第35話 学園最強は友達が少ない。

 聖ブライトナイツ学園最強の女———〝剣聖王〟———ナミ・オフィリアはただならぬ気配を感じて目が覚めた。


 ぱっちりと目を開き、枕元に置いている刀をつかみ、テントの外に出る。


「…………」


 美しい黒髪と凛々しい瞳が月明かりに照らされる。引き締まった細い体つきでありながら、女性的な胸部や臀部ははっきりとしており、女性的な美しさを感じさせるプロポーションを持っていた。

 そんな彼女は張り詰めた空気を発しながら、ゆっくりと森へと近づいていく。

 ナミがモンスターハント大会で割り振られたのは第23班。その班員たちはテントの中で静かに眠っている。

 ナミはなるべく彼らを起さないように、足音を立てないように心掛けた。

 だが、何か……いる。

 森の中は木々で月明りが遮られていて、完全な闇が作り出されている。

 ———その闇の奥に何かがいる。


「…………!」


 ナミはゆっくりと刀を鞘から抜いた。

 魔物じゃない、人でもない。

 気配が———今まで感じたことがない。まるで違う、未知で異質な気配だ。


「———コンバンワ」


 森の闇の中から人間大のシルエットが現れる。


「…………?」


 人———か?

 相手は黒い影だった。そうとしか言いようがない謎の存在。

 全身が黒づくめでのっぺりとした真っ黒い、人間の影がそのまま受肉して歩いているかのような———黒影。


見辛みづらい…………」

「————?」


 黒影は、月明かりの元に姿をさらしてくれたが、輪郭が辛うじてわかるぐらいで、それでも真っ黒なやつの体は後ろの森の黒い闇に色が溶け込んでいて、非常にとらえづらい。

 ナミは目を細めなければ、そこにそれがいることを確認できない。すぐにでも見失いそうだった。


「———マァ、イイ。トツゼンデ、モウシワケナイ。ガ、ショウブシテ……モラウ」


 黒影は武器を持っていた。

 黒い棍棒だ。それを前に構え両手でしっかりと握り締めてギリリと音を鳴らす。


 ———剣士?


 片足を前に出して腰を落として、相手の正中線上に武器を合わせる構え。

 ナミが教えられた———剣の構えだ。

 武器は刃のない、太い棒にしか見えないが、あの存在の構えは明らかに剣の教えを受けた構えだった。


「———ガクエンサイキョウ。ケンセイオウ———ナミ・オフィリア……タオサセテモラウゾッ‼」


 黒い影が一気に距離を詰める。

 棍棒を振り上げ、ナミの頭蓋ずがいへ狙いを定め———、


「しぃ~……」


 ナミは———口元に人差し指を当て、逆の刀を持つ手を後ろにやり、居合斬りの構えを取った。

 そして、彼女は黒影を見つめ、目で〝静かに〟と訴えかけ……、


「…………ダメだよ。みんなが、起きちゃう」

「—————ッ⁉」


 その言葉を聞いた瞬間、黒影はビタッ!と全身の動きを止めた。 


 止めざるをえなかった———。 


 何故なら、黒影とナミの間の空気が〝斬られて〟いたのだから———。


 音も、風も、振られた刀の残影さえもない———いつ彼女が刀を振るったのかも認識できない。

 黒影はナミから目を一切離していなかった。

 だが、確実に彼女は自分の首、肩、足、その表面を撫でるように———切り裂いた。

 脅し、威嚇だ———。

 そして———。


「————ガアァ⁉」


 黒影の表面が——〝切れた〟。

 薄い布が切り裂かれるように黒い影の表面がぱっくりと割れて、首筋の———中身が見える。


 肌色だ。


 ———人?

 黒影の中に———人がいる?

 ナミは予想外のものが黒影の中にあり、更に目を凝らした。


「————ガァァ⁉」


 だが、黒影は正体を見抜かれるのを恐れた様に、慌てたように後退していき、森の中の闇に溶け込んでいった。


「…………誰だったの?」


 何が何だかわからず、ナミは首を傾げるしかない。


「今の鳴き声……何、魔物が出たの?」


 ごそりとテントの中からナミの班員である女性徒が眠そうな目をこすりながら顔を覗かせる。


「…………ッ!」


 起こしてしまった!

 もう少し静かに対処するべきだったとナミは慌てた。


「ヒッ……! オフィリアさん……⁉」

「…………ッ!」


 班員の女性徒はナミの姿を見た瞬間に怯えたような表情を浮かべた。

 そして、視線はナミが抜いている刀に向けられ、


「あ……もしかして、一人で魔物を狩っていたんですか……? そうですよね、私たちが弱くて、昼間は弱いモンスターしか狩れなかったですもんね」

「…………ッ⁉」


 違う違う、とナミは首を振るが、班員の女性徒は勝手に解釈を進め、


「ごめんなさい、オフィリアさん……私たちが足引っ張って……私たちが一緒の班じゃなければ、オフィリアさんはSランクのモンスターを狩りまくって、優勝できたんでしょうけど……このままじゃ無理ですよね……」


「————ッッッ⁉⁉⁉」


 勝手に勘違いして、落ち込んでいくその女性徒に、誤解だと伝えたかったナミだが、全く言葉が出てこない。


 ———魔物狩りなんてどうでもいい、私はあなたたちと仲良くなりたいんです!


 口下手でコミュ障の学園最強は、剣で魔物を倒すよりも、その一言を発する方が何倍も困難なことだった。


 わたわたと慌て続けるナミの頭の中に———もうすでに先ほどの遭遇した黒影のことはなかった。


 ◆


「———生きている」


 アン・ビバレントの上空には月が浮かんでいた。

 足を踏み外し、崖から落ちたはずなのに———。

 体の何処にも痛いところはない。流石に突然体が浮遊感に襲われ、地上が眼下の遥か彼方に見えた時は死を覚悟した。

 迂闊な自分を呪ったものだが、そんな自分が五体満足でいる。

 どういうことだと地面に手をついて立ち上がろうとした。


 ———生暖かい……?


 柔らかい地面を触ってしまい、違和感に下を見る。


「———シリウス・オセロット⁉」


 アンの下には、シリウスが倒れていた。というよりも、アンが彼を下敷きにしていた。


「……………」


 彼は目を閉じたまま、ピクリとも動かない。


「……お前……おい、お前! おいってば‼」

「……………」


 アンが声をかけても、反応がない。仕方がなしにその体を指先でツンツンと突いても反応がない。


 ———上を見る。


 アンが落ちた崖の上は、遥か何十メートルも上にある。そこから落ちて無事。その上、シリウスが下敷きになっていた。考えられる結論として———、


「あたしを、庇ってくれた……のか?」


 父を殺したこいつが?

 さっき、あたしを襲おうとしたこいつが?


「ああ……もう……!」


 意味が分からない。

 アンは頭を掻きむしりながら、シリウスの胸倉をつかみ体を起こさせる。


「おい! ……おい‼ 起きろ! どうせ無事なんだろ⁉ どんなに殺そうとしても死ななかったんだから‼ おい、起きろって‼」

「……………」


 ナイフを弾いたり、素手で暴風を巻き起こすことのできる男なのだ。人一人庇って崖から落ちたところで死ぬわけがない。

 そう思って、アンは何度もシリウスの体を揺らすが———、


「おい、おいって……」

「……………」


 シリウスの瞼が開く様子はない。

 彼の顔は穏やかでまるで死んでいるかのようだった———。


「おい……本当に、この程度で……死ぬんじゃないよな……おい、お前はあたしが殺すんだ、ぞ……?」


 シリウスが死んだ……?

 そう思うと、何故だか、急に、アンの心にぽっかりと穴が空、


「ズ~~~~………ズ~~~………」

「———ん?」


 何か———寝息のような音がシリウスの顔から……、


「ズ~~~~……! ズ~~~~……!」


 いや、まごうことなき寝息だった。


「———寝てるんかい!」


 頭に来たアンは思いっきり彼の体をもう一度ブンッと揺さぶったが、シリウスに起きる気配はない。

 アンは知らなかった。シリウスはこの一週間この企画を無事に成功させるために走り回り、その上前夜には徹夜までし、その後は足場の悪い森の中を行軍していたということを。

 疲れがたまって当然のコンディションだったということを。


「……全く」


 呆れ、シリウスの体を離す。

 これからどうしようか……。

 運よく魔光ランプも壊れていない。ここがどこかはわからないが、他の生徒たちが何人もこの森にはいるし、『スコルポス』の仲間だって夜の巡回をしていてくれている。適当に歩いていたってすぐに誰かしらと合流できるだろう。

 自分一人なら。


「……………」

「ズ~~~~………ズ~~~………」


 地面の上で眠り続けているシリウス。

 コイツをこのままここに放置してもいいものだろうか……。


 ギャア……! ギャア……!


「⁉」


 大きな鳥の鳴き声が聞こえた。

 魔物だ。

 夜行性の魔物が恐らく近くにいる。自分一人なら逃げられるが……男を一人抱えてだと……。


「…………!」


 眠っているシリウスを見つめ、見捨てるべきかどうか———アンは悩みに悩んだ……。

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