結婚式の日に限って浮腫が取れないのですが

剃り残し@コミカライズ連載開始

第1話

 明日、僕は結婚する。人質と言ってもいい。他の国へ婿に出されるのだから。


 国力の彼我の差は明らかだ。兄達は慰めに「あそこはいい国だぞ」と言うがどうだろう。


 確かに行ってみなければ分からない。そういう考え方もある。だがこれはただの片道切符。


 入国し、婚礼の儀が終われば僕は二度と故郷へ戻ることは無いのだろうから、「いい国」で無かったとしても逃げ出す術はない。


 憂さ晴らしに酒場へ来てみた。市井の酒場は平民でごった返している。


 その中でも目立っていたのはテーブルの上に仁王立ちになり、ワインボトルをラッパのように咥えて掲げている女性。周囲への溶け込み切れない彼女の雰囲気にどうしても目を奪われてしまう。


 目を引いたのは顔立ちだけが理由ではない。楽しそうに飲んでいるのに、ボロボロと泣いていたのだ。周囲はそれを見て更に笑っている。恐らく意中の男に振られてやけ酒でもしているのだろう。


 周りの煽てに乗っかるその女性は「王女! 王女!」と周囲から呼ばれているが、こんなところにいる訳がないだろう。


 万に一つ、彼女が本物の王女だとしたら義理の姉か妹ということになる。さすがにエリー王女ではないだろう。絵ではもっと淑やかな女性に見えた。どの道、僕は下戸なので、なるべく距離を置いて過ごしたいところだ。


 この国のワインは美味しいらしいが、酒の飲めない僕には分からなかった。


 それでも、市井の酒場に繰り出す、という行為だけで少し憂さは晴れた。故郷では良くやっていたが、この国で顔が知れるとこんな事も出来なくなるのだろう。


 宿に戻り、明日の婚礼の儀に備えて早く寝よう。


 ◆


 緊張のあまり謁見の二時間も前に王城へ着いてしまった。今日はこれから準備をして謁見の儀、婚礼の儀を経て夫婦の契を交わす予定だ。


 今後の居室だと言われて通された部屋は、故郷の城にある自室の何倍も広い。我が国との違いは歴然たるものだ。


 感心するのも束の間、手持ち無沙汰になり王城を探検する事にした。


 通りがかりのメイドは僕を見て怪訝そうな顔をする。不審者だと思われると面倒なので僕がここにいる正当性をそれとなく主張する事にした。


「あの……エリー王女の居室はどちらに?」


「あ……あぁ! それでしたらこの廊下の突き当りを右へ曲がると直ぐにあります」


 メイドは合点がいったようで、僕が誰なのかを認識してくれたようだ。会釈をしてメイドから離れる。


 エリー王女とは会ったことすらないが、想像上の人物では美女。肖像画が事前に送られて浮かれている僕に兄達は「あんな物、別人が描かれていると思え」だなんて夢の無いことを言っていた。


 部屋の位置も分かったのでサプライズだが事前の打ち合わせという名目で会ってみたくなった。


 教えてもらった部屋の扉の前に立ち、ノックをすると「はい」とやや嗄れた声の返事が聞こえた。


「エリー王女、レックスと申します。婚礼の儀の前に少しお話でも、と思いまして」


 扉の向こうからは何も聞こえない。少しの沈黙の後「どうぞ」と言う声が聞こえたので扉を開ける。


 椅子に座っている王女らしき人が一人でいた。寝間着なので準備はこれからのようだ。何よりも目を引いたのは顔の前にかけられた木綿の薄汚いハンカチ。そのせいでエリー王女の顔は一切見えない。


「え……エリー王女。初めてお目にかかります。ロマンナ国第十王子のレックスです」


「エリーです。お見苦しい姿をお許しください。婚礼の儀の後、初夜を迎えるまでお顔を見せられないのが我が国の伝統なのです」


 恐らく僕はこの国のタブーに足を踏み入れかけている。顔を見せられないという伝統なのだから、本来は婚礼の儀の前に会うなんて以ての外なのだろう。初日から飛ばし過ぎて、義理の兄弟姉妹にいびられるのも本意ではない。


「そ……それは大変失礼いたしました。お話はまたの機会とさせてください!」


 踵を返し、部屋を飛び出す。文化の違いというのはかくも大きなものらしい。まずは謁見の儀だ。それまでは大人しくしていよう。


 ◆


「王女様。エリー王女。起きてください。レックス王子の謁見までもう二時間もありません」


 気持ち良く寝ていたところをメイドに叩き起こされる。夢は見ていなかった。寝る前の記憶もないし、激しい頭痛で起き上がることができない。二日酔い由来の頭痛である事は経験則から明白だ。


「いや……まだ頭が痛いの」


「頭が痛かろうと何だろうと起きてくださ……」


 嫌がる私から無理矢理布団を剥ぎ取ったメイドは言葉を失っている。何度か瞬きをして目をこすると視界が明瞭になってきた。内から爆発しようと目論んでいる頭を持ち上げて起き上がる。


「どうしたの?」


 メイドは呆れた顔で首を横に振る。私が生まれてから二十余年。毎日のように朝は起こしてくれていたのにこんな反応は見たことがない。


「浮腫が酷いです。いくら昨日が最後とはいえ、もう少し自重しても良いのでは?」


「あぁ……どうかしら。記憶にないわね」


「はぁ……とりあえず冷水で顔を洗ってください。化粧係を呼びますから」


 私が覚醒した事を確認するとメイドは部屋から出ていった。


 私は今日、隣国の王子と結婚する。第七王女と第十王子。いずれも王位継承権はあれど生きている内に回ってくる事はほぼ無い。お飾りのような称号と公務という名の兄の雑用を押し付けられて生きていくだけの存在だ。


 王である父はそんな私の立場を不憫に思ったのか、それなりにお目溢しをしてくれていた。


 結婚をするまでは身分を隠して市中の酒場に繰り出す事を認めてくれていたのだ。店に入れば「王女! 王女!」と囃し立てられるので身分は全くバレていない。


 優秀な父、もとい王の治世下で安定している我が国は平和で犯罪も殆どない。護衛を数人付けて酒場へ繰り出す事くらい造作もないのだ。


 だが、結婚するとなるとそうもいかない。うだつの上がらず厄介払いとして婿に出されたレックス王子なる人物を夫として盛り立て、兄の雑用をレックス王子に押し付けるという公務があるし、既婚者となったら遅くまで飲み明かすような生活はさすがに父も許してくれないだろう。


 そんな訳で昨晩が人生最後の酒場。いつも以上に羽目を外したし、王城の倉庫から父のお気に入りのワインをくすねて持っていくという大盤振る舞いだった。


 化粧台の前に座ると言葉を失ったメイドの気持ちがよく分かる。化粧をするしない以前の問題で、父譲りの二重瞼は埋没し、頬は赤らんで丸みを帯びている。こんなに分厚い唇は小さい頃に蜂に刺された以来だ。


「ひ……酷すぎる……」


 鏡で自分の顔を見た感想を部屋で一人で述べる。それだけでも十分に虚しい事なのに、それが賛辞ですらないなんて。


 これでは人前に出られない。ましてやこれからの人生を伴にする御方との初対面なのだから。


 さる絵画のように顔を手で揉みくちゃにしていると扉がノックされた。「はい」と返事をすると喉にタンが絡まっていたことを知る。


「エリー王女、レックスと申します。婚礼の儀の前に少しお話でも、と思いまして」


 正気の沙汰ではない。寝起きの女の部屋にアポ無しでやってくるなんて。何のために謁見の儀があると思っているのか。こちらにも準備があるのだから。


 着替える時間はないが、せめて顔だけでも隠さなければ。


 辺りを見渡していると、一枚のハンカチが目に入った。昨日、酒場で常連のおじさんから貰ったものだ。今生の別れのようにおじさんは泣いていたので、このハンカチで拭ってあげた。一度洗濯をして大事に使いたかったのだが仕方がない。


 ハンカチを広げるとおじさんの涙がシミとなっているのが分かる。そのハンカチを顔の前に当てて「どうぞ」と返事をすると、食い気味にレックスが入ってきた。


「え……エリー王女。初めてお目にかかります。第十王子レックスです」


 声色から緊張しているのが分かるが、こちらとしても狙いがわからず身体がこわばる。努めて冷静に、これは国の伝統ということにしよう。夜になれば浮腫は取れる。


「エリーです。見苦しい姿で御前に座る事をお許しください。婚礼の儀の後、初夜を迎えるまでお顔を見せられないのが我が国の伝統なのです」


「そ……それは大変失礼いたしました。お話はまたの機会とさせてください!」


 レックスはそそくさと部屋から出ていってしまった。話をしたいのでは無かったのかと首を傾げていると化粧係が入れ替わるように部屋に入ってきた。


 化粧係は私の浮腫具合を見ると、諦めたように首を横に振った。


 ◆


 正装に着替え、今日の儀式が終わると帰国する申し訳程度の従者と共に謁見の間に入る。


 数段高いところに置かれた豪華な椅子に王女が座っていた。顔はハンカチで覆われていない。


 だが、顔だけ斜め後ろを向いているので高い鼻くらいしか顔のパーツが見えないのが惜しい。焦らされている気分だ。この国ではこうやって新婚初夜を盛り上げるのだろう。


「再三の無礼をお許しください。初夜までは……」


 王女はそっぽを向いたままそう述べる。


「はい。存じております。異なる文化の元で育った者同士、理解と共に愛も深まっていけば、と考えております」


 エリー王女がさっきと同じ謝罪を口にするので申し訳無くなる。本来はここでハンカチを使うはずだったのだが、二度も同じ対応は出来ないので首を捻じ曲げて顔を見せないようにしているのだろう。


 そこからの会話は形式張ったもので、緊張感にあふれていた。「旅の疲れは?」「故郷はどんなところか」。そんな話をしていたらすぐに時間となった。


 最後までエリー王女の顔を見ることは無く謁見は終わった。


 ◆


 謁見の儀。レックスの参上に先立って謁見の間に行くと、父が椅子に座って待機していた。


「エリー! お前、また飲み歩いていたのか! こんな日までそんなに顔を浮腫ませて……大体五分前行動だとあれほど言っておるだろう! こんな直前では王子が先に参上してしまうぞ!」


「父上、落ち着いてください。こんな顔でどうしろと?」


「どうするもこうするも自分のせいじゃないか。儂もレックス王子に合わす顔がないぞ……」


 これはチャンスだ。このまま父がここにいると顔を見せろと言われてしまう。


 父を追い出して私一人で謁見すれば、顔を見せなくても疑われることはないだろう。


「では合わせなくて結構です。私一人でどうにかします。婚礼の儀だけいらっしゃってください!」


「むぅ……まぁ謁見の儀は座っているだけだしな。婚礼の儀までには浮腫を取っておくんだぞ!」


 父はぷりぷりと若い女子のように怒りながら謁見の間から出ていった。


 ここぞとばかりに、本来は王しか座ることが許されない椅子に腰掛ける。身体が一気に沈み込むが、程々のところでつり合い、身体を包み込んでくれる。


「レックス王子の参上!」


 入り口から衛兵が叫ぶと、一瞬でメイドたちが私の見てくれを整えにやってくる。


 ドアが開き切る前にメイド達は離れていった。


 私もハンカチを顔の前に掲げようとポケットをまさぐる。


 だがおかしい。何処にもハンカチが見当たらない。落としたのかと辺りを見渡すと、丁寧にハンカチを折りたたんでいるメイドの姿があった。異物だと認識してポケットから取り除いてくれたらしい。


 不味い。顔を隠す物が無くなってしまった。咄嗟に首を捻じり、斜め後ろを向く。無礼だと怒られたら素直に詫びよう。


「再三の無礼をお許しください。初夜までは……」


「はい。存じております。異なる文化の元で育った者同士、理解と共に愛も深まっていけば、と考えております」


 レックスは本当にこの国がそういう文化だと信じ切っているらしい。


 天然なのか馬鹿なのかは分からないけれど、人を疑うことを知らない優しい人なのだろう。


 レックスの人柄に感動しつつ、謁見は和やかに終わった。


 ◆


 婚礼の儀もささやかなものだった。僕の国如き、この程度の扱いで良いだろうという思惑が透けて見える。出席者も王と王女と僕の三人だけ。


 この国の伝統だと言うが、どの国でも娘の晴れ舞台なのだから豪勢にやるはずだ。


 それでも、何枚もの分厚いヴェール達に包まれたエリー王女の首から上は一度も外に晒されることは無かった。


 人数が少ないのもそういう伝統で、本当にただただ伝統を重んじる由緒正しい国なのかもしれない。


 ◆


 婚礼の儀。浮腫は一切取れなかった。


 会場のチャペルには関係者が数多く参列しているので、この人数の前で嘘はつき通せない。誰も知らない伝統を言い張る頭のおかしい王女だと言われてしまう。


 最前列に座り、憤慨している父に近寄る。


「父上。ご覧のとおりです」


 父は私の顔を見てため息をつく。


「もう諦めろ。晴れ舞台だが、曇天にしたのは自分だ」


「諦めません。私はヴェールを何重にも重ねて顔を隠します」


「バカ者! そんな事をするやつがあるか! 『何度目の結婚なのだ』と思われるではないか!」


 我が国の本当の伝統ではヴェールの数は結婚した数を表す。だから基本的に一枚。稀に二枚。極々稀に三枚以上。


 そこに私は何十枚ものヴェールを重ねると言っているのだから本当に狂っているだろう。それでも、この浮腫んだ顔を見られるよりはよっぽどマシだ。


「こんな顔を見せる訳には参りません! 私は譲りませんから」


「好きにしろ。どうせ行き遅れ同士の結婚なんだからな。皆様! 申し訳無いが今日の婚礼は延期となった。速やかに退出されよ」


 出席者に対して上から目線ではあるが、誰もその事に文句を言わずそそくさと出ていってしまう。所詮、私の婚礼なんてこの程度の扱いなのだ。囃し立て要員、数合わせ。彼らを呼称する言葉としてはそんなものがしっくりと来る。


「父上は行かないのですか?」


「見届人だ。ヴェールを何枚も被っている花嫁のために神父なんぞ呼べんだろう」


「はぁ……分かりました」


 メイドが横からやってきて戸惑いながらヴェールを何枚も被せてくる。前が見えない程に薄い布が重ねられた。私も何故ここまでしているのか分からなくなってきたが最早意地だ。レックスにも、すぐ意思を曲げる女だと思われたくない。


 少ししてレックスが入ってきた。父と出迎え、父の言葉でお互いに顔も知らない人との永遠の愛を誓った。


 ◆


 新婚初夜がやってきた。エリーの居室に行くべきなのかずっと迷っている。


 僕達は名目上は夫婦になった。だが会話といえばメイド達の前での建前全開のものだけ。人となりを全く知らない。


 男女の契を交わす前にまずはお互いを知るべきだろう。今度こそ顔を見て話をしよう。


 そう決意したところで扉がノックされた。


 ◆


 新婚初夜。浮腫は完璧に取れた。夜に備えてサウナで汗をかきまくり、身体中の水分をカラカラになるまで抜ききったのが功を奏したようだ。


 食い込みが激しく不快感の強い下着をつけて待っているのにいつまで経ってもレックスは私の居室にやってこない。


 何かあったのではないか。もしかすると私の顔を見せないための嘘が嘘であるとバレたのかもしれない。


 不安になり、レックスの居室に向かう。


 扉をノックするとレックスが出迎えてくれた。彼を一目見て、期せずして顔を見せる事を避けていた自分に感謝し、ここまで顔を見られなかった事を後悔した。


 眉目秀麗。一先ずの感想はそれだった。良家の美女を娶る王族とはいえ、ここまで綺麗な金髪碧眼は珍しい。それだけでなく、眉と目の距離が近く彫刻のような繊細さも兼ね備えている。


 おじさんとは気軽に話せるのだが、若く格好良い男とは話せない。思わず顔を逸らす。


「あ……その……レックス……様。エリーです」


 レックスは驚いた顔をしていたが、何も言わずに私を抱きしめ、部屋に連れ込む。顔に似合わず野性的なところもかなりポイントが高い。


 だが、本当に部屋に連れ込んだだけだった。扉を閉めると、そのまま入り口で抱き合ったまま固まる。


「昨日、酒場にいらっしゃいましたね? 王城から少し離れたところにある、平民の方が利用するところです。テーブルの上に仁王立ちをされていて」


 酒場で暴れていたのが私だとバレていた。


「あ……昨日は結婚を機に行けなくなるので……その……」


「そうでしたか! 結婚を機に平民との交流の機会が失われるのを嘆き、泣いていたんですね! あれだけ泣き腫らせば顔も浮腫むというものです」


 どうも私が酒場に入り浸っていたのは平民との交流が目的だと思われいるらしい。そして、その機会を奪われて泣いていた、と考えている。


 レックスの中の私は少々人が良過ぎるようだ。


「そ、そういう訳ではなく――」


 私の抗弁は口を塞がれた事で中断となった。酒場の女主人と酔った勢いでした以来のキスだ。私から呼吸を忘れさせるほどに長い口づけは、レックスの息が持たなくなったところで終わった。


 レックスは息をしていなかったようで、首を絞められていた人のようにゼェゼェと息をしている。ムードの欠片もない雰囲気ではあるが、今後の夫婦生活を決定づける時間なのだから、少しは良いところを見せておこう。


「口は塞がっているので、鼻から吸うと良いですよ」


「あ……ありがとうございます。もう一度よろしいですか?」


「どうぞ」


 今度はスムーズに口づけが続き、ベッドに優しく横たえられた。


 横に寝転び私を眺めるレックスは何やらとても嬉しそうな顔をしている。


「あの……どうされたのですか?」


「この国の伝統について考えていたのです。期待を膨らませる絵を送り、当日は一切顔を見せずに夜まで過ごす。王族同士の結婚に愛や恋などないと思っておりましたが、こうやって焦らされる事でそういう気持ちも芽生えて来るのだと思いまして。現に私はエリー様の虜です」


「あ……ありがとうございます」


 面と向かって褒められるのはかなり照れくさい。身体を回転させ、反対側を向くとレックスは更に距離を縮めてくる。


 私の背中とレックスの前側が密着すると、一気に体が強張る。やはり酒の一滴も飲まずに来たのが間違いだった。


 嘘をついてここにいるのがどうしてもモヤモヤする。レックスは混じりっ気のない笑顔を私に向けてくるので、罪悪感がじわじわと大きくなってしまうのだ。


「どうされました?」


 レックスが不安そうに呟く。


「わ……私は、毎晩のようにあの酒場に行って飲み明かす生活をしていました。結婚を機に行けなくなると思い、飲み過ぎていたのです」


「それは……平民との交流の場がなくなるからでは?」


「違います。常連の人と飲み交わしているだけです。ただ友人と遊んでいるようなものですよ。それに伝統と言って顔を隠していましたが、そんな伝統はありません。ただただ酒で浮腫んだ顔を見せたくなかっただけです」


 レックスは何も言わず、微動だにしない。私の手を取り、撫でてくれる。


「嘘をついてしまい申し訳ございませんでした。もう隠し立てすることは何も無いです。これから、末永く共に歩みましょう」


「エリー様はそれでよろしいのですか? 私が勝手に勘違いしていただけではありますが、本当に民に近い存在となれるのでは? どうせ厄介者同士が隅っこに押しやられているだけなのです。結婚を機に、なんて言わず好きに生きてみませんか?」


「好きに、ですか?」


「えぇ。自由に生きたいので離婚を、と言われるとさすがに困ってしまいますが……二人で市井を練り歩き、民草の生の声を義兄上や義父上にお届けする。そんな役回りはいかがでしょうか。私もこの国に来たばかりで知らない事ばかりです。腫れ物として生きていくよりは、酒で目を腫らし、胸を張って生きていきませんか?」


 自分の生き様が恥ずかしくなる思いだった。結婚するまでは好きに遊び、それからは鳥籠の中で死んだように生きる。私も彼もそういう立場だと思っていた。


 だが彼は結婚しても尚、生きていく事を諦めていない。知らない国に婿としてやってきたにも関わらずだ。


 目と眉の距離なんてどうでも良い。為政者と民の距離を近づける存在。そんな人は今までいなかった。


 レックスとしても自分の存在価値をこの国で見出したいという実利的な背景はあるにせよ、私にとっても魅力的な提案だった。


「その役目、素晴らしいと思います。明日、父上に掛け合ってみましょう」


「明日と言わずに今から。さ、行きましょう!」


 レックスは私をベッドから引きずり下ろし、手を引いて王の執務室へ案内させた。


 王もこの提案にはさすがに乗り気ではなかったが、レックスは一歩も引かないという態度で交渉に望んだ。


 最後には頑固な父に「良い良い! ただし護衛は付けない。二人で行って帰ってこい」と言わしめた。


 執務室から部屋への帰り道、レックスが手を繋いでくる。


「エリー様。これからも末永く――」


 前置きはいらない。これからも私は自由だ。レックスと二人で街に繰り出せる。その事が嬉しくて、この環境を作り出してくれたレックスに抱きつく。


「レックス、ありがとう」


「エリー様……」


「エリーで良い。夫婦なのだから言葉も雑で良い」


「は……うん。今日はどうする?」


「酒場に行こう!」


 レックスの手を引いて、いつもと同じ抜け道を使い城から抜け出す。


 裏口から出ると衛兵はいつものように敬礼をして送り出してくれた。


 徐々に狭まる薄暗い道を走ると酒場にはすぐに付いた。


 ドアを一気に開くと皆が私の方を見る。


「あれ? 婚約破棄でもされたのか?」


 おじさんが開口一番、冗談を飛ばしてくる。本当にそうだったら不敬罪でしょっぴいているところだ。


 壁の陰からレックスを引っ張り出し、私の隣にこさせて腕を組む。


「残念! 無事に結婚しましたぁ! でもこれからも来られるの! さ、飲みましょ!」


 酒場の中から野太い声援が送られてきて、店の真ん中に通される。私の特等席だ。


 次々に来る人来る人と乾杯をして、ワインを一口含む。美味い。この国のワインは最高だ。


「レックスも飲んでぇ! ほらほら!」


「あ……いや、僕は下戸なので……」


 そう言って断るレックスにワインを注ぐと目を瞑って一気に飲む。


「あれ……美味い! エリー、このワイン美味しいね!」


 そう言って嬉しそうに飲んでいたのも束の間、レックスは本当に飲めない体質らしく、その場で倒れてしまった。


 結局、私一人ではレックスを担げないので、王城から迎えを呼ぶことになり、しばらくは部屋で謹慎する事になったのだった。

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