第八話 料理人の心

 所々〝白い砂浜〟が描かれた碧い盛皿には、人数分の細魚たちが脚のパーツモデルになったつもりで、銀ラメのストッキングを脱ぎもせず、脚を組んだポージングを惜しげもなく晒していた。

 何もせずにいる善幸だったが、親方に「なに突っ立ってんだ、手を動かせ!」とは言われなかった。不思議と、今まで一度も言われたことがない。


 親方は、一時間前に捌いたヒラメの柵をそぎ切りにした。それの盛皿の置きどころを定めると、隣の細魚に触れては失礼かと気を使い、三枚の青葉を敷き込んでいる。半透明に引かれたヒラメを束ね合わせながら巻いていくと、花と化した。真っ白な山茶花に見える。

 この時期、白い花と言えば、実家の庭に毎年咲いている山茶花しか思い浮かばなかった。果たして、親方はその花に見立てたのだろうか……。


 花一つで、一人前はゆうにあった。それが三つ大皿に落とされた。しかし、二品だけでは大皿は埋め尽くせない。次に出てきたのが、親方が早朝から下拵えしていた鮗の昆布〆だった。それを見て、善幸は、「おっと、気持ち悪っ、こんなの勘弁してくれよぉ」と思ってしまった。今日帰るときに、「日本酒に合うから、喰ってみろ」と渡されそうだ。鮗の昆布〆なんか、多分冷蔵庫の中に入れっぱなしになるだろう。

 でも、きっと親方は訊いてくる。


「善幸、どうだった、鮗の昆布〆は?」と。


 もしそうなった場合のために、一切れだけでも味見をしておかなければならない。けれど、忌み嫌うのは味ではないのだ。鮗の背には、不気味に光る濃淡の黒い斑紋模様があった。それが盛皿の上で、(へへ、どうだあ?)と云わんばかりの不気味な肢体模様を光らせている。とりわけ、半身を長角に切り井桁に編み込んだ姿を見たら、善幸が高校生の頃に偶々見たテレビ番組のある衝撃的なシーンを思い起こしてしまった。


 それは、アマゾン川上流の前人未到の地へ行き、調査隊が未知なる生物を探索するというドキュメンタリー番組だった。



【川底と密林の虚実】 ― 共食いは頭から ―

 テレビの前で、善幸はCMが終わるのを待っていた――。

 冒頭、ナレーションがテロップ付きで流れてきた。早速、何かが起こりそうな予感……。のっけからスリルを感じさせた。    


 調査隊の白人二人と現地案内役一人で、中型のボートから船外機付きのカヌーに乗り換え、更に川幅の狭い上流へと進んで行く。おっと、もう一人、忘れてはならない同行者がいる。カメラマンだ。彼は、後方から今回の探索ドキュメンタリー番組を息を呑むような、それでいてストーリー性のある映像に仕上げなければならないという任務を負っていた――。


 映像がいきなり切り替わった。

 赤黒い曇天が、画面いっぱいに広がっている。まるで、ここからがスタートだと言わんばかりの映像の切り替えに驚かされる。

 カメラマンは、アマゾンには晴天など似つかわしくないと考えたようだ。反日常的空間を感じさせている。ここから、レンズの目線は音を立てないようにゆっくりと下りていった。


 すると、空へ向かって競うように伸びている高木の先端が顔を覗かせた。

 善幸は、自分がカメラマンになったつもりで、画面を食い入るように見ている。

  

 ……可笑しい、まだ音が聞こえてこない。現場が非日常であるという効果を、過度に醸し出そうと編集で音声をカットしてしまったのだろうか――。と思いきや、突然森閑を破り、キィーッと悲鳴なのか威嚇声なのか、何某かの動物の鳴き声が響き渡った。

 善幸はきっと猿だと思った。その姿は見慣れたニホンザルなどではない。きっと筋骨隆々の毛が逆立っている猿だ、と判断した。


 この頃、善幸は、高校の文化祭で各クラス毎に発表することになっている二十分間の映画の編集を担当していた。実行委員のメンバーが決めた今年のテーマは【日常生活の中で遭遇した驚き】だった。善幸は、その〝驚き〟をどのように編集したら効果的に観客へ伝えることができるのだろうと模索しているところだった。 

 なので、今、偶々見ているドキュメンタリー番組の映像を追っている目は、一般視聴者のそれとは異なっていた。

 夜の七時だというのに、家にはまだ誰も帰ってきてはいない。両親は共稼ぎで、腹が減ったら適当に冷蔵庫の中の物を喰ってろ、と母親から言われていた。しかし、空腹より、この映像の行方が気になって仕方がない。予想だにしない映像に、善幸は引き込まれていった。

 周囲を見回しながら、船尾で音も立てずに漕いで行く案内役の現地人……。

 濃いコーヒーにミルクをちょろっと垂らした色の川面なので、頗る透明度が悪い。画面を見ていたら、テロップで「スクリューに水草が絡まないように船外機は止めている」と流れた。ちょっと待てよ、そのテロップの後に「極力音を立てないように……」、これを忘れてやしないか? その方が、探索隊と密林とのやり取

りの状況を視聴者へ的確に伝えられるはずだ、などとプロの編集者になった気分でいた。

 ソファに座っている善幸は、ドンッと両足をガラステーブルの上にのっけた。


 川面の流れは止まっているように見えた。けれど、様子がどうも変だ。川底では新種の大鯰が縄張り争いをしているかのように思えてならない。なぜなら、所々湧き水の如く川面が突き上げられていたからだ。だが、そのエネルギーは、アングル的には外連味のない流動で、ドラム式洗濯機のような縦方向の渦をランダムにあちらこちらで発生させていた。

 カメラマンがそこをズームアップしていくと、やっぱり今にも水面から飛び跳ね、その姿を現すのではないか、そんな只ならぬ様相を呈していた。

 そこへ、またテロップが流れてきた。〝南米アマゾンの熱帯雨林では、まだその存在を知られていない生物が三日に一回の割合で発見されている〟と。


 倒木と枯れ木が行く手を遮っていた。これ以上カヌーでも上流へは進めない。そう判断した調査隊の二人は、仕方なくカヌーから降りて密林の奥地へ進もうとしている。

 先ず、案内人が泥濘の中へ身を投じた。ズボッと膝上まで潜っ  てしまいバランスを崩すも枝を手繰りながら進んで行く。それに  続く調査隊の姿をカメラが追った。〝玄関〟の前で、ズボンにべっとりと付いた泥を手でしごくように拭うと、一行は未開地へと足を踏み入れて行った。


 腐葉土のクッションの所為で、小枝の折れる音がうるさい……。調査隊たちは気付かないのだろうか。映像を見ている善幸には、密林の主たちが突然やってきた余所者たちを、身を隠しながら覗き見しているように感じられるのだ。でも、音を消すような足取りでは陽が暮れてしまう。もたもたしてはいられないのだろう。

 遠くの方からしか聞こえてこない動物の鳴き声が不気味に響き渡っていた。


 今、木洩れ陽も許さない枝葉の折り重なる下で、案内人が、数メートル先にゴロンと横たわる苔の生えた太い倒木の辺りを見ている。その薄暗い茂みの中を、ヘルメットに付いているライトの光が交差する。調査隊の一人が案内人に先立ち近づいて行くと、鈍く光っているものを発見した。案内人もそこへゆっくりと進んで行った。

 それは、遠目からだと爬虫類のように見えた。が、蛇にしては姿態が歪だ。カメラマンがライトを照らすが、その光は散らかり過ぎてはっきり分からない。物体に更に近づいて行った案内人が〝来てみろ!〟と皆に手招きをした。枯葉で胴体は半分埋もれているのでわかりづらいが、その倒木に胴体を擦り寄せるように全長四~五メートルの蛇が画面に映し出された。歪な形をしていたので、案内人はそれを太めの倒木と見間違えてしまったようだ。

 カメラマンは、即座に探査隊の一人へカメラを向けた。その時の表情をとらえるためだ。

 そして、映像が後退りしていく。場面が切り替わり、カメラは〝被写体〟へ向けられた。


 映り出された画面から、それは大蛇が一匹……ではなかった。二匹だったのだ。蟻の通り道を避けてのお食事中ということか。ゆっくりとカメラマンはその様子をズームアップしていった。


 なんと、頭から飲み込んでる方の蛇は、餌食となった蛇の胴体を五分の三まで飲み込んでいたのだ。


  善幸は目を疑った。なんという光景なのだろう! 生唾を飲み込むと、手を喉元に当ててしまった。食されている方の蛇が苦し紛れにやっていることとは――。

 それは、相手の首にマフラーを巻いているかのようにクルクルッと二、三周巻きつけている光景だった。間違っても懇な関係などではない。しかし、締め上げれば、食されている蛇も、相手の口から出てこれなくなる。この体勢って、どっちが苦しいのだろうと一瞬考えたが、当然ながら頭から飲み込まれている蛇の方が苦しいに決まっている。

 飲み込んでいる蛇は無表情だった。トカゲのように瞼がないから、戦いに勝って満足しているのか、久々の食事にありつけてホッとしているのかは見分けがつかなかった。 

 もしかしたら、それどころではなくて勝負がついた現時点で結構な体力を消耗し、疲れを癒しながらゆっくりと飲み込んでいるところなのかもしれない。いやいや、相手がまだ動いている以上、気が抜けぬと思い、すべて飲み込むまで必死なのかも。などと、善幸は頭の中で考えていた……。


 食されている方の蛇は、まだ諦めずに戦っていた。その姿は、胴体をダラーンと伸ばし食している蛇より目を引いた。感情的には(何とかして相手の口から抜け出ろ、早くっ!)と声援を送りたくなる。もし食されている方の姿態が真っ直ぐであったら、寂光の中で油が滲み出ている備長炭のよう……。しかし、相手に巻き付き微妙な動きと連動して黒光りを放っているその姿には、まだ躍動感があった。尚も相手の胴体を締め上げようとしているからだ。そんな様子を、カメラマンはじわじわとトラックバックさせていった。


 なるほどねえ~、善幸は、この時、二色刷りから多色刷りの愕きへと移行させる映像テクニックを学んだ。それは、ズームアップされた映像から、適当な間を取った後に素早くトラックバックさせ、二つの被写体が一体となって認知できる映像のインパクトだった。


 編集によってそこからの映像は早送りされていて、ズルズルと一本の饂飩を啜り切るように完全に飲み込んでしまった蛇を見て、善幸は思った。(太さは兎も角、もし飲み込んでいる蛇より飲み込まれている蛇の方が体長が長かったとしたら? 最後まで飲み込めず口から尻尾が出たままになるはずだ。消化されるまで、擬する黒光りしたぶっとい舌先が出っぱなし状態になってしまう。いつまでその尻尾は動いているのだろう……)と。

 味わうこともなく貪欲に飲み込んでしまった蛇の姿態は、秀でた臭覚と俊敏な動作で仕留めたことを誇示しているかのように思えた。動かないのか動けないのか、段々倒木にみえてきてしまった。


 肉食獣のような血まみれの戦いの痕跡は見受けられなかった。骨を砕くような音も聞こえず、現存する獲物を魔法を使って静かにこの世から消え去ってしまったのだ。丸飲みという食事作法は、肉食獣のように噛みちぎるのではないから多量の血で辺りを汚したりはしない。コバエも集らないし腐臭もない。食した後は、骨どころか全てが消えて無くなるのだ。食事作法としてはもっとも麗しいスタイルではないだろうか。食するための容赦しない蛇の共喰い……。なるほど~、双方にとって、一番飲み込みやすい獲物なのかもしれない。そう考えたら、暫くの間、身震いが止まらなくなった。


 捕食し終え、倍に膨らんだ蛇の表皮を改めて見てみると、鱗が全体を銀色にテカらせていて、それが黒い無数の斑紋が消えないように保護の役割を果たしているかのように思える。腹の部分は、魚と同じように黄色っぽく見え、脂のノリの良さを感じさせた。それらは、人工では決して作れない自然界の神秘の色彩といっていいのではないだろうか。 

 衝撃的でグロテスクではあったが、この映像は知らない世界を教えてくれた。この後も見続ければ、きっと息を呑むような映像が出てくるのだろう。しかし、善幸はテレビの電源を切った。



 これが、善幸が鮗を口にすることが出来ない理由だった。だから、皮付きで食す鮗を飲み込むことなど出来るはずがないのだ。

                                ― つづく―

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