第202話 アッシュの訪問

 きゃーきゃーと黄色い悲鳴が廊下側の壁から聞こえてきたかと思うと、扉が開かれ一斉にそのうるさい女性徒の声が響き渡る。


「ごめんよ。ごめんよちょっといいかな?」


 そして扉を開けた本人、アッシュ・フォン・ガルデニアが女性徒たちにもみくちゃにされていたが、くぐりぬけるようにして部屋に入り、扉を閉じる。


「———ふぅ! 大変だな」


 扉を背中で抑えながら肩をすくめ、アッシュは乱れた髪を手櫛で治す。


「そりゃあ、兄上がいきなり学園に来たらああもなりますよ。次期国王と目されていて、現在の王子の中で一番人気があるのは兄上なのですから」


 困った人だと言いたげな視線をアリシアはアッシュに向け続ける。


「アリシアもいつもああいう目に合っているのかい?」


 貴族服の襟を正しながらぐるりと長机を避けるように歩き、アッシュは俺を見据えながらアリシアの言葉に応える。


「ボクは……ずっとこの学園にいますし、最初こそ騒がれましたが。今ではもうすっかり」

「そうか。羨ましい。普通に扱ってもらえるんだね。僕もこの学園に来ようかな? どうだい、シリウス。僕もこの学園に転入してもいいかな?」

「好きにするがいい」


 と、適当に答えるとアリシアがムッと唇を尖らせた。


「師匠も兄上も、そんな出来るわけないことを言わないでください。兄上はもうすでに二十歳。とっくに卒業している歳です」


 そうだったのか……こいつシリウスより年上だったのか……。

 てっきり同い年ぐらいだと思っていたが……。


「そう、だから君たちが本当に羨ましい。毎日同い年ぐらいの少年少女と楽しそうに戯れることができて……僕にはそういう時代はなかったから……」


 寂しそうに窓の外を見つめる。

 そこには生徒たちが授業中に模擬戦をしたり、放課後に部活動をしたりするときに使われるグラウンドが広がっていた。


「で、アッシュ王子。今日来た本題は何だ? ただ女性徒の注目を集めてちやほやされるために来たわけではあるまい?」


 急かすとアッシュは、俺を見つめてニッと笑った。


「わかっているだろう?」

「グレイヴ・タルラントのことか?」

「ああ、古代都市ゼブルニアへの入り口が謎の黒い泥で塞がっていた。調べてみるとアレは魔吸土まきゅうどと呼ばれる魔力の高い土地で見られる特殊な土であることがわかり、あれに触れると命を失うという記録もある。だから下手に近づくこともできないが、あそこから外に出た形跡あるのは五人だけ。そしてその五人の身元は全て地下通路の見張りの二人の兵士が証言している。シリウス、君たちのことだ」

「…………」


 まぁ、すぐにばれるよな……ここまで速いとは思わなかったが。


「ああ、オレがグレイヴ・タルラントを倒してきた。だから、貴様が頼んでいた『第二回モンスターハント大会』は中止だ。もう奴の脅威は去った」

「そう、ありがとうシリウス。君のおかげで誰にも被害が出ずに済んだ」

「当たり前だ。老人一人を片付けることなど、全校生徒を動員して大げさにやるものでもない。とっととオレ一人で何とかするわ」

「一人ではなかったみたいだったけどね。ナミ・オフィリアと、ロザリオ・ゴードンと……あとはまぁ、そんなことはどうでもいい。第一王子として今回のことお礼を言っておきたいと思ってね。多少のリスクを払うつもりだったが、結果としてベストの形で今回の件を終えることができた。なにせグレイヴ・タルラントのことは今の国王、父上にとってはもっとも国民に知られたくないことだったからね」


 グレイヴが現ジグワール国王に暗殺されかけて、王位を簒奪された人間であるということは、知られてはいけない事実だろう。

 ならばもしも、アッシュの要請に従い『第二回モンスターハント大会』を開催し、この学園の一般生徒にグレイヴが前国王だと知られたら、アッシュはどうするつもりだったのだろうか?

 もしかしたら———と思うとこの笑顔の下に腹黒いものが隠されているように感じて来る。


「ところでシリウス」

「何だ?」

「君はあの地下都市で、誰かに会ったかい?」

「…………?」


 いや、会ったには会ったが……どういう意味だ? 


「グレイヴと魔王の複製体に会ったぞ。当たり前だろう?」


 アッシュの言葉の文脈がよくわからない。

 たった今、それを倒してきたばかりだと話しただろう。

 だが、アッシュは———、


「そう……他には?」

「他?」


「そう例えば……他の〝魔族〟とか?」


 ———他の、魔族。


 アッシュは変わらず、感情の読み取れない笑顔を張り付けたままだった……。

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