4月9日(火) ①

 八時一五分には学校に着いた。授業が始まるのは八時四〇分だから、かなり早くに着いてしまった。教室に居る生徒も俺と寺島を抜いたら四人ほどで、教室の広さが強調されるようにがらんとしている。

 朝の教室は青く薄暗く、まだ微睡みの中に揺られているように穏やかだ。この後、対面式・部活紹介・クラス写真撮影・校内案内と、怒涛のイベントラッシュが待っているとは思えない程に。しかも放課後には二日間の全員強制参加の部活動体験がある。何故全員参加なのか。何故、二日間なのか。

「……………………」

 昨日配られた部活一覧表を見る。残念ながら興味のある部活は無かった。これは消去法で二日間我慢するしか無いかもしれない。

 でも、どれにしたら良いんだろう。入部するつもりもないのに、熱烈な勧誘を受けてしまったら申し訳なくなるし。それに、部活動体験だけでも母さんが言っていた英会話部に行った方が良いのかな。それで適当に、本格的に活動してる部活じゃなかったから入らない、とでも誤魔化して……。

「岡田くん」いつの間にか寺島が俺の席まで来ていた。

「ああ、寺島。どうしたの?」

「今日と明日の部活動体験なんだけど……ってちょうど今見てるね」

 寺島が俺の前の空席に座る。そして一緒に部活一覧表を眺める。

「でも、全然決まらないんだよな。部活紹介の前にある程度は絞りたいんだけど……。寺島なんか気になるのある?」

 もし寺島が行きたいところがあれば、俺もそれに着いていこう、と薄い望みを掛けて言ってみる。が、寺島は「全く」と困ったように眉を下げて笑った。想像はしていたけど、やっぱりこうなるか。

 寺島は中学のとき部活に入っていなかった。それに、好きなこともあまり無いらしい。俺からすると、『好き』と判定する水準が高いだけで、本当は寺島にも好きなことがたくさんあるような気がするけど……。

 本を読むことは唯一好きらしいけど、残念ながらそれを活かしたり楽しめる部活はこの学校には無い。

 となるとやはり消去法しかないようだ。

「そうか……。寺島が行きたいのあれば、着いて行こうって思ったんだけど……消去法で決めるわ」

「僕も着いていこうかなって思ってた」それを聞いて、消極的な者同士の思考だな……と笑いが溢れそうになる。

「て、ていうか、一緒のに行っても、良い?」

「全然良いよ。むしろ、俺も緊張薄れるだろうから助かる」

「良かった。じゃあまず、絶対無いわ~、ってのから除外していこ」そしてすぐさま表に指をさす。「僕は運動部全般かな。これだけはほんとにやるくらいなら逆立ちして運動場6周した方がマシ」

「分かる」

「え、そんな嫌なの?」

「そこまでではないけど。やれって言われたら、仕方ないから」

 そこまで言って、中学のときもそうだったな、と自分で気づいた。なんだか少し胸がもやもやする。これだと、いつかまた中学時代の二の舞になりそうだ。

 そう思って正直に言った。「いや、嘘。もうやりたくない」

「うんうん、素直でいいね!」

 寺島は笑ってくれた。肯定してくれたみたいで安心と嬉しさが混じって、胸の中が勇気の色に変化する。

「じゃあ運動部全部無しで~、文化部ってなったらこれだね」

 話をしやすいように運動部のものに全てばつ印を付ける。そして残った文化部は、美術部・茶道部・写真部・生物部・軽音楽部・英会話部・演劇部・書道部、の合計八つ。

「岡田くんはこの中で……、あ、……あの……」寺島が口澱む。

「どうしたの?」

 目を見て言ったら視線を外された。何か言いにくいことなのだろうか。少し黙って言葉を待っていると、寺島は恐る恐るといった様子で口を開いた。

「…………お、お母さんは、何も言ってない、の?」

「ああ……」

 寺島にも母さんのことは話している。とはいっても、寺島のことを下に見ていることではなく、俺が感じている母さんへの違和感についてだ。だから寺島も分かっていて、気を使ってくれているのだろう。

「……実は、英会話部が良いんじゃないかって言われてて」昨日のことを思い出し、苦い気持ちになりながら話す。「でも、嫌だから……、体験だけ行って適当に『本格派な部活じゃなかった』とか誤魔化そうかなと思ってて」

 すると、寺島は少し眉をひそめて言った。「……誤魔化すのなら、体験行っても行かなくても、一緒じゃ、ない?」

 それを聞いて思わずはっとしてしまった。確かにそうだ。自分で選択していたつもりが、結局母さんの示した方向に限りなく近い道に進むことになってしまう。

「確かにそうだな……」

「体験だけでも行きたいのなら良いと思うけど……。ごめん、なんか、偉そうに言っちゃって……」

「全然大丈夫。むしろ、ちゃんと自分で選ぶようにしなきゃなって思ったから」

「そっか、なら良かった」寺島が安心したように笑う。「どうせならちょっとだけでも岡田くんが興味あるところに行ってほしくて……。小説にも使えるかもだしね」

 それを聞いて思わず顔が熱くなる。一番近い席にいるクラスメイトも四席先だから、聞こえてはいないと思うけど、あまり、俺が小説を書いていることは知られたくない。聞こえてるかもと焦ることすら、自意識過剰かもしれないけど。

「こ、こういう場所であんまりそういうこと言わないでくれると助かるんだけど……」

 人に見せるどころか知られることすら恥ずかしい。むしろ、やましい気持ちもある。世の中にはもっと小説が好きで上手な人なんて、たくさんいる。なのに俺如きが……となってしまうのだ。

「ご、ごめん……。でも、僕はほんとに、岡田くんのその情熱も技術も、もっと誇っていいものだと思うよ。倫子さんも読みたい読みたいって、ずっと言ってるし」

「そんな大したものなんて無いよ……。あと、倫子さんに見せたら本当に怒るからな」

 本業の人に読まれるなんて、恥ずかしさと情けなさで体温が上昇して体の水分が全て蒸発して死ぬことが出来そうだ。

 まだこの話が続きそうな気配がしたから、俺は少し意地悪な話題の変え方をする。

「寺島だって、気になるのが無いんじゃなくて『僕には出来ないだろうしなぁ』が混ざってるんじゃない?」

「うっ」顔を青くし、目を逸らす。

「あんまり寺島も人のこと言えないよ」

「じ、自分が出来てることや理解してることだけを話さないといけないなら、何も話せなくなるよ……!」せめてもの抗議といったように言葉を絞り出して言う。そんな寺島に少し申し訳無さを覚えながら話を区切る。

「まあそうだな。てことで、ほんとは興味あるのは?」

「話聞いてないでしょ…………しゃ、写真部です……」

「へぇ」

「意外とか僕なんかがとか言わないで!!」

「何も言ってないって……」

 本当にそうは思わなかった。むしろ、寺島の撮る写真を見てみたいとすら思った。

 例えば、今同じこの教室に寺島と居るけど、寺島にはこの風景がどう見えているのだろうか。写真でどこを切り取るのだろうか。

 時々思う。寺島にはこの世界がどう見えているのか。それが写真を通せば少し知れそうな気がしたのだ。

「見てみたいよ、寺島の撮る写真」

「ほ、ほんとに?」青かった顔に少し赤みが戻る。

 すると寺島は恐る恐るといった風に、ゆっくりと話し始めた。「……き、昨日さ皆で、写真撮ったじゃんか」

「うん」

「家帰ってから、見せてもらってさ、それが、なんか良いなぁって、お、思ったんだ……。アルバムを、作る理由が分かったというか……」

「へぇ。どんな理由?」

「…………栞、みたいな?」

「栞かあ」俺も昨日のあの気持ちを思い出す。確かに、写真を見れば思い出せる気がした。「俺も分かるな」

「そう?だ、だから、ちょっと興味出たんだ」

 近しいことを感じている事実に不思議な感覚になる。幼なじみならまだしも、付き合いがたった三年なのに。

「うん。なんか試しに撮らせてもらえたりしたら良いな。じゃあ二日とも写真部行くか」

「ふ、二日とも?」寺島が驚きで少し高くなった声を出す。「ほんとに大丈夫?ちょ、ちょっとでもさ、なんか、岡田くんも興味あるやつ…………」

「………………わからないんだ」

「…………………」

 俺がそう言うと、心なしか寺島は少し悲しそうな顔をする。俺も、寺島とは違う意味だろうけど、少し悲しい気持ちはある。自分で自分のやりたいことすら見つけられないなんて。

「……わからないから、寺島のに着いて行って、そこで考えようと思って」

 でも、見つけられなくて踏み出す勇気もないのなら、誰かと一緒にしたら良い。

 きっと、勇気のある聡明な人なら、初めの一歩だって一人で切り開くのだろうけど、残念ながら俺はそうではない臆病者だ。

「大丈夫、途中で何か興味あるのを見つけられたら、二日目はそこに行くから、『機会を奪った』ことにはならないよ」

 むしろ、こんな臆病者に着いてきてくれてありがとう、と言わないといけない。

「………………」そう伝えても寺島の顔は、まだ不安そうだ。俺が言っていることは全部本当のことだけど、信じてくれるだろうか。

「…………」

 すると、寺島の悲しさと不安が混じった表情が少しずつ弛緩していく。

「そ、そっか、分かった。じゃあ、よろしくお願いします」そうして律儀に机に頭を下げる動作をする。

「うん、こちらこそ」

 そこからチャイムが鳴るまで寺島と話した。面倒に感じていた部活動体験も、少し楽しみに感じてきたから不思議だ。俺みたいに自分自身が迷子のような人間にとって、着いていける存在は大きいなと思った。


 が、そんな安息も束の間だった。

 この数時間後、部活動体験の前に死ぬほど恥ずかしい目に遭う人物――言うまでもなく寺島――がいるのだった。

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