第九話 飲食店経営のディープスポット

 親方は、鮗に飾り包丁を入れ、切り身を撚ることにより表皮のてかりを強調させる。善幸は親方の狙いを見破った。

 鮮度の良い状態で下拵えしているという証拠を、常連客に見せびらかそうとしているのだ。

 それにしても、親方の鮗に対する半端ない手間の掛け方に愕いてしまった。好き嫌いは別として、碧い大皿に盛り付けられた鮗は逸品に見えた。それと比べて、マグロやサーモンなんて、入荷した状態のままの柵を引き、刺し身にするだけだった。


 親方は、酒井のおばちゃんに「ヤリイカのげそを焼いてくれ」と指示を出した。おばちゃんは、ゲソを洗いペーパータオルで水気を取ると、赤くなるまで熱した網の上で、焦げ目がつく程度にサッと炙った。その後、用意しておいた氷水にジュッと浸けた。熱が取れると、またやさしく水気を取って親方に渡した。

 確か、お客さんは、細魚の他に三~四品を盛り合わせてくれ、と言っていたはずだ。親方は、細魚、ヒラメ、鮗、マグロ、サーモン、ヤリイカで六品を盛っていた。

 善幸は、親方の聞き間違えではないかと思い、訊いてみた。


「親方、お客さんは細魚の他に三、四品って言ってましたよね?」


「確かに、そう聞こえたな……」


 注文を受けた未華子が、親方にそう伝えたのを自分も聞いている。訊いても親方がはっきりと答えない時は何かあるな、善幸はそう思うことにしている。


 謎解きをしながら、善幸は、一つまた一つ親方の癖と謀を見抜いていく愉しさを感じられるようになった。


「あいよおーっ」親方が未華子に声を掛ける。


 未華子は、大切そうに盛皿を抱えて、お客さんのところへ運んでいった。


「お待たせしましたあー」


 三人の常連さんは、大葉、花穂、菊花それに紅蓼のあしらいを施した盛皿を目の当たりにし、

 おおーっ、豪勢だねえ~/盛り付けが綺麗なんだよなあ、この店の親方は……/まーた 何やら我々を悦ばせようと品数を多めにのっけてくれてるよ/ホントだ、このげそはサービスかな?/おーい、よく見ろよ、げそだけじゃなく、他もサービスしてくれてるぞ。だってこの盛り、三人前じゃないだろ?/そうだよな、五人前はある。それにしても、この盛皿は芸術品だ。旨そうに見えるよなあ~/おい、親方に失礼だぞ、旨いんだよっ


 などと口々にお褒めの言葉を並べ立てていた。


 未華子は、「親方の気持ちが入ってますから……」と、接客する者として申し分のない受け答えをした。


「なんかいつも悪いねえ。でも、歓送迎会や忘年会、それに新年会でもまた使わせてもらうからさ。親方に宜しく言っておいてよね」


「わかりました。いつも御贔屓にして頂きありがとうございます」未華子は、深々とお辞儀をした。


「ところで、未華子ちゃんって、専門学校に通ってるって前に聞いたことあるけど、なんの専門学校なの?」と、二人の部下だと思われる四十代の男が訊いてきた。

 この常連さんたちは、店に来るときは大概仕事帰りだった。それも午後六時前後の早い時間帯。親方や酒井のおばちゃんが、未華子! 未華子ちゃん、と呼んでいるので、名前を覚えてしまったのだろう。


「医療事務の専門学校に通ってます。就職率が良いと思って入学したんですけど、先輩たちの話を聞くと、実情は厳しいみたいです」


「そうなんだあ。仕事場は家から近い方が良いだろうし、更に条件を重ねて行けばどんどん狭まっていくからねえ」


 他の客はいなかったので、善幸はその話に耳を傾けていた。さっき親方が言った「確かに、そう聞こえたな……」は、どういう意味だったのか、常連さんたちが旨そうに食しているのを覗き見しながら考えている。客の注文は細魚を含めると四、五品で、親方が皿に盛り付けたのは六品。それに、遊び心で添えたイカゲソの暴れ具合も客を喜ばせている。三人前にしては随分と豪勢な盛皿だった。


 善幸は、客の話から親方の狙いを推察してみる――常連さんは、未華子が〝自慢気〟に置いた盛皿を見て、「歓送迎会や忘年会、それに新年会でまた使わせてもらうよ」と言ってくれたのだから、確かにこのサービスがしっかりと営業したことになっている。そういうことだったのかあ、とまた一つ理解を深めることができた。が、待てよ、接客も……。未華子も一役買ったってことか? 連携プレーだったって? やるのお、と熱い視線を未華子に投げてやった。


「親方さ、会社帰りに寄ってくれるあんな常連さんが増えてくれるといいんだけどねえ」酒井のおばちゃんが、旨そうに食べている常連さんを見つめながら言った。

 おばちゃんはいつも売り上げのことを心配してくれているのだ。


「早い時間帯から店に客がいると、客が客を呼び込むからなあ」


 善幸は、二人の会話を聞いて思った。(確かに客が入っていれば、店の前を行き交う人も、座卓にのっている豪勢な盛皿を見て、今度入ってみようと思うだろうな)


 善幸は、常連さんが仕事の話をしながら飲んでいるのをぼんやりと眺めていたら、通行人が窓越しに店内を覗いていった。


 確かに、淡い暮れ方から座敷で胡座をかき男三人が飲んでいる光景って目を引くもの。羨ましく感じるだろう。また、食べている料理も気になるもので、卓の上に目を落とせば鮮度を光らせ彩り豊かな盛皿がデンッと真ん中にある。善幸は、親方の描いた推理小説『客寄せの謀』の中枢となる謎解きを試みようとしていた。


 遂に、善幸は、大きなハメ殺し窓を設置した理由、それは言わずもがなではあるが、もう一つ、小上がりを通り沿いに据え付けた理由を解明することができた。

 客は、テーブル席より座敷で食事をした方が落ち着く。ということは長居をすることになるから、注文も増えていくことになるだろう。また、その理由と関連付けて〝親方のサービス営業〟とは別な〝盛り合せの謀〟を解明した。

 いくら常連客とは言え、三人前の刺し身の盛り合わせを親方が五人前の盛皿に仕上げるのは店の経営上毎回はできないなずだ。だが、親方からはそれを気にする素振りは見られなかった。何か理由があるはずだ……。

 そうかっ、通行人に季節感を抱かせるためのショーウィンドウ的役割! 善幸の瞳がキラリと光った。


「どうした善幸、何か問題でもあったのか?」親方は、怪訝そうに店内を眺めている善幸に訊いた。訊きながらも、親方の手は止まることはなかった。


 矢庭に、善幸が、「細魚って、昔から食べられてた魚なんですかね?」と尋ねた。


「何でだ?」


「手間ばかりかかってボリュームのない魚だから」


 善幸は、冬が旬で食べ応えのある魚は他にもいっぱいあるだろう、なぜそっちを使わない、と言いたかったのだ。


 親方は、引き攣った笑いが収まると、呼吸を整えて、


「そうか、細いから捌くのが大変そうに見えたか?」そう言うと、今度は静かな笑みを浮かべている。善幸は、親方の癖である何でもお見通しだ、と言わんばかりの含み笑いが好きだった。親方がまた謀を投げてきたなと思い、それを解く毎に親しみが増していく。通常、仕事をしている時の親方は無表情だった。


「善幸、最初は大変そうだなあ……と思うことでも、実際手を下してみると、然程大したことじゃなかった、なんてこともあったりする。逆に、こんなの簡単だ、そう思ってやってみると、えらく厄介だったり、場合によっては出来なかった、なんてことも多いしな。だからよ、やりもしないうちから、あーだこーだ考えるのはよせ。先ず、やってみることだ。慣れるまで続けてみることだ。慣れてしまえば、こっちのもの。それにな、相手のことを想いながらやることってーのは、取るに足らない労力の打算的な考えなんてもんは消えてしまうし、大変だなんて感じなくなるものなんだよ。これって、料理人として持ち合わせていなきゃいけない側面なんじゃないか?」


 善幸は黙って聞いている……。


「でも、それは料理人に限らないことだ。大袈裟に言えば、商売上、また生きて行く上で、大切な心構えの一つなのかもしれないぞ。おまえには、まだそれを理解するのは無理かもしれん。でもまあ、その内わかるようになるさ。というか、早くわかるようになってもらわないと困るけどな」


 善幸は、下を向いてしまった。


「善幸、やってみたいのか?」


 善幸はドキッとした。魚を触らせてくれるって? しかし、躊躇ってしまった。細長い魚なので捌くのが難しそうだからだ。まだ鯵の方が見慣れているし扱いやすいと思った。でも、たった今「先ず慣れるまで続けてみることだ」と言われた以上、やるしかない。そう思いながらも、善幸は返事ができないでいた。


 鯵は食味の良い魚で、善幸が働き始めてから仕入れが途切れたことがない。この魚には旬ってないのだろうか。もしかして、養殖ではないのかと善幸は訝しんでいた。先月だったか、親方に訊いてみたことがある。すると「おまえ、養殖だと思ってたのか? へえ~」それ以上は答えてくれなかった。この返事で、養殖は使ってないということは分かったけれど「へえ~」はどういう意味なのだろうか、と考えてしまった。


 時々賄いとして親方が作ってくれる鯵のタタキは善幸の好物となっていた。でも、自分から細魚じゃなく、先に鯵をやらせてほしいなどとは言えないし、また折角のチャンスを逃すわけにもいかない。


 親方は、手を動かしながら、〝やりたいのかやりたくないのか〟その返事を待ってくれているように思えた。


 思い巡らした末、「やらせてくれるんですか?」と訊いてみた。


「但し、これから包丁は自分で研げ、いいな」


 条件付きだった。これまで、親方に包丁を研げとは一度も言われたことがなかったのだ。


 毎朝、店に来ると、既に親方は煮付けと蒸し物用の魚の下処理をしていた。カレイ、甘鯛にカサゴ……。一体、親方は朝何時に店に入っているのだろう。「おはようございます」と善幸が挨拶をすると、いつも「おぅ……」と、元気のない返事がかえってくる。善幸が調理白衣に着替えて厨房に入ると、まな板の上には、包丁二本が既に列べてあった。善幸が来る前に研いでくれていたのだ。

 善幸は、それを当然のことと思い、気に留めたことはなかった。食材を切れの良い包丁で扱うのは当たり前で、比較したことはないが、それによって味も見た目も違うのだろうとは思っていたが……。


 親方は、暇さえあれば刃渡りの違う七本の包丁を砥石に擦りつけていた。


 研げもしないのに「わかりました」と返事をしてしまった善幸だったが、頭の中では包丁研ぎなんて後でいい、それより先に魚の捌き方を覚えたいという気持ちの方が強かった。

 そこで、善幸は考えた。捌きにくそうな細魚の三枚下ろしを習熟すれば占めたもの。その流れで、「今度は鰹をやらせて下さい」と、一応親方に一言断りを入れ、有無を言わさず鰹の尻尾を掴み、ドンッとまな板の上に乗せて、グサッと出刃の切っ先を胸鰭の下から突き刺してやるのだ。ここは強引に事を運んでいけば、親方でも「ま、いっか……」と、渋々やらせてくれるのではないか、そんな思惑が頭をよぎった。

 なんせ、鰹を捌く時の親方の身体と出刃包丁の一体感がイケてて、和の料理人として輝いて見えた。だから、善幸は早く鰹を捌けるようになりたかったのだ。


 ところが、鰹は二週間前から入荷量が激減し、三日前から一本も入ってこなくなってしまった。これでは捌こうにも捌けない。初鰹が入荷して来る春先まで待つしかなかった。  

 それにしても、旬が過ぎたからといって、鰹は忽然と何処へ行ってしまったというのか。頭を傾げてしまった。神隠し? ふと思い浮かんだインカ帝国の遺跡『マチュピチュ』、住人が雲隠れしたかのように去って行った背景には一体何があったと言うのだろう。

 善幸は、春先の初鰹が入荷してくるまでの三ヶ月間で、細魚だけでなく鯵や今が旬の三陸沖の寒サバも手際よく捌けるようになっておこうと思った。欲を言えばヒラメ、穴子以外全部だ。いくらなんでも捌き方の全く違う魚までは欲張り過ぎだろう。


 こんなふうに、善幸は、商店街に街路樹として植えられている桜が芽吹く前に目星をつけた魚に触れておくという目標を立てた。やる気を親方に見せつけることにもなる。一石二鳥、善幸の背中が熱くなった。(俺は和食料理人になる!)そう決心したのは、この時だったような気がする。 


 そろそろ米がなくなりそうだ。注文しとかなきゃいけない。それに小上がりの畳も年末までに替えておいた方がいいだろう。椅子とテーブルもワニスでも塗れば綺麗になるんじゃないか、自分でできないだろうか……。善幸は経営者にでもなったつもりで考える。

 また、今日入荷した魚を全て掃き出せるだろうか、足りなくはないかの検討をつけてみる。鮮度が売りの店だから、鮮魚に限らず食材を余らせてしまうことが一番のロス。それに、表裏の関係で、品切れは原価を押し上げることと一緒だった。

 飛躍し過ぎかもしれないが、魚を捌いてみたいのか、と親方に言われたことが切っ掛けで店の切り盛りまで任されたような気分になってしまった。


 親方は、ぽーっとしている善幸を、ほったらかしにしていた。が、待ちきれず「ほら、善幸、やってみな。やりたくないのか?」と急かしてきた。思わぬお言葉で、善幸は我に返った。


「やらせてください!」と、やる気を示した。


 親方は、今持っている小ぶりの出刃包丁を善幸に手渡した。善幸は、いつも野菜切りで使っている薄刃包丁と、手渡された出刃包丁を見比べている。


「これはな、本当はこれくらいあったんだ。使いはじめて……そうだなあ、おまえの年齢をそろそろ越えるかな」


 親方は、人差し指で、包丁の切っ先より五センチ長いところを示した。


「ということは、二十三年で五センチ……」


「そうだ。野菜をこの三ヶ月間無心に切ってきたから分かるだろう? 包丁が切れなければいい仕事は出来ない。これってな、料理人に限らないんだよ。どんな職人でも、道具を見ればその人の腕が分かってしまうんだ。誤魔化せない。取り組む姿勢さえ道具に現れてしまう、怖いくらいにな。だから、職人は言葉じゃないんだ」


 善幸は、道具のことなんて頭になかった。況してや自分で包丁を買おうだなんて思ったこともない。いつも、まな板の上には切れる包丁がのっかっていたのだ。


「おまえは、どうして料理職人になろうと思ったんだ?」


 虚を突かれた思いがした。志を持って来たわけではなかった。興味本位でちょっくら覗いてみただけ……。善幸は、渡された出刃包丁を見つづけるしかなかった。


「初心を忘れてはダメだ。この先、その想いを腕に託して、只管お客さんに伝えていけばいいんだよ。そう思いつづける強い気持ちが一番大事なんだ」


 親方の目をちらっと見て、また俯いた。善幸は、凄く重たいものを手渡されたような気がしてならなかった。


「嘘や誤魔化しの出来ない世界。だからいいのかもしれない。善幸、おまえに合ってるといいなあ……」


 親方は目を細めた。


 傍らで、酒井のおばちゃんと未華子がこの会話を聞いていた。おばちゃんが、善幸の肩をポンッと叩く。未華子は、胸の位置で拳を二つ作って善幸を見つめている……。


 二人とも、俯いている善幸を満面の笑みで励ましてくれていたのだ。

                                ―つづく―


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