第26話 神田君を巡る女性たち(続)

咲田さんがミステリ研にいる時に、兵頭部長、美波副部長、山城先輩と田辺先輩が入って来た。


すぐに咲田さんに気づく兵頭部長。


「おや、お客さんかい?」


「こんにちは、商学部一年の咲田ひとみと申します。ミステリ研に興味があってお邪魔しています」と咲田さんがあいさつした。


「それはようこそ。もし入部を希望するならいつでも歓迎するからね」


「こちらの先輩方がミステリ研の全部員だよ」と説明する神田君。


「普段はどんな活動をしているのですか?」と兵頭部長に聞く咲田さん。


「普段は気ままにミステリ小説を読んだりして、感想を言い合っているくらいかな。明応祭ではミステリの書評などを集めた機関誌を作って販売しているけどね」


「私、あまり読書の習慣がなくて・・・」


「読みやすくておもしろい本を紹介してあげるよ」


「ミステリの映画やお芝居を観に行くことはないんですか?」


「そういうのは個人個人で行っているかな。・・・部員どうしで連れ立って行くことはないよ」


「そうですか?誰かにエスコートしてもらえると助かるんですが・・・」と咲田さんは言って、兵頭部長と山城先輩の方をちらっと見た。映画と、ついでに飲食をたかるつもりなのかな?


「それから一色さんはよく医学部の法医学教室を訪問しているわよ。法医学教室の先生や刑事さんとお話ししているようよ」と美波副部長が口をはさんだ。


「え、医学部の先生!?お医者さんですか?」急に目を輝かせる咲田さん。


「医者は医者だけど、生きている患者さんを診察せずに死体を解剖したり、大学で研究をしている変わり者さ」と兵頭部長が牽制した。


「それでもお医者さんなら将来開業することもありますね!そのお医者さんは若い方ですか?」となおも食いつく咲田さん。


「二十代後半だけど・・・」


「それなら大丈夫です!」と言い切る咲田さん。何が大丈夫なんだか・・・。


「ね、一色さん、その先生を紹介してよ!」と今度は一色さんに言った。


「紹介する理由がないよ」と断る一色さん。そりゃそうよね。恋敵ライバルになりそうな、それも問題がありそうな女を紹介するわけないわよ。


「立花先生と会う時は、いつも事件や法医学の問題を話し合っているんだ。何も話すことがない時には、仕事の邪魔だから会いに行かないよ」


「事件の話?・・・いくらミステリ研の部員だからって色気がないわね」と文句を言う咲田さん。


「それなら、鍵をかけていた室内に私の財布がいつの間にか移動していたという事件があったわ!」


「それはさっき一色さんが解いたじゃない!」と私は文句を言った。


「それに法医学者に解いてもらうような事件でもないよ」と山際先輩も言った。


「じゃあ、どんな事件がいいかしら?・・・あ、事件かどうかわからないけど、不思議なことがあったのを知っているわ!」と咲田さんが言い出した。


「どんなこと?」と私が聞くと、


「医学的なことだから、あなたにはわからないわよ」と言ったので、


「とりあえず話してみなさいな。変な話だったら、立花先生を紹介できないわよ」と言い返した。私が紹介するわけではないんだけど。


「実は戦前の、昭和の初め頃のお話なんだけど、私の親戚筋がいる山村で起こった事件なの」と咲田さんが話し始めた。最近の事件ではなさそうだ。


「その村の旧家の長男は頭が良くて、帝大にも行った自慢の跡取り息子だったけど、在学中に文学に目覚めて小説家になろうとしたの。当然両親は大反対よ。そこで長男が帰省した時に屋敷の奥の部屋に閉じ込めたの。悔い改めるまでは出さないって言って。その部屋は木の格子で囲まれて、座敷牢みたいだったって」


「ふんふん、それで?」と先を促す一色さん。横溝正史が描くようなおどろおどろしい事件でも起きそうな舞台だから、興味を持ったのだろう。


「その長男の世話はひとりの女使用人だけがしていて、ほかの家人はほとんど会わなかったそうだけど、その女使用人が運ぶ食事にもほとんど手をつけず、長男は日に日に憔悴し、頭髪や髭が伸びていったわ。そしてしばらく経ったある夜、その女使用人が長男の父親のところに駆け込んで来たの。『旦那様、大変です、ぼっちゃんがっ!』て叫びながら・・・」


「それでどうなったの?」と私も先を促した。物語っぽい話し方だが、それなりに続きが気になってきた。


「その家の旦那様や奥様や、他の使用人が灯りを持って駆けつけると、長男を閉じ込めていた座敷牢の中に一匹の熊がいたのよ!」と咲田さんは言って私たちの顔を見回した。


何も言わない私たち。咲田さんは先を続けた。


「その熊は頑丈な木の格子を内側から粉々に壊し、屋敷の外へ逃げ、闇の中に消えていったそうなの。両親や家人たちは腰を抜かして後を追うこともできず、そのまま熊に変身した長男は行方不明になったの。その後両親はめっきり気落ちして、使用人たちも次々と辞めていって、やがてその旧家は没落したそうよ・・・」


咲田さんが話を終わり、室内は静寂に包まれた。満足げな顔の咲田さん。しばらくして兵頭部長が口を開いた。


「まるで『山月記』のような話だけど、それを医者に話して何になるんだい?実際に人が動物に変身することなんてないから、医者だって相談や助言のしようがないよ」


『山月記』とは中島敦の小説で、頭がいいものの人一倍プライドが高い男が詩人になって有名になろうとして果たせず、プライドと羞恥心の板挟みになっているうちに虎に変身してしまったというストーリーだ。現国の授業で読まされたことがある。


「そ、そうかもしれないですけど、それをきっかけに話を弾ませていくんですよ!」と咲田さんが顔を赤くして言った。


「でも、神話や小説の世界では、人が動物に変身する話はよくあるよね。カフカの『変身』って小説は主人公が虫になってしまうし」と山城先輩が言った。


「ギリシャ神話ではゼウスが白鳥に変身して王妃のレダに言い寄るわね。・・・あ、ゼウスは人でなくて神様だけど」と田辺先輩も言った。


「手塚治虫の漫画に、人が動物に変身する『バンパイヤ』って作品があるよ」と神田君が口をはさんだ。


「バンパイヤって吸血鬼のことじゃないの?」と聞き返す一色さん。


「その漫画では動物に変身できる人間たちをバンパイヤって呼んでるんだ。主人公の少年は月を見たりすると狼に変身するんだ」


「狼男そのままね」と美波副部長。


「で、その漫画の中に岩根山ルリ子ってバンパイヤの女の子が出てくるんだけど、狼から人間に戻ると当然裸だから、恥ずかしがって『あっちむいてて!!』って叫ぶところがいいんだよね」と神田君がにたにたしながら話を続けた。


私たちはちょっと引いてしまって室内が静まり返った。すると咲田さんが怒り出した。


「なによ、変な話して!私をその先生に紹介する気がないのね!?」


「・・・だから意味なく紹介できないよ」と兵頭部長。


「もういいです。自分で何とかします!」と言って咲田さんは立ち上がった。


「神田君、この本は借りておくわ。どうも失礼しました!」咲田さんはぷんぷんしながら部室を出て行った。


「・・・何、あれ?」とつぶやく田辺先輩。


「常時入部歓迎でも、人は選んだ方がいいですよね」と私も言った。


「そうだね」と言って兵頭部長は一色さんを見た。「一色さんはさっきの話をどう思う?」


「人が熊に変身したって話ですか?・・・事実なのか創作なのかわからないので答えにくいのですが、素直に考えれば女使用人が長男に同情して逃がしたんでしょうね。熊の毛皮でも着せて」


「山村だから猟師が熊の毛皮くらい持っていたかもしれないね」


「でも、座敷牢を壊して逃げたんでしょ?そんな力があるかしら?」と私は聞いた。


「小さなノコギリを差し入れて、内側から木の格子に少しずつ切れ目を入れていたのかもしれませんね。体当たりすれば簡単に壊れるくらいまで」


「熊に化けたのは親たちに追いかける気をなくさせるためだったのかしら?でも、旧家のおぼっちゃんが家を出てやっていけたのかしら?」と美波副部長が言った。


「きっとその女使用人がかくまったのよ。そして二人は貧しいながらも愛し合って幸せに暮らしたのよ」と田辺先輩。


「その女使用人が若い娘なのかおばさんなのか、話に出てこなかったからわからないけどね」と神田君が言って田辺先輩をしらけさせていた。


「ところで、みんなそろっていることだし、明応祭で作る機関誌のことについて相談しよう」と兵頭部長が言ってその話題はお開きになった。




その翌日、神田君は商学部の講義室で咲田さんに話しかけられた。以下、神田君に聞いた話。


「神田君、漫画ありがとう。おもしろかった」と言って『佐武と市捕物控』を返す咲田さん。


「ほかにもない?」


「同じ『佐武と市捕物控』なら別に単行本が出てるけど?」


「じゃあ、それも貸して?」


「いいよ。今度持って来るよ」


そこへ例によって川崎さんと大宮さんが寄って来たそうだ。


「あら、咲田さん、今度は神田君に色目を使ってるの?」


「誰が色目を使ってるって言うのよ!?」と言い返す咲田さん。


「神田君に本を借りていただけだから、ほっといてよ」


「ほっとけと言うならほっとくけど。・・・神田君、変な想像話を話さないでよ」


「わかってるよ」と神田君が言うと二人は去って行った。が、時々神田君の方をちらちら見ていたそうだ。


「変な話って何?」と聞く咲田さん。


「な、何でもないよ」と神田君はごまかした。


「ところでミステリ研で話に出た医学部の先生って、神田君も面識があるの?」あっさりと話題を変える咲田さん。こっちの方が本題だったようだ。


「あ、あるけど」


「じゃあ、今日の夕方にでも紹介してよ」


「そ、そんな。・・・兵頭部長の許可なく紹介なんてできないよ!」


「別に部長さんの許可が絶対必要ってわけじゃないんでしょ?大人なんだから、勝手に会っても問題ないわよ」


「そ、それはそうだけど・・・」と神田君は最初は固辞していたようだけど、最終的に咲田さんに押し切られたそうだ。


夕方神田君は咲田さんと一緒に商学部棟を出て医学部棟に向かった。


「お昼過ぎに大宮さんが例の財布のことを聞いてきたわ。自分の財布じゃないのに、なぜ気にしているのかしら?」


「さ、さあ・・・」冷や汗をかく神田君。


「それでミステリ研のあの子が考えた、事務員が勝手に置いていったんだろうってことを話したら、『あ、そうなの?』とあっさり言って離れて行ったわ。変なの」


「そ、そう・・・」ハンカチで額をぬぐう神田君。


まもなく医学部棟に着いたので二人は躊躇せずに中に入った。そして神田君が法医学検査室のドアをノックしたけど、返事がなかったそうだ。


そっとドアを開けたけど誰もいない。


「解剖中かな?解剖室の方に行ってみよう」と神田君が言って、咲田さんは何も考えずについて行った。


ところが解剖室に近づくにつれて異臭が漂ってきた。


「何、この匂い?」鼻をつまみながら聞く咲田さん。


「た、多分、腐乱死体を解剖してるんだよ。・・・解剖室を覗いてみるかい?」と同じく鼻をつまみながら神田君が聞いた。


「行くわけないじゃない!そんな気持ち悪いことをしている人になんか、会いたくなくなったわ!」と咲田さんは言って今来た通路を逆方向に歩き始めた。


「法医学に限らず、医学医療ってきれいな仕事ばっかりじゃないよ」と後を追う神田君が言ったが、聞く耳を持たなかったらしい。


医学部棟を出てすぐに帰って行った咲田さん。次の日から咲田さんは神田君に近寄らなくなった。漫画を借りるという約束も忘れて。


しかも川崎さんと大宮さんも神田君に興味を示さなくなったそうだ。


こうして神田君に女性がまとわりついてくるという奇跡の期間は終わりを告げた。・・・もてていたのではなく、女難を被っていただけだと思うけど。

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