第143話 おもしれー男

 空気がピリついた。


「………ビッチですか? わたくしがそうアリシア王女を呼んだと?」


 とりあえずすっとぼけてみた。

 兄である王子に、妹である王女のことを一貴族が売女ばいた呼ばわりしているなどと知られてしまえば、下手をすれば打ち首だ。


「呼んでいただろう? シリウス・オセロット。第三王女であるアリシアをビッチ呼ばわりするなんて、随分と不敬なことをするじゃあないか」


 静かに言うが、どこか威圧感を感じさせるもの言いだ。

 表情は和やかに笑っているように見えるが、これ……怒っていないか?


「…………ハァ、その通りです。わたくしはあなたの妹であるアリシア王女を先ほど〝ビッチ〟と呼びました」


 まぁ、もう仕方がない。

 これ以上は誤魔化しきれないし、覚悟を決めよう。

 王女を侮辱した罪で処刑されるなんて格好はつかないが、俺の身体の中には魔王がいる。それが引き金に何か悲劇が起こりそうな気もする。

 ならばこのシリウス・オセロットは死んだほうがいい。

 いつかは死ななければいけないのだから、腹をくくってここで殺されてしまおう。


「だが、それはあなたの妹、アリシアが「呼べ」と強制してくるから呼んでいるに過ぎない。あの娘はそれをあだ名だと勘違いまでしている———」


 そう思い、思った通りの言葉をそのまま口にする。


「———第一王子アッシュ様。お言葉ですが、あなたたちの教育はどうなっているのだ? あのアリシア王女は無邪気すぎる。このオレ、シリウス・オセロットはただの貴族であるのに、そのオレに対して平気で抱き着いて着たり、〝師匠〟と慕ってきたり、警戒心がなさすぎる。もしもあなたがアリシアを〝ビッチ〟と呼んだことで気分を害したのなら、アリシアにちゃんと言い聞かせるのが先ではないか?」


 一言も謝りもせずに口答え。

 こんなことをしたらアッシュ王子は激怒するだろう。

 そう思ったが———、


「フフフ……アハハハハ……ッ! アハハハハハ、やっぱり面白い男だ。君は」


 思いっきり笑い飛ばされた。


「アッシュ王子?」


 あっけにとられる。

 王子はそんなに可笑しかったのか、目に涙を浮かべ、指先で拭っていた。


「いやぁ……王女をそう呼ぶなんて……クックック、そんな口の利き方ができる人間なんていないよ。流石はシリウス・オセロット。妹から聞いていた通り、傲岸不遜なもの言いだ」

「怒らないのですか?」

「怒らないよ。敬語も使わなくていい。いつも通りの君でいいよ。そっちのほうが僕は好みだ」

「……ならば、そうさせてもらおう」


 アッシュ王子の言葉にしがたい、口調を崩す。

 まるで冒険漫画の冒頭のシーンだ。生意気な主人公が王様に対してタメ口を利いて、周りが無礼だと騒ぎ立てるが、王本人が「面白い」と言って許す。

 そんな展開は実際にはありはしないと思っていた。


「王室には表面は丁寧だけど、腹の内では何を考えているかわかったものじゃあないからね。君のようにあけすけな態度をとる人間の方が新鮮で、親しみを持てるんだよ」


 アッシュは肩をすくめる。


「そうか……では、オレを呼び出したのは妹のことをビッチと呼んだことではないのか? てっきりオレに態度を改めろと忠告しに来たのだと思ったぞ」

「違う、その逆だよ」


 アッシュは首を振った後、表情を変える。 

 その顔に憂いを帯びさせ、俺を呼び出した真意を話す。


「アリシアの支えになって欲しいんだ」

「支え?」

「あのは、この世界では珍しい、生まれつき魔法が使えない少女だ。別の力は使えるから、騎士学園に入れさせられているけど」


 創王気のことか。

 それは実は王家の秘密であるのか、アッシュは言いづらそうに言葉を濁らせた。


「ただやっぱり普通の魔法が使えないというのは、王族としてはかなりのディスアドバンテージだ。王族というのは人の上に立つべくして立つ人間だ。その人間には完璧が求められる。アリシアは生まれつき完璧ではない。だから、そういった体裁を気にする人間から非常に、非情な攻撃をされる。その攻撃にさらされ続ける。僕は君にそんなアリシアの支えになって欲しいんだ」

「……驚いた」

「ん?」

「王族の中にも、あなたみたいなまともな人間がいるのだな」


 俺の言葉を受けて、アッシュはまた笑う。


「ハハッ、「あなた」なんて呼ばなくていいよ……そのおかげで君の言葉遣いが変になっている。僕は君に感謝しているんだ。あの学園に通うまで、アリシアはあんなに無邪気に笑うような子じゃなかった。いつも下の兄妹たちにいじめられて俯いている女の子だった。だから、親愛の証しとして僕に対してもアリシアと同じような言葉遣いで接してくれていていい」


 アッシュが手をスッと伸ばす。

 握手を求められていた。


「—————ああ、アッシュよ。貴様の言葉通り、あの〝ビッチ〟の世話をこれから焼いてやろう」


 殺されるんじゃねぇかと内心思いながらも、アッシュの手へ向けてゆっくりと自らの手を伸ばす。


「ああ、よろしくお願いするよ。シリウス・オセロット」


 ニコリと微笑むアッシュ。

 その笑みに俺は安堵し、遠慮なく彼の手を握る。


「—————ッ!」


 ———瞬間、彼の目がクワッと見開かれた。


「……何か?」

「……いや……何でもないよ」


 そして、何事もなかったかのように手が放される。


「じゃあ、今後とも、よろしくお願いするよ。シリウス」


 そしてゆったりとした足取りで一歩、二歩と距離を取ると、俺の顔をじっと見つめながら体を捻り、背を向けようとする。


「ああ……」


 彼の去り様はまるで蛇の様だった。

 ねっとりとした、名残惜しそうな瞳を向けて、肩を回して背中を見せるが、ギリギリまで俺の姿を目に焼き付け、歩き出すまで顔を後ろに向けていた。

 そんな態度を取られたら、こちらは「何だ」と疑問を持ってしまう。

 始めは爽やかで清涼感のある態度だったのが、最後は少し粘着感のある視線を向けてきた。なんだか嫌らしい感じも受けた。男相手にこんな感情を抱くのは気持ち悪いが。

 まぁ、何か気のせいだろう。

 少なくとも彼は言葉の上ではアリシアのことを心配するいい兄貴だった。

 そのことを評価し、今後も会う機会があれば彼とはいい関係を築いていこう。

 そんな風に心の中で先ほどまでの出来事を整理していると、アッシュとすれ違うように父、ギガルトがやってきた。


「王への謁見の許可を貰った。準備しろ」


 すこし緊張した面持ちで、そう俺に言ってきた。

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