうと思ってるのよ」


「へ〜、それはいいね。お疲れさま」


「根回しはしておくけど、最終的には一色さんにも手伝ってほしいのよ」と孝子も言った。


「もちろん手伝うよ。私は夏休みはだいたいこの店にいるから、いつでも相談に来て」


「それは助かるわ。・・・あ、とりあえずラーメン二つ」と美樹。


「私も」と孝子も言った。


「え?・・・二人でラーメンを四杯も頼むの?」と笑いながら千代子が聞いた。


「孝子、私があなたの分まで頼んであげたんだから、変な口をはさまないでよ」


「ごめんごめん。美樹が二杯食べると思っちゃったのよ」


「そんなに食べられないわよ。孝子こそ二杯も食べる気だったの?」


「・・・食べれそうな気がする」


千代子は笑いながら厨房に「ラーメン二杯!」と注文を告げた。


「おうよっ」と千代子の兄、大悟が返事をした。


「あの若い人誰?新しく雇ったの?」と孝子が千代子に聞いた。


「あれは兄だよ。修業先が休みで帰って来たけど、店を手伝ってくれてるの」


「へ〜。けっこうかっこいい人ね」


「あら、孝子、一色さんのお兄さんを狙ってるの?」


「狙ってるって何よ。今初めて顔を見たばかりよ」


「厨房で一色さんのお母さんも働いているじゃない?」


「そうね。・・・大変そうね」


「お兄さんが将来この店を継ぐとしたら、お嫁さんもお母さんみたいに働かなくてはならないわよ」


「・・・店には出ずに、家事をしながら家で待つってのはだめ?」


「ぐうたらな嫁なんて、願い下げじゃないの?」


二人の言い合いに千代子が苦笑した時、店の電話が鳴った。すぐに受話器を取る一色。


「はい。中華料理の一色です。・・・え?立花先生?」


出前の注文ではなさそうだと気づいた美樹と孝子が聞き耳を立てた。


「え?・・・でも、そこまでする必要は?・・・え、お母さんが?・・・そそそ、そうですか。ちょっと両親に聞いてみます」珍しく狼狽している千代子を見て、美樹と孝子は眉をひそめた。


「お父さん、お母さん」と千代子が受話器の送話口を手で押さえながら厨房にいる両親に小声で囁きかけた。


「なんだ、そんな小さい声で?聞こえないぞ」と言いつつ千代子に近づく父親。


母親も千代子の妙な様子に気づいて近寄って来た。


「立花先生がお父さんとお母さんにあいさつしたいって言ってるけど、どうする?」


「たたた、立花先生って、千代子が親しくしているお医者様か?」と驚く父親。美樹と孝子の目がきらりと光った。


「そうだけど。・・・店が忙しいからって断ろうか?」


「そんなこともできんだろう。・・・月曜日が定休日だから、その日に会うのはどうだ?」


「わ、わかった・・・」再び受話器を耳と口に当てる千代子。


「月曜日はどうですかって。・・・え?そんな、悪いですよ。・・・でも。・・・そうですか?」


千代子はそこまで言って再び両親に囁きかけた。「月曜日の朝十一時頃はどうかって」


「立花先生はここまで来てくれるのか?」


「そうみたい・・・」


「わかった。お待ちしますと答えてくれ」と父親が千代子に言った。


「先生。その日時でかまいません。わざわざ来ていただくことになって申し訳ありません。・・・はい、それじゃあ、さようなら」


千代子は受話器を置いた。ため息をついて振り返ると、美樹と孝子が立っていた。


「一色さん、今の人は誰よ!?」「お医者さんだって!?お医者さんとつき合ってるの?」


「そ、そんなんじゃないよ。私は昔から探偵小説が好きだったろ?だから法医学教室に務める先生に犯罪事件について聞きに行くことがあるだけだよ」


「物好きな一色さんにつき合う人なんて、一色さんに気があるからに決まってるじゃない!」


「いいから、二人とも席に着いてラーメンを食べてよ!それから、同窓会の件はいくらでも手伝うから」


そう言って千代子は二人を座らせた。美樹と孝子は運ばれてきたラーメンをすすりながらそわそわしていたが、厨房の中の千代子の家族も同様だった。




月曜日になった。千代子が目を覚ますと、両親は一階の店舗を念入りに掃除していた。


「おはよう、お父さん、お母さん。朝早くから掃除してるの?」


「おおよ。元々小汚い店だが、少しでも立花先生によく思ってもらうようにな」と父親が答えた。


「立花先生は見た目で判断するような人じゃないよ」


「それよりあなた、そろそろ準備しないと」と母親が父親に言った。


「そうだな」と言って階段を上がる両親。


千代子もつられて二階に上がり、自分が寝泊まりしている部屋に入ると、兄が背広を着てネクタイを締めていた。


「どうしたの、兄ちゃん?どっか行くの?」


「何言ってるんだ。お前の先生が来るんだろ?だからきちんとした格好で出迎えようとしてるんだ」


そりゃ汚い格好で出られても困るけど、そこまでちゃんとした格好をしなくても、と千代子が思っていたら、


「千代子、千代子」と両親の部屋から母親が呼ぶ声が聞こえた。


「何、お母さん?」と言って両親の部屋に入ると、父親も同じように背広を着ていて、母親もよそ行きに着替えて化粧を始めていた。


「あなたも早く準備しなさい。化粧もちゃんとするのよ」と母親に言われる。


「そこまでしなくても・・・。お見合いじゃないんだし」


「あなたはよくても、私たちは初めてお会いするから、お見合いみたいなものよ。親を見て幻滅されたらどうする気よ?」


「ただのあいさつだって言ってたのに」と千代子は思ったが、自分も節子さんの披露宴に着ていく予定のワンピースに着替えると、ちょっとだけ化粧をした。


準備ができたら全員で一階の店舗に降りる。二台のテーブルを中央に寄せて並べ、奥側に椅子を二席、入口側に三席置いた。


「店の奥が上座でいいのか?」と聞く父親。


「上座も下座もないような店だけど、入口側は下座だろうね」と兄も言った。


時計が十一時を刻んだ時、店の戸が開いてひとりの男性が声をかけた。


「お邪魔します。立花です」一気に緊張する両親と兄。


千代子はすぐに一樹のそばに寄った。「先生、ようこそいらっしゃいました」


両親たちが立ち上がってあいさつすると、あらかじめ決めていたようにテーブルの奥側の椅子に座るよう立花先生に促した。


「それではお邪魔します。あ、これはつまらない物ですが」と言って菓子折りを差し出す一樹。


母親が恭しく受け取り、席に座るよう再度促した。


椅子に座る一樹。その隣に千代子が座り、向かい側に両親と兄が座った。


「本日はお会いいただきありがとうございます。立花一樹です。千代子さんと仲良くさせていただいてます」と言って一樹が頭を下げた。もちろん背広にネクタイを着けている。


「仲良くだなんて・・・」と千代子が言おうとしたが、父親が遮った。


「いえ、とんでもない。こちらこそ娘がいつもお世話になっています」家族三人が同時に頭を下げる。


「私が父の一色将吾です。こちらが家内の華子。そして千代子の兄の大悟です」


「よろしくお願いします」


「私たちは見ての通り小さな中華料理屋を営んでおりますが、千代子は真面目で頭も良く、どこに出してもうまくやっていけると信じております。ですから、真剣にお考えいただけますなら、どうかよろしくお願いします」と母親が言って頭を下げた。


「いやいや・・・」と千代子が口を出そうとしたが、


「いえ、立派なお店と拝見しました。どうか卑下なさらないでください」と一樹が言った。


「千代子は面倒見がよい自慢の妹です。どうかよろしくお願いします」今度は兄が頭を下げる。


「兄ちゃん・・・」


「もちろんわかってます」と答える立花先生。


「私の両親も兄も、近々義理の姉となる人も、みんな千代子さんに好意を持っています。もちろん私も。ですから、これからも末永く、よろしくお願いします」と今度は一樹が頭を下げた。


「それで千代子自身はどう思ってるの?」と母親が聞いてきた。


「立花先生のことは尊敬しているよ」と千代子が答えると、全員が笑顔になって再び頭を下げあっていた。千代子はただただ困惑して四人を見回した。

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