第106話 師匠らしいこと
アリシアの打ち込み修行は、この日の夜まで続いた。
ウォータースライム100体討伐はどこへやら、それよりもの優先事項ということで、ひたすら踏み込み足に魔力を集中させる歩法の練習に明け暮れていた。
最初はどうやっても下半身全体までにしか魔力を集めることができなかったが、練習を積み重ねていくにつれ徐々に左足一本に集中することができるようになってきた。
ドッと地面を蹴って、一秒程度で十メートルほど先へ辿り着く。その途中に地面をもう一度蹴って……、
ダメです、もう一度———!
ナミはそう言って、二歩使って辿り着いたアリシアをいなす。だが、一日でここまでできるのなら十分だと思った。
それからも———彼女は左足全体に
修行二日目とは、そんな一日だった———。
パチパチパチ…………!
夜中。
湖の畔のキャンプ地で俺は一人で焚火をしていた。
ぼんやりと燃える炎を見続ける。
「やることないな……」
ボソリと呟いてしまう。
この修行中、俺はただ見ているだけだ。見ていることしかできなかった。
元々、魔法の知識もないし剣術だって知らない。
そんな俺が修行の役に立てるわけがないとわかってはいるが、一応何かあった時のためについて来ていた。
もしかしたら強力な魔物が出るかもしれないし、コミュ障のナミが暴走してトラブルを起こすかもしれない———と。
だが、それは杞憂だった。
強力な魔物が出てきたら
だから———本当にこの修行期間中はやることがない。
ずっと偉そうに腕を組んで打ち合う二人を見続けているだけなので、体力も有り余っている。
だから———眠れない。
「間抜けな話だ……アリシアがあんなに頑張っているっていうのに……」
「今、ボクの名前を呼んだか……?」
テントの幕が開かれ、アリシアが中から出てくる。
「あ、すまない。起こしたか?」
「いや……全身が痛くて眠れなくて……」
そう言いながら、彼女は昼間に何度もぶつけた背中を抑えながら俺の元へと歩み寄り、対面に座った。
「師匠は、寝ずの番か? ここは『黄昏の森』だものな……何があるかわからないからな」
魔物避けなどの寝るための安全策は一応とってはいるが、万が一ということはある。
それに備えているのかと彼女は聞いてくるが、
「いや、単純に焚火を見たかっただけだ。
「プ……ッ、アハッ、アハハハハハ!」
アリシアが突然大笑いをする。
「何が可笑しい?」
「いや……師匠が……あのシリウス・オセロットが随分と可愛いことを言うじゃないかと思って……いつも厚顔不遜で唯我独尊な君が、暇で眠れないなんて……!」
「う、うるさい! 黙れ!
〝可愛い〟と言われたのが照れ臭く、そんな顔を見られないようにそむけてしまう。
だが、それが逆効果だったようで一層アリシアは大きな笑い声をだした。
その笑い声を聞いていると、内心俺まで楽しくなってきてはいたものの、頑張っていない自分に対する罪悪感が増し、申し訳ない気持ちが増してしまう。
だから、ぼそりと「すまんな……」という言葉を
「え?」
「
「そんな……! 別に気にすることじゃ……! それに修行する羽目になったのはボクの身から出た錆だし、師匠はそれに対して無理について来てもらった形だし……」
「そう言われればそうではある」
決闘騒動に発展した根本的な原因は、アリサとシリウスの婚約の話だ。
元々俺とアリサの問題だったはずなのをアリシアは勝手に自分の問題にすり替えたのだった。
それに、師匠と弟子という関係性もアリシアが一方的に決めつけてきたもので俺は一度も認めたことがない。
「そう考えれば、
「でも……できれば師匠らしいことをしてもらいたかったり、して……」
チラリと上目遣いで俺を見上げるアリシア。
何だか、少し可愛らしい目だ。子犬がなにか主人に期待しているような色の
「ロザリオから修行の話を持ち掛けられたとき、ちょっとワクワクしたんだ。師匠と二人っきりであの凄い戦い方を教えてもらえると思ったから。一週間付きっきりで……ようやく師匠らしいことをしてもらえると思ったりなんか……して」
チラチラと俺の顔色を窺ってくるアリシア。
「凄い戦い方?」
「あぁ……! なんかいつも凄いじゃないか。無詠唱で障壁魔法は常時展開。どんなに強力な魔法を向かって来ても、拳の一つで弾いてしまう。沼に沈んだ時も自分で
あぁ……ミハエル戦の時の事か。
ミハエルに罠にハメられて、沼に沈まされた。
だけど、その時も別の時もシリウスの魔力が強大だっただけだ。
拳を振るえば衝撃波を発し、岩をぶつけられても無傷で済む。そんな無敵のチート肉体を持っているだけなのだ。
「なぁ、師匠。コツを教えてくれよ! どうやったらあんなに凄いことができるんだ? あの強力なパンチの秘密を教えてくれよ」
そんなことを言われても———コツも何もただ単純に肉体が体内魔力が違うだけなのだが……、
「バーンとやるだけだ」
———こうとしか言いようがない。
「ばーん?」
やっぱりわからないか……わからないだろうな……。
明らかに不愉快そうに眉を潜めるアリシア。
「
「……それじゃあわからないぞ」
「わからなくていい。これは
「…………そうだね」
納得したようにアリシアは微笑んだ。
「ようやく師匠らしいことをしてくれたね」
「ん?」
「初めて―――君から〝教え〟を貰ったような気がするよ」
「たわけ。この程度のことを教えと受け止めるな。何の参考にもならんだろうが……」
そうは言いつつも、顔が赤くなることを止められず、アリシアに見られたくないと背を向けざるを得ないのだった。
◆
夜・オセロット邸———。
客間に二人の男女がいる。
赤いドレスを着た若い淑女と、顔に深いしわが刻まれた壮年の男性だ。
「お目に書かれて光栄です。ギガルト・オセロット様」
「こちらこそ。わざわざオフィリア家の方にお越しいただいて、恐悦至極」
アリサ・オフィリアとシリウスの父、ギガルト・オセロット。
燭台に明かりを灯しているが、暗い部屋の中。
成金らしい金の装飾が、わずかな光に照らされて反射する中、プロテスルカからの使者と魔導研究の第一人者が対談している。
「今回持っていただいた魔法石はありがたく我々の魔導機関で使わせていただきます。これからも魔導技術の発展のために支援してくださいますことを強く願います」
謝礼を言うギガルトだが、その口元に浮かべる笑みは嫌らしい。
何かを企んでいる笑み。
だが、目線は遠くを向いている。
対面しているアリサに意識は向いておらず、これからの自分の野望のことを考えている笑みだ。
「いえ、こちらも資金を頂けましたので……これで大量の武器と人を仕入れることができます」
「武器……人……ですか……そんなものを何に使うつもりで?」
旧敵であった国の使者であるアリサが、臆面もなく不穏なことを言うので、一応ギガルトは警戒心を強める。
「それはいろいろあります。具体的には言えません。国の思想が絡みますし、私
笑みを崩さないアリサから、ギガルトは感情を読み取ることはできない。
だが、そういう腹の内で何を考えているかわからない相手は、彼は嫌いじゃなかった。
「ところで、ウチの
「ええ。プロテスルカとガルデニアの国同士の結びつきを強めることは大事なことだと思いますが? そのために、有力貴族であるオフィリアとオセロット家が
「ふむ……」
ギガルトは背もたれに体を預け、どう答えたものかと考え込んでいると、アリサは言葉を待たずに続ける。
「まぁ———それは建前で、ガルデニア王国とお手々を繋ぎたいわけではなく、オセロット家と、ギガルト・オセロット様と仲良くなりたいという思想がありますけど」
アリサは声のトーンを一音下げた。
そして、口調こそ変えないものの先ほどまでの上品な、相手を敬っているような声色ではなく、友人と悪だくみしているような少しくぐもった声色に切り替える。
「———ほう?」
「このまま———、一地方領主で終わろうとは、思っておられないのでしょう?」
「……………」
「いろいろありますよね? ギガルト様の方にも、いろいろ―――ね?」
アリサの視線が真下に向けられる。
足元———そのはるか下、地下室でも透過して見ているかのような目。
オセロットの家にある、
「———面白い娘だ」
ギガルトは笑った。悪い悪い、悪役じみた笑みを———。
「よく言われます☆」
アリサも、笑顔を浮かべて返した。
どこか―――仮面じみた笑みを。
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