第32話 仲野さんの幼馴染(二)

「いや〜、仲野さんの友だちに出会って散々だったよ」とミステリ研の部室で神田君が私に愚痴った。


「仲野さんの友だち?何か大変だったの?」


「先日、書店に寄ったら仲野さんに会ってさ、男連れだったから気を聞かせてすぐに退散しようとしたんだよ」


「男連れ?・・・彼氏なの?」


「さあね。・・・仲野さんとは親しげだったけど、恋人って感じじゃなかったな」


「兄弟かしら?」


「苗字が違うから多分兄弟じゃないと思う。・・・親戚かもしれないけど、そこまで聞けなかったよ」


「聞けなかった?すぐに退散したんじゃなかったの?」


「そうしようと思ったんだけど、その人から話しかけられてね」


「なんて話しかけられたの?」


「少しだけ漫画について語らないかいって言われたんだ」


「漫画について?・・・その人は漫画好きなの?」


「そうみたいだね。僕に漫画の将来性について熱く語ってくれたよ」


「へえ〜。それに対してどう言ったの?」


「僕は推理小説やSF小説を主に読んでいて、漫画はそれほど読まないけど、小説好きでもおもしろいと感じるストーリー性の高い作品が増えましたねって答えたんだ」


「相手はその答に喜んだの?」


「うん、我が意を得たりって感じだったな。漫画読者の高齢化が進む、つまり高校生や大学生も普通に漫画を読む時代が来るって熱弁してたよ」


「筋金入りね、その人は」


「そうだね。ただ、読者の高年齢化が進むと、低学年が読む漫画が減るんじゃないかって言ったら、なるほどと感心していたよ」


「神田君もいい指摘をするわね」


「そしたら『年齢に合わせた雑誌に細分化すべきかな?』とかぶつぶつ言ってた。少年誌と大人向けの雑誌の間に、高校生や大学生向けの雑誌を作ったらいいなとか、より低学年向けの雑誌も必要だな、なんて言ってたかな?小学館の学習雑誌があるけど、それとは別の漫画雑誌を考えているみたいだった」


私は漫画雑誌の将来について興味がなかったので、別の質問をした。


「その間、仲野さんはどうしてたの?」


「後の方で困惑して立っていたよ。こっちは二人の邪魔をしたくなくてすぐに立ち去りたかったけど、その人がなかなか離してくれなくて・・・」


「仲野さんに恨まれているかもよ」と私は冗談を言った。


「それこそ冗談じゃないよ」と神田君が言ったちょうどその時、仲野さんが部室に入って来た。


「あ」「あ」とお互いの顔を見つめ合う神田君と仲野さん。


「この前は邪魔をしてごめん」と、一瞬の間を置いて神田君が謝った。


「い、いえ、こちらこそ、迷惑をかけたわね」と謝る仲野さん。


「ところで」と言って仲野さんは私の方を見た。「一色さんに話したの、その日のこと?」


「う、うん・・・」ばつが悪そうな顔をする神田君。


仲野さんはため息をついて椅子に座った。


「別に秘密にしなくちゃならない関係じゃないから言ってしまうけど、あの人は幼馴染で、小さい頃から兄妹のように仲良くしていた人なの。つき合っているわけじゃないけど、時々遊びにつれて行ってくれるいいお兄さんよ」と仲野さんが一気にまくしたてた。


「ただ、神田君も知ったように、漫画にとても興味がある人だから、デ・・・遊びに行く時には必ず書店に寄るのが恒例なの」


仲野さんは今「デート」って言おうとしたのかな?兄のような人だと言いながら、多分仲野さんは・・・。


「仲野さんが漫画に詳しかったのは、その人の影響なのね」


「まあね。いつも漫画のことばかり話す人だからね」


「漫画家を目指しているの?」と聞くと、仲野さんは首を横に振った。


「漫画雑誌の編集者になりたいそうよ。一生漫画にどっぷりと浸りたいんだわ」


「子ども向けの雑誌も大人向けの雑誌も読んでいるみたいだけど、少女向けの漫画雑誌も読んでいるの?」


「さすがに少女雑誌は買いにくいらしいわ。手元にあれば、読むのは平気そうだけど」


「・・・まあ、いいんじゃない?『八つ墓村』が掲載されたように、漫画雑誌も少しずつ変わっているから、将来性がある業界でしょうね」


「本人はそう言ってるわ。・・・先日は神田君と話した後に神田君は先が見通せる人だとほめていたわよ。もちろん漫画業界の、だけど」


「僕はそんなに詳しくないけどね、おもしろい漫画があれば聞いてきてくれないかい?」


「わかったわ。・・・ところで神田君はその時ひとりだったわよね?最近は女性をつれ歩かないの?」と、仲野さんが矛先を神田君に向けた。


「最近はさっぱりだよ。川崎さんも大宮さんも、それに咲田さんも話しかけてもろくに返事をしてくれないんだ」


その時部室のドアが開いて、見たことのない男性が顔を出した。


「あ、ここだ。神田君、こんにちは」とその男性は言った。


「ヒ、ヒロちゃん!?」驚きの声を上げる仲野さん。


「え?・・・五十嵐さん?」と神田君も目を丸くしていた。どうやらこの人がさっき話に出た仲野さんの幼馴染のようだ。


「ヒロちゃん、なんでここに来たの?」と聞く仲野さん。


「いや、神田君と話がしたくてね、ミステリ研を探してたどり着いたんだ」


「よくこの部室がわかったわね?」


「蝶子からよく話を聞いていたからね、大体の場所は見当がついたよ」そう言って五十嵐さんという仲野さんの幼馴染は神田君の方を向いた。


「今日も何冊か雑誌を持って来たんだ。一緒に見ながら語り合おうよ」


「ヒロちゃん、ここはミステリ研の部室よ。今は私たち以外にもうひとりいるし、ほかの部員が来るかもしれないから、迷惑になるわよ」


「それもそうだな。・・・じゃあ、神田君、今日は天気もいいことだし、外のベンチに行こうか」


「え?・・・いや」


「今日は何の雑誌を持って来られたんですか?」と私が口を出した。神田君から注意をそらそうと思ってのことだった。


「え?・・・君は?」と私をまじまじと見つめる。私がいることに今気づいたのかな?


「私は仲野さんと同じ文学部の一色です」


「君が一色さんか!?あの名探偵の?」


「え?」私は仲野さんの方を見た。仲野さんはすっとぼけてよそ見をしている。


「いつも蝶子から活躍を聞いているよ。君も漫画を読むのかい?」


「い、いえ、私は探偵小説専門で・・・」


「そうか、残念だ。でも、将来は君にも読んでもらえるような名探偵を主人公にした漫画を誰かに描いてもらうのもいいね」


「は、はあ・・・」


「とにかく、神田君!外で漫画雑誌を見よう!」五十嵐さんはそう言って神田君を無理やり立ち上がらせると、部室の外へつれ出してしまった。


唖然とする私と仲野さん。


「い、いいの・・・?」と、しばらくしてから私は仲野さんに聞いた。


「神田君と話が合ったと言って喜んでいたけど、令成大学には漫画を語り合える友人がいないのかしら?」と仲野さんは疲れた顔をして言った。


「神田君には女難の相があると思っていたけど、『だんなん』の相もあるみたい」と私はつい言ってしまった。


「『だんなん』って何?」と仲野さんに聞き返される。


「男の難と書いて『男難だんなん』。それとも『男難なんなん』と読むのかな?」


「は〜」とため息をつく仲野さん。その様子を見て提案してみた。


「仲野さんも漫画雑誌を読んでみたら?五十嵐さんともっと仲良くなれるかもよ」


「ちょっとやそっと読んだって、ヒロちゃんと対等に語り合えるほどの知識は持てないわよ」


「さっき、五十嵐さんは少女向け漫画雑誌には手を出してないって言ってたよね?」


「ええ、そうよ」


「だったら仲野さんが少女雑誌を買って、おもしろそうな漫画を見つけたら五十嵐さんに教えてあげたら?喜ぶし、会話も弾むんじゃない?」


「そうかしら?」と仲野さんは首をかしげながら考え込んでいた。


結局その日、神田君は部室に戻って来なかった・・・。


数日後、仲野さんはミステリ研の部室に二冊の漫画雑誌を持って来た。表紙を見せてもらうと、りぼん八月号(夏休みおたのしみ号)とりぼん夏休み大増刊という少女雑誌だった。


「少女向け漫画雑誌を買ってみたのね?なぜこの二冊を選んだの?」


「書店でたまたま目に入ったからよ」


りぼん八月号の方は黄色い表紙にワンピースを着た二人の女性(同一人物?)の絵が描かれていた。りぼん夏休み大増刊の表紙には水着姿の少女のバストアップが描かれている。


「この大増刊の方には『五年ひばり組』という漫画の総集編が掲載されているの。りぼん八月号にも同じ題名の漫画が載っているわ。人気があるみたい」


私は雑誌を手に取ってぱらぱらとめくってみた。お転婆な小学生の少女が活躍するお話のようだった。


「五十嵐さんには見せたの?」


「うん。ぱらぱらとめくって、『少女漫画もけっこうおもしろいね』って喜んでくれたわ」


「買ったかいがあったね」


「それが・・・」と言って仲野さんはりぼん夏休み大増刊を開いてある漫画作品を指さした。松本零士という人が描いた『森はみどりに』という動物ものの漫画だった。


「この松本零士って人が今『少年ジャンプ』という少年漫画雑誌に『光速エスパー』という作品を連載しているらしいの。ヒロちゃんはこの作品を見つけると、少女漫画そっちのけで『光速エスパー』の話をし出してね・・・」


「『光速エスパー』って人気があるの?」


「もともと東芝のマスコットキャラクターで、電気店の店頭に人形が飾られていたわ。宇宙服みたいなのを着た少年よ」


そういえばそんなのを見たことがある気がする。


「去年までテレビドラマが放送されていたそうよ。SF作品みたい」


「神田君なら当然知ってるだろうね」


「そうでしょうね・・・」と、神田君に彼氏、じゃない、幼馴染を取られそうな仲野さんが複雑な表情をして言った。


「仲野さんが取るべき行動は次の二つのうちのどちらかよ」


「え?」


「ひとつは漫画好きの五十嵐さんを温かい目で見つつ、放っておくこと」


「もうひとつは?」


「仲野さんが少女漫画を片っ端から読んで知識を付けることね。それを五十嵐さんにどんどん話していけば、少女漫画が好みでなくても興味深く話を聞いてくれるわよ」


「う〜ん」と言って考え込む仲野さん。適当なことを言ったが、後は仲野さん次第だ。


ところで立花先生には、仕事以外にのめり込んでいる趣味があるのかな?そう考えたらちょっと顔が熱くなってきた。

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